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『森川美穂のシンプルライフ』
さて、皆さんお元気ですか? 暑い夏が続いていますが、体調崩されている方いらっしゃいますでしょうか?
きっとね、ちょっとこの暑さ、ちょっと尋常じゃないですよね。 なんかね、もう
夏がすごく強い私は平気です。 元気で暮らしています。
はい、ということで、今日も『森川美穂のシンプルライフ』スタートいたしました。 今回はね、ちょっとね、私が今まで結構出演してきたミュージカルについてのお話を
していこうかなと思うんですけど、私、森川美穂という名前で歌手デビューする前に、実はですね、1本ミュージカルで先にちょっとデビューしてるんですよ。
えっと『小公女セーラ』っていう、皆さんあれ見てたかな? もう何曜日か忘れちゃったんですけど、金曜日だったかな?忘れちゃったんだけど
あのハウス食品さんが提供されてた、昔の名作のアニメがあったんですよ。
で、なんかそれに、『小公女セーラ』っていうお話があって、その『小公女セーラ』にね、実はあの私の事務所の先輩である小林千絵さんが、このセーラを
出演されて、で私まだデビュー前だったんですけれども、あの ちょっといじわるな役で、いじめっこの役で出演させていただきました。
この『小公女セーラ』やってる時に、私はデビュー曲の教室を、マネージャーさんが持ってきてくださって、楽屋でね、こう
当時はウォークマンだったんですけど、ウォークマンで聴いて、千家和也先生の縦書きの教室の歌詞ね、3番まである歌詞ね
で、あれもいただいて、それを見ながら歌って、何か覚えた記憶があります。そんなね、ミュージカルデビューだったわけなんですけど、
でまぁ、あの歌手デビューしてからは、そうですね、ちょうど20歳ぐらいだったと思うんですけれども、市川猿之助さん演出の
『イダマンテ』という舞台に出させていただきました。近藤真彦さんの相手役だったんですね。で、私なんか囚われの身
囚われの身ってどういうこと?みたいな感じなんですけど、そう、当時は夏木マリさんと、あと上條恒彦さんと
で、マッチと私とぐらいしか、あの 役の人がいなくてですね
あとは黒子の役、男性のいわゆるアンサンブルの方が、黒子の、本当に歌舞伎で黒子の役みたいな感じで出演されて、セリフも全然なくて
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だからメインのその役者っていうのが、あの4人か5人か、なんかそれくらいだったと思うんですけど、もうあのこの『イダマンテ』はモーツァルトだったんでね、曲が
だからのこの稽古に入る3ヶ月ぐらい前から、クラシックの声楽の先生にレッスンをずっと受けて、週多分3回ぐらい行ってたかな、仕事の帰りに
あの行ってました。通ってました。で、普段自分の歌では出さない音域をやっぱりファルセットで出さなきゃいけなかったので、すっごい大変で
で、そのレッスンが。で、それを3ヶ月ぐらいね、週3回ぐらいこう仕事帰りに行って
で、ひたすら練習してましたね。で、本番始まっても
あの まあ
リハーサルが始まる前に声出しをしなきゃいけないんですけど、その時もしばらくね、その先生が楽屋に来てくださって
で、あの声出しをしばらくやってました。懐かしい。そうだそうだやってたぞ。そんなことをね、ちょっと思い出したりなんかしますね
そしてですね、25歳の時に『ムーンリッドクラブ』、ジャズアクト『ムーンリッドクラブ』っていうね
あの お芝居、歌とお芝居があるものをに出演させていただいたんですけれども
まあ主役が真田広之さんで、で私はあの 真田広之さんはベーシストの役だったんですよね。でベーシストでそこにボーカリスト
ジャズボーカリストとして、まああのなんて言うんですかね、その真田さん扮するそのなんていう役は忘れたんですけど
その役その人のところに行って、まあ言ったらこう一緒にこう演奏しながらあのボーカリストとして育っていくっていうね
あの そういう
お芝居だったんですよ。でその時に あのまあ真田さんがよく言ってたのは私ミキちゃんっていうねあの名前だったんですね
その役はミキちゃんっていう役だったんですけど 真田さんが一応僕が主役なんだけどこれはもうミキのあの
なんていうのミキの成長ストーリーだよねって言うぐらい本当にあのジャズボーカリストとしてそこにこう ちょっと修行みたいな感じじゃないんですけどあのいっていろんなことを教えていただいて
でこうあの一緒にこういろんなところにあの ところで演奏の旅をすると。でもう一人ピアニストとしてあのピアニストが入ってくるんですけど
その3人でね歌とベースとそれかピアノと でそれでまあ旅を続けていろんなショーをねあの3人でやっていくんですけどまぁその中で
のその3人の人間模様ですかね いろいろあってピアニストの役の子がそのボーカリストのミキちゃんということを好きになってしまって
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まぁそこでこうちょっとでベーシストはベーシストで何も言わないんだけども やっぱりミキちゃんのことをすごく思っていて
でまぁすごいちょっと人間関係がちょっとぐちゃぐちゃってなっちゃってまぁ最後ミキちゃんは そのそのベーシストとピアニストがいるそのチームから巣立っていくっていう
最後巣立っていっちゃうんですよ卒業しちゃうんですけどね まあそういうねストーリーだったんですけど
まああの真田広之さんも当然そのベースを初めて しかものウッドベースだったんでねウッドベースもちろん初めてだからの
ウッドベースのあの練習をとにかく ずっとその稽古入る前にされててで私もあの六本木にあのアメリカ人のあの
ジャズボーカリストがいらっしゃったんですけどそこに通って ちょっとレッスンをはいジャズボーカルのレッスンをさせていただいてたんですけど私それ通っても多分ね
何回かで辞めちゃったんですよっていうのはね なんかねー
何やってるかがちょっとわからなかったんですよねそのレッスンが全然わけわかんなくて いやもうなんかそういうレッスンで私もちょっと曲を覚えるわみたいな感じで
多分ねあっという間に辞めちゃった記憶あるんですよね 今思うと本当にねバカだなと思うんですけど
まあジャズのイロハもわかってなかったんでね私全然 でその時に本当にこう当時レコード会社の方がですね
東芝EMIだったんですけど東芝EMIも結構そのジャズの音 cd とかもいっぱいリリースされてたので であの昔の曲とかもいっぱいリリースされてたのでもう山のようにCDを
いただいて片っ端からずっと聞いて毎日毎日聞いて うーんなんかやってましたすごいその時は楽しかったですでまぁ結局あの演出家の
奈良橋陽子さんにねあの毎日その英語の発音のダメ出しをされるって言うね あのもう地獄のような日々を送ったんですけども
まあでもそのお稽古に入る前に合宿しようってなって で真田広之さんのあの多分持ってらっしゃる別荘だ別荘だかなんか借りたからなんかもう忘れ
ちゃったんですけどそこにね 伊豆だったかなぁなんかなんかどっか行ったんですよみんなで
それでね結構ねー 2週間ぐらいかな
なんか 3人でめっちゃ練習したんですよでもみんなすっごい下手くそで全然なんかもう最後の日とか
どうする?どうする?これ幕開かないんじゃない?って話になって でもうどうするってでこう舞台あの始まって幕が開いたらみんなで土下座して
もう謝る?みたいな謝って、本当にあの申し訳ございませんでした、間に合いませんでした みたいなあの感じで謝るみたいな話まで言ったぐらい
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もうてんでダメだったんですよ私たちダメダメチームだったんですよね でもまあそこからですねさすがやっぱりそれぞれね、プロですよね
もう私もひたすらめちゃくちゃ練習しそして真田さんはもう本当にこの あの弦を抑えるこの左手のこの指先がもう切れてもうボロッボロになるまで練習して
なんとか幕が開きました本当よーございました。 あの時は本当ねー
もうみんなでどう本当までどうする大丈夫みたいな感じで そんなことがあったことを本当に記憶しています
なんかねやっぱりミュージカルってこうなんか なんていうんだろう何ヶ月も一緒にこう練習するんですよね
を稽古をするんですよねだからやっぱりすごく仲良くなったりとかまあ一緒にご飯 食べに行ったりとか
でまぁお話もいろいろしたりとかすごい仲良くなったりするんですけどやっぱりこう ねコンサートとかとはちょっと違ってあの
まあまあ昔はでも私もミュージシャンとよくお酒飲んでましたけどねぇ なんかいつの間にか飲まなくなっちゃったんですけどねその
『ムーンリットクラブ』っていうのが25歳ぐらいであってそしてあの30歳の時に『RENT』 っていうねあの
はいブロードウェイミュージカル『RENT』っていうのに出演しましたでこれはですね実はの私
モーリーンっていう役であの役をやってくれと言われたので 私一泊三日でニューヨークに飛んでであの
ブロードウェイのこのレントを見て で朝まで遊んでそのまま飛行機乗って帰ってくるみたいな
はいことをしましたその役をまあ間近でちょっと見てくださいって事務所に言われて 一人でニューヨークにはい
もう行きましたね一泊3日でしたねホテルのベッドを1回も使いませんでしたねだから でもずっと外にもう探検に行ってで夜はミュージカル
『RENT』見てそのまままた探検に出す日に行って そのままシャワーだけ浴びに帰ってそしてもう飛行機乗るみたいな
でこの『RENT』っていうのはねすごくその あの私たちや私が出たのは日本の初演だったんですよ
でも本当にあの初めて日本でこの『RENT』するとでこの『RENT』っていうのは結構ちょっと あのまあ裏話というかもともとオフブロードウェイってあの
まあ やることになって、で、ブロードウェイにこう進出するって決まった時にこの『RENT』を書いた
ジョナサン・ラーソンっていう作家の方がえっとなくなったんですね その前の日かなんかになくなっちゃったんですよ
それでまぁその『RENT』のチームがですねこのジョナサンのあの意志をついであのみんなで あのこの『RENT』をあの世界の舞台にしていくんだみたいな
あの感じででまぁいろんな国でこうやってで日本にも来て で当時そのジョナサン・ラーソンと一緒に演出を手掛けていた女性の演出家がいたんですけど
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あのマーサっていう人だったと思うんですよね で彼女がまあ日本来てであの私たちの演出をつけてくださったんですけれども
これねあの 私ね本当にまあ初日明けてもう次の日もうマーサは別の国にまたこの『RENT』を作りに
行く 演出をしに行くっていうのがあってねで初日終わった時に
あのもうマーサ、これで終わりだねって言ってまたあのまたどっかで会えるといいねー みたいな感じでみんなもボロボロ泣いてね
でその時にマーサが私にあのまあいくつかの国を回ったんだけれども えっとジョナサンが一番書きたいと思っていた
モーリーンは美穂が一番あの ジョナサンが書きたいと思っていたモーリーンだったと思うって言われたんですよ
それがすごく一番一番嬉しかったことっていうのは多分それですね ミュージカルとかやってて私あのモーリーンってすっごく破天荒な女の子であの
途中でこうお尻を出したりとかするシーンがあったりとか だからまあ初めてティーバックのパンティを買いましたね
ティーバックのパンティを履いてでデニムを下げてあの人馬鹿にするみたいなシーンがあったりとか まあ本当にあの破天荒な女の子の役だったんですけど
まあその例えば歌うシーンとかっていうのも自分で振り付けとかも自分で考えて自分が やりたいようにやってって言われたから
ひたすらもとにかくあのどうやろうかっていうのでもう毎日毎日考えて モーリーンってね途中まで出てこないんですよね
声の出演でずっと影になってたりとか声の出演でで周りがモーリーンモーリーンって言うから モーリーンってどんな人みたいなその観客もね
どんな人みたいな感じで言われてそれで突然サングラスかけて出てくるんですけど そこで歌ったりパフォーマンスするんですけどそのパフォーマンスも任せるわって言われたもんで
もうどういうふうにこうやったら一番その私らしいモーリーンができるだろうっていうので ひたすら何日も何日もずっともう考えて
でお披露目の日にじゃあちょっと美穂ンこれやってみてモーリーンやってみてって言われて まあその演出家の前で初めてモーリーンを私はこうにやりたいみたいなことを見せたら
OK もうこれでいこうと素晴らしいわよって言ってくださってそれがねすごく自信に繋がりました あのやっぱりこう日本のミュージカルとかっていうのはすごくその振りとかも決まって
いて絶対ここにいなきゃいけないとかってこの時にこうしなくちゃいけないって結構決まり事が 結構多いんですよねあの
やっぱすごく細かいというかまあこれもまあ一つ演出なんですけども でもあの
このねブロードウェイのこの『RENT』はね特にやっぱり自由度がすごくあって
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でやっぱりそれぞれの各いろんな国でこの『RENT』をやるっていうのでそれぞれやっぱり 国の音あのもともと歴史的文化とかなんかそういうものっていうのも多分
演出家からすると大事にしてたんじゃないかなとまぁ今だと思うんですけど すごい面白いあのお仕事でしたね
であのミュージカルって面白いなぁって思ったらこれが初めてです そしてこの『RENT』を経てですねえっと
実はの私『RENT』の後が間だと思ってたんですけど実は 『RENT』出た後にですね
『ブルーストッキングレディース』っていうミュージカルに出てるんですよ ねこれあの『ブルーストッキングレディース』ってまぁ聞いたことあるかもしれないんですけど
平塚らいてうさんがねあの昔あの「原始女性は太陽であったっ」ていうねあの本を書きになってましたね女性解放運動
かというふうにこう言われているんですけども この平塚らいてうさんのが主役でで私ねー
何の役やったか本当ちょっと忘れちゃったんですけど
忘れちゃったんですけど平塚らいてうさんの役をされたのがオペラ歌手の柴田智子さん っていう方でね
私あの本当にねあのそのそれね歌が特になかったので いわゆるストレートのお芝居って生まれて初めてやったんですよ
でもう難しくて二度とやるまいとあの心に誓った作品がこの『ブルーストッキングレディース』でしたね
でその後あの蜷川幸雄さん演出の『三文オペラ』に出演させていただいていてこれあの 主演が鹿賀 丈史さんだったんですけども
蜷川先生の演出がすごいまあ蜷川先生が凄い怒ったりとか物を投げたりするっていうのを 結構聞いてたんで
コアと思ってたんですけど本当に強かったです 私は投げられてはないんですけどでもおっしゃることもすごいよくわかって
あのある宝塚のあのね元宝塚の方とかまあいろんな方が出て一緒に出てたんです けど
でまぁ立ち稽古になった時にねいわゆる小物とかね 自分が芝居するのに必要な小物とかってあるじゃないですか
まああのまあ私だったら例えばじゃあこのシーンだったら絶対スカートだよなぁと思って スカートで行ったりとか
まあするわけですよ自分のレコーディングの時なんかでも昔からそうなんですけど 例えば歌いれしますってなった時にじゃあ
あの明日はこの曲とこの曲に曲歌入れしますってなった時に この曲とこの曲だったらこの洋服で歌いたいとでこういう風なこの洋服を着て
スタジオ行こうとか結構そういう感じで私は考えていたんで あの例えばそのミュージカルの立ち稽古まだ全然その小物とかそういうのも全くない状況の中で
自分が立って稽古しなきゃいけない台本を置いてね稽古しなきゃいけなかった時に まあ自分が必要芝居で必要だと思うものであれば
まあある程度のものはこう自分でこう準備したりとかするじゃないですか でそれをねしてこなかったんでねあの女優さんがすでに蜷川先生がめっちゃ
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もう爆怒りして
怖い怖いっていう風にねありましたねはい なんかいろんなことがありましたすごい
うーんそんなこともちょっと思い出しますね そしてその後あの『アイーダ』劇団四季の『アイーダ』になるんですけども
これが多分35歳ぐらいだったと思うんですけどこの間はもう本当にねー 大変でしたまだの子供がすごく小さかったのでまだ2歳だったんでね
あので私一番最初はの実は『マンマ・ミーア』っていうねあの 四季の劇団四季のあのオーディションを受けませんかってご連絡いただいたんですよ
好きから ね私全然ミュージカルってね出てるはちょっとだけ出てる割に
実は見に行ったことないんですよねちゃんとぐらい なんかあんま好きじゃないんですよなんでかってよく考えてみると1回見ただけで話が
わからないから なんです
でそれなんでかって言うと例えば突然こう歌になったりとか台詞になったりとか するじゃないですか
いやここ別に喋ればいいのにとか思っちゃうとなんかストーリーが頭に入ってこないんですよね すごくねでそれがすごく苦手で実は自分出てたくせにことの見に行ったこと、まあお付き合いとか
で誘われていったことはあったとしても自分からこれ見たいと思って見に行ったことって 実はないんですよ
だからその『マンマ・ミーア』っていうのも全然わかんなくて であのこの曲をあの歌ってくれとまあ曲がアバだったんでね
でアバの曲を歌うんだと思って でOKみたいな感じでアバをすごい練習して自分の曲も1曲歌っていいっていう風にこう言われて
たので自分の曲もじゃあ歌うじゃあアバだったらやっぱり 英語で歌わなきゃいけないよねとかなんか余計なこととかいろいろ考えて
で当日劇団四季に初めてこうねまだあざみ野に行ったわけですよ そうするとなんと私ともう2人3人しかいなかったんですね受ける人がで
英語なんでなんどういうことだろうと思って私『マンマ・ミーア』ってどういうものなのか っていうのも全く知らずに
アバの曲を歌うっていうだけで行ったので全然わからずに行って そしたらその一緒にこう受ける女性が私まだ本当に30
そうですね多分だから30いくつだろう4歳ぐらいかな 33か4かまだ子供1歳だったかそうだね
産んですぐだねだから多分33とかなんかそれぐらいだったと思うんですけど もうお二人は多分ね40位の女性2人だったんですよ
であの 私なんかお一人の方がそのお二人はねなんか知り合いみたいで喋っててずっと
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で私をこれ聞いてて であのパッと話しかけられたんですね
あのおいくつですかって聞かれてえっと今33とかですって言ったら ちょっと若いわよねって2人で言い始めて
若いってもうて33ですけど見てるもう結構いい年ですけどみたいな感じのことを 言ったら
えだってさああれでしょってあのドナでしょ ドナってさ二十歳の娘がいる役だからさ
33とかで若くないって言われたんですよ えっどなって何ですかって
で初めてそのドナっていう役を受けるんだってことに気づいたわけなんですよ 要は主役ですよねでえっそうなんですか
えっ知らないんですかって聞かれていやごめんなさいちょっと情報不足で全然 ちょっとわかってないですって言って
そしたらえって逆に2人で えっ?てなっちゃって でまぁとりあえず呼ばれたから入って3人入って大きな稽古場入って
浅利先生がいらっしゃってみたいな感じのあのオーディションだったんですよね でそこでまぁ
だのアバ歌って自分の曲も1曲歌って そしたら浅利先生が
あの これあの『マンマ・ミーア』じゃなくても他の舞台とか出るあの気持ちとかありますかって聞かれたので
その時に嫌ないですともちょっと言えないので落ちを大人の対応ではいありますって言っ たんですけど
そしたらそうなんだわかりましたっていう感じで終わったんですよ で当然そのねドナねあの看板女優ね
劇団四季の看板女優さんが後にされたんですけども あのお稽古台本ができましたお稽古入るので見に来てくださいって連絡が来て突然
はっ私落ちましたよねみたいなでもとりあえず台本を渡しするので見に来てくださいって 結構強制的に言われてとりあえず行ったわけですね稽古場になんかよくわかんないけど
でみんな椅子にバーッと座って座ってらっしゃって でそこでまぁ本読みが始まるわけですよ
そうするとやっぱさすがにこうねあの劇団四季の看板女優さんはやっぱりさすがですよね もう歌も完璧に歌うわけですよもう
劇中の歌をで当然その台本にはですねもうアバの 楽曲全部あの日本語のあの和訳がしてあって
でそれちゃんと譜割りをしっかりともうあの練習されてその方あれですよ 別で別の公演に出演されてるんですよ
でもその合間でちゃんと勉強してもう当日 お一人だけでしたねちゃんと歌ってた他の方はまだ全然
歌えてなくてそこで浅利先生がまた激怒してみたいなことが結構あって私 自分でここで何なんで私がここにいるのかちょっとよくわからないまま
そこにこうちょっと本読みながらで一応譜面とかもいただいたので全部見ながらこう あのお稽古を見てたんですけど
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そしたらその後あの呼ばれてんで そこからねなんか浅利先生にね何かね
時々のご飯に連れて行ってもらったりとかしてめっちゃ高級寿司屋さんとかに何回か 私連れて行っていただいて
で大阪であの劇団四季のねこういう公演があるから見においでって言われて行って その後も一緒にお寿司食べに行ったりとか結構してたんですよ
でその後まあえっと『アイーダ』がやるからって言ってあの受けに来いと言われて受けに行ってでまぁダブルキャストであの
受かってでそっから長いこの旅路が始まるんですね 当時子供が本当に2歳だったんであの大阪において
あざみ野に あの行くのにねあの東京に一人で単身で行きまして
でそこでちょっと住んで3ヶ月 ぐらい住んでで毎日稽古場行って稽古してみたいな感じで
結局ね出演するまで半年かかりましたね 秋頃からスタートしてで1月にまあ2月に幕が開いてそっから2ヶ月
また練習してそうですねあのただまあ私の初日はあの ちゃんと浅利先生も見に来てくださって
ダメ出しとかもいただきましたけれどもいや懐かしい思い出だ いろんなことがございましたやっぱりこうねあの本当にいろんな方とこう
出会えていろんなお仕事させていただいて でまぁこの間がまあそうですねもう1年弱ですね
大阪でずっと大阪の公演にずっと出させていただいて でそっからばもうちょっとあの
子供をねほったらかし状態だったんでねさすがにちょっと今このまま あのその後ね
京都の方で『マンマ・ミーア』があるからそっちに出演をするようにお声掛けをいただいたんです けど
さすがに京都までこう通ってねまぁ子供をこうまだ 2歳3歳とかになるような子供をほったらかしにしてはちょっとできないなぁっていうのがあって
あのお断りしてそのまままあ劇団四季をやめたみたいな感じなんですけれども その後ねあの『GIFT』っていうねあのオリジナルミュージカルにもね出演させていただいて
一番最初はの忍者の役だったんですけど 最後行った時はそうですねサンタクロース女サンタクロースの役を
はいさせていただきましたあれはすごく夢のあるお話でしたね あの見てくださった方もたくさんいらっしゃるんじゃないかなと思うんですけれども
まあでもほんとねこうやって考えるとなんかそうですよ私 結構歴史あるじゃないですか
であの ねまぁただこうミュージカルって本当に興味が全然子供の頃からも1回も興味を持ったことが
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なくて なんでかっていうとやっぱダンスとかもちょっとあんま好きじゃないっていうかだから
だからね振り付けられるともうね本当になんかもう窮屈になっちゃうんですよね 全部が
でも本当に何かこう 振り付けとかされるともうおえーって
なっちゃう だからもうあの自由に動けるとかなんかこう自由に発言できるとか自由にこう
ゆえ何でも言うみたいなことがやっぱりきっと好きなんでしょうね なんかセリフっていうこう決められたことをこう言わなくちゃいけないってものすごい自分
中でプレッシャーになるんですよね だから『アイーダ』の時なんかもう本当にこうあの多分ものすごい練習したので多分
寝てても多分言えたと思いますそれくらいこうもう頭に全部 入ってたんじゃないかなと思いますけど
まあでもねミュージカルはね稽古が長いすっごい長いだいたい3ヶ月ぐらいやるよね どんなものでもね
すごいもうあの なんて言うんだろう熱意はほんとすごいなぁと思います
さあちょっとねあのここでお便りいただいているので読ませていただこうと思うんですけど ラジオネーム
mihomiho1985さん今年の夏 ミュージカル『RENT』が公演されますが
美穂さんは見に行かれるのですか いうことでマーク役で実はこれ初演と同じく山本耕史
えー耕史がやるんだ で美穂さんが演じたモーリーン役はクリスタル・ケイさんが。えーすごーい。
でも多分見に行かないと思います 結構ね話が変わってるみたいなんですよねどうやらあの私たちが一番初演でやってた頃からするとね
私たち稽古場でこうずっと『RENT』一番最初の練習してた時は ジョナサンのお父さんとお母さんがあのアメリカからやってこられて
であの私たちの稽古をご覧になって でここであのジョナサンが生きてるとあの言ってくださったこととかも今ふと思い出しましたけど
まあ耕史はちょっと天才山本耕史さんはねもう天才なのでね
あれですけどまぁクリスタル・ケイさんのね なんかクリスタル・ケイさんって言うとなんかミミって感じがするんですけどね
モーリーンなんだ 面白そうですね
はいということで今回ねちょっとお便りをね いくつかいただいているのでちょっと紹介したいなと思うんですけどこれね全然
ミュージカルとは関係ないんですけど 味しめじさんからいただいております
TBSラジオからの隠れファンです 007にちょっと出演していたのもTBS朝の報道に出ていたのも学園祭の女王だったのも
ハガキ職人で数枚生まれていたので口が乱暴なのも 夏休みの宿題事件など存じてます
生涯50代半ばに差し掛かろうと独り身の私 実は寅さんのように商売はしなくとも全国を回り
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一期一会の出会いをして残りの人生を送ってみたいのが憧れです 森川さん憧れの人とかいらっしゃいましたか
あのような生き方に憧れるとかありますか そうか私のことが全部わかってるんですね
それは大変だいろんな事件がありましたここにもねちょっといつかまたね お話ししたいなと思うんですけど
夏休みの宿題事件とかねはいいろいろありました そう私憧れてるっていうか
どういう生き方したいとかあんまないんですよね 誰みたいにこうなりたいとかでこれとちょっと近いんですけどもこんなねあの
えっとおはがきもお便りもいただいています M’s Club員雅さんとお呼びしているのかな
高校生の頃 fm ラジオで森川さんの番組を楽しみに聞いていました シガニー・ウィーバーのヘアスタイルを真似た話とか印象に残ってます
今番組が帰ってきたみたいで嬉しいです続けて聞きますということありがとうございます そう、シガニー・ウィーバーね私すごい憧れた『エイリアン』でしたよね
あの映画でシガニー・ウィーバーがあの方ぐらいかなぁ のヘアスタイルだったソバージュって昔ね言ってたんですけどかけてて
あれに憧れて私もソバージュかけましたかっこよくてなんか 女性なんだけどもなんかすごいこうなんていうのエイリアンと戦うあの強い女性みたいな
あれはそうかっこいいなぁと思いましたねでも実はね私ね憧れてるというとね あのね私もし次ほんと生まれ変わったらこれ真面目な話
私ね FBI のね特別捜査官になりたいんですよ本当に でねそれ何でかっていうと実はのパトリシア・コーンウェルっていう作家がねいて
でパトリシア・コーンウェルのね検事官シリーズ検事官という本があるんですよ もうずっとシリーズ続いてるんですけど私そのね検事官を読んだ時にね
ここに出てくるその検事官役のケイスカーペッタっていうね あの女性もそうなんですけどまぁ後のケイのあの結婚相手となるあのベントンっていうね
あの fbi の特別捜査官真実捜査官なんですけど 2年もめっちゃ憧れてて
いやスカーペッタに憧れるわけじゃなくて私はあのベントンに憧れてるんですよ 私なんかもう FBI のなんか心理捜査官になりたーいとか思って
もうひたすら検事官シリーズをね集めて読みまくってましたね 何回も読んでましたね
はい まあねあのこの本大好きだったんですけどまたちょっと久しぶりにあの目を通してみたいなぁと
思ったりなんかしてます だから憧れてる人とか憧れの生き方ってあんまなくて
やっぱりほらこう時代ってすごく進んでるし その中で自分がどうやって生きるかって多分どんな人も模索して生きてると思うんですけど
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いつも自分らしくいられるっていうのがまあ最高ですよね そうだったらいいですよねなんてね
そんなお話でございました さてこの『森川美穂のシンプルライフ』毎週水曜日午前中に新しいエピソードを配信しています
番組メールフォームからのお便りも大募集してますのでどんどんね お便りいただきたいなぁと思いますそして最新のライブ情報等々はですね私
森川美穂の公式ホームページをぜひぜひご覧いただきたいと思います それでは皆さん来週またお会いしましょう
森川美穂でした