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ある日の夕暮れなりしが、与は十円をまんぽして、
うんてるぜんりんでんをすぎ、
わが門尾周外の京居に戻らんと、
黒捨てる甲の古寺の前にきぬ。
与は彼の灯火の海を渡りきて、
この狭く薄暗き郊地に入り、
楼上のおば島に干したる敷布、
肌着などまだ取り入れぬ人貨、
頬ひげながきユダヤ京都の沖長、
古前に佇みたる居酒屋、
一つの梯子は直ちに鷹殿に達し、
他の梯子は穴倉住の家事が家に通じたる貸家などに向いて、
王子の形に引き込みて建てられたる、
この三百年前の遺跡を望むごとに、
心の甲骨となりて、
しばし佇みしこと、幾度なるを知らず、
今このところを過ぎんとする時、
閉ざしたる寺門の扉に寄りて、
恋を飲みつつ泣く一人の乙女あるを見たり、
年は十六七なるべし。
かむりし綺麗をもれたる髪の色は薄き黄金色にて、
着たる衣は赤つき汚れたりとも見えず、
我が足音に脅かされて帰り見たる表、
世に詩人の筆なければこれを移すべくもあらず、
この青く清らにて物問いたげに憂いを含めるまみの、
半ば露を宿せる長き末芸に覆われたるは、
何ゆえに一個したるのみにて、
用心深き我が心の底までは徹したるか。
彼は計らぬ深く嘆きにあいて、
前後を帰り見る意図もなく、
此処に立ちて泣くにや、
我が臆病なる心は憐憫の城に打ち勝たれて、
世は覚えず傍に寄り、何ゆえに泣き給うか、
ところに軽類なきよそびとは、
帰りて力を貸しやすき事もあらむ。
と云いかけたるが、
我ながら我が大胆なるに呆れたり、
彼は驚きて我が大なる表を打ち守りしが、
我が親率なる心や色に現れたりけん、
君は良き人なりと見る。
彼の如く無極はあらじ、
また我が母の如く、
しばし枯れたる涙の泉は、
また溢れて哀らしき方を流れ落つ。
我を救い給え君、
我が恥なき人とならんを、
母は我が彼の言葉に従わねばとて、
我を討ちき。
父は死にたり、
明日は法村ではかなわぬに、
家に一銭のたくあ枝になし、
あとは聞き世の声のみ、
我が眼子は、
このうつむきたる少女の古ううなじにのみ注がれたり、
君が嫌に送りゆかんに、
まず心を沈め給え、
声よな人に聞かせ給いぞ。
ここは往来なるに。
彼は物語するうちに、
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覚えず我が肩に寄りしが、
この時ふとかしらを持たげ、
また初めて我を見たるが如く、
恥じて我が側を飛びのきつ。
人の見るが愛しさに、
早足に行く少女の後に着きて、
寺のすじ向かいなる大戸に入れば、
かけ損じたる石のはしごあり、
これを上りて四回目に腰を下りて潜るべきほどの塔あり、
少女は錆びたる針金の先をねじ曲げたりに、
手をかけて強く引きしに、
うちにはしわがれたる王なの声して、
「たぞ。」と問う。
エリス帰りぬとこたうる間もなく、
塔あららかに引きあけしは、
中柱みたる紙、
あしき層にはあらねど、
ヒンクの跡をぬかにしるせし表の王なにて、
古き十面の衣を着、
よごれたる上靴を履きたり、
エリスの世にえしゃくして入るを、
彼は町かねし如く、
塔を激しく立て切りつ、
世はしばし呆然として立ちたりしが、
ふとランプの光にすかして塔をみれば、
エルンスとワイゲルトとウルシも手かき、
下にしたて物しとちゅうしたり。
これ、杉ぬという少女が父の名なるべし。
うちには言いあらす如き声きこえしが、
また静かになりて塔は再び開きぬ。
先の王なは陰陰におのが無礼のふるまいせしを浴びて、
世を迎え入れつ、
塔の内は栗や似て、
目ての低き窓に真白にあらいたるあざうをかけたり、
よんでには粗末につめあげたるレンガのかまどあり、
正面の一室の塔は中は空きたるが、
うちには知らぬのを覆える不死土あり、
不死たるは無き人なるべし。
かまどのそばなる塔を開きて、
世を導きつ、
このところはいわゆるマンサルドの町に面したる人もなれば、
天上もなし。
隅の屋根裏より窓に向かいて斜めに下れる梁を、
紙にて張りたる下の、
畳柱の使うべきところに画章あり、
中央なる机には美しき鴨をかけて、
上には書物一二巻と写真帳等を並べ、
陶兵にはここに似合わしからぬ、
値高き花束をいけたり、
そが片わらに少女は恥を帯びて立てり。