まず初めに冒頭で説明した20歳のお話をします。
最近ちょっとね、オリンピックの話でも喫煙の話でゴタゴタとしてますけど、
日本では飲酒も喫煙も20歳になってからというルールがあります。
ルールというか法律ですよね。
未成年飲酒禁止法により定められているわけです。
国税庁のウェブサイトによると、
20歳未満の飲酒は脳の機能を低下させ、臓器に障害を起こしやすい、
性ホルモンに異常を起こしやすい、アルコール依存症になりやすいといった理由があって、
20歳というボーダーをね、設けているようです。
ただこれだけだと、じゃあなんで19歳でもなければ21歳でもないのかと、
そういう答えにはなってないですよね。
この20っていう数字は一体どこから出てきたのかと。
なーぜ20歳なのかといえば、これはね、成人と関係があります。
20歳って言えばね、成人であって選挙権もあって自己責任が取れる年齢であるため、
飲酒喫煙を自分の意思でしていいよと、そういう理由で20歳と決まったわけですね。
じゃあ次にこんな疑問が出てくるわけですね。
なぜ20歳が成人なのかと。
これもね、実は決まった理由っていうのがあります。
これはどうやら結構昔なんですけど、1876年まで遡るようで、
もともと欧米諸国の成人の年齢っていうのは、
おおむね21歳から25歳程度だったと言われています。
で、日本の制度もそれらの国を参考に作られたんですけど、
日本ではそれらよりも少し若い20歳を成人と定めたんですね。
その理由ね、結構シンプルで面白いんですけど、
欧米諸国に比べて、日本人の平均寿命が短かったかららしいんですよ。
人生短いんだから、成人のタイミングも早い方がいいだろうってことで、
日本では20歳という年齢が成人年齢として採用されたみたいです。
そしてそんな感じでね、100年前に決まった成人年齢を参考に、
飲酒喫煙の年齢も20歳という基準がね、定められたわけです。
それが今も脈々と基準としてね、受け継がれているんですよ。
お酒やタバコは20歳になってからってね、
20って当たり前の数字だと思っているんですけど、我々は。
実はね、そういう結構昔に決まった歴史的な背景みたいなものがあるんですね。
だから飲酒の基準っていうのは、身体的な成長期を超えてるよっていうのもあるし、
かつ自分で責任が取れる成人だからという理由で設定された20という数字なわけです。
ただこの話を聞いてね、ピンとくる人、あれおかしいなって思う人ね、いると思います。
そうですね、日本では2022年4月から18歳を成人とする成人年齢の引き下げというのが行われたわけです。
だけども、飲酒できるのはまだ20歳になってからなんですよね。
これ今説明した歴史の流れ、基準値の決め方のロジックに従うんであれば、
18歳は成人で、自分で責任が取れる年齢です。選挙権もあります。
だから飲酒喫煙は18歳からできるようにならないと、論理的な整合性っていうのが通れないわけです。
が、そうなってないんですね。
これが基準値の不思議なところなんですよ。
別に私はお酒が飲める年齢云々に文句を言いたいわけじゃなくて、
ここで注目したいのは、そういった基準値の特徴についてです。
年齢の話だけじゃなくて、こういう組織で働いている人、いろいろとね、社内で使っている基準値ってね、あると思います。
検査の基準、設計の基準、それ以外にもなんか予算の基準とかね、いろいろとありますよね。
このね、飲酒の年齢が18歳に引き下げられないという現象を叱り、
まあそういった全ての基準値に共通する厄介な特性というものが存在するんですよ。
一体基準値というものにはどんな特性、特徴があるのか、それをちょっとね説明していきますけど。
そして基準値の特徴2つ目、数字を使い回すということです。
これも飲酒の例でね、例えますけど、
20歳は成人という数字をそのまま使い回して、
お酒は20歳になってからという未成年飲酒禁止法ができたということなんです。
他の何らかの基準値というものを、また別の何かに使い回すということが頻繁に行われます。
そしてその使い回しっていうのは、元とした基準値がどのような経緯で算出されたのか、
それを全く考慮せずに、何となく数字を使い回してしまうという傾向があるんです。
そして一度決まった基準値っていうのは、その根拠を深く考えることなく、
それが正しいものだと思われて使ってしまわれがちなんですね。
故に使い回しで決められた基準値っていうのは、全く理屈に合っていなかったりするんですよ。
こういう傾向ね、よくあるんですよね。
これ結構技術者には耳の痛い話だったりするんです。
会社の中にもいっぱいそういう基準値ありますよね。
なんか本当に秘伝のタレみたいなさ、昔からずっと引き継いできた古い基準値があるんですね。
ここの設計はこの数値を基準としましょう、この検査はこの数字以下としましょう。
その基準どうやって決まったの?何の意味があるの?誰も知らない。
でもずっと使い回して、次足し、次足しで使ってる。
そういう基準値ばっかなんですね。
これが基準値の特徴の2つ目、数字を使い回すということです。
そして最後の特徴、基準値の特徴3つ目、一度決まるとなかなか変更できないということです。
基準値が一度決まって運用が始まってしまうと、その基準を変更しようというのはなかなかにして至難の技です。
まるで石碑に文字を刻んでしまったが如くですね、書き直しっていうのができなくなってしまうんですよ。
これはね、基準を緩くするにも厳しくするにも、いろんなところから反発があるんです。
これもまた、因子の年齢の話を例にとるとですね、成人の年齢が18歳になったのにも関わらず、因子の年齢は変わらないと。
年齢を引き下げるっていうのはね、なんか規制を緩くするっていう方向なんで、より反発がありそうだなっていうのはなんとなくイメージができると思います。
じゃあ引き上げるのはどうなのかという話なんですけど、実はそれも難しくって、実際ですね、因子の年齢を25歳まで引き上げようみたいな法案も昔あったみたいなんですけど、
これもね、却下されてます。
緩くする方向にも厳しくする方向にも、一度決まるとなかなか変更できない。
これがね、基準値というものの宿命なんですよ。
今話したことを復習しますけど、基準値っていうのは科学だけでは決まらないですよ。
他の基準値の数字を使い回しちゃいますよ。
そして一度決まるとなかなか変更できないですよと。
まあこういった特徴があるんですね。
これなかなか厄介でしょ。
数字っていうのはね、やっぱインパクトが強いだけに取り扱い注意なんですね。
さらにそんな厄介な基準値なんですけど、これ使われ方にも非常に特徴があります。
基準値っていうのはね、安全に使われがちなんですよ。
というのは基準値自体が結構余裕を持って決まっている数字であるにもかかわらず、
そこに対してさらに安全を掛け合わせ、過剰に過剰を重ねて、とても余裕がある使い方。
言ってしまえばすごく意味のない使い方っていうのをされてしまうことが多いんですね。
有線席付近では携帯電話の電源はお切りください。
このアナウンス、皆さん電車とかバスで聞いたことありますよね。
これは携帯電話の電波が心臓のペースメーカーを誤作動させる場合があるから、
こういうアナウンスがなされているわけです。
このペースメーカーと携帯電話の関係にも、
実は基準があって、基準の距離っていうものがあるんですよ。
ペースメーカーなどの医療機器に対して、携帯電話の電波が影響しないために必要な距離の基準。
これが15センチと定められています。
ペースメーカーと携帯電話は15センチ以上離して使いましょうねっていう指針が総務省から提示されています。
この15センチっていう基準自体は、実験装置を用いて実測によって決まった値です。
実際にペースメーカーに電波の出るものを近づけていって、
この距離だったら大丈夫だよねっていう実験を行って決めたんですね。
ただこの15センチっていう数字自体は1995年に行われた実験によって定められた数字であって、
比較的新しい通信方式によって、新たに評価された結果では3センチ離れていれば影響がないっていう結果が出てます。
ただ基準値として採用され続けているのは15センチなんですよ。
これも本当にさっきも言ったけど1995年の基準ですからね。
古い基準ではあるものの、ペースメーカーって言ったらやっぱり命に関わるものなんでね。
なかなかその基準を短くできないという気持ちもなんとなくはわかりますよね。
だからかなり余裕を持った数字っていうのが基準として採用されているわけです。
実際に未だに総務省からは案内が出てまして、
携帯電話のスマートフォンを使うときはペースメーカーと15センチ以上離すこと。
そしてペースメーカーの装着車と密着した状態になる可能性がある場合は、
その端末の電源を切るように配慮することが望ましいですよという案内が出てるんです。
さっきも言ったけど、実際は今の現状の技術であれば3センチ程度離れていればよほど問題がないと。
1センチでもほとんど問題がないらしいんですけど。
まあまあ今は15センチっていうですね、かなり実際の数字からは安全を見た指針っていうのが提案されているわけです。
だからもう基準の時点でねすごく安全を見てるんですね。
しかし、しかしですよ。その案内を受け取った各交通会社っていうのはですね、
十分に安全を見た基準と案内であるにも関わらず、さらにそこに安全すぎる対応を掛け合わせてしまっているんですね。
それが先ほども言った優先席付近では携帯電話の電源はお切りくださいです。
それはまあそうするのがね一番安全ではあるんだけど、安全に振った指針に対してさらに安全を掛け合わせちゃっているんですよね。
ペースメーカーの装着車と密着した状態となる可能性がある場合は電源を切ることが望ましいという案内なんですけど、
それがですね余裕を持ちまくって優先席付近では携帯電話の電源をお切りくださいよというね運用になってしまっているわけです。
ただ実際に優先席付近でスマホの電源を切っている人って見たことあります?
なんなら優先席座ってスマホ使っている人いますよね。
もうねこのルールっていうのはね、境外化してるんですよ。誰も守ってないんですね。
なのにアナウンスだけは未だ流れていると。非常にねチグハグな状態なんですよ。
実際優先席付近でスマホ使っていても問題はないんです。だけど未だにアナウンスっていうのはね更新されずにいるわけ。
これっていうのもね意外と根深い問題で、これはなぜこういう基準が制定されてどんな影響があるのか、
そういった基準についての理解っていうのがそれに関わる人たちに全く伝わってないということなんですよね。
シンプルにコミュニケーションが不足しているということです。
それ故にただ基準だけが一人歩きして結果生み出された虚無であるとも言えます。
これはあくまでもね一例なんですけど、この話を皆さんの中で抽象化してほしいんですよね。
こんなねチグハグなこといくらでも身の回りにありますよ。
そういうものを振り返ってみると疑ってみる、そういう機会にしてほしいなと思っているんですね。
安全であればあるほどいいとか、余裕があるほどいいっていうのは言い方もありますけど間違ってますよ。
理由なき過剰っていうのは悪なんです。過剰にするっていうのはね誰でもできますから。
その道のプロじゃなくてもやりすぎ、過剰にするっていうのはできるんですよ。
それこそ小学生でもできます。
それを専門知識とか経験をもってして適切に調整する、それこそがプロですよね。
ものづくりにおいてもねこれがバッコシ当てはまるんですけど、一番僕はネックだなぁと思うのは品質問題ですね。
ものづくりは質が良ければ良いほどいいですよねと。
高品質なものづくり、それこそが日本のものづくりの真骨頂であると。
まあこういう風習がねあるんですけど、本当かと疑ってみてほしいんですよ。
これね今話したようなベースメーカーの安全重ね過ぎ問題と同じように
日本のものづくりも品質重ね過ぎ問題っていうのがねあると思います。
明らかに過剰品質、やりすぎに感じる部分あるんですけど、結局ねものづくりにおける基準値っていうものをどの会社でも更新できてないから
品質の追求っていうのは緩くできないどころか年々厳しくなる一方で
しかも品質を上げながらもなぜかものの値段を下げる傾向にあるので、それは製造業全体が苦しいよねっていうお話でございます。
良いものを安く大量に作ると、そういったですね高度経済成長期の成功体験
大量生産時代のものづくりからの基準的な部分っていうのがまた変わってないなぁと思うところがね結構あります。
その時代を私は生きたわけではないんですけど、これ何なんだろうって基準を深掘っていくと本当にその時代からずっと使われている基準みたいなものが至るところにあるんですね。
良いものを作ったら品質なりに高く売る。それなら別にいいんですけど、
いつの時代に決まったのかもわからない。時代に沿わない基準の上で行われていくものづくり
そこに本当に価値や未来があるのかと疑問を感じざるを得ない時がありますよね。やっぱり
やっぱり実際にねものづくりの現場とか作られ方を見ているとですね、そう思ってしまう時があります。
高品質こそ日本のものづくりだという言葉っていうのは私の中では
優先席付近では携帯電話の電源をお切りくださいというアナウンスと指して変わらなく聞こえる時があるんですよ。
私はですね長らく機械の設計者をやってきましたけど、設計者として正しい行いかどうかは置いといても結構ね今までの流れを壊すみたいな設計を好んでやってきました。
主に何をやったかっていうとね交差の変更です。ちょっとね専門的な話になるんだけど我々設計者っていうのは機械を設計するために部品の形を決めるんですけど
それと一緒に部品の寸法とあとその形状的に求められる精度というものも決めます。どれだけ精密にそのものを作るかということなんですよ。
例えば寸法交差というものがあるんですけど、これは幅が100ミリですよっていうものがあるとするじゃないですか。
じゃあその幅100ミリっていうのが100ミリプラスマイナス0.1ミリの範囲で収まっていればいいですよっていう場合もあれば
100ミリプラスは0絶対ダメマイナス側は0.005ミリメートル5ミクロンとかって言いますけどそこまでしか許容しませんよっていう非常に厳しいその精度っていうのを要求する場合もあります。
当然ですけどそういう厳しい精度を要求したものの方が安定はするんだけど加工っていうのもすごく大変ですし
値段っていうのも跳ね上がるんです。我々設計者は部品一つ一つに対してそうやって必要なところに精度っていうのを支持していくわけなんですけど
すべての部品の精度っていうのを根拠を持って決めるっていうのが一番いいんですけど機械によっては部品点数って数百点数千点以上あるんで
自動車で言えば3万点あるとかとも言われていますし私なんかが扱うような産業機械でも普通に数千点の部品があって担当者一人は当然数百点の部品っていうのを扱ってるわけ
そんな数あるんでねやっぱ全ての部品の高さを根拠を持って決めるっていうのはねやっぱ現実的に厳しいんですよ
となると我々は何をもってそういう精度みたいなものを決めているかといえばね過去の図面を参考にするんですね
同じような形をした他の誰かが設計した機械 既に成功して作られているもの
そういう部品を真似してそれを一つの基準として部品の精度を決めたりします そういうやり方がありましてそれが結構一般的なんですね
やっぱすでに作られているもの実績があるものっていうのは 設計者側としても根拠として使いやすいし安心できるんです
ただやっぱそういった設計の基準として使うものにも問題はあってですね そういうね重要な部分の部品に使われている高さつまり指定される精度っていうのは
大にして厳しいんですよ この部品ってこんな厳しい制度いるかなぁみたいな部品っていうのはね
いっぱいあるんだけどまぁ過去のものを参考にしたらそれでできてるから ちょ精度変えられないよねーと
あとねデザインレビューっていうね設計検討会みたいのがあるんですけど そこで有識者を交えた会議の場ではさ
やっぱり過去にこういう部品がありましたよみたいなことを言うとみんな納得してくれるんですね だからねスッと会議が通ったりするの
だから本当にね昔決められたすごい厳しい精度の指示っていうのがそれこそね秘伝の タレみたいな感じでもう代々と機会を受け継がれているんですよ
自分が参考にした図面とか部品っていうのを設計した人がさらに参考にした部品 っていうのを設計した人がさらに参考にした部品みたいなね
ほんと姫おばあちゃんと姫おじいちゃんぐらいまでずーっとね脈々と受け継がれたりするんですね そんな制度っていうのはねなかなかお急ぎとは変えることができないんですよ
設計者自身もねちょっとビビっちゃってこれ変えるとなんかあるんじゃないかって言って 変えないわけ僕はそういうね秘伝のタレの入ったツボを見つけるたびにですね
そのツボを叩き割ってきたんですね それこそドラクエのようにねほんと他人の家のツボでもね容赦なく叩き割る勢いで
がっつり変えていったんですよ 割とねそういうところで無駄にって言うとあれですけど攻めます僕は
でこっから経験の話なんですけど こういうね昔から受け継がれし設計基準とか制度みたいなものって実際計算し直してみると
ね だいぶ過剰なんですよ特にこのさっき言ったね制度みたいな部品をどんだけ精密に作るかっていう
ものは結局部品同士の積み上げで評価するんですね 累積誤差とも言いますけど本当はこの寸法がいいよっていうものが微妙にずれてるっていう
ものがどんどんどんどん積み重なっていって 最終的にどうなるかみたいな評価があるわけ
でまぁそれを評価する上でもねいろいろやり方があってワーストケースって言って この部品積み上げる部品全部が一番設計的に都合が悪い寸法になった時に部品として
組み合わせた場合に機械としてちゃんと成り立つかなっていうのを計算したりとか それがそこまで安全を見なくても
事情は平方根って言ってまぁあの統計的な計算をするとか いろいろとにかく方法があるんだけどちゃんとそういった計算をすると普通に余裕あるんですよ
つまりそこまで厳しい制度全然いらないの だけどそういう計算をせずに
あこれはもう秘伝のたれで昔から代々受け継がれているものだからって言って思考停止 でそういうね厳しい制度とか入れちゃって部品高くしたりとか
無駄に高品質なものを作っちゃうって人が結構多いんですよ これちょっと冒頭で紹介した言葉なんですけど基準というものは考えるという行為を
遠ざけてしまう格好の道具であると これまさにね言い得てみようというかまさにこれなんですよね
誰だって普通にそれを計算したらそんな制度全然いらないと超ゆるくできるじゃんって ことがわかるわけです
だけど昔から引き継がれているからっていうのでそういう検討すらしないみたいなね パターンも非常に多いんですね
あとはまあそうやってね計算上ちゃんと成り立っててもいやいやこれ昔から引き継がれて きたツボだからって言ってリスク取りたくないって人いっぱいいるんですよ
僕の前の上司とかもそうだったんだけどとにかく安全に安全重ねちゃうんですよねそういう人は 計算上成り立ってるんですよ
それを説明しても いやいや今までやってきた実績と違うからなんかあるかもしれないって言って変更を通して
もらえないとか許可してもらえないなんてこともねありました そういう場合にどうするかっていうと勝手に変えます
参考にしないでくださいこれ僕がやったパターンですけど別にあの皆さんに推奨するわけ じゃないです
何も言わずに僕は知れっと変えますバレないように数値を変えます 気づかれなきゃこっちのもんですから
部品作る時は出頭って言ってまあ部品の図面書いて正式ね上司に出すんですよ 上司もその図面を見てちゃんと反抗を押すわけね
その時に気づかれなきゃこっちのもので反抗をしちゃったらはい見ましたよねって話 じゃないですか
だからまあ気づかないほうが悪いんですよ 僕はね代々受け継いできた秘伝のタレではなくて計算上正しい数字っていうのを信じて
まあ自分の設計に盛り込みます 設計者ってのはやっぱ部品設計するんですけど作る人は自分自身じゃないんですよ
現場の人が部品加工してくれるんで自分自身が納得してないものなんてねやっぱり人様には 作らせられないわけですよ
自分で設計した部品というのはまあ自分の分身みたいなもんですから まあそこまでやっぱり魂を込めなきゃいけないですね
そう思ってですね 自分の設計を信じてまあしれっとね結構部品の交差とかをね
だいぶ緩くしたりもしました さっきも言ったけどまあいいか悪いか別よこれは設計者として正しいかどうかは置いといて
僕はそういうスタンスですよって話ね ただ