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はい、そのです。
こんにちは。昼の散歩からはんせい会です。
今日は昼ご飯の後に散歩をしていますね。
今日から小学校がやっと夏休みモードに入ってきて、
今日は給食がなくて、昼で帰ってくる。
明日も昼で帰ってきて、やっと一学期終わりなのかな。
って感じらしいです。
で、
そんなこんなで昼はちょっとね、いつもよりも、
最近はね、在宅で仕事していると、
昼は結構さっと済ませて、たまに奥さんと2人でご飯食べたりしてたんだけど、
家族でご飯を食べるっていう感じになりましたかね。
いつもの1日昨日の振り返りと、ご飯は最近考えていることで、
同じ窯の飯を置くっていうことについて話したいなと思います。
昨日は出社をして、出社しないとできない作業があったんで、
それで行って、システムを見て、
結局、ちょっと当初の予定とは違った作業になったんだけど、
状況確認をして、
途中少し作業が進まないところもあったけども、
昨日はゆっくりやって、
オフィスはね、何人かお客さんもいらっしゃるんだけど、
僕と直接関わりある人はいなくて、
個人の作業をずっとしてた感じかな。
作業を続けてたかな。
あとは、昨日は作業にスケジュールがちょっと遅れてたところがあって、
それを一回、関係者の連絡をスラックに投稿したりとか、
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コミュニケーションをして、
そういう意味だと、自分の作業の遅れで後ろめたいところとかあったけど、
若干一区切りつきつつ、まだちょっと対応が残っているところがあるから、
粛々やるっていう感じだったかな。
そういう意味では、ちょっとその対応作業も絡んで、
見なきゃいけなかったシステムがあるから、ちょうどよかったかもしれない。
夜は一瞬、中継時間にコルクラボの近くのミーティングに一つ参加して、
コルクラボのツイッターアカウントとか、
外向けの案内文とかの見直しをしようみたいな話があって、
そこの最初のミーティングに入ったりとかしてたかな。
最近、立ち上げ時の少人数のミーティングとかにたまに入って、
久しぶりにコミュニティのものの進め方というか、プロジェクトの進め方みたいなのを
少し体感したりとかしながらまた考えることがあったなと思ってやってたかな。
帰りはちょっとだけ寄り道しつつ帰って、割と遅めにあとは寝るっていう感じだね。
あと、環状面ではそういう意味だと、通勤は体力的なところもそうなんだけど、
昨日は電車はそんなに混んでなかったから、そこまでストレスは感じなかったんだけど、
時間が行きと帰りそれぞれ1時間以上かかって、その分時間が押したりはするんで、
家にいるとただ家族のこともするから休憩時間が少し長めになったりとかして、
実質はそんなに作業時間変わらないかもしれないけど、
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電車に乗るっていう時間よりは家族と何かをしている時間がある方が生産的な気がするし、
そこに対してのストレスが若干あるかなっていうのと、
ずっと後ろめたさを持っていた作業の遅れについて報告したりとか、
緊張しつつ、一応先週の休日出勤で頑張って進捗があるところまでは進めたから、
材料があったからまだ何とか安定していたっていうのはあるかもしれないね。
という感じかな。
気づきはそういう意味だと、やっぱ行動しないことには進みがないなっていうのと、
オフィスに行っても作業効率がそこまで落ちかかるものでもないかもしれないなっていうところ。
家の環境に慣れたっていうのもあって、そこまで変わらないなって感じたのがあるかな。
昨日、一昨日、今日ぐらいにかけて、コルクラボの人で自分の仕事についてあげているブログを読んで、
確かにそうだなって見てて思ったのが、トラブルの対応した時の話が書いてあって、
結構大事だから、会社の上の方の人とかも出てきて、
結構不可抗力なところもあるんだけど、大きな問題に対してどうしようっていうので報告すると、
本人はトラブルを起こしてしまってすいませんっていうか、
怒っちゃってすいませんっていう感じなんだけど、上の方にしてみると、
どうやって次に進むかみたいな、目の前の人をそもそもあんまりそんな人に起因することでもないし、
どうやって収めて次に進もうかみたいな方に集中してたみたいな話があって、
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それもそうだなっていう、自分がトラブルの当事者だったり聞く側だったりした時もそうだけど、
面白かったのが、大きなトラブルが起きて対処した後に、上の人に顔を覚えられたみたいな話が書いてあって、
なるほどって思ったんだけど、一緒にトラブルを切り抜けたから、
少し連帯感みたいなのが上の人からも感じられて、顔を覚えてもらうから、
それが多分出世とかにつながるんだろうなっていう、
その人自身はそれこそ僕と同じかもっと上の人なんで、
水も甘えもっていう感じで見たんだろうけど、
同じ釜の飯を食うみたいな話もあるんだけど、
そういう信頼ができるのに、同じ困難に立ち向かったみたいなのが大切なのかなとは思って、
それまで何となく同じところで育ったみたいなことが同じ釜の飯を食うっていう話なのかなと思いつつ、
やっぱり苦しい思い出が、共に苦しくてそれを切り抜けた思い出みたいのがないと、
なかなか信頼という意味では抜けられないんだなと思って、
一緒の場所にいるっていうだけだとダメで、
どんどんうまくいきましたっていうのもあるけど、
でもそんなうまくいく中でも苦しみっていうのは、進める苦しみとかあるし、
そういう苦しみが強くて何とかした、
あるいは結果としてプロジェクトが失敗しようが、
切り抜けた、あるいは頑張ったみたいなところの連帯っていうのが必要なんだなと思って、
それが直続の上司っていうよりはもっと上のほうの人と連帯ができると、
確かにそれは信頼もできるから引っ張り上げるよなと思ったので、
なかなか視差が深い話だなというふうに感じたなっていうのが今日の感想です。