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2025-02-28 14:56

#243/どこまで緻密にやるか

#習慣 #習慣化 #毎日配信 #緻密
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サマリー

本エピソードでは、データや記録の緻密な管理について論じています。特に、客観性や概要を把握するための緻密さの重要性が強調されています。データ収集や記録付けの必要性と、どの程度の緻密さが求められるかについて考察します。客観的なデータが主観や感情を支えることや、過不足のない事例を集める重要性が強調されています。

緻密さの重要性
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時49分です。
横浜の空は明るくなってきましたね。
気温は割と高いと思うのですが、
風が強めに吹いているので、
若干寒いということではありますけれども、
一時の寒すぎるという状態に比べれば、なんてことはないですね。
なので、散歩もしやすいですし、
こうして話もしやすいかなと思います。
さすがに寒すぎるのは話すのはつらい、
そういった一面がありますので、
暖かくなってくるのはありがたい限りということですが、
どうですかね。
皆さんは花粉とか大丈夫ですか、と。
いわゆる花粉症ということですが、
僕は今まで花粉症ではなかったんですが、
なんか今年怪しいんですよね。
暖かくなって風が吹いたりすると、
なんか意味もなく鼻水が出るようなということで、
花粉症になっていないことを祈りたいのですが、
だったら花水は何なんだということになってしまうので、
花粉症なのかなと、そんなことを思いながら、
雑談はそれぐらいにして、
今日のお話をしたいと思います。
今日は、どこまで緻密にやるのかというようなお話です。
ここでいう緻密とはということなんですけれども、
僕はよくこのチャンネルの中でデータを取りましょうとか、
記録をつけましょうというような話をしているかと思います。
例えば、タイムログですよね。
自分が今日何をしたか。
始めた時間、それから終わった時間。
そういったことをどんどん記録につけていく。
これをタイムログと言ったりしますよね。
それから、睡眠時間。何時に寝て何時に起きたのか。
結果、何時間寝ていたのかというような睡眠時間なんかも、
データあるいは記録としてとっておくといいよねと、
そんな話をしているわけですが、
そういうことを言うと、そんな緻密にやって意味があるのかと、
面倒くさいだけではないかというような意見があるのかなと思っています。
そういう意味で、じゃあどこまで緻密にやればいいのかということ、
今日はお話をしてみようということですよね。
まずなんですけれども、客観性を持てるくらいには緻密にやろうよということがあります。
客観性、つまり自分の主観、感覚、感情みたいなものではなくて、
きちんと測れるようなもの。
誰が見てもそうだよねと言えるようなもの。
それを客観性というわけですけれども、
それが持てるくらいには緻密にやろうよと。
その部分でいうと、例えばですけれども、先ほどもお話をした時間ですよね。
それから回数とか、あるいは進捗率みたいなものが単位としては必要になるのかなということです。
例えば睡眠時間ですよね。
だいたいよく寝れたみたいな話、あるいはあまりよく眠れなかったみたいな話もあいまいすぎるじゃないですかと。
それは主観、それが強いのであって客観性持てないですよねと。
他人から見たときにだいたいとかあまりとか、
それはどういうことなのかと人によって判断が分かれてしまう。
これだと自分の何か判断をするとき、あるいは行動に結びつけるときに役に立たないんじゃないのということを思うわけです。
なのでもう一度言いますけれども、客観性を持てるくらいにはということで、
時間という単位を今お伝えしましたし、回数ですよね、何でもいいですけれども、
じゃあ今週何回運動をしたかなとかっていう回数もまた客観性を持てるものじゃないでしょうか。
こういったものをきちんとカウントしておかないと、何となく運動をしたかなと、
後になって振り返ることができなくなるということですよね。
しばらくは覚えているんでしょうけれども、
1ヶ月前にどれくらい運動をしたかって記録してなかったら、多分わからなくなりますよねということです。
あとは仕事においては進捗率とかそういったこともあるんじゃないでしょうか。
今この仕事は全体の何パーセントぐらい進捗したのかと、今ぐらいと言いましたけれども、
進捗率全く把握していないのと、大よさであっても全体像を把握して今の進捗率を割り出しているのとでは、
客観性がだいぶ変わってくるんじゃないでしょうかということです。
僕はよく進捗率というものを長くかかる仕事については把握して記録をしながら進めているということがあります。
というわけで今どこまで緻密にやるかとして客観性を持てるくらいにはという話をしました。
概要を把握するための緻密さ
続いてということですが、概要をつかめるくらいにはというのもまたどこまで緻密にやるかというポイントかなと思っています。
概要なので大体というような部分があるわけです。
先ほどから時間を測りましょうみたいなことを言っていますが、それをどこまで測るのか、
例えば僕は自分のタイムログをとっているという話をしたことがあります。
それは本当に実際には1分1秒単位で記録をしています。
といってもツールを使っているので、実際に時計を見ながらとかではなくてボタンを押すと
勝手に記録をとってくれるというようなツールを使っているので、それ自体は大変ではないのですが、
とにかく出てくるデータとしては1分1秒単位で記録されているということになります。
それはやっぱり緻密すぎるんじゃないのかというようなことはありますが、
これは別に僕が1秒単位でタイムログを把握したい、ズレを確認したいというような意味でやっているのではなく、
緻密にやらなければわからないこともあるよねという部分でやっているということです。
ちょっとよくわからないことを今言ってしまったと思ってはいるんですけれども、
要は時間のタイムログをとるときに、アバウトにタイムログをとるということは逆に難しいよねということだったりします。
なので先ほど僕はツールを使っていると言いましたけれども、そのツールを使う以上は勝手に1秒単位で記録されていくということでもあります。
なので結果としては、緻密すぎるというようなことにはなっているんですが、とはいえ、それによって概要ですよね。
概要というのが僕の時間の使い方、それが見えてくる、方枠が見えてくるということになります。
なので何が言いたいかというと、緻密にやることが目的なんじゃないよとタイムログを1秒単位でとっていたとしても、
それは緻密にやることが目的なのではなくて、時間の使い方の概要を把握するということでとっているということです。
そして概要をとろうとすると、緻密にならざるを得ないこともあるよねということですので、
繰り返しにはなってしまいますが、緻密であることを嫌いすぎると概要さえつかめなくなってしまうというのはあるわけです。
ですから、いかにして緻密にデータをとるかということなんですが、
緻密な記録の重要性
その一つのヒントとして先ほど僕はツールを使っていると言いました。
そういうタイムログであれば、そういうタイムログを記録するツールがありますので、
そういったものを利用して自分の緻密さに対する労力を減らすということはできるのではないでしょうかということですよね。
習慣化とかについても、習慣化ツールとかアプリみたいなものがあって、
自分の習慣を何回できたか回数を記録するみたいな機能がついていたりします。
そういったものを使うと記録の手間も減りますし、ある意味ではゲーム性もあって楽しいのかなという気もします。
なので、いずれにしても概要をつかめる程度には緻密にやろうよというお話でした。
最後なんですけれども、傾向をつかめるくらいには緻密にやろう。
傾向ですよね、はい。
どういった、なんて言うでしょう、傾向、はい、大丈夫ですよね。
傾向をつかむということですけれども、これはどういうことかというと、
事例が透けなすぎると傾向がつかめない。
どういった流れがあるのか、はい、それがつかみにくくなってしまうよねということなんですけれども、
またタイムログの例に戻りますけれども、
例えば1日だけタイムログを撮るというケースと、1週間とりあえずタイムログを撮ってみるというのとでは、
どっちが役に立ちそうですかということです。
言うまでもなく1週間撮ったほうがいいですよねと。
1日だけというと、それが平日なのか休日なのかといった問題もありますし、
何か特別な事情があった1日であれば、そのタイムログというのもあまり当てにはならないと。
ですが、1週間のタイムログを撮っていれば、それだけ特殊な事情というのは薄められていくはずですし、
休日と平日の分析ということもできるかもしれない。
なので、傾向をつかむということでいえば、事例が少なすぎるというのはやや緻密さに欠けてしまうのではないかというような話をしています。
なので、どこまで事例を増やすかというのはケースバイケースだとは思うんですが、
少なすぎるというのはまず問題ですし、
あとは、その計測する期間として短すぎるというのもあまり適していないかなということですよね。
緻密さに欠けてしまうということなので、結果として少ない事例や短い期間で判断はしない方がいいよねというようなところもあるかと思います。
なので、緻密にやることを嫌って事例を少なく抑えようとか、
短い期間で終わらせようとか、そういったところに考えが行ってしまうと、
緻密さが足りないよということになってしまって、結果として判断を間違えたり、無駄な行動が増えてしまったりということもあるんじゃないでしょうかというお話でした。
主観と客観のバランス
なので、今日はどこまで緻密にやるかということで、データを取るとか記録をつけるということについてどこまでやるかみたいな目安をお話ししてみました。
そもそもですよね、データを取るとか記録をつけるということをあまりやっていない人の方が多いものと思います。
そういう意味で見ると、僕はどちらかといえばやりすぎ、下手をすると異常と思われてもおかしくないようなデータを取っていたりするんですが、
それによって何かあったときに自分を客観的に冷静に見ることはできるということをこれまで実感しています。
もちろん主観や自分の感情、そういったもので判断するということも大事なんですけれども、
そういったもの、主観や感情を大事にするからこそ客観で裏付けるというようなこともできるのかと思っています。
そして主観や感情が揺らぐときだってあるじゃないですかと、そういうときに自分がこれまでやってきた、
すみません、咳が出てしまいました。客観ですね。客観的なデータ、記録、それは事実ということになりますので、
その自分の事実が自分を支えるということもあるのかなと思っています。
なので僕はデータを取るとか記録をつけるということをお勧めしているわけですが、
それに対する地道すぎるというような、言うなれば反対意見があるようなので、
今日はその反対意見に対する回答というような意味合いもありましたよということですね。
それでは今日のお話はこのくらいにしたいと思います。
この後も良いチャレンジを。また明日。
14:56

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