【文化欄 #08】岩井圭也×麻布競馬場。ドーパミン的コンテンツと距離を取るための技法
2026-07-23 41:30

【文化欄 #08】岩井圭也×麻布競馬場。ドーパミン的コンテンツと距離を取るための技法

News Connect 文化欄、ゲストは小説家の麻布競馬場さんです。「文体不要」「ドーパミンじゃなくてチル」「偏りへの気づき」など、麻布さん流の創作論や小説の魅力を伺いました。さらに、ベンチマークを置いて執筆するという二人の共通点も発覚。数々の先行作品があるなかで、新規性のある作品を生み出す秘訣を探ります。


▼ゲストプロフィール

麻布競馬場
1991年生まれ。2021年からXに小説を投稿し始め、「タワマン文学」として注目を集める。2022年、Xやnoteに発表してきた作品のうち、20作が収録された『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』でデビュー。2024年『令和元年の人生ゲーム』が、第171回直木賞候補作となる。
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サマリー

小説家の岩井圭也と麻布競馬場が、直木賞落選同期という共通点から対談を開始しました。麻布競馬場は、自身の作品が「文体不要論」に基づき、最小限の文字数で読者の脳に直接届く透明な文体を志向していると語ります。彼は、比喩や突拍子もない行動を「小説的」と捉える風潮に疑問を呈し、人間の内面を具体的な表象で深く描くことこそが文学の本質だと主張しました。 また、麻布競馬場は、感情の設計図が明確すぎる「ドーパミン的エンタメ」から距離を置きたいと考えており、小説の役割は、読者に内省の時間を与え、自身の偏りや歪みに気づかせる「メガネ」のような装置であると述べました。岩井圭也も、自身の作品「奇数域」で社会と個人の繋がりを描く中で、個人の内面に焦点を当てることの重要性を再認識したと語ります。両者は、情報過多な現代社会において、小説の「遅さ」が内省を促す貴重な手段となり得るとの見解で一致しました。 さらに、二人は先行作品を「引き継ぎ書」と捉え、それをベンチマークとして「殺す」(否定し、乗り越える)ことで新しいものを生み出すという創作姿勢を共有していることが判明しました。特に、浅井リョウからの影響と、そこからいかに独自の道を切り開くかという世代的な課題についても言及。ビジネスにおける模倣とイノベーションの考え方を小説創作に応用し、既存の概念の掛け合わせから新しい価値が生まれるという希望を語り合いました。

オープニングと共通点:直木賞落選同期の対談
こんにちは、小説家の岩井圭也です。 News Connect 文化欄のお時間です。
本日のゲストは、麻布競馬場さんです。
今回は、冷笑的とも評される麻布競馬場作品の根底にあるものや、麻布さんが考える小説の役割、ベンチマークをいった小説の書き方などを伺いました。
それでは、本編をどうぞ。
ゲストは麻布競馬場さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
実はね、今日初対面ということで。
そうなんですよ。ただ会ったことはないんですけど、周りに岩井界隈みたいなのがあって。
いろんな人に会うたびに、岩井先生は光の人だって話を。
先週も同業のきなちれん先生って、少女文学なんか中心に考えてる先生って役に食いに行ったんですけど、岩井先生は光の人だからって紹介を受けてからの今日なんで。
どんなに光の人なんだろうと思って楽しみに巻いた次第。
きなさんは割と仲良くしてるんですけど、一回もそんな感じのこと言われたことないですね。
イベントも一緒にやられてるもん、以前見てて。
文振りにね、何人かで4人で一緒に出て、1987年生まれの作家で出るっていうのがあって。
それで結構仲良くはしてるんですけど、いつも会うたびに言われるのは書きすぎしか言われない。
1年間に50冊くらい出してるんですよね。
出してないです。出してないです。出してないです。
キス行きがすごく面白かったです、最近。
ありがとうございます。去年かな、キス行きという小説、双葉社から出た小説です。ありがとうございます、読んでいただいて。
なんか恐ろしい目でこの人は人間を見てるのがあって、その時に思って黙る。
それが言ってるんだっていう感じですけど、でもあれなんですよね。
我々実はその共通点がね、しっかりした共通点があるんですよね。
第171回直樹賞の候補になって落選をした2人。
落選動機として今日は。
イチホミチさんが受賞された。
そうなんですよね、あの回があって。
で、町会をやられてたと伺ったんですけども、僕もやってたんですよ。
日比谷のバー借りてもらって、編集者の人に来てもらって。
今村先生が行かれたという。
いや、今村さん来てない。
電話をあげなかった。
で、その後、アザブさんのエッセイを読んだら、南青山の赤い部屋でワインを飲みながら待ってましたって書いてあって。
史上一番鼻に付く町会やりまして。
アザブ競馬場をやりに行ってるなって思いました。
いやそう、作家になって初めて書いた。
これも連作短編なんですけど、長めの小説で1作目だったんで。
まだ作家に染まる前に作家らしくないことを全部やろうと思って。
って話を飲みながらやってたら、お店がじゃあうちで町会やろうと言ってくれて。
なんかもううさんくさい人全員集めて。
マジで面白かったです。
南青山の赤い部屋で。
なんか気心の知れた仲間みたいな。
だからもう書きに行ってるなっていうのは分かったんですけど。
めちゃめちゃおもろいな。
ここでもやってくれるんだっていうので。
サービス精神に本当にあふれた方々っていうのをいつも思ってました。
一応ですね。
アザブさんのプロフィールを最初にご紹介したいと思います。
1991年生まれ、2021年からX。
これ当時はツイッターですかね。
に小説を投稿し始め、タワマン文学として注目を集めると。
もう代名詞のようになってますけれども。
いやもう一生これで食ってこうと思ってたんですよ。
タワマンが好たれてもタワマン文学で食っていく。
続けますよ。
2022年、Xへノートに発表してきた作品のうち20作が収録された。
この部屋から東京タワーは永遠に見えないでデビュー。
2024年、令和元年の人生ゲームが第171回直木賞候補作となるということでございます。
まだ小説としては2冊目ですもんね。
単調で言うと2冊目だし。
1冊目がほぼ小説っていう形でもなかったものだったので。
発表形態としてそこを想定してなかったっていう。
本になると思わずに、とにかく当時もツイッターに書き続けたものを拾っていただいたので。
小説Xっていう。
聞いたことないですもんね。
小説、ツイッターとかXって聞いたことないですもんね。
2冊目が多分連載媒体は同じですよね。
別冊文芸授与集ですよね。
直木賞落選同期にしてたぶん連載同期でも実はあるという。
そうなんですよ。どっちも文芸春秋の作品で候補になっていた。
僕は割れ幕マグスで、令和元年になってということで。
しかもあさぶさん辞典なんですよね、あの時。
直木賞なんですよ。一穂さんが受賞されたんですけど、かなり実は評価も高くて。
ここの文庫、令和元年の人生ゲーム文庫になってますけれども、帯にもね、選票が書かれてますね。
林麻里子、今の若者の空想感を描き切って一押しだった。
高村薫、最も時代の今と若者世代のリアルを見つめた小説ということで。
かなり高評価な方がいらっしゃって。
いいなぁと思いながら、羨ましいなぁと思いながら。
連載当時からクマグスはずっと読んでたんですけど。
麻布競馬場の創作論:文体不要論と人間描写
勝手に僕、人間の見る時の角度が、この人は近い感じがすると勝手に当時思ってて。
ずっと人間描かれてる方のイメージがあるんですよ。
そうですね。でもそれで言うと、僕まさにそれを思ったんですよ。
アザブさんのデビュー作を読んだ時にまず。
この人は高村さんかな。確かランクションの選票で、それこそ生来の小説家っていう風に書かれてたんですよ。
これはもうどっちかというと純文学だということも書かれてて、僕まさにそうだなと思ったんですよ。
めちゃめちゃそれすごい共感して。
それは僕デビュー作を読んだ時からずっと思ってて。
とにかく人間なんだっていうのをずっと一人称じゃないですか、まずアザブさんって。
一回も三人称しか使ったことないです。
とにかく人の思考を書くのがやっぱり好きというか、そこに方向が向いてる人なんだっていうのをずっと思っていて。
つまりは人間の内面にめちゃくちゃ興味があるし、
それをめちゃくちゃ膨大な数の具体的なブランドとかものとか会社名とか色んな具体的なもので書くっていうところが、
めちゃめちゃ文学やってるなって思ったんですよ。
理解できないみたいなことを選票でも一部大勢が書かれてましたけど、
僕はどちらかというとめちゃくちゃ文学だなって思ってて。
伝統的な、要は自分の内面を一人称で具体的な表象を使って深く深く書くって。
文学だけどなってすごい思ったんですよ。
深井・なんて嬉しいことをこんなに言っていただいて。
だからそうですね、僕もわりと興味関心の方向は近いなと思いましたし、
それをこのもう最初からアザブ競馬場の文体があるっていうのがやっぱり強いなって思ってました。
文体がでも最近いるのかどうかって悩み始めてて。
なんかでもそれは角田さんとかもできるだけその透明な文体で書いてみたことは前おっしゃるときってことがあって、
なんか僕もすごい凝ってた時期あったんですけど、なんかこだわるんじゃなくて、
むしろこだわらないときに最後に残ったものを大事にした方がいいなみたいな。
なんかだからわりと初期衝動みたいなのがすごい大事だなと思うんですけど、文体って試行錯誤しました?
僕自身は文体不要論なんです、昔から。
なのでもう最小限の文字数で脳みそに入ってくるのがいい小説だと自分自身が読者の時にすごく思ってたし、
当時ツイッターというサービスで小説を書いていたときにバズるポイントって結局比喩なんですよ。
これが結構罪だなと思っていて、みんなが小説的だと思ってるもので、
例えば村上春樹がパスタを茹でるみたいな、ちょっとお決まりの比喩とかちょっと突拍子もない行動を小説的だと思うと、
それ僕結構枝派だと思うタイプなので、本来小説って人間っていう輪郭をないものを小説とか言葉っていうもので浮かび上がらせる。
ものだと思って本を読んできたので、なんかいい比喩を吸い込みたいみたいな気持ちで小説を読むのは楽しみの一つでもあるけどちょっともったいないことでもあるなと思ってる派閥なので、
むしろ僕もやっぱ透明な小説の方がいいなと思ってる立場なんですよね。
めっちゃ文学ですけどね。
なんかその外側、輪郭を描くみたいなのは僕もすごい分かって、要はその人間を描くって人間のど真ん中をガーンって描くっていうには、
その人の外側をできるだけ細かく埋めていくみたいな感覚の方が多分違うんだと思うんですよね。
だから具体的なものを描いた方がいいんだと思うし、要は心の真ん中を描こうとするって僕はかなり無理をしていることだと思ってて、
言葉にできないことをやっぱり言葉にするのは無理なので、
どちらかというとその外彫りを細かく細かく埋めていくことで結果的に浮かび上がってきたねみたいなやり方の方が多分いいんだなと思ってるんですよね。
まさしく奇数域が好きだったのがそこで、事件っていうものがたぶんパッと見たときに出てくる対象として、
ドーパミン的コンテンツからの距離と小説の役割
連続自殺事件っていうのをフリーライター、記者が描いてくるっていう話でもあると思うんですけど、
あれ見たときに最初事件の話かなと思って読み始めたら、本質的には事件の話ではないなと思ってきてて、
描き手とその描かれる対象っていうものをむしろ事件っていうのを媒介にして描いていくっていう点で言うと、
僕ちょっとエンタメアレルギーみたいなのが実はあるんですよ、その直し方法にならせていただいて申し訳ないんですけど、
なんか面白いものを面白がるってことに対して結構恐怖心があって、
実際に一回エンタメをちゃんと描きましょうっていうふうに担当の編集の人からやってもらって、
企画書を書いてたんですけど、つまんなかったんですよ、自分のエンタメが。
たぶんそれってエンタメがつまんないんじゃなくて僕が悪いっていうのも当然あると思うんですけど、
最近で言うところの本屋対象的なエンタメってすごく感情のラインが明確になってるというか、
ここでじゃあちょっと喜んでくださいとか、ここで悲しんでください、共感してくださいみたいなふうに、
感情の設計図があまりに明確に描かれすぎてるので、
自分の感情が誰かに乗っ取られてるって感じがすごくあるんですよね。
それだとした時に、じゃあ小説読む意味ってあんまないなと思っちゃって、
感情の薬みたいなものがあってポンと飲み込んで、
ここのボタン押せばドーパミンが出てきますみたいな。
そうそうそう、やっぱドーパミンっぽいエンタメからちょっと距離取りたいって気持ちもすごくあるので、
それで言うとちょっと事件ってものがあって犯人がいて、描く人がいてみたいなレイヤーがたくさんあるとか、
世界でやればみんな気になるもんって事件の真相とか、
なんで犯人があんなことをしたのかってことでもあると思うんですけど、
そこに何枚か挟むってことの方が、
僕がたぶん飲み込みやすいエンタメになったんだなっていうのは、
きつい気持ちすごい思ったんですよね。
ありがとうございます。なんかそのドーパミンは、
入り口まではあってもいいのかなって思うんですよ。
要はそのでっかいネオンが光ってる看板みたいな感じで、
ドーパミンですって言って売り出して、中入ったらなんか全然ドーパミン出ないぞみたいな。
それは僕結構ありかなと思ってて、
でもやっぱり本当に本域でそれで勝負すると、
小説ってそもそもあんまり得意じゃないよなっていうか、
そうなんですね。映画でいいじゃんとか、ネットフリックスでいいじゃんとか。
ネットフリックスの動画に原理的に勝つことが難しいぞとか思っちゃうと、
そうですね。
なんかすごい難しいところで勝負しにいっちゃうのは、
確かに僕もなんか小説家だから、
小説のやっぱり得意なところで勝負したいなと思うんですよね。
確かにそうですね。ネットフリックスがこれだけ人間の精神をハックした時代に、
小説は何を書けばいいんだろう?結構大きいテーマだなと思うんですよね。
なんか設計図系でいくと、
ドーパミンのスイッチを押す系でいくと、
多分ですけど、みんなで分業して話し合って、
カッチリ作っていった方が多分作りやすいんですよ。
工業製品みたいな感じなので。
でも小説って基本一人で書くじゃないですか。
少なくとも我々は一人で書くじゃないですか。
一人で書く時の有利なところってそこじゃないと思うので、
そこをうまく精緻に押すことよりも、
それがもちろん一人でできればそれは戦えばいいと思うんですけど、
僕は少なくともできないなと一人じゃ思うんで、
どっちかというと自分の偏りとかを人に懐賃して、
僕ってこんな偏ってることを考えてるんですよっていうのを見てもらうっていう方が、
多分有利というか。
そうですね。偏りっていいですね。
現代社会の情報過多と内省の価値
メガネみたいなもんだなとさっき思った小説って、
自分じゃない世界の見え方をそれ人の目に入らせてもらうみたいな感覚が、
僕にとっても最近の良い小説だなと思って。
そうそう。だからそういう意味で言うと、
やっぱり令和元年とかすごくそうで、
僕は実は割とここに出てくる登場人物と近しいと言えば近しい。
結構たぶん育ってきた経歴とかは近いんですよね。
僕も言ったら割と織子さんで育ってきたタイプなので。
光の経歴ですよ。本当にもうね。
こんなきちんと中高、男子高、旧定代、JTCっていう。
そうそう。僕は中高、男子高で、
その後北海道大学に入って修士出て、
で、日本企業、大きい日本企業に入って10年サラリーマンをやってるという、
まあある種恐ろしく偏った人間なんですけれど、
でもこれでたぶん旭さんもたぶん経歴として大きい枠で見るとそんなに遠くない。
そうですね。僕は今なんなら昼食継続してるので。
そうですよね。僕も4年前に辞めちゃったんですけど、
でもやっぱその自分が辞めるとは全く思ってなかったし、
その心象としては。やっぱり機会があったり、
家族が応援してくれたりとかいうので、今専業でやってますけど、
でもやっぱり心象としてはすごい近いものがやっぱあるというか、
結構見てきたものとか経験してきたもの多分近しい。
そうですよね。やっぱその経路を辿って思ったのが、
いわゆる僕らがたぶん数年前までやったのって、
いわゆる代表的な日本人の立場じゃないですか。
大学をちゃんと出て、でちゃんとサラリーマンをやるってことは、
あの立場って僕はもう世界の中心で、
僕らこそが歪みもない眼鏡をかけてると思ったら、
意外とそういう人の方が歪んでたりするじゃないですか。
あれが結構僕は面白いなと思ってて。
もう本当にそうなんですよ。本当にそうなんですよ。
ガチしてくれるのってありがたいな。
僕もやっぱその小説家になって、
やっぱ小説家になったことでいろんな人と会う機会、
自分が今まで至ってるという人とは違うところの人と会ったり
喋ったりする機会ってそれすごい徐々に気づいていったんですけど、
その前まではやっぱそれ自体気づけないというか、
気づきたくても気づけないとか、
で、頭ではわかっているけれども、
なんか体感はできてないっていうことがあるので、
やっぱ結局生身で経験するしかないのかなみたいな。
そうですよね。
それがある中で、それを生身ででもやるのは難しいよね。
で、じゃあどうやって経験できますかっていうときに、
小説がやっぱあると思うんですよね。
今それがやっぱ一番の小説の役割なのかなと思っていて、
自分が気づかずに持っている歪みが初めて可視化される瞬間っていうのが、
それは多分Netflixより小説だなとは思うんですよね。
そうですね。
なんかやっぱすっきりして、見てすっきりして、
ああ面白かったっていうよりは、
その後もずっと自分の中に残り続けるみたいなところで、
勝負する方が僕もいいんだろうなと思っていて、
やっぱこのわかんねえの人生ゲームとか、
この部屋から東京都は永遠に見えないを、
みんなそうだと思うんですけど、これ読んだ後って、
しばらくTwitterで投稿するのやめようかなみたいな、
ちょっとなんかやりかけてたけどやめようかなみたいなとか、
ちょっとやっぱ歪みに絶対引き寄せて考えちゃう部分があると思うんですよね。
そういう力がある小説ってやっぱ根本的に強いんだと思うんですよね。
普通に生きてると外しか見ないなって感覚があって、
僕あんまりYouTubeとかPodcastとか聞かない立場ではあるんですけど、
聞いてる番組、もちろん当番組はちゃんと聞いてるんですけど、
友人のサイキポインティ君っていう、
ワイランのお兄さんなんですけど、
彼の元に集まる質問が、ちょっと自分が出ない質問がたくさん集まるんですよ。
最近面白かったのが、悲惨なニュースを世の中に多すぎるので、
でも見なくちゃいけないと思うと、
見ると憂鬱になって明日を生きる気力がなくなってくるって話があった時に、
こういう立場があるんだとその時初めて気づいたのが、
たぶん一番近くにある外界ってニュースで、
なんとなくそれは見なくちゃいけないっていう脅迫観念がみんなにはあるんだなと思ってて、
働く時も当然周辺には他人がいるわけですけど、
結構同じ仕事を同じ界隈というか、
割と近いメンバーとずっと固まってくるので、
社会との接点って実はニュースしかないんだなと思ったし、
でもニュースって断片でもあるんだなと思ったんですよね。
外を見る経験って意外と人間ってないし、
断片で疲れちゃうから小説までたどり着くって結構しんどいんだっていうのは、
その時なるほどな遠回りの話はあるんですけど。
なんか断片ってやっぱ一番濃いところ持ってくるじゃないですか。
濃い情報ばっかり、
スープの一番味が濃いところだけずっと飲むみたいな。
また来たみたいな。それは確かに嫌になっちゃうよなみたいなところもある一方で、
でもそれって実は平成とかだと割と普通というか、
なんならあの頃の方がフィルターバブルという言葉は当然なかったですけど、
職場と家族で生活完結してますみたいなのが高かったけど、
でも今みたいなこういうニュースを見ると辛いみたいなことってあんまりなかったなっていう気もするんですよね。
確かにあれ何でなんですかね。
でもやっぱりこれってネットによって自分の外側にも世界があるんだみたいな薄っすら見え始めてきたせいで、
余計辛くなってる部分もあると思うんですよね。
確かにな。
今までは本当にフィルターバブルががっちりあるんであれば、
それこそ完全に他の世界のことみたいな感じでニュースを見てたかもしれないですけど、
どうやら実続きっぽいぞみたいなことが結構リアルにわかってきて、
で辛いみたいなのはちょっとあるのかなと思う。
確かに令和になってから急に世界が広がった感じがするんですね。
なんかしますよね。
あれ何でなんですかね。
しますよね。僕なんかもうその時期にちょうどやっぱり作家になったりもしたんで、
すごい世界の見方がいっぺんに変わっちゃった感じがすごいあるんですけど。
一日に入ってくる情報量が増えすぎてる。
増えすぎじゃん。
おっしゃる通りでたぶん本当に一番味が濃いとこばっか飲まされてる感じがするので、
なんかわかるんですよ。三宅嘉穂さんがなぜ働いてると本が読むのかっておっしゃってましたけど、
たぶん働かずとも社会から入る情報が多すぎる。
あれがたぶん一個の令和の病気なんだなっていうのは思いますね。
なんかやっぱどっかでスピードダウンを絶対しなきゃいけないタイミングがあって、
小説ってもうとにかくスピード遅いじゃないですか。
それが弱点でもあるんですけど、やっぱそういう時に、
あえてスピードダウンさせる手段みたいなのとしては生き残る道はあるのかなというか、
薄めるわけじゃないですけど、やっぱそのサビだけじゃなくてメロも聞こうねみたいな。
小説って大半メロじゃないですか。
メロ70ぐらいまで続いてサビが来るみたいな。
だからそういう文芸のありようとして、
何か今後求められる道筋があるんだとしたらそういうとこなのかなと思う。
ゆっくり考える時間がもうないじゃないですか。
なんか小説を読むっていう行為って、
小説を読んでるときってそれだけじゃないと思うんですよ。
小説読みながら何か考えてる時間が大半だと思うんですよね。
なんかこのセリフどっかで見たなと、
なんかそういえば去年飲み会でこういうこと言われたなとか、
なんか妹がなんとかでて、
うちの妹はこんなこと言わないけどなとか、
なんかを考えてる時間がやっぱ大半だと思うんですよ。
それって要は内省してることで、
内省って今一番ないものだと思うんですよ。
要はその濃いとこばっか取るっていうのは内省する意図も与えてくれないので、
そういう内省するための装置として小説をうまく使ってもらうみたいなこともあるのかなと思いました。
「チル」文化と対話の再評価
本当そうですね。
最近のブームの中でやっぱいろいろあるじゃないですか。
ドーパミン的なコンテンツもありながら、
ちょっと希望だなと思ってるのが、
サウナとシーシャなんですよ。
最近のキッズたちの趣味として。
キッズたちの。
キッズ趣味としては。
ここでチルが来たんだわ。
結構希望なんですよね。
僕らの頃も娯楽ってやっぱ酒を飲みまくるとか、
遊びまくるとか、
フットサルをするとかだった気がするんですよ。
まだギリギリコールが生きてる時代ですからね。
そうですよね。コールを浴びる時代だった時代なんで。
最近のブームとして、
ドーパミン的なショート動画みたいなものと合わせて、
チル系の趣味が出てきてるのは、
2つ大きい方向性が多分あるし、
チルの先には僕小説家絶対あると思うんですよ。
そうかもしれない。
汁居ですよ。
一番汁居ですからね。
動かないですからね、とにかく。
そうそうそう。
やっぱ庵野城家も近く、
今は港区界隈の気の良くない街に住んでるんですけど、
本当にどこを歩いても嫌な甘い匂いがして、
タイマーかとは思うんですけど、
よくよく行く茶道C社屋さんで、
行ってみると、みんなもう話さないんですよ。
ずっとC社ポコポコやってて。
原理的に話せないですもんね。
そう。逆に最近なるほどなと思ったのが、
なぜおじさんがガールズバーに行くのか。
一回小説にガールズバーのシーンが出てきそうだったので、
ガールズバーに詳しい友人に、
なんで行くのって、僕はいかないので聞いたら、
おじさんの会話ってだいたい一時間で終わってしまうんだと。
でもおじさん同士でもうちょっといたいとか、
まだ帰りたくないって時に、
一緒にいるけど話さずに済むツールとして、
彼はガールズバーを使ってるって言ってて。
話さないんですか?
女の子と話す。
女の子っていう壁を通して、
そういうことか。
何人かの男で行って、男同士で会話するための、
言わば舞台装置として行くってことなの?
そうなんですよ。
悪い使い方してるなー。
悪い使い方だなと思ったし、
たちとみやってることはC社に近いなと思いながら、
でもそれってまだ会話したいんですよ。
僕ら平成キッズは、
アクティブというか動の人間、
動くの人間、多動力の人間なので、
最近の令和がやっぱ、
性の時代、動かない時代になってるっていうのは、
なんかすごい切り替えがあるし、
ドーパミン出してるのも、
傍観をするとか、
クラブでナンパをするとかじゃなくて、
やっぱりスマホと自分との小さい関係の中で、
完結してるっていうのは、
なんか時代の風を僕はすごく感じるんですよね。
まあそうですね。
今言っていただいたガールズバーとかナンパとかって、
全部結局女性を物化してるっていうことで、
やっぱりそこから距離を取れてることはまず、
当然進歩だと思うし、
それが一人で完結する方向に行ってるっていうのも、
確かになんか一人というか、
コミュニケーションなんだけど、
コミュニケーションじゃないというか、
そういう方向に行ってるのって、
すごい小説に近づいてる感じはしますよね。
内省でもあるし、
でも一方で人と話さないことが、
本当に内省にいいのかっていうのは、
すごく悩んでいて、
元々インターネット育ちというか、
僕小学校2年生の時に、
親が当時でっかいマック、
カラフルだったやつ買ってきてくれて、
初めてインターネットに触れたんですけど、
結構コミュニケーション、
人間と話すってことと、
インターネットで誰かと話したり、
コンテンツを撮るってことを、
並行してやってきたんですけど、
当時インターネットって早いって言われたじゃないですか。
だからこそ遅いインターネットみたいな概念も出てくるわけなんですけど、
最近思うに、
インターネットって実は遅いんじゃないかと思ってまして、
例えば今この会話って、
当然番組になる時は、
フィラーとかがなくなった、
すごいテンポのいい会話としてリリースはされると思うんですけど、
今現にほぼ空白なく我々話してるじゃないですか、
会話が一番早いんですよね。
インターネットもレスバーってやっぱ遅いんですよ。
何分間間隔とか、
バニューターは1日2日空くので、
実は一番早いコミュニケーションって会話ではなくて、
最近会話再評価の流れがすごい来てるんですよね。
確かにそれこそポッドキャストも、
実は今結構静かにね、
流行りが来てると言われてますけど、
それってやっぱみんな会話って結構良くない?
みたいなことに気づき始めてる部分はあるのかもしれないですね。
結局これが一番濃縮されてるじゃんみたいな。
そうなんですよね。
一番濃いというか早くて濃い。
例えばSNSとかの会話って、
一見考える時間があるから、
すごくいいことを書けるんじゃないかというか、
パッパッパって話してるよりも、
じっくり考えて書ける方がいいんだよみたいなことも、
ある側面としてはあるんだと思うんですけど、
でも時間かけるっていうことは要は、
どっかから引っ張ってくるとか、
その場で思ってないけど、
自分はこう見られたいからこう書いちゃおうとか、
そういう余計なことが入り込む余地もいっぱいあるっていうこと。
本当に真正直にやりとりしようと思えば、
結局対話が一番いいのかなって気もしますね。
逃げ道がないですよね。
自分しか出店がない状態で、
人と殴り合うってなかなかない経験だなと思うから。
うまく喋れないけど、
それでも喋ろうとするっていうことが対話にはあるじゃないですか。
SNSってやっぱり自分の主張をできるだけ綺麗に発信しようとするじゃないですか。
でも僕本当はそんなに会話って綺麗なもんじゃないかなと思ってて、
なんかわかんないですけど、
こういう感じですっていうのがあるっていう方が、
実は正直なんじゃないかなって思うんですよね。
確かにな。SNSの口座いっぱいあると思ってて、
ちょっと文芸村ニュースなんですけど、
最近ミヤケカホさんがX大炎上してるわけですよ。
ゲラに後世さんがネルネルネルネっていうところに丸をつけて、
これは皆さん知ってますかみたいなことに対して、
ミヤケさんがそれを写真に撮ってアップしたと。
よくよく聞くとそれは後世さんじゃなくて、
編集の人が出てる言葉だし、
結構実際に我々みたいなゲラを作ってる人間、
読んでる人間からすれば、
とにかくみんな気になることは一旦書いてもらって、
こっちからままでいいっすとかって返すっていう。
一旦全部気になるところは書くっていうのが僕はおさほだと思うので、
業界の内側から見ればあれって普通のことだと僕は思った一方で、
これをみんな叩けるんだって結構感心したんですよ。
それもおそらくあんまり普段本の話を知ってない人とか、
本読んでなさそうな人も、
いやこれは後世という仕事に対するリスペクトがないみたいな。
叩くことが今何でもできるし、
誰か一人が多分いいアイデアとして、
後世に対するリスペクトがないって言った瞬間に、
一旦習っとくかっていう風に。
誰かの正解の後ろに並べちゃうっていうのが、
みんなが言論するっていうことの弊害で、
一対一だったら絶対出てこない発想なんですよね。
誰かが開発した武器があると、
これ使えるぞって。
これで叩けばいいんだって。
流されるというか、自分の意見がなくても、
何か発信できるってすごく怖いと思ったんですよ。
そうですね。一周回って、
僕はだからもうあんまどうでもいいんだって。
初めて最近。
何か言ってるけど、
全体的にどうでもいいなって思い始めてて。
そうですよね。
要はなんかね、
当然理不尽だと思うんですよ。僕も。
書いて、これみんな知りません?とかって書くのは、
普通のことだなって正直思って。
面白かったですね。
正直あれに関しては、
それ以上に言うことはないと思って。
何も特に言う必要もないし、
言おうとも思わないんですけど、
そこから分かったのは、
例えば返信が100ありますとか、
引用リツイートで1000人に叩かれましたとか、
あんま何か関係ないというか、
どうでもいいんだっていう。
結局そうやって並んで叩いてるだけだから、
1000あろうが1万あろうが、
割とどうでもいいなって。
どっちかと言ったら、
真食った一の意見をそこから探すことの方が、
大事なんだなというか、
意味まだあるなって思っちゃいますね。
それが結構悲しいですよね。
みんなが発言権を持った、
民主的なプラットフォームであるインターネットで、
結局一つか二つの意見しかないっていうのは、
絶望だなって思うんですよ。
みんな言いたいことなかったから。
確かにそうですね。
そこで、文章っていう形で何か言おうとすると、
結局そうなっちゃうんだと思うんですよ。
言い淀めない構造的に。
何か分かんないけど、
微妙ですねみたいなことって、
あんまりみんなSNSで言わないじゃないですか。
どっちかのことを言うじゃないですか。
それはやっぱ書くっていう行為だからだと思うんですよ。
これは僕普段やっぱ書いてるからだと思うんですけど、
結論出したくなっちゃうんですよね結構。
でも本当は小説って結論が出ないことの方が、
僕は価値があると思うんですけど、
実は直接会話した方が、
結論出さずに済むんじゃないかなっていうか、
何かちょっとあれ嫌なんですよねみたいなことが言えるとか、
何か別に普通じゃないですかみたいなことも言えるっていうのがあるから、
僕そこも結構SNSの限界というか、
結局喋る方がいいよねっていうのは、
その極論取らずに済むみたいなところもあるのかなと思って。
小説の「未完」の美しさと作家のテーマ
深井・確かにな終わりがないですもんね会話って。
まあそうですね。
でも終わりなくていいんですけどね。
そう終わりがなくていいんだよな。
小説に終わりがあるのは最近悲しくて。
禁止なんですけど、書いてる方が途中で亡くなった連載とか僕大好きなんですよ。
あー。
そのまま終わるって道があったんだってすごく思うし、
未完っていいなって最近思うんですよね。
未完いいですよね。
でもたまに純文学とかの分野では、
それこそなんかずっと読んでたいなーみたいな小説ってやっぱあって、
なんかもうこのままずっと、別に展開とかなくても、
このままなんか終わらなければいいのにみたいな小説ってやっぱあるんですよね。
よくないですけど、終わらせ方のハックもまたあるじゃないですか。
何類系かに多分分類されてしまうので、
エンタメは特にそうなの。
どれだけ美しい膨らみ、広がりを見せたものも、
最後どっかの手に着地するって、
すごく悲しいなって最近思うんですよね。
なんか僕、それで言うとやっぱ、
阿佐保さんの小説のいいところって、
なんかしょっちゅう今年30歳にそれ出てくるじゃないですか。
出てきますね。
僕それも含めてなんかすごい良いというか、
要は僕今39歳なんですけど、
今年30歳ですっていうので、
やっぱ本人にとってはすごく切実なんだけど、
意外と外から見ると、
まあでもこれからまだあと50年ぐらいあるんだよね。
要はその未完の雰囲気があるんですよ。
これからの人生まだまだあるよな、
という余白をすごく感じるんですよね。
まあもちろん結論を出していないという、
明和元年もおそらく明確な結論がない小説の一つだと思うんですけど、
そこももちろんいいし、
やっぱりそもそも30歳ぐらいの人を描いてるっていう時点で、
すごく人生終わりだとか、
人生これからだぜじゃなくて、
これからとにかく人生は続いていくんだな、
っていう感じの独語感があるっていうのが、
めちゃめちゃ有難うコメント。
僕はすごい好きなんですよね。
2作描いて、
多分自分の描きたいものとか、
自分がおそらく執着してるテーマがなんとなく見えてきたのが、
鍵が開いてる密室なんですよ。
当人にとっては、
多分もうどん詰まりだとこれ以上、
上がることも下がることもないって思ってるけど、
ちょっと先に生きてる人からすれば、
いやそこには出口があると思ってる状況に、
僕はすごく美しさを感じるんですよね。
全部それですもんね。
そうなんですよ。明確にそこなんだろうなと思ったし、
やっぱ作家も先輩と話してると、
早めにそれを見つけろって言われたんですよ。
多分これまで描いてきたものの中で、
お前の作家性とか、
お前が一生描くテーマも出てるはずだから、
早めにそれを自覚した方が、
楽に体重を持つ。
描きさせられる人がいてて、
なるほどなーと思ったし、
逆に岩井さんはそれってなんなんですか?
僕まだ探してるんですよ。
8年かけてまだ探してるんです。
でもちょっと最近思うのは、
やっぱりそれこそ木水域の時に、
ちょっと意識が変わった感じはあって、
あれは結構明確に、
社会と個人の繋がりを描こうって思ったんですよ。
要はでもそれも一つ注意してたのは、
それこそそう読んでいただいて嬉しかったんですけど、
社会派っぽくあんましたくないというか、
大冗談で社会を描きましたっていう小説ではなくて、
やっぱ個人を描きたいなっていうのがずっとあって、
社会の中の個人っていうのを描きたいなっていうのは、
あの小説を使った時に思っていたことで、
だからさっきすごいそういう感想を
言っていただいた時にすごい嬉しかったんですけど、
そこかなというのを思っていて、
要は今まで社会派的なものって、
どうしても大きな構えで描くことが多かったし、
それはもちろん僕も好きなんですけど、
一読者として。
でも自分が描く時に興味があるのは、
個人なんだなってやっぱその、
いろんな社会の中で自分のポジションとか、
居場所みたいなものをどう確保していくのかっていうのが、
多分自分の興味あるところなのかなと思いました。
深井・なるほどな。
結構あの小説の形式自体は、
割と実験を描くっていう時に、
一番王道の形だなと。
そうですオーソドックスめちゃくちゃオーソドックスです。
逆にあの形も小説で、
陥りやすい形って多分あるんだろうなと思ってて、
主語が社会になっちゃうというか、
社会に言いたいことがあって、
この人はこれ描いているかなって。
透けて見えた瞬間に、
僕ならノンフィクションでいいじゃんと思っちゃう。
大好きなノンフィクションが。
だったんですけど、
この人が描きたいのって別にそこじゃなかったんだなと。
どんどんページを巡ることに見えてくるというか、
それがなんか不思議に気持ちよかったんですよ。
久々に全体中描けられるエンタメを読んだなと思ったし、
自分が読みたい小説がそっちだったんだってすごく思ったし、
逆に岩井先生の過去の作品の中でも、
一番レイヤーが多いというか、
多いと思います。
事件があって犯人がいてみたいな、
あれが多分これまでとも全然違う挑戦だったんだなと、
一族者としては思ったところで。
なんかやっぱあれを描き上げた時に少し、
ここかもなとは思っていて、
その後もやっぱり描きかけのものとかもあって、
その後も何冊も出してますけども、
それはそれで別の挑戦を色々してるんですが、
もしかしたらその方向かもなというのがあって、
7月に風車と巨人という新作が出るんですけど、
それも社会の中の個人の話なので、
やっぱりそれを描いてる時も、
こっちかもなやっぱりっていうのがあったので、
今後はそういうそこに僕も体重を乗っけていこうかな、
みたいなのを思ってますね。
深井・小説の速度みたいなものが多分あるんだろうなと思ってて、
一番遅い小説を書かれた感じがしたんですよ。
これまでの中でも。
そうですね。
結構大エンタメも書かれるじゃないですか。
それこそ同じ年に候補になった我は熊草、
結構我も速い小説だなと思ったし、
我は確か速い個人だったので、
遅い社会とかその中の人間っていうものが、
結構これから書かれるべきだなと思ってて。
そうですね。
元々僕は割とその、
小説の伝統を受け継ぎたいって思ったタイプだったんですよ。
先人の築いたものの上に、
僕も乗っかりたいっていうタイプだったんですけど、
でもなんかある時ぐらいのきっかけに、
やっぱ先人を殺さないと俺は多分、
父殺し、母殺しが始まったんですね。
そう、気づいてたぶん4,5年目ぐらいで、
あれなんかこのままだとダメかもっていう、
殺さなきゃダメだっていうことなんか思って、
それを初めてやったのが奇跡だったかもしれないですね。
新しかったですよねやっぱ。
あれはもう明確に、
下者を意識してたんですよね宮部さんの。
もちろんその下者に並ぶとかっていうつもりではなく、
一つのベンチマークを、
ここをに勝つぞっていう。
勝ててるかどうかは別として、
やっていった小説だったんで、
受け継ぐっていうよりは今は、
勝たなきゃダメなんだなっていう。
勝たなきゃというかね、
別の道を走らなきゃダメなのかなっていう感じがしてます。
ベンチマークとイノベーション:先行作品を「引き継ぎ書」と捉える
ベンチマークってことが言ってたのすごい興奮してて、
というのも僕もめっちゃベンチマークを書くんですよ。
だしもうすごい、
義務教育が生んだ子供なので僕は、
超真面目に小説書いてるんですよ。
めっちゃわかります。
先行作品としてこれがあるなとか、
この要素多分この作品で既に描かれてるなとかっていうのを、
結構意識しながら読むタイプだし、書くタイプなので。
でも結構作家からすれば、
恥ずかしいことだって人もいるんですよ。
俺は俺の小説世界があるから、
誰かの真似をしてると言うなと。
霊話の〇〇みたいなことってあるじゃないですか。
ありますあります。
霊話のダザエ田みたいな。
あれを多分結構嫌がる人がいるので、
そうなんだ作家の先生にとって、
誰かの二番先生嫌なんだって結構それがびっくりすることで。
わかるけどな。
誰かがやってることをまんまやってもダメなのはわかるんですけど、
違うことを絶対やらなきゃいけないというのはわかるんですけど、
僕も多分割と真面目に小説を書いてるところで、
今まで選票で2回くらい、
すごく真面目な小説であるって書かれたことがあるんですけど。
こんなところに受験教育の弊害が出てきてしまった。
本当にそうで、結局何書いても絶対書かれてるんですよ。
思うに全く新しいテーマはもうこの国には存在しないと思ってるし、
それは僕、絶望じゃなくて希望だなと思うんですよ。
僕そこで、
いや俺は本当に心から全くゼロから書くんだぜって言ってる方が、
正直ちょっと恥ずいなって思っちゃうんですよ。
そうですよね。
結局何かの繰り返しで僕は時代が作られていくと、
結構信頼してるし、だからこそ僕らが書く意味があるなとも思うから、
古い小説を読む価値は一体何かみたいな議論って、
結局先を予想するためになるというか、
今の世の中を結局何かの共通構造と捉えた方が、
僕は生きやすいし誠実だなと思うんですよね。
そうですね。
多分今までの人たちが積み上げてきた道があったら、
スーパー大ジャンプってできないから、
そもそも飛べるとこを見極めて飛ぶしかないっていうか、
そこで無謀に飛ぼうとして、
結局この同じところでただ垂直でジャンプしてるだけみたいなのよりは、
それは自分には全く新しいものは書けない。
書けないけど、でも少しだけジャンプしたいという自覚を持って、
挑戦する方が僕は健全かなって思います。
そうですよね。ベンチマークより何センチか上に行けば、
それは多分新しいベンチマークになれると結構信じてるので。
ちなみにベンチマークどなたなんですか?
小説ごとに結構違いがあって、
レイアワ関連だと何個かあるんですけど、
でも明確にやっぱアサイリョウさんだったんですよ。
青春なので僕は。
でも本当にこれ失礼だと思いますが、
やっぱりアサイリョウみはちょっと感じました。
憧れは素直に出そうと思っているので、
そこはほがらかに出そうと思ったし、
逆に東京タワーの方は山内真理子さんなんですよ。
もう明確にこれは。
山内さんか。
青春の作家ですから。
なるほど。
大好きですもう。
それはすごい腑に打ちました。
でもやっぱアサイさんってね、
解像度の鬼じゃないですか。
もう解像度の鬼なこともわかるし、
僕はでもそのインターメガチャージとかもね、
本当に解像度の鬼っぷりが、
本当にもう極限に出た小説だと思うんですけど、
多分僕もあれ読んだ時に、
すごいなと思うと同時に、
僕はこの方向で勝負しちゃダメだなっていうのも、
なんか思ったんですよね。
だからめちゃくちゃ僕も憧れはあるし、
吸い込まれていきますよね、
全ての作家が今アサイ寮に。
アサイさんって、
僕年齢で言うと2個したんですけど、
僕が小説書き始めた年に、
直樹賞を受賞されて、
本当にだから僕ぐらいの年代の作家で、
アサイ寮に一回も嫉妬したことがない人って、
ほぼいないんじゃないかなと思うんですけど。
いたんですけど。
アサイさん嫉妬したことないですけどね。
そうだね。
もう8回ぐらいはみんな嫉妬してると思うんですけど、
でもそれとじゃあアサイさんのフォロワーになるっていうのは、
僕の場合は無理だなと思ったんで、
8人ぐらいやって。
わかります。
いかにアサイ寮から離れるかっていうのは、
多分僕らが世代の1個の宿題なんですよ。
今もう40歳前後作家は、
いかにしてアサイ寮から離れるか。
この重力からどうやって逃れるか。
そうですよね。
何を足すかがやっぱ大事だなと思って、
僕は令和元年に当事者性を足したんですよ。
アサイさん自体も早稲田から1回サラリーマンやられて、
割と早い時期に専業作家になられてる経歴を踏まえた時に、
じゃあ僕が何か足せるものがあるかなって考えたら、
サラリーマンだったんですよ。
あとは行ってる飲み会の回数と合コンの数だけは負けないと思ったので、
そこを足そうと思って書いたのが令和元年だったんですよね。
面白いわ。
ゼロから始めなくてもいいっていうのは、
多分サラリーマン的な精神で、
結構ビジネスって割と人のこと平気でパクるじゃないですか。
はいはい。
流行った商品だったらみんなもう億面もなくパクるし。
それでいいですからね。
それで売れたら別にいいし、
商標とか特許とかで保護されるものもあれば、
ビジネスモデルって別に真似はしても怒られないから、
例えばアメリカでかっこいい缶に入った水がめちゃめちゃデス劇。
売れたら日本でもみんなやり始めるし、
でもそれをなんか俺がアルダーデ初めて作りましたみたいな感じでやって、
意外とみんな騙されるし、
新規制って結構嘘でも生きるんだわすごく思ったんですよね。
それはビジネスは本当にそうで、
まず基本移動とかしたら引き継ぎ書とかあるじゃないですか。
引き継ぎ書読んで、なるほどなって仕事するじゃないですか。
だからやっぱり小説書く時も、
俺なりの引き継ぎ書はこれかなって。
戦後文献だったんだ。
そうそうそう。
俺の引き継ぎ書はこれだって。
なるほどなって。
だからこの上に自分は積み重ねていけばいいんだなって。
確かに引き継ぎ書だね。
でもやっぱりそこで大事なのは多分ちょっと違うのは、
引き継ぐだけじゃダメなんだなって思った。
これを殺さなきゃいけないんだなっていうのは最近気づいたところです。
そうですよね。
会社って法人も結局1日ずつ新しくならなくちゃいけないわけだから。
みんな大好きイノベーションがどうやって生まれるのかっていうと、
やっぱそれは先人否定からしか生まれないっていうのは同じことだと思うので。
よく言いますよね。
新しいアイディアって既存の概念と掛け合わせに過ぎない。
これ結構希望ですよね。
あともう一つビジネスの話聞いて面白いと思うのは、
だいたい面白いイノベーションってこれは結構調べた根拠は結構あるらしいんですけど、
返協の部署とか子会社とかのあんまり日が当たってない仕事をしてる人から結構生まれやすいみたいな。
そういえば会社からあんまり嫌いの嫌いの言われないところで、
結局イノベーションって生まれやすいっていう。
なんでそこの環境で生まれやすいのかって言ったら、
そこでは先人否定してもあんまり怒られないからだと思うんですよね。
なるほど。
先人否定してても何か言ってるなぐらいの感じでスルーしてもらえて、
何か言ってるうちに何かすごく大きくなってきたみたいなところがあるのかなとすると、
やっぱ僕らもそういう心構えというか、
受け継ぐのもすごく大事だしそこからしかできないという前提を当然持った上で、
でもいずれはやっぱりそこから否定していくっていうことをやらなきゃいけないのかなと思って。
すごいまさか小説の話でイノベーションの話ができるとは思わなかった。
楽しみだこの対談。
エンディング
こういう話がしてたんですよ、僕がサッカーになって。
よかったよかった。一応10年やってますんで私も。
大失敗でした。
ということでちょっとお時間になってきましたんで、前編はこの辺で一旦締めくくろうと思います。
あざぶけ馬場さんには来週もお付き合いいただきます。
それでは一旦今日はありがとうございました。
ありがとうございました。
ニュースコネクト文化欄、お相手は岩井啓也でした。
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それではまた来週。
41:30

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