作業や経験を評価せずに振り返る
おはようございます。
今日も起きて、ちょっとしたところなので、あまり考えが、また、頭が目覚めてないんですけど、
ちょっと、目を覚ますためにも、収録したいと思います。収録、録音したいと思います。
最近、佐々木翔吾さんとか、ダスクシュートとか、そういった記事を読むことが多いんですけど、
経験というのは、毎回毎回まっさらなので、もしそれが飽きるんだとすると、
多分、そこを何か判断をしているんじゃないかなと思うんですよね。
これを持ったきっかけというのは、子どもの空腹についてで、子どもが空腹を勉強してるんですけど、
覚えようとしてるんですけど、覚えようとすると飽きたって言うんですよね。
で、それって多分、やってることが同じとか、意味があるかないかとか、多分そういう判断を無意識にしてるんじゃないかなと思うんですよね。
で、そうやって考えてしまうと、言う行為がただの作業に感じられて、
じゃあ、これは5回、10回やる意味があるのかって話になると思うんですよね。
ただ空腹を覚える行為っていうのは、繰り返し、
例えば、今回は7×7が言えたとか、8×7が言えたとか、
そういった言えたかどうかとか、
あーっと思い出したけどちょっと出てこなかったとか、
えーっと、奇数と奇数の掛け算なのに偶数の計算だと思ったら偶数が答えとして出てきたとか、
そういった何かしらか気づくところがあるはずなんですよね。
そういうのを気づかずに、
やってる作業を俯瞰的に捉えて、
つまらない、楽しい、意味がある意味がないとかって言ってしまうと、
たぶんいつまで経っても覚えられないんじゃないかなと思います。
で、これって、たぶん子供の曲を弾き合いに出したんですけど、
たぶん自分についても言えて、
そうですね、何かやってみて、
その時に意味ある意味ないっていうのをあまり深く考えない方がいいんじゃないかなと思うんですよね。
えーっと、たぶん、
そうですね、例えばスキルとか、
あと、なんか、見るとか、
えーと、わからないものを勉強するとかって言った時に、意味があるか意味がないかとか、
あー今すぐわかって、今すぐわからないとか、
そういったことをあまり考えずにやってみて、どうだったかっていうのを、
1回1回の経験として振り返ることが大事で、
ゴールに対してどうだったかとかをあまり考えない方が、
その1回1回の取り組みが充実していくんじゃないかなと思うんですね。
仕事についてもそうで、
あと、今ここらの作業をしたとか、こういった決断をしたとか、
というのを1回限りのものとしてやっていくのがとても大事で、
本当の繰り返しの作業であれば、
本当の繰り返しの作業だとしても何かしらか、
自分のメンタリー、自分のこう考えてることとかはちょっとずつ変わってくるんだと思うんですよ。
えーと、今何かちょっと思い出しかけて、ちょっと忘れちゃったな。
そう、こういう形で取り組むことが大事だと思ってます。
えーと、最近瞑想に興味があって、瞑想っていうのは、
目を閉じて、あまり考えをめぐらせず、
その時の体の感覚とか、何か思いついたら思いついてるなっていうのを追っていくというか、
認識するっていうのが大事らしいんですよね。
で、これって多分、今の工夫とか単純な作業とかでもと同じことで、
何かを認識して、でもそれに対してあまり評価を下さず、
えーと、振り返ってみるっていうのが大事だと思うんですよね。
で、この振り返るっていうのが、
徳さんっていう方が色々と記事を書いていて、
内製とか、あとは、
そういったものっていうのはちょっと、
トラップ、罠があるようなことを言ってるんですね。
内製や実績思考に囚われずに受け入れる
内製、内側を試みる、変えてみる作業っていうのは、
あと何か問題とかが起きた時に、
原因とかを内側に求めて、
実績思考に押し入りやすいって言っていて、
これがとても良くないんですよね。
で、たぶん実績思考っていうのは、やっぱりこうあるべきだとか、
どうした方がいいとか、
ゴールはここだとか、そういったものがあった上で、
たぶん実績に結びつくんだと思うんですよね。
そうではなくて、
やっていくべき振り返りとかは、
何を感じたとか、
あとは、今回のこの作業はどうだったとか、
もう少しこう、
自分の経験に基づいたものであるべきもので、
評価を下すことはしちゃいけないんだと思って。
瞑想でも、
修行語りみたいな形で、
図面組んでる人が肩打たれたりするんですけど、
そういうイメージでいるとたぶん良くなくて、
こういう風に感じたとか、ああだったとかっていうのを、
ただただ受け入れて、
見ていくべきものなんじゃないかなと思いました。
そうなんですよね。
こうやって瞑想ってすごく興味があるんですけど、
なかなかやろうと思えなくて、
たぶんこれこそ最初の句句と同じで、
意味とか効果っていうのを、
しっかり認識できてないんですよね。
句句とかで言うと、
一体言いっぱなしだからダメなんだなと、
やれないんだろうなと思います。
もしそれをやった後に振り返って、
ここがだったなとか、
これは言えたなとかっていう形で、
振り返って何かしら効果とか、
自分についてしっかり理解できるようなものがあれば、
自然とやるし、続くんじゃないかなと思うんですよね。
これって運動と一緒で、
今すぐ効果が出ないものっていうのは、
なかなかやれないと。
効果を感じるまで時間がかかるものって、
なかなかできなくて、
だからみんなトレーナーをつけたりとか、
何かしらコミットメントをして、
やってるんですよね。
効果が出にくいものは、
多分時間的なコミットを先にしてしまって、
自転車と一緒である程度スピードが出るところまで、
行ってしまわないといけないんだろうなと思いました。
ちょっと瞑想についても、
そういうのを考えてみようかなと思います。
今日はそれくらいです。さようなら。