1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2024-09-07 09:21

#684 アメトーークはアマトーークじゃないのか?(転音) from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:10
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ロジャー・フェデラーです。
アメトーークという番組がございますね。
今ではね、TVerなんかでね、見逃し配信とかありますので、気軽にね、見られるようになっている昨今、様々な番組が、ちょっとね意味のわからない当地方になりましたが、
アメトーークもね、気軽に見られるようになっております。皆さんご覧になったことはありますかね。
元々ね、この番組は、お笑い芸人のね、アメ上がり決死隊のお二人がね、始められた、いわゆる冠番組っていうんですかね。
で、今は、ほとはらさんがね、MCっていうことで番組続いてますが、このアメトーーク、アマトーークにはならないんだろうかとね、最近ちょっと思ったんですね。
というか、そもそもアメ上がり決死隊のアメから来ているわけですけど、このアメ上がり決死隊もアマ上がりにはならないんだろうかと。
そういうのをちょっとね、最近思いました。
というのが、このアメという単語は、他の単語の一部になるときに、アマヤドリ、アマガッパ、アマガエル、などなど、アマという形で出ることが多いです。
これは天音と言われる現象で、過去のエピソードでもね、何度も取り上げたことがあると思います。
これはアメに限ったものではなくて、鮭が逆だるとかね、目がまぶたとかまつげみたいに、
規則的にエダンで終わっている単語が他の単語の全部要素、複合語の前の要素になるときには、アマとかサカとかマみたいにアダンの音に変わっております。
こういうのを天音と言います。
ただ歴史的には、このアマみたいなのがある意味元の形で、でそれにイという設備字がついて、アマイみたいなのが独立形として使われて、
で、このアとイという母音の連続はよくエという母音になるので、ヤバイがヤベェになるのと一緒ですけど、
それで独立形がアメとかメとかサケとかね、そういう風になったという説もございます。
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専門的にアメみたいなのが露出形と言って、アマみたいな単語の一部の形を被覆形と言ったりするんですが、それはそれとしてですね、
その規則にのっとれば、アメトークもアマトークだし、アメアガリケッシュ体もアマアガリケッシュ体に本当はなりそうだなぁと思ったんですよね。
で、ちなみにこのアとエの交代っていうのは他の音でもあって、背中のセっていうのはソムクのソと一緒だし、
背中もだからソナカになりそうなんですけどね。
あるいはキーですね。吐いてるキーはコカゲーみたいにコーという音に変わるシーっていう感じで、他の音でも観察されるものなんですが、
一番わかりやすいのは露出形がアメのエみたいな音で、被覆形がアマのアみたいな音に交代するというのがわかりやすいかなと思います。
さて、この露出形と被覆形の交代っていうのは規則的ではあるんですけど、かなりその力っていうのは現代日本語について言えば弱まっているんではないかなと思います。
だからこそアメトークは置いといてですね。アマアガリではなくアメアガリと言ったりとか、さっきたまたま言いましたけど、背中もソナカとは言わないんですよね。
目がマに交代するのも、まぶたとかまつげっていうのはそういう言い方しますけど、眼鏡とか目薬はマガネとかマグスリにはなってないので、これは規則的な音変化ですけど、
現代日本語について言えばその力っていうのはかなり弱まっていて、どっちかっていうと語彙的な問題になっていると思います。
つまり、まつげとかまぶたとか、あるいはアマヤドリとかアマガサとか、そういう単語だからそうなってるんだみたいなね。
しかしアマヤドリがアマっていう音で出てるんだったら、アメアガリもアマでも別におかしくはないというかね。
両方アメプラス動詞に由来するような複合語なので、アマヤドリに対してアマアガリっていうのも別に不自然ではないんですよね、本当はね。
さて、ではなんでこの転音という現象が現代日本語において衰退しているというかね、語彙的な問題になっているのか、あるいは化石化しているのかというと、
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これはね、漢字の影響っていうのもちょっとあるんじゃないかなと思うんですよね。
雨が雨に変わるっていうのは、日本語の動詞でいう活用形に近いようなものじゃないかなと思います。
書くっていうのが書かない、書きます、書く、書けばっていう風に、その母音の交代によって形を変えるっていう現象が動詞であるわけですよね。
それと雨と雨の交代っていうのも似てるんですけど、ただ漢字で書くときに雨だろうが雨だろうが、雨という漢字一字で済ませてしまうんですよね。
一方、動詞の場合は活用語尾っていうかな、音が変わる部分は仮名で書くんですよね。
書かないで2番目のかは平仮名で書きますよね。書きますのきも平仮名、書けばのけいも平仮名っていう風に、
その音が変わる部分は仮名で書くので、だから現代日本語で活用の音のパターンっていうのは崩れてなくて、
書くないとか書くますとか書くばとかね、そういった言い方はありえないですけど、
ある意味それは日本語の初期体験に支えられてるっていうかね、
仮名で書いてるおかげで音の変化っていうのが可視化されてるっていうかわかりやすくはなってるんですよね。
繰り返すしですけど、
転音の場合はあめだろうがあまだろうが、あるいはめだろうがまだろうが、さけだろうがさかだろうが、せいだろうがそうだろうが、
いずれにせよ漢字一字で書いてしまって、音の変化っていうのはわかんないんですよね、漢字で書いてるので。
そのせいで転音っていうのは現代日本語で衰退してるんじゃないかなとね、ちょっと思います。
もし日本語が漢字というね標語文字を使わずに、
かなだけになるとか、あるいはアルファベットみたいなね、いずれにせよ標文字で表すような言語だったら、
転音という現象も現代日本語でしっかり使われてたんじゃないかなぁとね、思います。
普通というかね、話し言葉が書き言葉に影響を与えるっていうことはよくあると思うんですよね。
言うを言うと書いちゃったりとかそういったものですけど、逆もあるんじゃないかなっていうようなね、今回はねそういった話でございました。
もちろん転音の衰退は書き言葉だけが、漢字だけが原因ではないとは思うんですけど、
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多少関係あるんじゃないかなという、そういったお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー!
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