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ようこそ、足さない、急がない、装わない、私はもうある、しょうこのわあままラジオへ。
このラジオでは、考えすぎる頭が静かになる、焦る気持ちが落ち着く、そんなラジオです。
私はもうある、足さない、急がない、装わない、それでも人生は美しく育つをテーマに発信しています。
こんにちは、今日のテーマなんですけど、ちゃんとしなきゃ の呪いを解きたい、です。
なんでこんなテーマにしたかというと、私最近、このちゃんとしなきゃってふとした時に、その言葉が頭によぎっていることがあって、
ちょっとこの言葉、ちゃんとしなきゃが、こう、なんだろうな、気になったので、
ちょっとこれについて、いろいろと深掘りをしていきたいと思います。
で、なんで呪いって付けたかっていうと、大げさかもしれないんですが、私にとっては本当にそういう
呪われてるなぁ、このちゃんとしなきゃに、って感じがしたんですよね。考えていったら、そう。
それに、なんというか、この聞いてくださっている方も、自分を、なんて言うんでしょうね、ちゃんとしているほど、人ほど、
このちゃんとしなきゃって思っていて、そして、そのちゃんとしなきゃって、実は自分を少し信用できていないんじゃないかな、って
思うこともあったので、そんな話をしていきたいと思います。
はい、さっそくですが、皆さん、このちゃんとしなきゃ、この言葉、一日に何回、頭に浮かびますか?
もう、朝起きた時から浮かぶ方もいらっしゃるかもしれません。そして、仕事中、ふと気を抜いてしまった時、いや、気が抜けてしまった時とか、
あと、子供に強く当たってしまった時だとか、
きっと、そういったちゃんとしなきゃっていうのは、ずっと皆さん、そばにいるのではないのでしょうか。
私の場合、特に浮かぶのは、焦っている時です。と、あと、子供に強く言ってしまった時ですね。
時間に余裕がない時だとか、失敗やミスをした時、相手の顔がけげんそうに見えた時だとか、
私、ちょっとちゃんとしなきゃって、自然に、無意識に出てきてしまうんですよね。
で、また自分を追い込むことになってしまって。
昨日の朝、子供が言ってくれたんですよね、私に。昨日、日曜日だったので。
あの、ママ、今日のおはん、なんでもいいよって。
で、なんでもいいよって、つまり息子としては、まだ4歳ですし、品数だとか栄養バランスだとか、そういったのは気にせずに、
ママが作ってくれるの、なんでもいいよって言ってくれたと思うんですね。
なのに私は、いつもと同じような品数に出してしまって、
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そうか、じゃあ、簡単なものでいいか、なんて。
いや、でも野菜も食べてほしいしな、って。
いや、でも、昨日お肉だったし、今日は魚にした方がいいか、だとか。
ちゃんとしたご飯じゃないと、って思って、結局いつも通りな感じで作った。
で、結果どうなったか。
まあ、疲れるわけですよね。
はい、疲れました。
で、その時気づいたんですよ。
ちゃんとしなきゃっていうのは、息子のためじゃなかったなと、今回のご飯なんでもいいよって言ってくれたのに、
私がいつも通り、料理そんな得意じゃないので、たくさん考えて作って疲れた。
子供のためじゃなかったなって、ちゃんとしなきゃ。
何のためだったか。
私だったなと、私が安心するために、ちゃんとしてた。
ちゃんとしなきゃと思った。
どういうことかというと、ちゃんとしていれば、ちゃんとした母親で私はいられる。
どこかで否定されることもないし、間違ってないって自分でも思える。
ちゃんとしていれば。
つまり、このちゃんとっていうのは、私が安心するためのルールだったんですよね。
でも裏を返すと、ちゃんとしない自分はダメって思っている状態じゃないですか。
なんでそういう自分はダメ。
どうしてそういう構造になってしまうのかなと思ったんですね。
ちゃんとしなきゃって、自分が自分で安心するために自分で作っている基準ではなくて、
ほとんど誰かから借りてきた基準だったりだとか、声だったりするのかなと思いました。
例えば、親に言われた、ちゃんとしなさいっていうことだったり、
学校で先生に叩き込められた当たり前だったり、
社会に出て、職場の中で見えない圧として漂う基準だったり、
そういうものの寄せ集めの気がしたんです。
皆さんもいかがですか。
考えてみると、皆さんもちゃんとしなきゃっていうのは自分の声でしょうか。
それとも誰かから借りてきた声でしょうか。
例えば朝ごはんであったら、ちゃんと作らなきゃ。
ご飯とお味噌汁とあと何か。
お味噌汁も野菜は2つ3つは入れたいなとか。
けどこれ誰が言ってましたか。
もしかして皆さん自分の親の声だったりしませんか。
母親ならちゃんと朝ご飯を作りなさいとか、
ちゃんと朝ご飯は食べさせてあげなさい子供にとか、
そう言われてきた記憶が残ってたり、
仕事でミスした時にちゃんとしなきゃって思うのは、
誰が言ってたのかななんて。
もしかして学校の先生にミスした時、失敗した時に、
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ちゃんとやりなさいなんて言われた声があったのかななんて、
そんな記憶が残ってたのかなとか。
そのつまりちゃんとしなきゃの多くは、
過去自分が浴びてきた声なんじゃないかなって。
親の声、先生の声、社会のなんとなくの正しさ。
それを今の自分が自分に言い聞かせてるなって思います。
じゃあなぜこの過去の声が今も使い続けられているのか、
それはちゃんとしていれば安全だからって思ってるんですよね。
ちゃんとしていれば怒られないだとか、否定されないだとか、
安心ができる。だから手放せない。
でもよく考えてみると、本当に安心なのかなって思いました。
ちゃんとしてないとダメっていう、そもそもですよ。
そもそもちゃんとしていないとダメっていう前提がある時点で、
なんだか安心じゃないなって思ったんですよ。
安心するためにちゃんとしてるってことなので、
ちゃんとするってことは本当に安心することなのかなって、
ぐるぐる回っちゃったんですよ。
ちゃんとしてないと否定されるとか、
ちゃんとしてないと怒られるだとか、ダメだとか、
そういった恐怖から逃れるためにちゃんとしてるんじゃないかなって。
ちゃんとしているほど自分を信用していない。
自分はダメだって思ったりしちゃったりしますよね。
だからちゃんとっていうのを手放せないっていう構造になっているんだなって思います。
ただ私が冒頭でお伝えした呪い。
呪いを解きたいんですよ、ちゃんとっていう。
だけどそのルールを捨てることではなくて、
出どころを確認していこうかなって思いました。呪いを解く一つとして。
これは私が本当に大切にしたいことでちゃんとするのか、
それとも過去誰かから言われてきた声なのか、
その問いを自分の中でしてみました。
朝ごはんであったらちゃんと作らなきゃっていうのは誰のものだったのかなって。
親だったり、SNSで見た何かの投稿であったり、社会がそうだったり。
それともちゃんと自分で私がそう思ってたのか。
もし答えが親だったら親の声ですよね。
ちゃんと作らない人っていう。私の声じゃない。
そうすると次に問うことは、私は本当にそうしたいのか。
答えがはいなら作ります。
でもその時、理由をちゃんと自分の言葉にして考えるようになりました。
朝ごはんちゃんと作んなきゃな。
これ私が作りたいからだよなって。
私が子供にあったかいご飯食べさせたいからだとか、
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私が朝ごはんを作るこの静かな、一人で作る静かな時間が好きだからだとか。
それだったら作ろうかなって思いました。
でも逆に答えが今日はいいやって、なんかちゃんと苦しいしって思うんだったら作らない。
なんだか買ってきたパンでも焼いて出そうとか。
子供も何でもいいよって言ってるし。
私とママと一緒にご飯が食べれればいいって思うんだろうなーなんて、
そうやってポジティブに捉えてみて。
でもそれが正解だと思うんです。
子供にとっても自分にとっても。
大事なのはちゃんとした自分ではなくて、
私がどうしたいかで選んだ自分、その行動が大事だと思うんです。
自分の声を聞いたってことはやっぱり大事です。
それに気づいてからは、私もちゃんとしなきゃって思うんですけど、
ちょっと一度一呼吸して、これは私が本当にしたいことなのかって。
例えば洗濯物の一つもそうなんですけど、
夜寝る前に洗濯物が散らかっていて、
ちゃんとしなきゃなって思うけど、本当にしたいのかなって。
答えを探しました、自分の中でも。
疲れてるしな、今日はもう休みたいしな、
あと2時間くらいしたら授乳の時間だし、もういいかなって思うんだったらやめてみました。
ちょっと怖かったんですよね。やらない自分でいいのかとか、
明日困るんじゃないの?
明日の自分のためにやらなくていいのかなって。
でも疲れたから寝てみました。
朝です。洗濯物はもちろんそのままだし、
けど何も起きない。何も変わってない。
そしてなんだかんだ朝、シャキッとした体、頭の自分だったら、
いつもより早く洗濯物がたためてしまえた。
なんだ、大丈夫じゃん、なんて思ったんですよね。
なんだかこのちゃんとしていることっていうのは、
自分を安心させる、大切にするってどこか無意識に思っていたんですけど、
なんだか違うなって思いました。
ちゃんとしているっていうのは、私にとっては誰かの声に従うことも含まれてました。
誰かの声に従って、ちゃんとしている自分を作っていたなって、
そんな日もあったと思います。
でもやっぱし自分を大切にするっていうのは、
主語が自分になって、私が何をしたいかっていう声を聞くことだなって思います。
いかがでしょう。でも今日もきっとちゃんとやると思うんです。
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ご飯作って、子供を寝かしつけて、明日の準備をしてって。
ただその1日の中で1回だけでも、
本当に私はどうしたいのかって立ち止まるのも必要かなと思いました。
全部変えなくてもいいし、ちゃんとしているままでもいいと思うんですね。
ただその中に自分は少しだけ、自分の気持ちはどうなのかって、
自分で選んでいる感覚っていうのを感じたいなって思ったんです。
きっとそれって私が自分を大切にしている行動になっていると思うし、
自分の人生を歩んでいるななんてオーバーかもしれないですけど、
なんだかそれの一歩前進、自分の足で自分の人生を歩んでいるなっていう一歩になると思うんですね。
自分の気持ちを尊重して行動するっていうことが。
いかがでしょう。皆様もずっとちゃんとっていう言葉で自分を守ってきたことはなかったでしょうか。
ちゃんとしていれば怒られない。ちゃんとしていれば否定されない。
けどそれはそれで強さにもなっていると思います。
だから否定する必要はないと思うんですけれども、やっぱり出どころは確認してみるのもいいと思うんですよね。
誰かのちゃんとしなきゃっていう、誰かの声に従わなくても、
誰かの期待に応えなくても十分じゃないかなっていうのは、
そのちゃんとしなきゃの呪いを解くで私は感じたことであります。
ちゃんとしなきゃは誰かから借りてきた声だ。
だから出どころを確認したいと、本当に私がしたいことなのかなって、
自分で選んでいる感覚っていうのを感じていきたいなって思いました。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
皆さんもどうでしょう?
あなたがちゃんとしなきゃって思う時、自分自身の声でしょうか?
それとも誰かから借りてきた声でしょうか?
一度解いてみてもいいかもしれません。
それではまた。