谷さんは、振り返って、こういうアプローチをして、僕は職人とも作家とも違う方向で、これで行くぞ、みたいなのを決めた、なんかきっかけみたいなのがあったんですかね。
まあ、あのー、私始めた頃はね、やっぱり木工家っていう風な言い方はあんまりしてなかったかと思うんですよ。
で、やっぱり最初、もともとでね、職人修行というか、職人の作り方に関心を持って始めたんですけど、
まあ、そういう中で、さっき話したように、あつらいというかね、やっぱり注文があって、それに対して作るっていうんで、
自分も職人としてのね、そういうことがあったんですけど、
そういう中で、私が作ったものを展覧会に出すとかってことになると、今度は自分で考えて作るっていう。
だから、あつらいとかオーダーでなく作るってことになると、
作品としてのってことですよね。
で、あんまり最初の頃は作品という意識はなかったんですけど、
まあ、今でもね、私が出品してる国展っていう。
国画会の。
国画会のやってる、まあ東京では5月の電球の国立新美術館でやってるんですけど、
まあ、そこの工芸っていうのは、やっぱり民芸の作家って言ったらいいのかな。
民芸の系統のものに魅力を感じるね、作家が出品するっていう。
まあ有名どころで言えば濱田翔二とか河合漢次、千職の星沢健介、
黒田達明も出してた時期があるくらいですけど、まあそういう界のですよね。
その人たちってのはもちろん有名なというかね、自分が作ったもの、作品として出してるんだけど、
民芸で昔の職人が作ったようなものから、その造形的なね、さまざまな魅力を、
自分が感じたものを自分の作品として映していくみたいなスタイルなんで。
私なんかもそういうものに惹かれてというかね、古いものや、いわゆる民芸の参考品って言ったらいいんでしょうかね。
ものから得たものを自分の中で消化してというかね、自分の形にしていこうというふうな思考を徐々に影響を受けてというかね。
そうするとこう、やっぱり作家ですよね。職人とはやっぱり違うところかなっていうところで。
でもさっき言ってましたけど、職人としても一人前じゃないし、まだ作家としても駆け出しみたいなね、状態でやってたわけですから。
で、来る仕事もね、全くうちのその中のね、お風呂場のここに欲しいみたいな棚欲しいなんていうと、もう全くその寸法も決まってるしね。
こちらの作品というか品がたいものですけど、ただ私がこう作ったものをそうやって、最初は注文がきっかけだけど、
さっきの仏壇やなんかもそうですけど、きっかけですけど、今度はそれを自分なりにどういうふうにまとめて一つのものとして出すかっていうと、
もっと作品的なカラーが出てくるっていうと、今でもだから全くうちの仕事と関係なく頼まれてやる仕事もありますから、
- それは香口君的な本人の悩みだし、聞いてる人も同じ悩みで。
- そうじゃないかなって想像してますけど、でその第4の選択肢として真の木工家っていうのがあるのかなって思って、
分かんないからそれを話しながらアプローチを見つけようみたいな思いで真の木工家ラジオっていう名前をつけてるんですけど、そこなんですよね。
- そこなんですよね。目覚ましいし、ましてSNSとかネットで買えるみたいな。
谷さんの修行時代から比べれば今って結構変わってきてるじゃないですか。
- そうですね。
- なんかその辺に対してもどうなのかなという。
- いや私の年代にしてはパソコンとかね、何とかついてきたというか、で同じ年代でも全くやらない人もいたりすると、
いや今どうやって仕事してんだろうというかね、心配になるぐらいの人もいるぐらいなんですけど、
でもそれはそれでね、やっぱりね、それに関わる時間って結構取られてますから今やっぱりね。
- そうですよね。
- まあSNSとかインターネットがあって、ちょっとした買い物とか調べ物でもね、
本当に手軽に調べられる、買い物ができるっていうのはありがたいし、
本当に金物一つでも、昔はカタログで調べて注文して送ってもらったりとか買いに行ったりとかっていった時代から比べたら、
本当に手軽っていうところはありますよね。
- なんかそういった情報共有の場が、新種木工会的な感じだったんですかね。
- 木工会ネットとか。
- 木工会ネットっていうのは木工会ウィークをね、16年、17年になるんですけど、
それも名古屋でね、今続けてますけど、私たちが名古屋に行って展覧会を、
それこそ第一世代の札幌の高橋さんとか、長野の村上富男とか、一緒に名古屋で展覧会してるから、
そこへ周辺関西の木工をやってる人たちが見に来たりするわけです。
1週間いると、今日は関西の人が来たとか、がんばるの井沢さんが来たとかですけど、
毎日終わった後、中華行って一杯みたいな感じになるので、
そこでバラバラに来るよりも、一回日に決めて集まったらっていうことを言うようになって、
で、一回口コビでみなさん集まったら、40人くらい集まっちゃったんですよ。
おー、結構集まりましたね。
集まったら何やるかって言ったら、もうお決まりの、どうやって儲けてるか、
儲けてるか分からないねとか、っていう話になるんで、
まあ居酒屋でやっても、そんな話で一晩過ごすんだらば、
来年は椅子の一脚でも持って、集まってお互いに話をしながら見てもらうようにしたら、
っていうのが木工会ウィークのきっかけなんですけど。
そこが始まりだったんですね。
やっぱそこなんですね。
みんな集まってみたら、どうやって稼いでる、何使ってるという。
それで毎年ね、私とか高橋さんと何回かやったんですけど、
今は木工会40人展って言ってね、今年もやりますけど、
地元よりも周辺が多いですよね、岐阜とか関西からとかね、東京から九州からとかね、
出展する人たちがいて、やっぱり集まるといろんな、同じような話にはなりますけど、続けてるわけなんですよね。
結構若い方たちも参入じゃないですけども。
そうですね。木工会40人展っていうのは、私最初は関わってなかったんですけど、
出展するのは先行もない、先客順でやるっていうスタイルだったから、
その意欲のある方がどんどん出展してきて、それをきっかけに知り合って、
その中から熱心な人がまたお互いに交流するみたいな場もできたし、
私もそこに最初の年で160人ぐらいの全国の、北海道から九州、沖縄の人がいたと。
そのネットワークを木工会ウィークの情報だけを発信するんじゃなく、
それぞれが北海道でこんなことやってるとか、九州でこういうことやってるとかっていうのを発信したら、
情報交換すればいいんじゃないよっていうんで始めたのが、木工会ネットっていう。
メーリングリストの形ですよね。
僕も何回か、花太郎さんこんな機会がいらないかというのが流れてきましたという。
ちょっと見せて見せてという。
香口くん通じてちょっと見させてもらったりしました。
花太郎さん登録すればいいんだね。
最近はだからそういう汎用する人が機械を移りたいとかっていう情報もあるし、
我々からすれば木工関係あるいはそれに近い分野の展覧会の情報とかね。
自分たちがやる展覧会もあるし、それこそ黒田卓明とか、
デンマークの家具とかね、そういうのの展覧会の情報なんかを流すことで、
それこそ次の世代の人たちにもこういうものに関心を持ったらいいんじゃないのっていうのは、
私たちが選んでというか、発信してる部分ですよね。
一部そういった感じでオープンチャットも。
我々のラジオが形を変えてというか。
形を変えて、現代版のツールというか。
そうですね。
でも多分話されてる内容はそんなに。
ほぼ一緒だね。
どうやって食ってるのか、どうやって自分のスタイルを貫いていくのかとか、
こんな困り事がありますけどみたいなことを話されてますよね。
そうですね。
でですね、我々は大難世代ぐらいに。
そう、花太郎と小口はもうここが大難世代なのかなみたいな話ですよね。
どんな感じですかね。
谷さんは第一世代とするならば、大体我々って大難世代くらいになるのかなと思って。
明確にね、何年から何年までとかっていう感じではないと思いますけど。
おそらく。
割とね、だから第一世代っていうとね、今の世の中的には段階世代っていうか、
本当に人口も多いし、その辺りの人がこういうスタイルをね、