結局、なんだかんだ様子を見ながら、流れで話そうということになって、考えながら喋りながら、なんか予想もしないようないじりがありながらで、とっても面白かったですね、すごい楽しかったです。
ちょっと前回の回のね、私の反省が猛烈すぎて、自分も若干引き続き引いてはいるんですけど、また聞き返したりして、当日の現夜楽しかったなと思ったりしています。なんか手前味噌な感じでもありますが、また次登壇するときはね、もっと面白くしたいみたいなふうに思ってます。
次登壇できる時があるのか、いつあるのかわかりませんが。そんなところですね。当日ね、画面に資料を投影しながら、資料というかスライドを投影しながらだったんですけど、それも平田さんが作ってくださって本当にありがとうございました。
あれがね、あるとないとで、かなり見栄えも違ったと思うので、本当にありがたかったです。本当にありがとうございました。
いやなんか、日報の方かな。このポッドキャストミキサーの回を、エピソード41を前回公開した後に、しゃべり足りない部の日報でも感想回を公開して、ちょっと反省が猛烈すぎたから楽しかった思い出を話すよみたいな回を日報ではやったんですけど。
その時にね、ちょっと言ってたかな。その回だったかな。で、言ってたかもなんですけど、陰キャっぽい舞妓と陽キャっぽい平田さん。だけど舞妓は人間はグラデーションだと思ってるから、陰キャ陽キャってお互いのことを悪く言うための悪口だと舞妓は思ってるから、あんまり決めつけてほしくない。
特に陰キャっていうのは結構な悪口っぽい感じがあるよなと思ったし、人間誰しもどっちの要素も持ってるんじゃないみたいなことを言ってたんですよね。
で、真意はそれって相対的なことじゃんみたいな。多分ね、世の中で陽キャって言われやすい人も陽キャコミュニティの中での葛藤みたいなのがあって、要するに世間のよく決めつけられることで陽キャ10ポイントの人と陽キャ100ポイントの人がいたら相対的に陽キャ10ポイントの人が陰みたいに思われたりいじられたりする。
場面ってあると思うんですよね。これもまたね多分ストレスだったりするのかなって思いますよね。一方で舞妓がちょっと思うのは、なんか陰キャ決めつけで色々知らない人、よく知らない人に色々言われることがあるので腹立たしいっていうのがあって。
これね陰キャ決めつけに限らないんですけど、自分の経験談とかをエピソードトークみたいな感じで身の回りの人に話すと、例えば道端で暴言吐かれたとか言ったら、「そんなの被害妄想じゃない?」とか、「本当に?」って言われるんですけど、これもうね、よくよく考えた上で妄想でも自意識過剰でも被害妄想でもなく、舞妓にとっては事実としてそういうことが起きやすいんですよね。
たぶん相当言われやすいんだと思います。これはね、ポッドキャストラボ福岡での公式番組で配信された卑屈名言コレクションの中でも言ってるんですけど、「お前は面白いのかもしれないが、こっちは100万回言われているんだよ。」っていう絶望先生の名言を、絶望先生という漫画の中で出てきた名言を紹介してて。
まあ、ヴェリダリナイブでも過去に、相当初期の頃にチラッと紹介してるんですけど、私にとってはね、日常茶飯事的なことだったりするんですよね、残念ながら。だからね、みんなは、「えっ、そんな人が世の中にいる?」って思うかもしれないけれども、事実としてね、そんな人はいるんですよね、世の中に。あなたの前ではその姿を見せないだけでっていうところもありますね。
まあ、その姿を見せられる人と見せられない人には二分されると思いますね。だからまあ、ちょっと話それるけど、もし私とあなたが中身が入れ替わるとして、そんなこと全く言われてない人がマイコーと入れ替わって1週間ぐらい過ごしてみたら、ちょっと頭おかしくなるかな、耐えきれなくてめっちゃ卑屈になるかもしれませんね。
なんか、マイコーは体制ができてるから、積み重ねで卑屈をあんまり深刻に捉えずに、「私って卑屈なんですよね、わはは!」みたいな感じで生きてるんですけど。まあ、通常そういうこと何も言われない人がそういう言葉を浴びせられたら、ちょっと本当に参ってしまうかもしれないというのを改めて考えて思ったりしたんですけど。
そんな生活の中で複雑に思うこととしては、なんか、ポッドキャストミキサーの日の当日ね、いろんな方が、「全然洋華側だと思いましたけどね。」とか、「めっちゃ洋華っぽかったですけど。」とか、「すごい洋の感じのおしゃべりじゃないですか。」みたいな感じで言ってくださったんですよね。
複雑な感情だけど、ちょっと嬉しい自分もいて。やっぱり、相対的に貶められるっていう概念がインキャだから、相対的にそうじゃないっていうことは嬉しい、みたいなのもありますよね。
決めつけは好きじゃないんだけど、悪い方に決めつけられないっていうのは、ちょっと嬉しい自分もいる。だから、悪い方に決めつけられなければ卑屈になることってないんだなっていうのを改めて感じた出来事でもありましたね、この一連のポッドキャストミキサー関連の自分の振り返りとしては。
なんかね、これって何に似てるのかなって思ったんですけど、私、血液型占いってものを全く信じてないんですけど、ちょっと後で補足しますけど、私B型なんですよ、血液型が。だから、よくゴリラと一緒とか、いいイメージ。ゴリラもいいイメージですよ、ゴリラも好きだし。
いいイメージで言うとイルカと一緒とかなんかありますけど、B型なんですけど、私がずっと思ってることがあって、B型もめっちゃマイナス決めつけに合いやすいんですよね。私B型なんですって言ったら、ああ、みたいなリアクションになること多いんですよ。
あの自己中心的で、なんか自分勝手なB型ね、みたいな感じになることが多くて、すごいなんだよと思ってて、そんな4種類に分けられるわけないやろって思うんですけど、なんかね、B型ってすごい迫害されるんですよ。
血液型占いを最初に考えた人がB型なことがよっぽど嫌いだったのか、超嫌いなやつがB型だったのか知りませんが、ちょっとそういうことをね、言われることが多くて。で、なんかね、できるだけそう思われないといいなってやっぱ思ってるんですよ、心の中で。
で、この時にね、言われて嬉しい言葉ナンバーワンは、え、O型かと思ったです。O型はね、なんか大雑把みたいな言う人もいるけど、血液型占いの文脈で言うとね、私信じてますよ、信じてないけど、なんかオーラかとか社交的とか明るいみたいな、いいイメージがO型ですごいついてる。
なんかその4種類の血液型の中で一番、なんかニュートラルな良さのある診断をされてるんですよ。だからもうこれ自体がおかしいですよね、4種類しかないのに、そんななんかマイナスとプラスに偏った言葉を書いてあるってのが変みたいな。B型のイメージで言われていいことなんてほとんど1個も思いつかないし、まあそんなようなね、ところですね。
で、まあ私は血液型占いは信じてないんですけど、血液型占いっていうものが日本の中でめっちゃある程度の市民権を持っていることにより、なんかそれに合わせて性格が変わっていくことはあるかもなって思ってて。
例えば、私がB型って自己中心的だからなって思い続けたら、まあ自己中心的だけどB型だからいいやってなっていくかもしれないじゃないですか。なんかそういう影響はあるのかなって思ってて、だから気をつけるというか、その誰しも持ってる自己中心的な部分が、なんか急にあなたB型で自己中心的でしょって言われたら、表出することがなんか躊躇なくなるかもしれないじゃないですか。
だからそれが血液型占いの影響としてありえそうなことかなって思ってて。つまり、後天的にっていうか、社会的な文脈で血液型占いに無意識に合わせにいっちゃうみたいなことはあると思うんですよね。だから信じてないんですけど。
血液型の、だってA型、B型、O型、AB型っていうのは全く違う血が流れてるわけじゃなくて、確か、すいませんこれちゃんとファクトチェックをしてないのでっていう、私の頭の中のおかちゃんがちゃんとファクトチェックしてないんで違うかもしれませんってことを前置きしつつ。
確か血液型の成分が、なんかの成分が含有されてる量の違いで、その血液の中の成分の含有量の違いで血液型っていうのは決まるんですよ。だから、O型っていう風に一度判断されていたがB型だったみたいな、もう一回調べたらB型だった。子供の時に調べた血液型と大人の時に調べた血液型が違うっていう人がたまにいますけど。
大型からB型ってことがあり得るのかわかんない、これちゃんと調べてないんで。でも、自分の周りの塾の先生とかもそういう人いたし、塾の先生に限らず、学生の頃に限らず、大人になってからもそういう方いますけど、それは成長とともに成分の含有量が変わってっていうことらしいんですよね。
で、ここで生活習慣によって成分の含有量が変わるんだみたいに言ったら急にスピリチュアルになりますけど、そんなわけはないので、そういうことからしても根拠薄だなみたいなふうに、なんとなく自分は思います。あと日本でしかほとんど言ってないし、この概念っていうのありますね。
だから、陰キャ陽キャトークの中でこの話をめっちゃ思い出して、陰キャ決めつけのB型決めつけって最悪ですよね、世の中で考えられることも。
だから陰キャっていうふうに決めつけられて、そこで私って陰キャだからな、もうしょうがないか、もう隅っこでポチポチスマホでもいじってみんなのコミュニケーションには参加せずみたいなこともできるじゃないですか。それもいいかもしれないけど、それが悪いとは言わないけど、なんかもう気の持ちをって大事だよね。
気の持ちを良くするには、なんか安心できる存在を生活の中にいっぱい作らないといけないなっていうことを感じた。どんどん話が広がって、あれですけど、なんか趣味だったり好きな場所だったり、好きな音楽でも本でも何でもいいですけど、そういうのを増やすことでこの決めつけは跳ね返せるようになっていくなっていうのを日々感じるんで。
もちろん人でもいいですし、安心できる人がいっぱいいればそれもいいかと思いますし、でも私物でもいいかなって、もうなんか自分が安心できる何かがあればいいなって、自分が独身だった時とか本当に一人でプラプラ暮らしてた時のこととかを思っても何か安心できる材料があればいい。過去の良かった思い出とかでもいいと思うんですけど、なんかそんなようなことを思ったりしました。
だからもう本当に人間ってグラデーションだけど、そのグラデーションの一部を切り取ってあなたは良い、あなたはいいみたいな感じになる瞬間があるから、まあ人間ってグラデーションだけど相対的なもんでいろいろ言われることってあるよねっていうのを改めて思いましたね。
なんかちなみにね、そのよく知らない人からいろいろ言われるって何って思うと思うんですけど、まあ社会人になってからとか社会人になる直前のことで言うと、例えば就活のグループディスカッションで一緒になった人とか、
異業種交流会で一緒になった人みたいな、そのマイクが動いたり話したりする姿は見たが、日頃の私を長期間観察してはいない、観察って観測してはいない人っていう感じですね。
だからたぶんグループディスカッションの中でこいつは使えねえ、いけてねえ奴だみたいな、思ったんでしょうね。わかんないけど。だからその帰り道でたまたま同じ駅使うってなって一緒に帰っている時に、自分なんとかにも内定してて、どことこにも内定してて、みたいな言われて。
私そんなこと言われても、はあ、そうっすかって感じだけど、えーすごいですねみたいな言って、なんかこいつが望んでる陰キャをもう今は演じるかって思いながら、何なのこの人って内心では思ってるけど、何なのこの人的態度になったらもうおしまいじゃないですか。そうすることもできるけど普通しないというのが私の中ではあるから、みたいななんかおかしな人だなって思うけど。
ていうけど、そういう人は私にだけ困った人っていう話を過去に喋り足りない分でもしたことあるんですけど、厄介なのが私にだけそういう姿を見せてくる人っていうのは一定数いるんですよ。
たぶん道端で暴言言ってくる人とかもそうですよ、なんか大事な家族とか友達とかなんかいるんでしょうけど、なんか私にはね言ってもいいって思ってるって。なんかそれは私的にはやめてくれって思いますけど、まあそういう人がいるんですよね。だからそのよく知らない人が言ってくるって何って言うけど、まあそういうことですよね。
だからその保育園に通い始める時娘がめっちゃ恐れてたんですけど、そういうことになったらどうしようみたいな。そしたらその6年とか続いていくわけだから、その付き合いは保育園にね娘通う限り。
でもなんかその、まあ自分がっていうよりも娘の親が馬鹿にされてたらやっぱ嫌じゃないですか、自分がっていうよりも。だからどうしようと思ったんですけど、幸いにもそんなことは全くなく、まあ6年間の中でもう最悪挽回しようみたいな思ってたけど、その挽回する以前の問題で皆さん善人だったので何も気にする必要がなかったのですが、まあそういうことはね気にしないといけないぐらい
なんかやっぱ人間って、なんか喋り足りない分のね、過去のなんかの回でおかちゃんが言ってたことですごい印象に残ってる言葉なんですけど、なんか人間ってどこまでも喋り足りないじゃない、人間ってどこまでも社会的な生き物だなーって言ってたんですよ。
どこまでも喋り足りないのはね一部の人、すみません、しゃって言ったら喋り足りないがちょっと癖で出てきてしまいましたが。
人間ってどこまでも社会的な生き物なんだなーっていうのはすごい思います。社会の中でしか生きていけないと思うから、その中で快適に生きていくためにはせめて自分は人のことを決めつけないぞって、なんかそのよく言う言葉で人を決めつけていじったりしないぞっていうのもすごい思ってます。
もしかしたら自分が話してる相手も同じようなことで嫌だなーって思うことがあるかもしれないからっていうのを思ってます。そんなところですね。
いや陰キャ陽キャトーク面白かったですし、改めてそうだよなーとかそうなんだとかいろいろ改めて思うこととか新しく気づくこととかいっぱいあったんですけど、その中でもね、やっぱ陰キャ陽キャに限らず決めつけられることが多すぎる人生だからこいつは軽んじてもいいみたいな本当に悲しいことですけど、
たぶん本当に雑魚キャラ感がすごすぎるんだと思うんですよね。雑魚キャラ感なりモブキャラ感が。本当にね、仕事の場面ですらそうですよ。同じ会社の人はね、さすがに、でも同じ会社の人はほとんどそんなことはない。
なんか本当によく知らない人、本当によろせしない人からたまに、なんか何こいつって扱いを受けることがあって、ちょっとあの一個、えーって多分普通にこういうこと言われない人はえーって思うと思うんですけど、なんか例としてちょっと紹介してみると、本当によく知らない人です。本当によく知らない人に仕事上でちょっと関わることがあって、その人の前でマイコーは英語を喋ったんですよ。
というか英語で複数人の前で、なんかいろんなことを喋ったんですよ。マイコーの英語はどんぐらいのレベルかっていうと、全然ネイティブレベルではないが、ビジネスレベルとしてはそこそこ使えてると思います。
なんかなんだろう、多分人が思う一般的な英語、日本の国内の学校教育で得られる英語よりはかなり喋れてると思うし、文法とかもちゃんと気をつけていると思う。
これは自分が小さい時に外国に、いわゆる帰国しよう状態でちょっとだけ住んだことがあって、2年半とかそんな感じ。で、その時に、6歳児が日本語を喋ってる感じと同じで、6歳児の英語はなんか身についてて、でも日本で生活してるから忘れてて、なんか掘り起こせば使えるって感じ。
だから気をつけて、6歳児の英語で仕事で喋ってたらやばいやつだから、ちゃんと30代の会社員なりに話せる英語と思って喋ってたんですよ。
プレゼンとか、複数人の前で何かを説明する作業が終わった後に、普通のって言ったら普通とはなんだみたいになる自分もあるんですけど、多くの方はお世辞だろうと本当に思って言おうと、めっちゃ良かったですねみたいな、すごいわかりやすかったですとか、英語を話す人は。
私の資料とかを見て、とっても良かったですみたいな、とか、お疲れ様でしたとか、別に良いとか悪いとかじゃなくて、お疲れ様でしたみたいな感じで言ってくださる方が多い。自分だってそうですよね、人のやつ見て良いなと思ったら良かったですとか言うし、単純にもう労力がいる作業だから、英語を日頃喋ってるわけじゃないし。
だから、お疲れ様でしたとかは言うけど、あろうことか、全然知らないめっちゃ若い人に、英語結構上手いっすねって言われて、は?みたいな、お前よりかはなってちょっと思ったんですけど、本当に何の上から目線みたいな。
で、そういう人は人を選んで言ってくるんですよね。だから、私にだけ言ってくるやつっていう確率がすごい高いんですよね。今の聞いて、多分、は?って思った人めっちゃ、え?そんなことってありえるのかって思った人もめっちゃいると思うんですけど、悲しいことにありえるんですよね、私の生活の中では。
だからもう本当にね、困ってます。困ってますが、こういうもんとしてやっていくしかないっていうところですね。
はい、ということで、本日の喋り足りない場合、こんなことでまとめていいのかな。本当にそういうこともあるけど、なんかわかんないけど、自分の性格の何かが良かったのかあんまし気にしてないっていう感じですね、少なくとも現在は。
10代の頃とかは何なんだよってめっちゃ思ってたけど、今は全然気にしてない。多分、好き勝手生きてるのが良かったのかもしれない。好き勝手できる場面ばっかりじゃないけど、とにかく自分のやりたいようにやってるから、全部自分のせいっていうマインドで生きてることがいいのかもしれないなと最近は思ったりしてます。
はい、そんな陰キャ陽キャトークの追い雑談として、陰キャ陽キャから派生して、決めつけ問題をね。決めつけ問題についてもね、実は何回も配信の中でも喋ってるから、またこの話かいって思われてる方いたらすみませんけど、決めつけ問題とは切っても切り離せない話だなと思ったりもしながら話してみました。