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みなさん、こんにちは。 自然を愛するウェブエンジニア、セミヤマです。
今日は、バッハの名曲・マタイ受難曲についてお話ししたいと思います。
本題の前にちょっとお知らせをしたいんですけども、 ツイッターでもご紹介させていただいたんですが、
前回のラジオでお便りをご紹介させていただいた イラストレーターのすすむさんに、ラジオで紹介したお礼ということで、
イラストステッカーをいただいてしまいました。 ありがとうございます。 しかも結構たくさんいただいてしまって、
トライバル模様のタコとか、美覚しだの生えた骸骨とか、 どのステッカーのイラストもめちゃくちゃかっこいい上に独創的で、本当に素敵です。
すすむさん、改めてありがとうございました。 概要欄にすすむさんのイラストが見られるインスタのリンクを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてくださいね。
それとこのラジオで何度かご紹介している 生物をざっくり紹介するラジオぶつさく、いつも楽しく聞かせていただいてるんですが、
先週はお便り週間ということで、番組に届いたお便りにアンサーする形で、 お便りを送ってくれた方の好きな生物を月水金と連続でご紹介されていました。
ご紹介されていた生物はビーバー、カラス、ダルマガエルだったんですけども、 なんとそのうちビーバーとダルマガエルの回でセミラジオについて触れていただいていて、すごく嬉しかったです。
ありがとうございます。 ビーバー回はぶつさくのしろさんが最近ドラゴンボールの漫画版を読んでいるという流れから、
こないだセミラジオであった悟空とピッコロが免許を取りに行く話をご紹介いただきました。 ダルマガエル回は、ダルマガエルは日本原産なんだけど、もともと住んでいなかった日本の他の地域に移入された個体群がいるという話から、
同じような境遇にあるクニマスという魚を紹介したセミラジオの絶滅していなかった動物回をご紹介していただきました。
いつもありがとうございます。こちらの概要欄にリンクを貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。
あとドラゴンボールの話が出たところで、ちょっと余談なんですけども、実は悟空とピッコロが免許を取りに行く話以外にもセミラジオでドラゴンボールの話をしたことがあって、
それは数学的に正しいドラゴンボール転進犯最強説という回なんですけども、これは計算上最強の戦闘力になれるのは転進犯であるという説についてお話しした回になってまして、
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こちらもリンクを貼っておきますので、ぜひチェックしていただけると嬉しいです。 あとこれはちょっと伝わらないかもしれないんですけども、
ドラゴンボール関連でもう一つあって、 僕が小学生の頃の話なんですが、ドラゴンボールZをリアルタイムで見ていた時ですね、
その最初期の頃、かなり特殊な環境で見ていたということを思い出したので、ちょっとその話をしたいんですけども、どういうことかというと、
僕の地元は山梨県なんですけども、まず前提として山梨県では基本的にテレビってケーブルテレビを契約して見るものなんですよ。
賃貸だと、大屋さんの方でケーブルテレビを契約してくれていることが多いので、ケーブルを繋げばテレビが見られるんですが、
一個建ての場合、ケーブルテレビ加入料金を10万円くらい払って、 その後も月額2000円くらい月々払っていかないとテレビが見られないんですよね。
正確に言うとNHK総合とEテレと、あと山梨のローカル局のYBSとUTYは普通のアンテナを挿せば見られるんですけども、
富士テレビとかテレ東とかテレ朝とか、関東の他の地域ではアンテナ繋げば普通に見られるテレビ局がケーブルテレビを契約しないと山梨県では見られないんですね。
で、僕の実家は僕が小学校、低学年の頃、まさにそういう状態だったんですよ。 NHKは映るけど富士テレビは映らない。
で、ドラゴンボールZは富士テレビで放送してたんで、本来は見られなかったんですよ。 ただ、本来は見られないドラゴンボールZなんですけども、
東京方面から山梨県にやってきている富士テレビの電波を実家のアナログテレビがかろうじて拾っていて、ものすごいノイズが入った
砂嵐のような画面なんですけども、 かろうじてドラゴンボールZを見ることができたんですよ。
画面もものすごい砂嵐で、 かろうじてキャラクターの線が読み取れるくらいで、音もノイズがすごくて集中しないと聞き取れないので、
テレビの近くに座ってかじりつくようにして見てましたね。 子供をそこまで夢中にさせるドラゴンボールってすごいなと思いますし、
そこまで文字通り夢中になって作品に向き合った経験ってなかなかないなと思いました。 やっぱりドラゴンボールってすごいなと改めて思いましたね。
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そんな話でした。 はい、というわけで本題のバッハのマタイジュナン曲なんですけども
クラシック音楽についてはですね、僕はテレビ版のエヴァンゲリオンの直撃世代なんですが、エヴァでは作品中で効果的にクラシック音楽が使用されていて、
旧映画版のサントラにもバッハのG戦場のアリアとか、主よ人の望みの喜びよとかが収録されていたりして、そこで一回クラシックに目覚めたというところがありました。
で今回ご紹介するマタイジュナン曲はイエス・キリストの弟子の一人であるマタイによる福音書の物語をベースにした曲です。
マタイジュナン曲との出会いはうちの奥さんに誘われて行ったコンサートでした。
地元の合唱団がコンサートをやるから見に行かないと奥さんに誘われて行ったんですけども、僕結構クラシックとかバイオリンのコンサートって寝ちゃうんですよね。
実はマタイジュナン曲のコンサートも3時間の演奏で80%くらいは寝てました。
でほとんど寝てたんですけども、このマタイジュナン曲、数分程度の長さの曲が50曲くらい連なってできているんですけど、本当に最後の最後の曲で急に意識が覚醒したんですよ。
その最後の曲、我ら涙流しつつひざまずきという題の曲なんですけども、イエスの死について残された人々が涙を流してひざまずくと、その感情が大きなうねりになって、なんかただごとじゃないと感じさせる曲で
ドイツ語で歌われているので、歌からは物語が読み取れなかったんですが、プロジェクションマッピングみたいに物語が壇上に投影されていて、うちの奥さんはそれを読んですごく刺さったと言ってまして、ほとんど寝てたので、その段階では全然物語が頭に入ってなかったんですが、ちょっとこれは何かあるぞと
深掘りしたいなと思ったのが、マタイ・ジュナン曲にハマるきっかけでした。 マタイ・ジュナン曲は今までいろんなオーケストラによって演奏されているわけなんですが、その最高峰と言われるのがドイツのカールリヒターが指揮した1958年の演奏です。
で、まずその最高峰を聴かないわけにはいかないということで、Amazonで1958年版のCDをポチりました。 またカールリヒターが1971年に指揮した演奏については映像が残っていて、このDVDも購入しました。
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そのDVDもカメラワークや編集が非常に上手くて、映像的にも引き込まれる内容になっていて、カールリヒター自身の姿も雰囲気があって非常に魅力的なんですよ。
で、そのDVDには日本語字幕がついていて、それぞれの場面で何を歌っているのか、物語の全体像がわかるようになってたんですね。 そのDVDを通してみることでようやく物語の全体感がわかるようになったというところがありました。
マタイジュナン曲で語られる物語がどんなものなのかをお話しする前に、バッハによってマタイジュナン曲がどうやって作られたのかについてお話ししたいと思います。
あと軽いバッハ小話的なものも入れていきたいと思います。 バッハ家は音楽家を輩出する名家で
その中でも飛び抜けた才能を持っていたのが僕たちのよく知っているバッハ、ヨハン・ゼバスティアン・バッハでした。 このヨハン・ゼバスティアン・バッハはバッハ一族始まって以来の天才と言われていました。
バッハは18歳で宮廷音楽家として勤め始めて音楽の指導をしていました。 バッハは才能には恵まれていたんですが、特に若い間は
割と問題児なところがありました。 例えばこんなエピソードがあります。20歳のバッハは音楽の指導を引き続きしていたんですけども、
教わりに来る生徒はもちろん出来不出来があって なんですけど
バッハは、ここ良くないところだと思うんですけども 出来の良い生徒にはすごく優しくして
あ、いいねいいね上手だね才能あるねー っていう感じに踏みちぎるんですが、逆に出来が悪い生徒には非常に厳しかったようです。
ある時、あまりにも出来が悪い生徒に対してイライラしてしまって 剣で斬りかかってしまったそうです。怖いですよね。
音楽の先生が剣で斬りかかってきたら 仮にもし自分がピアノ弾けるようになりたいなぁと思って
例えばヤマハのピアノ教室に通うと 経験がある人は別ですけど
楽器やったことないピアノ弾くの初めてっていう場合 最初はなかなか上手く弾けないと思うんですよ
で、仮にですけど超絶ピアノ上手いんだけど ちょっと短期と評判の先生が明らかに自分のピアノにイライラしてると
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それでも頑張って弾くんですけどもう先生の怒りは限界まで来ていて である時それが爆発すると
もう我慢できねえ!お前のピアノもう聞いてられねえ!みたいなことを言って 剣で斬りかかってきたら怖いじゃないですか
バッハそういう人だったみたいですね もし僕がピアノを習うならバッハには教わりたくないなぁと思いますね
下手くそでも剣で斬りかかってこない先生に教えてほしいなぁと思いますね で当然そのぶち切れたバッハがピアノが下手な生徒に剣で斬りかかった
という事件は問題にはなったわけなんですけども かなり怒られたみたいなんですが逮捕には至らなかったみたいです
逮捕されなかったということは致命傷にはいたらなかったということなんでしょうね その生徒も斬りかかってきたバッハに剣で応戦したんですかね
ちょっとその辺の詳細まではわからなかったんですけども とりあえずこの一件は厳重注意で済んだようです
でその後のバッハなんですけども22歳の時に結婚をしたんですが その最初の奥さんには先立たれてしまいます
その後36歳の時に旧帝ソプラノ歌手のアンナ・マクダレーナ・ビルケという人と再婚して このアンナはバッハの後半生を寄り添っていくことになります
1723年 バッハはライプツヒーという町にあるセントトーマス教会に音楽監督として勤めることになりました
この時期バッハはカンタータという教会音楽を周一で書くなど バリバリと教会音楽の制作に励んでいたようです
この時期はバッハの生涯の中でも最も精力的に教会音楽を制作していて 今回ご紹介するマタイジュナン曲とヨハネジュナン曲という二大ジュナン曲は
この時期に書かれたものになります 教会音楽としてのバッハに一番脂がのっていた時期に生まれた最高傑作
それがマタイジュナン曲だと思っています 音楽的な詳細については僕には解説ができないんですが
ここからはマタイジュナン曲でどんな物語が語られているのかについてご紹介したいと思います
新約聖書の一部になった物語ではあるんですが 意外と登場人物の行動について突っ込みどころがあるお話だったりします
いやいやなんでそんなことするの?みたいなことを登場人物に言いたくなる そんな話なんですよね実は
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それでいて音楽と相まって心の深い部分を打つ物語でもあるし
イエスが超人的なのに対してそのイエスの弟子たちのダメっぷりが印象的で それがまた愛おしい
人間臭く感じる そんな風にいろんな感情を揺さぶられるお話になっています
話の前提としてイエスはイスラエルに住んでいたユダヤ人でした
その頃のイスラエルはユダヤ教の派閥が4つあり その4勢力が派閥争いをしているそんな社会状況にありました
そんな中イエスという異端児が現れて私は神の子だと言い出したわけです
派閥が4つもあるところにさらに神の子を名乗るイエスが現れたわけで 他の派閥の人も困ったでしょうね
当然イエスは他の勢力からマークされ 好きあらば排除しようと狙われている
そんな危険な状況にありました でそういうイエスを気に食わないユダヤ教の権力者
祭司長たちは大祭司カヤパという人の家に集まって悪だくみをするわけです
あのイエスとかいう奴ここらで一辺占めとく?みたいなことを言ってるわけです
その場面に登場するのが裏切り者として有名なユダです
ユダはイエスの弟子なんですが私があなたたちのところにイエスを引き渡しましょうかと祭司長たちに申し出ます
その代わりイエスを引き渡す報酬として銀貨30枚をいただきたいですと
金目当てにイエスを売ろうとするわけです
この時代のイスラエルの銀貨30枚がどれくらいの価値かというと
一説によると月収の3ヶ月分くらいだったそうです
仮に手取り30万だとすると90万くらいですね
90万円
何とも言えない金額ですね
ともかくユダは祭司長たちと契約をしてイエスのところに戻ります
その夜イエスは弟子たちを集めて話をします
ちょっとみんな集まいなさい 私の話を聞きなさいと言って
で、君たちの誰かが私を裏切るだろうと言うんですね
弟子たちはザワーってなるわけです
え?裏切りですか?誰ですか?みたいになるわけです
で、ユダは黙ってればいいのに
イエス様、それは僕のことですか?僕のこと言ってるんですか?
で、逆切れ気味に自分から言っちゃうんですよ
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正真者ゆえの逆切れというか
そんな正真者で隠し事ができない人なのに裏切りに足を突っ込んじゃう
そういうユダのダメさとか人間臭さが非常によく現れているシーンなんですね
そんなユダに対してイエスの方は即答で
うん、そうだね、ユダ、お前だねって言うんですね
その展開もすごいなと思いますよね
余談なんですけどもこのそうだね、お前だねっていうの
お笑い芸人のパッションやらのそうだね、プロテインだねっていうネタに一応かけています
で、もうユダはその時点で裏切り者認定されているわけですから
でしたしもうそこで捕まえればいいのになぜかそうはならず
野放しになったユダは後でイエスの身柄を拘束しにやってくることになります
で、その後イエスは私は一人で神に祈るからお前たち寝ないで待ってなさいと言うんですよ
これが寝るなよ絶対寝るなよっていう前振りになっているわけなんですね
で、今夜君たちは皆私につまずくだろうと予言をします
そんな前振りされたらもう寝るしかありませんよね
ただここでイエスの弟子の一人ペテロがイエスに食ってかかってくるんですよ
僕は寝ませんけどもみたいなこと言って
他の誰が寝ようと僕は絶対寝ない自信あるんでみたいな感じですごい勢いでフラグを立ててくるんですよ
そしたらイエスはイエスでそんなペテロに対して予想外のカウンターを繰り出してくるんですよ
君は今夜鶏が鳴く前に私との繋がりを3度否定するだろう
って言うんですよ話が全然噛み合ってないですよね
イエスはペテロに対して君は今夜鶏が鳴く前に私との繋がりを3度否定するだろうと
思わせぶりなことを言うそういうシーンです
で散々寝るなよっていう前振りもしたので当然のごとく弟子たちは全員寝ました
絶対寝ないまんのペテロもスヤーって感じでもう爆睡ですよね
この一生懸命に祈るイエスに対してスヤスヤ気持ち良さそうに眠る弟子たちという構図は
西洋の画家たちのイマジネーションを強く刺激したようでこのシーンを題材にした絵が多数存在しています
両手を合致し組んで一心不乱に祈るイエスとだらしなく脱力してグーグー寝てる弟子たち
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それをどういう構図でイエスの真摯な様子と弟子たちのグダグダっぷりを描くか
みたいなところに画家たちは情熱を注いでいたようです
僕の家にもいろんな西洋画の画集があって
いろんなイエスとぐっすり寝てる弟子たちの絵を見ましたけども
どの絵も弟子たちが本当に気持ち良さそうに眠ってて
思わずデコピンしたくなりますね
でさすがのイエスもそんな弟子たちに激怒で
君たちは1時間たりとも起きてられないのかと弟子たちを怒るんですね
絶対寝るなって言ってるのに1時間以内に全員寝てたらそれはキレますよね
さっきまでみんな会話してたのに
大の大人がそこから1時間以内に全員寝ちゃうとかあるっていうことですよね
そうこうしているうちについにユダが兵士を連れてイエスを捉えるためにやってきます
ユダは事前に兵士たちと打ち合わせをしていて
私が最初に挨拶した人がイエスだからその人を捕まえてくれと言ってあったんです
そしてユダはイエスにごきげんよう先生と挨拶します
そしてユダはイエスに口づけをします
DVDの字幕にそう書いてあったんですけども
まあ手に口づけしたんでしょうね
口ではないでしょうね
この時代のイスラエルの挨拶の習慣はわからないんですけども
おそらくこの流れでいきなりディープキスはしないと思います
でイエスが捕まってしまったので弟子たちはチリジリバラバラになって逃げました
自称絶対に寝ないマンのペテロも速攻で逃げました
あー人だなぁっていう感じしますよね
グズグズしてたら自分も捕まって何されるかわからないですからね
人間の感情としてそれは理解できます
でイエスは裁判にかけられるんですけども
イエスが悪事をしたという証拠が出てこないんですね
まあしてないものは出てこないわけなんですけども
そこでイエスを落とし入れたい勢力が用意した偽証人が裁判に出てきます
そしてこのイエスという男は神の神殿を壊して
3日で建て直すなんてことを言っていましたよと偽証をするわけです
その偽証によって神の神殿を壊すだなんてなんて悪いやつなんだとなるわけです
その裁判は弁護士も検察官も売信員もいないので
場の雰囲気で全部が決まるような感じになってたんですね
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イエスって悪いねー
そうだね
イエス悪いね
悪いことを証言する人もいるね
じゃあ有罪だねってなって
結果イエスは死刑を宣告されてしまいます
で実はその裁判をハラハラしながら見守っていた人がいて
それはイエスの弟子のペテロでした
絶対寝ません宣言からの速攻でスヤスヤのイエスの弟子のペテロですね
ペテロはイエスが捕まった現場からは病で逃げ出していたんですが
イエスのことが心配で裁判の傍聴人としてこっそり裁判の行方を見守っていたんですね
でもイエスに死刑が宣告されてしまって
これはやばいということで裁判所からこっそり逃げ出そうとするわけです
でも裁判所にいた人たちに気づかれちゃうんですね
あれ?お前あのイエスって奴と一緒にいたよね?っていう感じで
でもそこはもうビッグマウスのペテロですから
絶対寝ませんけどの下りと同じ勢いで激しく否定するわけです
イエス?存じ上げませんけど?みたいな感じでその場を立ち去るわけです
でペテロのことをお前イエスと一緒にいたよね?って気づいた人も
あんまり執着心のないタイプの人だったのか
深追いはしてこなかったんですね
でペテロは裁判所の門まで逃げることに成功します
なんですけど門のところでもそこにいた女性に気づかれちゃうんですよ
あれ?あなたイエスと一緒にいませんでした?みたいな感じで
でペテロはまたしても
え?イエス?いやーちょっと僕わかんないですね
人違いじゃないですか?みたいにどこまでも力技で逃げ切ろうとするんですね
で門を抜けてようやく逃げ切ったかと思いきや
門の外にもゾロゾロと人が集まってて全員ペテロに気づくんですよ
あれ?お前のそのガリラヤナマリイエスと一緒じゃない?って言われるんです
ガリラヤはイエスの出身地でイエスと同居のペテロの話す言葉にはイエスと同じナマリがあったんですね
カオンも割れてるわ言葉のナマリもイエスと一緒だわであらゆる外掘りを埋められて精神的なキャパを超えてしまったペテロはついにブチ切れてしまうんですよ
知るかーイエスなんて人は知らないよ俺には関係ないよ
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と叫びます
その時ニワトリが泣くんですよ
そこでペテロはイエスの君は今夜ニワトリが泣く前に私との繋がりを3度否定するだろうという言葉を思い出します
このことだったのかーとショックを受けたペテロは号泣します
自分の保身のために何度も嘘をついたペテロなんですけども
やはりとても人間臭いなぁと思ってしまいます
で実は裁判を見守っていたイエスの弟子は他にもいました
イエスが捕まる直接的な原因を作ったユダも裁判を見守っていてイエスに死刑が言い渡されたことに激しく動揺していました
死刑になるとは思っていなかったんでしょうね
ユダは最首長たちが集う教会に向かい銀貨を返すからイエスを解放してほしいと頼むんですが
最首長たちは相手にしてくれません
自分で何とかすればーと知らんぷりをされてしまうんですね
追い詰められたユダは銀貨を教会の床にぶちまけて逃げ出して
自分の罪の重さに耐えきれず首を突ってしまいます
銀貨30枚のために全てを失ってしまったんですね
でユダがぶちまけていった銀貨30枚なんですけど
この銀貨はイエスの命がかかった忌まわしい金だから
教会の収入にするのはちょっとやだねーってなるんですね
で最首長たちはどうしたかというと
教会の隣に住んでいる陶器職人の畑を買って
巡礼者のためのお墓にしたんですよ
ただそういう呪われたお金で買ったので
その場所は血の畑と呼ばれるようになったそうです
呪いの銀貨30枚で買われる前は
陶器職人さんが先祖代々オリーブとかを植えて
一生懸命耕してきたごく普通の畑だったんですけど
そのお金で買われたために血の畑という
異名で呼ばれることになっちゃったわけなんですね
で当時イスラエルはローマの族国だったので
ローマからイスラエルを治めるために
ピラトという人が総督としてやってきていました
でイスラエルはローマの族国であるため
死刑を執行するための最終的な許可も
ローマから来ている総督であるピラトに
出してもらう必要がありました
でイエスはピラトの前に連れてこられるわけなんですが
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ピラトはイエスと話しているうちに
あれ?このイエスって人何にも悪いことしてなくない?
って気づいちゃうんですね
このまま自分が死刑を許可して
無罪のイエスを死にいたらしめていいのか?
となるんですけど
ピラトは民衆の暴動の力というのも非常に恐れていて
自分の独断でイエスを許した時
民衆の怒りが自分に向けられるのも怖かったんですね
そこでピラトがどうしたかというと
トンチを聞かせました
ちょうどその頃イスラエルではお祭りの期間に入っていて
そのお祭りでは特例として
囚人一人の罪を許して無罪訪面とする
という習わしがあったんですよ
ピラトはこれだと思ったんでしょうね
自分のところにイエスともう一人バラバという罪人を連れてきて
民衆に向けて語りかけたわけです
えー皆さんご存知の通り
ただいま開催中のお祭りでは
罪人を一人無罪訪面しても良いという恒例のやつがありますよね
でここに罪人のイエスとバラバがいますよね
今回のお祭りではこのイエスとバラバ
どちらかを無罪訪面してあげようじゃありませんか
つきましてはイエスとバラバ
どちらを無罪訪面してあげますか?と
私の個人的な意見としましては
まあどちらもこう続けがたいと申しますか
まあバラバもなかなか意外と話しやすくて
親しみの持ってるところもある男ですし
イエスもなんというかこう光るものを持った人物であるような気もしなくもないと言いますか
そういった諸々を踏まえた上で
イスラエルの皆さんが無罪訪面するのは
強いて言えばバラバかイエスかどちらがいいですかね
という感じでイスラエルの民に選択を委ねるわけです
ピラトの内心としては
イエス選んでお願いだからイエス選んでくんないかな
という感じだったと思うんですが
しかしそんなピラトの思いとは裏腹に
イスラエルの民が無罪訪面を与えたのはバラバの方でした
バラバを無罪訪面にしてあげてください
イエスは予定通り死罪にしてください
十字架に吊るしてくださいという選択をしたわけなんですね
バラバがどんな罪を犯した人なのかはちょっと分からないんですけども
まあ結果バラバは無罪訪面になったわけですね
ピラトはもうこいつら狂ってる手に負えないわとなって
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もう勝手にして知らないからねっていう感じで職務放棄します
これによって最終的にイエスの死刑が確定することになりました
この後ピラトの部下は
茨で編んだ冠をイエスにかぶせてイエスを愚弄します
イエスがユダヤ人の王を名乗っていたので
それをひにくるために茨の冠をわざわざ編んでかぶせたということなんですね
暇なのって思うんですけども
その茨の冠をねちねち編んでる時どういう気持ちだったのって思うんですけども
で茨の冠をかぶせられたイエスはピラトの部下たちに拘束されて
ゴルゴダの丘まで歩かされます
あとでイエスを張り付けにするための十字架もピラトの部下たちによって運ばれています
でこの後の展開かなり行き当たりばったりなんですけど
イエスたちが歩いているとクレネジンのシモンという人がたまたま通りがかったので
シモンはピラトの部下に呼び止められて
いきなりで悪いんだけどさこの十字架持ってくんないかなみたいなことを言われて十字架を運ばされることになります
クレネジンというのは今のリビアのあたりに住んでいた人のことですね
でシモンも多分頼まれると断れない性格だったんでしょうね
いや守ってなくはないですけどみたいな感じで
支部支部十字架を担いでイエスと兵士とシモンでゴルゴダの丘まで歩いていくわけです
で丘に到着して十字架を立ててイエスは張り付けにされるわけです
そうすると張り付けになったイエスはエリエリラマサバクタニと言います
これはヘブライ語で神よなぜ私を見捨てられたのですかという意味です
そしてついにイエスは死んでしまいます
すると地震が起きてここから頂天下位なんですが
墓地に埋葬されていた人々が突如蘇り都市を歩き出します
このシーンのテキストを読んだ時僕は
マタイジュ南極ってゾンビ者だったの?って思いました
でイエスの遺体を見張っていた兵士たちは
あの人は本当に神の子だったのかと驚くというシーンになっています
イエスの死後イエスの弟子たちはイエスの遺体を回収してお墓を作ります
聖書ではこの後にイエスが蘇ってその先の物語も綴られているんですが
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このマタイジュ南極ではイエスの死を悲しみ痛む人々の
我ら涙流しつつひざまずきという曲がクライマックスを飾る構成になっています
この我ら涙流しつつひざまずき本当に名曲なので是非聴いて欲しいなと思います
概要欄にリンクを貼っておきますのでチェックしてみてください
マタイジュ南極全体も3時間の超大作ですが一朝の価値があります
是非チェックしていただけると嬉しいです
セミラジオでは番組の感想を募集しています
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概要欄のお便りフォームへのメッセージも募集中です
今日はバッハの超大作マタイジュ南極についてお話しさせていただきました
ご視聴ありがとうございました