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2024-09-03 15:34

「自分が商品化しすぎた」からうつになる【土着的思考のすゝめ】

参考文献:武器としての土着思考

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おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒント、1日1つ、ちょっと内海の島から有効を届けしております。
はい、えー、9月は1日走れたんですけど、2日目が走れなくて、えー、ちょっと、なんか、走れなかったなーっていう感じがあります。
いやー、あのー、走れなかった代わりに、インスタのリールがね、えー、投稿できて、それがいい感じに伸びてるので、まあ、よしとしようかなってこう、迷うんだよね、夕方ぐらいに。
これ、リールを作り込む、最後までやりきるか、走るか、走ったらリール今日投稿できないな、いや、今日投稿したいみたいだね。
はい、そんな、えー、毎日を生きております。というわけで、えー、今日のテーマは何かというと、
自分が商品化しすぎたからうつになる、えー、土着的生き方のすゝめという話をしたいと思います。
はい、あのー、少しね、まだ全部は読めてないんですけど、あの、土着思考というね、えー、武器、武器としての土着思考という、えー、これ、あの、認定NPO。
あの、よくこのボイシーでもね、あの、今井さんが登場してます、DPの、えー、代表やってる今井さん。
その、DPの、あの、候補をされてる、えー、青木さんという方が著者なんですけど、これ、僕全然、あの、それをね、存じ上げてなくて、あのー、全くこう、なんですかね、僕のこの認知の外側からやってきた本なんですけど、
実は、あ、そんな繋がりがあったっていうか、えー、あの、青木さんがそういうDPで活躍されてたってことをね、ちょっと存じ上げなくて、あのー、非常にこう、情報収集不足だったなというね、反省をしたんですけど、
あのー、そういった、まあまあ、身内ってほどでもないんですけど、でもまあ、今井さんとも仲良くさせていただいてまして、えー、DPさんにもね、長く、えー、まあ、勝手にね、僕が寄付させていただいてたりとか、で、その取り組みを、あの、皆さんともシェアして、あの、このボイシー、ポッドキャストの、えー、リスナーさんでも、えー、DPさんにね、えー、寄付をしてくれた方、そしてそれを続けてくれてる方もたくさんいて、
あの、僕のセミナーの差し入れをね、あのー、僕にお菓子を入れると僕が太っちゃうので、はい、あのー、実は嬉しいんだよ、嬉しいんだけど、あのー、その、何人からももらうとですね、ほんと食べきれなくて、スタッフと分けてももう量がっていうのは大変な時があって、もう皆さんのその心意気に感謝なんですけど、あのー、そういうことが多かったので、あの、もし差し入れするのであれば、あの、DPさんに1回でもいいので、500円でもいいので、1000円でもいいので、よかったら差し入れ代、あのー、ここがマシかもしれないけど、
それでも、あのー、よかったら寄付してくださいと、そしたら、えー、ご飯が十分に食べれない、えー、10代、20代、孤立している若者にご飯が届きますというね、そんな感じでもちょっとDPさん、僕も、あのー、紹介させていただいてるんですけど、その、えー、DPさんの候補されてる青木さんの、えー、著書でございます、これ、あのー、僕もね、妻のあれ子さんに紹介していただいて、あのー、島の、あのー、古本屋湖っていうか、そのー、あのー、ブックカフェみたいなとこあるんですよね、コミン、コミンカブックカフェみたいなとこあって、そこのコリオリさんであれ子さんが見つけたんですけど、
見つけてくれて、で、あれ子さんが僕に課題図書として渡してくれたっていう、そんなリレーでね、えー、バトンで繋いできた本なんですけど、まだそれを全部読んでないので、あのー、まだあれなんですけど、途中なんですけど、あのー、青木さんと、えー、今井さんとのね、えー、DPのラジオの対談も聞かせてもらって、まあ非常に面白かった、そう、で、この本も非常に面白いです、うん、なんか、土着思考っていうとすごい難しいイメージが、なんかもしかしてちょっとイメージしにくいかもしれないんですけど、あのー、読めば、
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まあ今日説明ちょっと簡単にしますけど、あの、聞けば、あ、シンプルだねってことが、あの、わかる、そんな本です、で、えーと、今日のタイトルに戻るんですけど、その、まあ、自分、まあ、あなたという存在、まあ、周平という存在、この存在自体が、まあ、ある種ね、この資本主義が、いいんだよ、いいんだよ、資本主義が進むことはいいんだけど、まあ、一方方向に進みすぎたってのがあるかもしれないね、
うん、なんかちょっと調整は必要なんだけど、その進みすぎた先にあったのは、まあ、自分という存在、人間という存在が、まあ、ある種商品化しすぎたんですよね、うん、あの、2ヶ月前ぐらいのLLACのね、あのー、ウェビナーでもね、あの、8月ちょっとなかって、9月ちょっとどっかでやりたいなと、IKEAさんにもちょっと似て相談しないといけないね、えー、したいんですけど、あのー、そう、そこでも言ったんですけど、その生産性の罠、まあ、つまり、
人間の価値を、その、仕事ができる量とか、生産性で測ってしまってないかっていうことなんですよね、うん、今のこの働き方っていうのは、で、それが、結局その、ものすごくこのメンタルヘルスに、ね、そういった問題につながってるというような、あの、セミナーをしたんですけど、あの、タイダーなんて存在しないっていう本からね、えー、本を説明しつつ、で、それともつながってくると思うんですけど、あのー、まあ、今ってもうまさに本当に、自分という存在がある種商品化されてるんですよ、
まあ、こんなこと言いたくないけど、あの、コモディティ化している、うん、僕という人間、えー、まあ、今はもう少しちょっと得意な生き方になってるかもしれないけど、まあ、10年前は、うーん、まあ、普通に大学を出て就職して、うーん、まあ、借金とかあったけど、まあ、とりあえず履歴的にはなんか、あの、買いが利く人間でした、別に今も買いが利くと思いますよ、だから、だからどうこうってわけじゃないんですよ、うん、だからどうこうってわけじゃないんだけど、
うん、なんか、あのー、まあ正直自分でも働いてて、自分の代わりなんかいくらでもあるだろうなっていうふうに思いました、で、その自分の買いが利くっていうふうに思うのが、まさにこの資本主義が行き過ぎた労働市場で起こっていること、まあ、つまり、えー、つまり、つまり、えーの、自分が商品化しているっていうことです、そう、まあ、20代、30代で月に、まあ、どれくらい?えー、7、80時間働けますと、うん、で、まあ、ある程度こういうスキルがあったりとかパソコン使えますと、
ね、Google検査ができますと言うと、まあ、いっぱいいるよ、うん、それで月に10万、30万で働いてくれる人、いっぱいいると思う、悪いわけじゃなくてね、うん、で、これが僕は、この本にも、まあ、そういった似たようなことを書いてるんですけど、あの、やっぱり行き過ぎているなというふうに思うんですよね、あの、社会全体で見たときに、で、
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それは社会が悪いとかじゃなくて、えーと、まさにこの本で言われている土着思考を実践することで、僕は社会構造自体少し変えれると思ってるというか信じてるんですね、それは猫のように生きる、リブラガキャットっていう、まあ、コミュニティとかプロジェクトをやっているのもそうだし、フリーランスの学校っていうね、オンラインスクールをやってるのもそうです、で、どういうふうに変わるかっていうことなんですけど、
あの、その前に、えーと、先にちょっとタイトルの結論を言っておくと、まあ、そういうふうに自分の変えが効きすぎるから、多分僕は鬱になると思っていて、僕もよく鬱になった経験があるし、まあ、今、日本で1年間に経済損失、鬱とか自殺による経済損失は1兆7000億円というふうに言われています、ね、あの、決して数字で動向ではないんだけど、あの、決して少なくない数字、あの、僕は大きすぎる数字だなっていうふうに思いますね、
うーん、これってさ、なんかおかしいことが起こってるんですよね、いびつだというか、うん、なんか生産性を求めすぎて人間がこううまく働けるかどうかとか、まあ、ある意味その商品労働力みたいなのがより柔軟っていうかね、流動性が上がれば上がるほど、えー、働きたい人がいろんなその働き手を求めてるところにスポット的にこうスポスポスポッと入っていくことによってみんなが楽しく働けるだろうと思えば、
えー、実際に起こってることは、ああ、自分の代わりっていっぱいいるんだとか、目の前の仕事に、うーん、価値を感じないとか、これをやってるのはなんか違う気がする、心がなんか要するについていかない、そんな状況が起こってるわけですよね、うーん、で、それはまさに資本主義が僕は生きすぎた状況だからだというふうに思うんですよ、この本読んでも思うしね、で、
この土着思考っていうその武器としての土着思考の中で言われてるその土着的な考え方って何かというと、えー、簡単に言うと多分間違ってないと思うけど、その資本主義をやめようってことではないで済ます、その脱成長主義とかそういうものではなくて、資本主義にも必要、この社会をね、うまく回すためには、なんだけど、資本主義の外側というかそこから距離を置いたところにも、
まあ、何かなんだろうな、生活の一部を持っておくみたいなイメージです。で、ちょっとね、ちょっと読み上げるので、その部分を、あのー、イメージしてみてください。えー、いきます。
近代化によって人々はしがらみから解き放たれ、個人個人が己の責任において人生を選択できるようになりました。まあ、自由にね。ただ、しがらみからは自由になりましたが、その自由は商品の中から選ぶ自由だったということです。ここ結構ポイントです。
自由にできるんだけど、それはあらゆる資本主義で、資本主義の中で商品化されて、その商品の中から自由に選べるっていうことだけだったと。僕が目指す地に足をつけるとは、えー、自らの生を商品からも商品以外からも自由に選ぶことができるようになることを意味します。そう、要するに資本主義の中からも選べるし、そうではない中からも自分の生き方みたいなのを、まあ、その都度その都度選べるとかバランスを取れるみたいな感じですね。
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そのためにはまず、商品以外という選択肢が存在することを知る必要があります。知らないと選べないからね。そう、この周辺のボイシーとかポッドキャストも知らずに聞くってことはできないですよ。いきなり知らずに聞いてみようとはならないわけですね。流れてきて聞いてみようと。知ったことによって聞けると。これが現代社会における外部への出口の入り口です。面白いね。出口の入り口です。
つまり、僕らが今選んでいるものは資本主義において商品化されたものばかりになってしまっていて、その中で自由に選べると。自由に選べるんだけども、その生き方、働き方に僕らは何か苦しみみたいなものを感じているんですよね。
本来は農村とか出てどこでも働くようになって立地に出世じゃないけどさ、もう地域に田舎に生まれたら米農家はまた米作るとかそんなことではなくなったわけですよ。
だけど、じゃあ選べるって言った時に、じゃあ都会に出て、ある種そこには似たような仕事とかライフスタイルとかの中からしか選べないと。インフルエンサーになるとかって言ってもそれはYouTuberかInstagramerか分かんないそれを組み合わせたものか、その中からしか選べるみたいなことです。
僕は田舎に住んでいる。池谷さんのところは高知の山奥に住んでますし、青木さんも奈良だったかな、奈良県のところに住んでるんですけど、田舎に住んでると何が起こるかというと資本主義の外側を感じるんですよ。
8月ぐらいに僕は世書っていうこの辺のイベントがあって、そこの世書の行事の担当になったので、いろいろ回ったり就勤をしたりしてたんですけど、いわゆるただ働きです。それは悪いとかじゃなくて。
ただその中でもいろんな一軒一軒回って話を聞くうちに、自分とのじいちゃんばーちゃんとのこととか、親父のこととかもそうだし、あと自分が今島でコワーキングスペースを建てていること、あれなんか建てよるよねっていうその会話とか、あれ、僕お金もらってないんだけど、
この会話自体は別に何もお金になってないじゃないですか。ただの世間話だからね。だけどお金が発生してない商品としてはない経済活動なんだけど、何か豊かさを感じるというか。
で、その世書のイベントの担当もしたんですけど、結局そのやったことによって僕は地域のいろんなことが知れたんですよ。温泉が出たとか、ラド温泉だとかとか、あとはこの人はこういうつながりがあったんだとかね。それって誰かに時間給払って教えてもらっても価値を感じるようなことなんだけど、その外側にあったんですよ。
で、なんか都市部が絶対に悪いわけじゃないんだけど、やっぱ相対的に見たときに都市部には商品としたものしかないというふうには僕も感じます。それ以外もあるんだけどね。ただ田舎にはあまりにも商品外のものも多い。例えば田舎だと草刈りとかのやつね。あれも普通はお金もらえるんだけどもらえないよね。
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そうそう、それも商品外だったりとかすると。シルバーさんに頼んでもいいんだけど、そうじゃなくて自分たちでやろうと。なので、ちょうどいいバランスを取るっていうのがまさに僕は到着し、この本の中でイメージを持ったことだし、多分そういうことだと思います。だから何が言いたいかというと、そういうふうに資本主義の中から選べる自由も十分素晴らしいんだけど、その外側にも選択肢があるよと。
ここからだけ選べるんじゃなくて、値札が付いているものだけから選べるんじゃなくて、実は例えば島暮らしっていうのもあるんだよ。山暮らしっていうのもあるんだよ。小民家改装するっていう方法もある。そしてそれを改装しながら、ちょっと資本主義になるけど、YouTubeっていうものをやって広告収入を得るっていう、そんな仕事もあるんだよと。
いわゆるマイナビとかに載ってるものが仕事ではなくて、土着的な働き方で言うと、マイナビとか転職サイトに載ってる働き方だけじゃなくて、僕とか池谷さんとかみたいに定義されない仕事も自分たちで作れるんですよ。自分の生活に合わせて。これも土着的な働き方だと思います。地に足をつけるっていうのに似てる気がするよね。
それをもっと枠を広げた生き方に対して、ライフスタイルに対して土着するっていうか、土着的な生き方っていうのは資本主義も使うし、資本主義の外側にあるその選択肢もちゃんと知っておく。知った上でどっちかを適切に選ぶ。または混ぜていくっていうことです。僕はリブライガキャットを猫のように生きるっていうプロジェクトをコミュニティーでやってるので、まさに僕は猫のように生きると土着思考っていうのは根底言ってることと一緒なのかなっていうふうに思うんですよ。
猫ってさ、別に資本主義にある商品からすべてを選んでる。チュールっていうものが資本主義において強いからチュールを選んでるんじゃなくて、チュールが欲しいからですよね。猫だって。ずっと昼間寝てるのは働かないと何かもらえないっていう資本主義のルールの中にいるんじゃなくて、とにかく家の主が楽しく働いてきて給料もらって餌買えるお金があれば自分は飯食えると。ある意味資本主義から脱線した生き方をしてるわけですよ。
猫目線で見たらあなたが今日会社からクビになろうが、借金を100億円背負うが、信用取引で大借金しようがさ、猫からしたら全く今日のあなたは変わらないわけですよね。これをまさに資本主義の外側に。だから猫っていうのは僕はそのまさに土着思考的な話をすると、資本主義を生きているんだけども、家の中に資本主義の外側への入り口があるっていう。
向こう側に猫のいる世界っていうのを見せてくれてるっていう。そんな感じなのかなっていうふうに思いました。なのでちょっとミックスさせちゃいましたけども。またちょっと読み進めて、僕ももうちょっと深い理解とか実践とかも引き続きして気づきをみんなとシェアしていきたいと思います。
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まさに猫のように生きるってことだと思いますけど、勉強会とかワークショップぜひみんなでやって。夜ご飯とかバーベキューして島の牡蠣とかサザエとかタコとか食べましょう。そんな話でございました。
今日も聞いていただいてありがとうございます。この後も心地いい時間をお過ごしください。土着思考の本、リンク貼っておきます。よかったらAmazonで見てみてください。また次回お会いしましょう。バイバイ。
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