他人の文句のカッコ悪さ
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もジャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時23分です。
さすがにこの時間はまだ真っ暗ですね。
横浜の空は真っ暗ではありますが、
引き続き気温は高めということで、
過ごしやすい朝となっています。
さて、今日から3月ですよね。
どうでしょうか。
月の変わり目というか、
こういった節目の日というのは、
何かを始めるタイミングとしては、
いいということが科学的にも分かっています。
いわゆる記念日効果というようなものがありまして、
霧が良い日というのは、
何かを始めるときにうまくいきやすいということですよね。
なので、月初とか月末とか、
そういうタイミングは何かを始めたり、
あるいは振り返りをしてみるというのもいいかもしれません。
普段よりもより集中できたり、
身についたりということができるということですよね。
なので、今日は3月の初めということで、
そんな1日にしてみるのはいかがでしょうかというのが前置きでして、
今日のテーマは、
他人の文句を言うカッコの悪さというお話をしてみたいと思います。
さてということですけれども、
他人の文句ばかりを言ってはいませんかと、
それってカッコ悪いよねという話です。
偉そうに言っている僕も、
油断すれば他人の文句、
他人に対する不満ですかね、
そういったものを口にしていることはあると思います。
だからこそ気をつけようということで、
次回の年も込めて今日はお話をしているところです。
影響の輪について
じゃあどの辺が他人の文句を言うカッコの悪いポイントなのかということですが、
どう思いでしょうか。
そもそもあなたは他人の文句を言いますかということではあるんですけれども、
そんな他人の文句を言うカッコの悪さとして、
まず挙げられるのは他責ですよね。
他責と自責というものがあると思います。
他責というのは要するに人のせいということですよね。
よくあるところで言えば、
会社の文句、会社に対する文句ですよね。
もう少し具体的になると、
上司に対する文句ということもあるかもしれません。
そうですよね。僕も会社員の頃はそういった文句をよく言っていました。
今思うとかなりカッコが悪いなと思うばかりです。
ですがということですよね。
今はそういうことがカッコ悪く思えるというのは一つ。
前に進めたのかなということはあるわけですが、
会社員を辞めたとしても、
まだなお他人の文句というのはいくらでも言えるもので、
世の中的に見ると、例えばお客様の悪口を言うとか、
お客様に対する文句、そういうことですよね。
あるいは何か自分が利用しているサービスに対する文句ですとか、
不満ですとか、そういったこともあるかもしれません。
この他人に対する文句、これは他責ですよね、
人のせいにしてますよねという話をしたわけですが、
これは裏を返すと、自分の努力を放棄しているという点が
カッコ悪いんじゃないかということです。
もう一回言いますが、自分の努力を放棄、投げ出していると、
これってやっぱりカッコ悪いですよねと、
自分にできることがあるはずなのに、やってないということじゃないですかと、
それを他人のせいにして、自分はのらりくらりとやっているということになりますので、
これは避けたいですよねということなんです。
なので、もし自分が他人の文句を言っているのであれば、
文句を言う前に自分にできることがあるんじゃないかということなんですよね。
言われてみれば、そりゃそうだという話なんですけれども、
どうしても他人の文句を言って終わりにしてしまうというか、
それでうさ話をしているというか、ありがちなので気をつけようよということではあります。
続いてということですが、他人の文句を言うカッコの悪さとして、
影響の輪の外ということも言えると思います。
影響の輪という話は時々していると思うんですけれども、
有名な七つの習慣ですよね。
書かれた本ですけれども、
七つの習慣の中に出てくる影響の輪というような考え方があります。
影響の輪というのは、自分の影響が及ぶ範囲ということですよね。
これを、これをというか、その影響の輪の範囲内であれば、
自分が関わるというのは悪くないというか、いいということですけれども、
逆に影響の輪の外にあるものに関わるというのは、
それははっきり言えば時間の無駄だし、労力の無駄だということも言えるわけです。
先ほどからお話をしている他人ですよね。
他人というのは、じゃあ影響の輪の中なのか外なのかというと、
影響の輪の外ですよねと。
他人を変えることはできますかということなんですが、
変えられるようでいて変えられないはずです。
結局最後、変わるかどうかを決めるのは自分だからですよね。
他人に対して何か言うことはできるでしょう。
ああしてくれ、こうしてくれということはできるわけですが、
それでああしてくれるかこうしてくれるかというのは、
絶対的にこちらが決められることではないですよね。
結局相手任せというか、他人自身が変わるかどうかですので、
他人というのは自分から見ると影響の輪の外にあるわけです。
なので他人に対する文句を言うというのは、
影響の輪の外にあることに自分の時間なり労力なりを使っている、
無駄にしているということになります。
限りある人生の時間、そう考えるのであれば、
それって、それってというのは影響の輪の外に関わることは、
いいことじゃないよねというのが七つの習慣でも言われているお話です。
そんなことも踏まえて、影響の輪の外に関わり続けているというのもまた、
カッコの悪いというか、カッコ悪いを通り越して、
自分の人生においてもったいない話ですよねということになるわけです。
他人の努力を理解すること
まだありますよということですが、
他人の文句を言うカッコの悪さとして、努力の否定というものがあります。
ここで言っている努力というのは、他人がしている努力ということです。
他人に対して文句を言うということは、
他人がしている努力を否定しているということでもあるんじゃないんですかと、
僕はそう思うようにしていますということですね。
先ほど例を挙げたのは、上司の文句とか、
あるいはサービスに対する文句、あるいはお客様に対する文句みたいなものを
具体例として挙げてみました。
やはり分かりやすいところで、会社の上司に対する文句ですよね。
これはこれでどうでしょうかという話なんですけれども、
上司だって文句を言われているかもしれませんが、
上司は上司なりに努力をしているということですよね。
どうでしょうかということなんですが、
もちろんどうしようもない上司というのも中にはいるのかもしれません。
ただ僕が思うのは、本当に真底怠けている人なんていうのがいるんだろうかという話です。
それは人間ですから多少は怠けるでしょうということなんですけれども、
真底をすべてにおいて怠けているということはないんじゃないのと思うんですよね。
言い換えると、誰もが多かれ少なかれ努力はしているし頑張っているんだということです。
それに対して他人が文句を言うというのは、他人の努力を否定しているということであって、
自分からは努力が足りないと思うかもしれませんが、
自分のことを棚にあげているだけかもしれませんよねということもあるでしょう。
自分が他人から自分の努力を否定されたらどうでしょうか。
絶対嫌ですよね。自分の努力を否定されるなんて嫌じゃないですかとそう思うと、
自分の努力を他人が完全に理解できるということもないわけですし、
自分の努力を他人に見せる必要もないわけですが、否定されるのは嫌だというのであれば、
人からされて嫌なことは自分もしないというのは、子供の頃に教わったことじゃないかというような気もするわけです。
ということを踏まえて、努力の否定という意味でも、他人に対する文句はほどほどにした方がいいんじゃないのと思うんですよね。
もちろん言いたいことはあるんだと思います。
けれども、他人に文句を言う前に、自分自身ができること、そこに時間を使う、力を使うという方が、
先ほどの影響の和という話も含めて、自分にとっては有益なんじゃないかと思ったりするんですよね。
というわけで今日は、他人の文句を言うカッコの悪さということについて話をしてみました。
いつも僕が話をしていることは、言われてみれば当たり前のことがほとんどだと思います。
ですが、できないですよね。僕自身も含めてそうです。
だから、こうして話をして、自分自身が改めて考えるということもありますし、
僕が話をすることで、少しでも一人の方であったとしても思い返すというか、
振り返りのきっかけになったりするといいなと思って話をしています。
というわけで、今日のお話は以上にしたいと思います。
この後も良いチャレンジを。また明日。