戦国時代の始まり
トークの697回目、日本通史ということで、日本の歴史をずっと勉強しているんですが、武器編ということで、今日は戦国時代ということを話してみたいと思います。
戦国時代というのは、一番ドラマになりやすいですよね。一番ドラマになりやすい。
なぜドラマになりやすいかというと、分かりやすいからですよね。やった、やられた、みたいなね。
それ以外の時代って、日本はいろいろあったんですけど、結構ドロドロしているわけですよ。
分かりにくいんですよね。日本の今の政治でも、全然分からないじゃないですか。全然分からない。はっきりしてないんですよね。
日本に限ったことじゃないのかもしれないですけどね。
日本は特に分かりにくいな。日本は与党、野党ってあるじゃないですか。
意外にね、歴史っていうのは、野党がないっていう国も結構あって、歴史も意外に野党ってないわけですよ。勝つか負けるか。
負けた方を皆殺しにする。日本は意外に例外を作っちゃうんですよ。その代表が鎌倉時代ですよね。鎌倉時代っていうか、平家を滅ぼして源氏。
源氏が鎌倉爆風って作ったんですけど、平氏は先に源氏をやっつけてるわけですよ。やっつけてるわけですよ。
その時に一族皆殺しにしてたらよかったんですけどね。なぜか活かしちゃった。で、後々仕返しされる。そういうことがあったりするんですよね。
あと、野党、例えば武家政権になったところで天皇っていうのはずっと残っているわけですよ。天皇が残るっていうことは貴族、朝廷も残るわけですからね。そんな感じでぐちゃぐちゃなわけですよ。
戦国時代は割とわかりやすい。裏ではどういうことがあったかとか、その辺を考えると面白いんですけど、割とわかりやすい。戦国時代の始まりは応仁の乱と言われてます。
その時代は足利時代ですね。足利の吉島さんが将軍。その後継者をめぐってのわちゃわちゃが応仁の乱と言われてますね。
応仁の乱と言われて、なんと11年続いたみたいです。1467年。一心無難。一心無難しく応仁の乱。
暗記も最近やってみようと思ってね。歴史のいろいろなことを暗記してみようと思って。とはいえ別に僕大人だから試験とか関係ないんだけど、年号とかさらっと入れたらかっこいいかなと思って。応仁の乱1467年。11年続きました。
これ何が起こったかというと、将軍の後継者の争いでわちゃわちゃ。要は上層部の腐敗ですよね。しっかりしろよ。それで京都はやけの腹になるわ。
上層部が腐敗するとどうなるかというと、下々部は好き勝手やりたがるわけですよ。上層部の一番大きな仕事は法を作るっていうことが一番大きな仕事なわけですよ。法を作る。
主要な武将たち
法はあるんですよ。法はあるけど、それをちゃんと守りなさいと言わないと法にならないじゃないですか。日本今でも僕たちコンビニ強盗しないのは捕まっちゃうからですね。捕まって裁判かけられて刑務所に入っちゃうからね。
人のものを取らないですよね。道徳というのはとりあえず置いといて、一応法を守らすというのが権力者の大きな仕事で、そこが腐敗しちゃったらもう誰も法律を守らなくなっちゃうわけですよね。
そこで現れたのは、法律が正義、法律じゃなかったら何かというと力が正義になるわけですよ。戦国時代にようこそって感じですよね。
守護大名から戦国大名って言われてますね。守護大名っていうのは、このトップ、要は足利幕府から命じられた大名。守護大名って言います。ところが戦国大名、これよくわかんない。
今日から俺は大名だって言って慣れちゃうわけですよ。実際は難しいと思います。実際は足があるから始めないといけないわけですから大変です。
でも実際になっちゃった人は有名な人で豊臣秀吉ですよね。守護大名から戦国大名の時代になります。だから守護大名というのは、上層部のお墨付きがあるということです。わかりやすく言えばね。戦国大名というのはそんなもんじゃない。力が全てだというのが戦国大名です。
戦国大名の中で織田信長。織田信長が世に広まったのは桶狭間ですね。1560、1560、1560、1560、桶狭間、1560、桶狭間、1560、桶狭間ね。
今川義元さんを打ち破った。今川義元さんは東海ぐらいで一番の弓取りと言われていて、一番強い。そこを破ったわけですよ。
どうやって破ったかというと、有名な桶狭間で奇襲ですよね。今川義元がちょっと休憩している時に、いきなり襲ったという奇襲。
で、織田信長。ところが織田信長は本能寺の辺で明智光秀さんに打たれちゃうわけですよ。本能寺の辺、大事件は大事件なんですけど、大事件は大事件なんだけど。
でもこの時代、そんなぐらいでビビっていたらダメなんですよ。部下に裏切られて殺されるぐらい。別にそんなもの当たり前ぐらいの時代らしいですよ。
だから僕たちは今の尺度で見たらちょっとわからないんですけど、戦国時代でもそれぐらい当たり前。明智光秀はあっという間に豊臣秀吉が破って、そこから豊臣秀吉の時代になるわけですよ。
豊臣秀吉の一番の失敗は、次の代につなげれなかったことですよね。息子がいたんですけど、息子はあと豊臣秀吉の失敗といえば長生きできなかったことですよね。
少なくとも徳川家康より長生きしてたらよかったんだけど。
とはいえ、豊臣秀吉はやっぱりすごい人なんで、やっぱり死んじゃうまで待たないといけなかった。それをちゃんと待てた人がいるんですね。徳川家康という人はね。死ぬのを待てない。
そこから徳川家康は何をしたかというと、豊臣秀吉の作ったものを全部無くしちゃって、後取りにいたんだけど殺しちゃって、江戸時代になる。
徳川家康が亡くなったのは1616。これ覚えやすいな。いろいろあったね徳川家康みたいな。そんな感じで覚えていいのかな。
そんな感じで徳川家康が亡くなる。でも亡くなっても徳川家康はちゃんと次の基盤を作って亡くなるわけですから。だから徳川家康の時代、15代続きますよね。
250年ぐらい続いたのかな。大したもんですよね。そういうのを築いて徳川家康は1616年。いろいろあったね徳川家康ということで。
大仁の乱、1467年から徳川家康が亡くなるまで、1616年。これぐらいが戦国時代かなと思いますね。江戸時代、江戸幕府が開いたことより徳川家康が亡くなって戦国時代が終わったのかな、そんな気がしますね。
はい、ということでですね。戦国時代ちょっと。