悔しさの発見
こんにちは、モロトメ ジョーです。
今日もチャレンジしてますか?
今朝も散歩をしながら収録しています。
時間は5時48分です。
横浜の空は、きれいな朝焼けが広がってきました。
今日も暖かくなりそうですが、
春が近づいていますよねと、
そんな前置きをしたところで、
今日のお話を始めていきましょう。
今日は、挫けても消えぬ種火を見逃さない、です。
自分が挫けたとしても、消えない種火を見逃さないようにしようと、
やや抽象的なというか、
ポエム的なテーマにはなりましたけれども、
具体的に話をしていきたいと思います。
私事ですし、少し前にもお話をしたんですけれども、
最近悔しい思いをしたんですよと、
ある意味くじけたんだという話なんですけれども、
それはマラソン大会ですね、
フルマラソンに出ようと思っていたんですが、
事情があって出場する前に欠場というか、危険というか、
出ないということを決めたんですよという話ですね。
そこまでは日々ランニングをしたり、調整をしたりということで、
フルマラソンを目標に頑張っていたわけですから、
走りもせずに欠場をするというのは、
とても悔しいことだったわけですよね。
その悔しさのあまり、自分を嫌いになりそう、
つまり自己嫌悪に陥りそうになったというか、
短い時間ではありましたが、確実に陥っていたと思います。
ただ、そういった自己嫌悪というのは、
反数思考を招くものでもありますし、
良いことでない、それはわかっているんですけれども、
やっぱり人間、いろんなことがありますけれども、
その状況によっては、
ダメだとわかっていることでもやってしまうものですよね。
自己嫌悪をしないようにしようと思えば思うほど、
反数思考で自己嫌悪をしてしまうみたいな。
でもそこでちょっと気持ちを切り替えてみてですね、
いつもお勧めをしているメモ書き。
自分の考えていることを目に見える形で文字で書き出してみようということで、
頑張ってみましたというか、気持ちを切り替えてみたんですよね。
その時に、書いているうちに思ったのが、
でもなんでそんなに悔しいんだと。
悔しいという思いをわかる。
でもなぜそんなに悔しいんだっけと、
その気持ちの出どころを探っていたんですよね。
そしてわかったことがあります。
それは、僕はできたはずだと、
そう思える自分がいたんですよね。
もう一回言いますけれども、僕はできたはず。
今回は欠場をしたけれど、
状況によってはできたはずだと、
そう思える自分がいたんです。
だから悔しかった。
そういうことだったんですよね。
できたはずなのに、
それを事情があってできなかった。
本当はできた、世界線があったかもしれない。
それが悔しかったということでして、
ただこれって捉え直してみると、
もし自分にそういったできるという思いが、
できたはずだという思いがなければ、
悔しくもなかったはずじゃないかということなんですよね。
つまり今回に関しては、
悔しいと思えることは、
僕はまだできるんだという、
ポジティブな一面を持っていたということなんです。
だったらということですよね。
次があるじゃないかと。
次に向けて動き出せばいいじゃないかと。
ここでカチリとスイッチが切り替わったということを、
今回、メモ書きをしていて感じたんですよね。
そこで、はい、次があるじゃないかと。
次のステップ
次に向けて動けばいいということで、
具体的に始めたのは、
次にどうしたらできるかというリストアップでした。
なので、できるということを前提に、
じゃあそのために何をするかということを、
リストに上げていったということですね。
そこは具体的な話は、
僕個人の話なので省略するとしまして、
ここで何が言いたいかというと、
できなかった理由探しは程々にということか、
まず一つ挙げられますよね。
僕の例で言えば、
マラソン大会に出られなかった事情があって、
その事情に対する理由探しというのは、
いくらでもやろうと思えばできるんですけど、
それは程々にと。
起きてしまったことは起きてしまったことであり、
反省はすべきですが、
それ以上でも以下でもないんですよねと。
これってマラソン大会に限らず、
誰にとっても日々の習慣、
こういったものについても同じなのかなと思います。
日々の習慣の中でもうまく続かなくて、
悔しい思いをしたりくじけそうになったりという、
タイミングがあるんじゃないかと思うんですよね。
僕にももちろんあります。
でもそういったくじきでも、
悔しい思いがあるなら、
やはり同じように、
そこはできるという思い、
まだ自分はこれからできるんだという、
小さな種火のようなものですよね。
これを見つけて、
もう一度火を起こそうじゃないかと。
小さな種火も、
大きな火に燃え上がらせるということができるんじゃないかと、
僕は思うんですよね。
ところがなんですけれども、
大事なのはその時にすぐ動き出すことなんですよね。
僕の話で言えば先ほど、
次にどうしたらできるかをリストアップ始めたと言いましたけれども、
そういったこともまず一つですよね。
種火に気づいたのはいいけど、
何もしなければ、
やっぱりその種火はいつか消えてしまうかもしれないと、
喉元すぎれば熱さを忘れるのが人なんですから、
熱いうちに悔しい思いがフレッシュなうちに動き出すということが必要なんじゃないのと。
僕は、また僕の話に戻ってはしまうんですけれども、
先ほど言ったリストアップ等、
リストアップ等というかリストアップの中に含めている話ではあるんですが、
一人でフルマラソン計画していますということですね。
もう大会はなかなかないですし、
これから大会に申し込んでというのも状況が限られてしまうので、
もう自分で日にちを決めて、
その時に一人ですが、
誰も応援をしてくれる、
沿道の応援者もいませんが、
それは関係がないと言えば関係がないことなので、
自分で42.195キロ近々走ろうということで計画をしています。
それに向けてもう一度調整を始めているところですが、
こうしてすぐに動き出すことで悔しい思い、
ある意味ではちょっと元気を失っていたタイミングもあるんですが、
動き出すことで元気を取り戻すこともできたのかなと思っています。
ネガティブと思考
繰り返しですけれども、
わずかに残っている自分の中の種火を自ら消してはいけないと思います。
でも気をつけないと、
先ほども言った半数志向、
半数志向、ネガティブな志向にとらわれてしまって、
種火を自ら消してしまったり、
見逃してしまったりということが起きてしまうのかなということで、
今日はこんな話をしてみたというところなんですよね。
ネガティブな思いというのはいろいろありますよね。
今回僕はくじけて悔しい思いと悔しいというネガティブがありますし、
他にもつらいとか悲しいとかそういったネガティブな思いもあるじゃないですか。
でもつらいのは自分が逃げていないからですよね。
自分が逃げていればつらい思いなんてないわけですから、
そういう意味では逃げない自分を誇るべきだと、
そういう捉え方もありますよね。
なのでつらいのは逃げていない自分がいるからであり、
一方、悲しいんだとすればそれは楽しい日々があったからじゃないですかと。
楽しい日々があった、それをもう一度取り戻すたびに、
今の悲しい状況を乗り越えるんだというような考え方もあるはずです。
日々楽しいことなんかなければ、
別に悲しいことで悲しまないということだってあるじゃないですかと。
なので何が言いたいかというと、
ネガティブな思いのその反対にポジティブな事実が存在していたんじゃないのということですよね。
そのポジティブな事実の中に自分の小さな種火が眠っているんじゃないかと思います。
なので再三の繰り返しではありますが、
その種火に自ら薪をくべてもう一度燃え上がらせるということができるんじゃないでしょうか。
今日は僕の自分語りがだいぶ多くなってはしまいましたけれども、
その中から何か似たような状況ですとか、
応用できるというか使い回せるようなお話として、
役に立つ部分があったらいいなと思って、
今日はこのあたりで話を終わりにしたいと思います。
そうですね、空もかなり明るくなってきて気持ちのいい青空が広がってきました。
それでは今日も良いチャレンジを。また明日。