記憶の配当
こんばんは、今を生きる Seize the day です。
昭和生まれのコバマルが日々の生活の中で感じたこと、思ったことをつぶやきます。
今日のテーマは、記憶の配当という内容でお話をしたいと思います。
この考え方は、私が少し前に読んだ
Die with Zero、ゼロで死ぬというビル・パーキンさんの書いた本の中に出ていた考え方です。
記憶の配当というここの部分が、私は非常に共感をしまして、
自分でも結果的に実践しているなあということがあって、非常に腹打ちをしたので、ぜひお話をしたいなというふうに思っています。
記憶の配当の部分に特化した記事は、アットカフェというページで書かれています。
後で、今回の汚染配信の記事のところにリンクを書いておきます。
このアットカフェのページから一部引用をします。
引用はじめですが、経験からはその瞬間の喜びだけではなく、後で思い出せる記憶が得られるという部分ですね。
なぜこれは非常に共感したかという話になるんですが、私はすごい仲のいい友人がいまして、
彼はアメリカ人なんですけれども、非常に日本が好きで、年に一回家族とともに日本に旅行に来るということをしていました。
特にコロナの前は、本当に毎年のように来て、日本のいろんなところを旅行するということをしていました。
私もそこに一緒に連なって、一緒に旅行して、日本の各地、いろんなところを巡りました。
その友人やその友人家族とは、私は非常に波長があいまして、どういうところかというと、
行きたいなと思うところだったり、というところが非常に私の感覚に似ているなという部分があるからです。
そんな彼らと、それこそ一回の旅行で、たぶん1週間とか10日くらいですけれども、
例えば、今日は名古屋、明日は伊勢、明後日はさらに向こうの出雲へ行く、みたいなそういうような旅をしておりまして、非常に楽しかったんですよね。
行っているときに、いろんな景色を見たりとか、泊まった先で地元のものをご飯として食べたりとか、
そのときの思い出だけではなくて、私の場合は旅行は非常に記憶が濃ゆく、強く残っていて、
その後で記憶を振り返るということもできるぐらいすごく印象に残っているんです。
ということで、その記憶を自分で後から反芻して、あのとき楽しかったなあって振り返ったりしてニヤニヤしています。
それから、彼の家族以外の人と会っているときに、実は熊野古道に行ってね、なちの滝を見てね、みたいな話をされたときに、
私もそこの場所にいたことがあるので、彼らの話を聞いて、あの景色のことか、いいよね、みたいな非常に共感できるというか、
記憶がよみがえってくるという意味でも何回も楽しめるということを実体験として経験をしています。
この本ですね、Die with Zero、ゼロで死ぬっていう本の中では、そういった経験というのはできるだけ早くにしておいた方がいいと。
なぜならば、その後繰り返し経験したことを思い出して、懐かしんだり楽しんだり、他の人に話して共有したりということができる機会が増えるから、
だから早めに経験した方がいいということが書いてありました。
また、年を経ていくとやはり体が動きづらくなったりとかするので、
例えばですけど、70代になって富士山に登ろうってなったときに、もちろん健康であればもちろん可能だと思うんですけれども、
それよりもっと早い年代で同じ経験をしている方がより活発に動けるというか、いろんなことが経験できるかもしれない。
だから早く経験した方がいいよ、みたいなそういったことも書いてありました。
この本を私が読んだのは2020年とか2021年くらいなんですけれども、
それよりももっと前から自分も同じようなことを結果として実践していたんだなということを改めて感じまして、
経験ってできるときにしておいた方がいいんだなということを実感をしました。
経験を早くすることの有用性
今日は記憶の配当というテーマでお送りしました。
経験はできるだけ早くにしておいた方がいいし、そうすると後から何回も繰り返し繰り返しその思い出で楽しむことができるというお話でした。
今日も聞いてくださってありがとうございました。ではまた。