2026-03-17 11:15

ジャーナリングができなかった時期の話


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サマリー

ジャーナリングを習慣化していると話す語り手が、自身もジャーナリングができない時期があったことを明かす。気分が乗らない日や、育児で余裕がなかった時期など、書けない理由は様々。書けない自分を責めるのではなく、できない時期があることを認め、緩いルールを作ったり、人に頼ったりすることも大切だと語る。ジャーナリングに限らず、習慣化できない時は、無理せず自分の本音と向き合うための「揺れ動く時期」と捉えることが、結果的に自分を大切にすることにつながると締めくくっている。

ジャーナリングとの出会いと習慣化の誤解
しおりのジャーナリングで出た本音を話すラジオ
本日はですね、ジャーナリング、私、書いてない時期がありましたという話をさせていただきます。
私は、あの日頃からジャーナリングの講座をさせていただいたり、とはその方が人生本音で生きられるように伴奏させていただくんですけれども、
その時にも欠かせないのが自分の気持ちを書くジャーナリング、そういう手段なんですよね。
これだけこういうふうな活動をしているのであれば、しおりさんは毎日ジャーナリングをしていて、
習慣化しているからこそ、そういうふうに楽しく生きられてるんだよね。本音で生きられてるんですよね、って言われるようなことがあります。
まさに今、私のプログラムを受けてくださっている方から、しおりさんもジャーナリング書けない時ってありますか?
面倒だなと思ったことありますか?とか、習慣化しようと思っているけどできていないことありますか?
というようなことを聞かれたので、ちょっと私の過去を振り返りながらお話ししたいと思っております。
みなさんはジャーナリングだけじゃなくてもいいんですけど、何か習慣化しよう、習慣化したらいいことがありそうということで、
始めたはいいけれども、途中で挫折してしまった、途中で終わった、なんていう経験はありますでしょうか?
というかない方はいないんじゃないかなというぐらい、きっと割と多くの人がぶち当たる壁というか、
壁というほどでもないかもしれないですね。あるあるな出来事だと思います。
私にとってはジャーナリングは、今は歯磨きみたいな存在で、やらないとちょっと気持ち悪いし、
やることがすごい特別かっていうとそうではなくて、意気込んでやるっていうものよりかは、もう毎日の中に溶け込んでいるものっていう認識なんですよね。
ここまで落とし込めると、おそらくいわゆる習慣化ができているっていうことなんだというふうに認識しています。
ジャーナリングができない具体的な状況
じゃあ私が描けなかった時ってどういう時かというと、2つあって、まず1つが気分的に乗らないっていうその日常の中で、
例えばだいたい平日、朝描いてるんですけれども、日はまあちょっといっかって思う時があったりとか、
あとは平日その習慣化している中でも、今描くと余計自分を責めちゃいそうだな、落ち込んじゃいそうだな、みたいな時にはあえて描かない時もありますし、
普通に面倒だなとか、今日はこれよりももっと優先しなきゃいけないことがたくさんあるなということで、描かないという時があります。
これは割と日常の中で、毎日本当はやりたい、やった方がいいと思っているけれども、できないことってありますよね。
私にとってはね、結構運動がそうなんですよ。毎日お散歩したいなと思っても、雨だったらね、なかなか難しかったりとか、
今日は昨日夜、子供が体調不良で起きてて、なかなか寝れてないから、朝早起きするのはやめて、たくさん寝とこうとかね、そういう感じでやる時が1つ。
で、もう1つは、実は結構描けてなかった時期があります。それは1日2日とかそういうことではなくて、結構何ヶ月単位で描けていなかった時があるんですよね。
というか、ちょっと記憶がないんですけど、その時の話をしますと、うちは子供が2歳3でなんですよね。
0歳2歳の時は、すごく幸せだったと同時に、目の前の子供たちを生かすことが最大の責務だったので、
たった数分だったとしても、ノートを開く余裕がなかったんですよね。
スマホを見る余裕はあったけれども、ノートを開いて座って書くっていう、その気持ちにすらなれなかった時期が実はありました。
もちろん文字が書けないっていうほど追い詰められてたっていうわけではなくて、必要な提出書類があればそれは書くし、日記もなんかちょっとはね、育児日記的な感じでつけていたんですけれども、
今みたいに週刊毎日のようにジャーナリングをしていたかっていうと、全然書けていなかったんですよね。
書けない時の心境と自分を責めないことの重要性
何が言いたいかというと、時間がもうゼロではない。
ノートも開こうと思えば開ける、でも書けない時ってみんなあるんだよっていう話なんですよね。
もちろん週刊化するからこそ、続けるからこそ、振り返るからこそ、ジャーナリングいいなって思っていただける度合いが高いし、私も週刊化してほしいなっていうふうに思うんですけれども、
でも目的が結局続けることとか、とりあえず書くことっていうところになってしまうと、面倒になった瞬間に、
それがやりたいことだったのに、できなかったこととか、嫌なことに変換されちゃうんですよね。
簡単に言えば余白がなかったっていうことだと思うんですけれども、
皆さんもそういう時ありませんか?別にやりたいことがこの数分あればできるけれども、
なんか気持ちがズーンってなって、行為自体は簡単なのに、その行為行動ができないっていう時ってありますよね。
だから私が今日言いたかったのは、
書けばいい、ノートとペンだけでできる、数分でできる。
でも私なんでこんなことすらできないんだろうって、自分を責めないなって、
大事なところ噛んじゃった、責めないでほしいなって思うんです。
それを一人でやっていて、周りの人はできているのに私できてない、
あの人の方が子供いっぱいいるのに、あの人の方がフルタイムで働いているのに、
あの人の方がいろいろ大変なのに、って思ったら、それを自分が責める材料になっちゃうから、
そうなってほしくないんですよ。
習慣化のための工夫と他者の力
そうならないようにするためには、ある程度自分の中で緩いルールを作っていくっていうのも一つだし、
誰かに頼るっていうのもそうですよね。
まさに私がさせていただいているジャーナリングの伴奏なんかは一人が一つで、
やっぱり自分一人だと習慣化しないからこそ、誰かと一緒にやると、
しおりさんに出すから書こうって思えたりとか、
しおりさんが見てくれることによって第三者の視点が入るから、
今正直ちょっと辛いけど、何か変わるかもしれないから書いてみようとか、
そんな感じで頼ることによって、習慣化の糸口にはなりますよね。
本音と向き合うことへの抵抗と書かない選択
あともう一つは、正直その時に自分の本音を見たくなかったっていうのもあると思うんです。
0歳2歳を育てる中で、やっぱり自分が思っていることを直視してしまうと、
いろんなことができていない気がして、見たくなかったんだと思うんです。
結局書いてもこうなっちゃうだろうなみたいな。
そういう時は別に書かなくてもいいんですよ。
だって自分を責めるために書くんじゃなくて、ただ自分のことを思いやったりとか、
私どう考えてるんだろうって時間を取ったりすることに重きを置いているのに、
やらなきゃが先に来て自分を責める材料になったら、
そういうのをやらなきゃいいじゃんっていう話なのに、
どうしても私たちって習慣化すればいいかもしれないとか、
自分で習慣化するって決めたんだからやらなきゃみたいな感じに思っちゃいがちなんですよね。
できない時期の受容とジャーナリングへの回帰
だからジャーナリングできない時期って、それが習慣化できないダメな自分なんじゃなくて、
それができない理由がある時期だと思っています。
無理に書こうとするよりも、今は書けないんだなって、そういう自分なんだなって認める方が、
結果的に書いてみようって思えたりするんですよね。
実際に私も書けなかった時期がありました。
そんな時期を経て、また自然と書きたいなって思うタイミングが来て、
そんなことをインスタでちょろりちょろりちょこちょこと流していたら教えてくださいって言われて、
今私がここにジャーナリングを教えているっていう不思議な流れになっています。
だからどっちにしろ書けなかった期間はあったとしても、私にとっては切っては切り離せなかったんですよね。
書くということが、自分の気持ちを書き出すということが、結局は切り離せなかった。
だからこそ自然と戻ってきたっていう感じになります。
書くことへの固執を手放し、人生を楽しむ
だから今、そこまでジャーナリングを教えたいとかそういうところまでじゃなかったとしても、
続かないなとか、習慣化したいと思ってるけどできないなって思っている方がいたら、
それはできないとかサボってるとかじゃなくて、そういうタイミングかもしれない。
これ結構何回も言うんですけど、書くことに固執しなくてもいいと思ってて、
自分の本音が言えるのであれば誰かに話を聞いてもらうこともあるかもしれないし、
歌ってストレスを解消するっていうことかもしれないし、別に書くことだけに固執する必要はないので、
いろんな方法を楽しみながら、最終ゴールは自分の人生楽しく生きれたらいいよねとか、
自分の向かいたい方向に向かってたらいいよねっていうところに至りますので、
今日はそんな話をさせていただきました。
「できない時期」の価値と習慣化への向き合い方
こんな話をすると結局解決策になってないんじゃないかとか思うかもしれないんですけど、
みんなね、何でもかんでもすぐ正解を急ぎすぎなんですよ。
これは私にも実態を告げて言ってるんですけど、
この放送を聞いて、結局しよりこれっていうことを言ってくれなかったじゃないかって思うかもしれないけれども、
そんな自分も許す?
こういうどっちにもつかずみたいな自分っているよねって、そういう時もあるよねって。
その上で、じゃあこの状態をキープするのか、
Aに行くのかBに行くのか、はたまたZに行くのかみたいなことを決められるので、
揺れ動く時期って大事だと思うんですよね。
ジャーナリングってちゃんとやるとか、
まあ習慣化もそうですけど、ちゃんとやるっていうものでもあるかもしれないけれども、
そこに戻ってきやすいっていうことでもあると思っていますので、
ぜひ皆さんそれぞれのジャーナリング習慣、
ジャーナリングじゃないにしろその習慣化って自分にとっては何なんだろうっていうことを考えてみると、
意外とできない時期も認められたりとか、
もう一回戻ってみようかなって思えたりすると思いますので、
こんな話をさせていただきました。
リスナーへの問いかけと感想の共有
ここまで聞いて何か思ったこと、感じたこと、
私はこれこんな感じで続けてるよということがあれば、
ぜひ教えていただけたらと思います。
しおりでした。
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