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2025-11-10 11:35

「妬み」の感情は「相手の能力」を表現している【スピノザ哲学】

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サマリー

このエピソードでは、スピノザの哲学に基づいて、妬みという感情の定義とその影響が考察されています。妬みは自己の能力を表現するものであり、それが人のエネルギーや行動にどのように影響を与えるかについて述べられています。また、妬みの感情は他者の能力を反映しており、妬みを感じる背後には自分の力を表現する機会があることが示されています。

借金返済と新しいコミュニティの誕生
こんにちは、借金返済ラジオのしゅうへいです。この番組では、瀬戸内で借金6,000万返済していくリアルな物語を毎日有力お届けしております。
はい、ということで、昨日キャンプファイヤーコミュニティーをね、オープンしました。新しいフリーランスの学校コミュニティーですね。
で、なんと1日、多分おそらくだけど100人近く参加してくれてます。あのこの時点で今77名なので、放送時点ではそれぐらいなってたら嬉しいけどなってなかったらどうしよう。
コツコツね、こういうのものを本当に訴求して、皆さんに知ってもらって、これだったら1ヶ月無料でとりあえず参加してみようかなと思ってもらえるようにね、マーケティングしていく、告知していくことしかできないので、引き続き頑張っていきたいと思います。
今月も既にね、11月21日に勉強会第1回目予定しております。これ普通に参加すると3300円かかるんですが、初月無料で参加すると無料で参加できますので、
2026年個人が月20万稼ぐための5ステップロードマップということで、60分でね、がっつり解説したいと思います。
あとSNSとかの公開コンサルとかも予定してますので、ぜひまず11月ね、ちょっと2026年変えたいなという方は参加いただけると嬉しいです。
はい、今日リンクとかつけておきたいと思います。
で、お知らせをした中で、今日は全くまた違う話でございます。
ちょっとね、テスラの車検があって、もうテスラ売却するんですけど、車検だけ通さないといけないっていうので、その売却前に車検を通したんですが、
その道中ね、スピノザの哲学の本を読んでて、スピノザの肖像っていう、これまたね、国文先生のね、
なんかね、国文先生、エチカのね、めっちゃわかりやすい解説本を書いてくれてるんですけど、それの、なんていうのかな、
もっとこう、本当になんかこう深掘りの、もうなんかもう、国文先生のなんか筆が乗っている感じが伝わるような本なんですよ。
あの、いわゆる岩波かな、あれ赤本なのかな。ちょっと僕もあの辺りよくわかってないんですけど、スピノザの肖像ってやつですね。
オーディブルで聞いてたんですけど、やっぱね、これテキストで読まないといけないなっていうのでね、また買って本で読みたいと思うんですが、
それを読んでた時にね、なるほどなと思った。これもうなんか、スピノザの哲学、神の概念とか、実態とか、変状とか、様態とかよく出てきてよくわかんないっていう、
僕もまさにそういう人間で、国文先生のその筆が乗ってるやつも、なんかちょっともう限界みたいな瞬間もあるんだけど、
あー、これわかりやすいなと思ったものがあって、それは何かというとですね、あの、妬みっていう感情、これがスピノザ哲学的な分類で言うと、
まあ、良くない。要するに、善と悪っていうものを定義していて、善っていうのはその人の活動エネルギーがより大きくなるもので、
悪はその人の活動エネルギーがより小さくなっていくものっていう定義なんですけど、まさに妬みっていうのはその喜びとかのプラスのエネルギーじゃなくて、
悲しみっていうマイナスのエネルギーになってるんですね、妬み。で、この妬みっていうのがなぜじゃあマイナスを帯びるのかっていう話なんですよ。
で、まあこれめっちゃ端折って話すとですね、これすっげーわかりやすいなと思ったんだけど、まあ、なんかさ、上手くいった人がいて、で、その人がいたら、やっぱ、嫉妬することってあるじゃないですか。
で、僕、良い嫉妬と悪い嫉妬があると思ってて、あの、良い嫉妬、これはスピノザ関係ないですよ。
良い嫉妬は何かというと、あ、この人にできるんだったら自分にもできるわ。だからなんかちょっとムカつくというか、こいつにできるのか、じゃあ俺にもできるだろうみたいな可能性を感じる嫉妬ですよね。
で、悪い方は、なんか、なんでこいつなんかができるん、なんか、どうせこいつは裏でこそこな手を使ってるんだみたいな、その人のなんかこう、成果自体を否定する?
うん、こいつにできるんだったら自分にできるはず。ここまではいいんだけど、ということは、いや、自分も本当はその努力をすべきなのに、その人はなんかズルをしてそうなってるんだみたいな、いわゆる認知的不況が多分入ってるんですよね。
で、自分を変えるのではなくて相手を変えようとしてしまう。相手が成果を出したという認識を歪めてしまうっていうね。うん、そうするとマイナスの方向だと思うんですけど、
いわゆるこういう妬みみたいなものがなんで良くないのかっていうと、これってねすっげー面白いなこれ、ほんとこれね、あーっと思ったのが、
要するにそういうふうに妬んでいるという感情は自分の能力を表現してるわけじゃないですか。スピノザース哲学の表現っていうのがものすごく出てくるんですけど、
僕も全然完全理解してないけど、それは相手の力を表現しちゃってるんですよ、自分で。うん、そう、要するに妬んでしまっているっていうのは、
例えばさっき良い人って言ったけど、あ、その人にできるんだ、自分できるぞってちょっとワクワクするというか、悔しさとともに自分もこれをしたいんだ、自分にできると思ってるんだっていうふうに思うことは、
たぶんそれはその人の能力の証明ではなくて、自分がそう思えるということを表してる、表現してますよね。でもそっちの認知的不協和の、
もうそいつはずるをしてるんだ裏でって言って、もう気になって気になってしょうがないみたいな、SNS常にチェックしちゃう、
そういう人の言葉が自分に言ってるように聞こえてしまうみたいな、それでうわーってなってしまうのは、その人の力を証明してるんですよ。
コナテスと自己の表現
僕これ結構ある。恥ずかしいけど。だから、なんていうのかな、やっぱりいろいろあるじゃないですか。
いろいろ調子悪い時とか、上手くいってない時とか、失敗しちゃった時に、なんか拗ねちゃったり、
僕は本当にアルコさんに申し訳ないなと思って甘えてるんだよね、拗ねちゃったり。
もういいとか、しゅーちゃんのこと分かってくれてないとかって言って、もう拗ねちゃうんだけど、
それって結局自分の能力の表現をしてるんじゃなくて、結局そういうミスが起こってしまっているっていう、
なんていうのかな、これちょっと難しいね。ちょっとネタ見の方が分かりやすい。
やっぱりその人自体の力の影響を受けて、その能力を僕の方で表現してしまったり、その影響を受けて表現してしまったり、
なんか悔しくない。要するに自分の力を表現したいじゃん。自分を表現したいのに、その人からの影響を自分で表現しちゃってるっていう状況なんです。
何がこれ面白いと思ったのかというと、いわゆるスピノザ哲学の中で、みんなそれぞれコナテスっていうものがあると。
これは分かりやすく言うと、例えば犬には犬のコナテス、猫には猫のコナテスがあると。
犬はどちらかというと人間のパートナーみたいなね。猫はうちにもいますけど、パートナーなんか全く相手はそんな感じを持ってないよね。
とにかく僕をどれだけ熱言として餌やりとして利用できるかみたいな。猫は本当に猫としてあろうとするじゃないですか。
そういったものが人間にも備わってると。囚兵は囚兵としてあろうとするし、生き早は生き早としてあろうとするし、妻のあれ子さんはあれ子さんとあろうとすると。
こういう性質が本来コナテスがあると。だけど、このコナテスみたいなものが本来はそのコナテスを僕が表現すべきなんだけど、自分が表現するというか、
そういう自分がそうあろうとするものをやっていく。そしてそれによってエネルギーが増大していく感じ。
これ楽しいみたいな。僕だというとSNSとかは自分のコナテスになってたんだよね。人と違うことをするとか、自分が本当に楽しいと思うものをするみたいな。
自分が楽しいと思ってたらより楽しめるみたいな。そういうコナテスがあると思うんですよ。
妬みの感情と能力の表現
誰々何々をやれと言われるものを自分がやりたいと思ってやるってことが僕の中では大事なんだと思うんだけど、それを表現できてるといいじゃん。
こうやってポッドキャストを撮るとか、今スピノザの話も別に誰かにしろとか言われたわけじゃなくて、本当に気づいて、これ話したいと思って話してるわけね。
これすごくいいじゃないですか。自分の能力を表現してる感じがあるよね。
例えばだけど、すっげー好きじゃない人のPRをもらう。お金がない。僕はお金がないですよ、今本当に。
月100万円あるから、ポッドキャストで俺の宣伝をしろみたいな。って言われた時に、僕がもし話し始めて、しかもこれ声だからバレるじゃん。
周平絶対企業の社長好きじゃないのに、無理矢理紹介している。おべっか使ってるというか、それ伝わってくるよ、周平みたいな。
そういうのってあるじゃないですか。それだった時に自分がマイナスの感じで、声はもちろんポジティブに言うかもしれないけど、どっか心の奥底でこうじゃないなっていう感情を抱きながらやってるっていうのは、
それはまさに自分のコナティスを表現しているというよりも、その人のお金で叩いてこられた感じの、その人の強さみたいなものを僕が表現してしまってる。
表現は必ず変状なんですよね。ピスピノザ哲学で言う、すべて僕らは今、神しか実態がないので、
僕らは常に何かを考えたりすることとか、こういうふうに話すことは何かの変状の結果として、変状し続けてるわけですけど、変状の結果として今、僕は話してるわけですね。
こうやって話すことって、みんな話を聞いたときに何かの影響を受けるじゃないですか。これもまた変状ですよね。
僕が変状して、変状した話をみんなが聞いてまた変状するみたいな。ちょっと合ってるかわかんないんだけど。
仏教で言うと演技みたいなもんですよ。ピスピノザ哲学って、結構仏教の演技的なものにすごい概念としては近いような感じを僕の中では持ってるんだけど、
細かいところでちょっと違うかもしれないけどね。イメージね。そうしたときに、僕が結局、嫌だなって思いながらやってしまうってことは、
その人自身とかの、僕自身のコナティスではなくて、その人自身の何か力を影響を受けてしまっていて、受動的な割合が非常に高くなって、
能動的にはしていない。全部受動ではないし、全部能動は無理だと思うんだけど、なんか能動の率が減っていってる。極端。
そのときって、たぶんまたネタミとかと一緒だと思うんだけど、ネタミの感情を持つって結構受動的だと思うんだよね。
自分は本来それを選んでるような感じがするんだけど、でもまさに能動的にネタを持っていうことをしていたとしても、
それは結果的には相手の力を自分で能動的に表現してしまってるんですよね。これ二次的な返上とかって多分言うんだと思うんですけど。
ってことはさ、やっぱネタ見たくてもううわーってなってたとしても、そうじゃなくて、いやこれは多分自分にとっては何か足りないことが起こってるんだって思うことによって、
別のものにつなげていくってことは自分の力を表現してるよね。そういうムカつくこととかしんどいこととか嫌なことがあっても、
それを糧にしていくんだっていうのは自分のコナーですと表現してることになるじゃないですか。
これは多分感情的にはプラスですよね。喜びの方に近いと思う。っていうことをすごい本を読んでて思ったので、
ちょっとまだまとめきれてないし全然理解できてないんだけど、ネタ見の感情って相手の力を表現してるんだなっていう。
自分の力を育てる
これはすごい自分の中ではーっと思ったんだよね。だからいろんな僕ら刺激を受けて常に返上し続けていて、
あれやこれやといろんな行動を起こして失敗するんだけども、自分の成長させていくっていう意味では相手の力を表現するんじゃなくて、
自分のコナーですにしながって自分のコナーですのでその力を表現していくっていう方向が多分いい生き方なんでしょうね。
まさにエチカ倫理学じゃないですけど。僕もまだよくわかってない。よくわかってないのでここで話しておきました。
そんな話でございます。そういう意味で言うと、能動的に自分で働き方を変えていくっていうのをフリーランス学校の新コミュニティでやっておりますので、
生涯現役という選択肢をみんなで一緒に作って育てていきましょう。ということで、あなたのご参加をお待ちしております。
今日リンクつけておきたいと思います。今日も聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間を過ごしてください。バイバイ。
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