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みんなでサウナということで、3回にもたってお話を聞いてきましたけれども、どうですか?
意義体力もめちゃめちゃ高まったし、まあでも気になることもいくつかこの後聞きたいなって思ってるんですけど、なんか共感することもめちゃめちゃ多くて、
ああそうなんだーって毎回勉強になってます。
どゆさんがそのちなみに聞きたいなって思うことっていうのはどういうことですか?
一番気になっているのが、男性の方も女性の方も一緒に入ってるじゃないですか。
しかも日本じゃありえなさすぎて、それってあやなさんからしたらどういう、もうなんか最初初めて入った時とかも、どういう気持ちだったんだろうっていう、もうなんか内心、どう思ったのかとか。
水着を着て、そもそも水着着てるの着てないの?みたいなところからね。
そもそもそこから聞きたいです。
あるよね。
そう、めちゃめちゃ興味あります、そこ。
確かに今まで、どんな格好で入ってるのとか、男女一緒なの違うの?っていう話出てきていませんでした。
そうですね、割とそこ、そうですね、入口のところを。
そこを押さえてなかったですね、申し訳ないです。
いやいやいや。
そこを解説します。
はい、ぜひお願いします。
歴史的に公衆サウナは、ほんと日本の戦闘と同じで、男女別浴でそれぞれが裸で入ってるっていうのが基本で、
ただ外気浴ですよね、聞いたことあると思うんですけど、フィンランドのサウナっていうのは実は水風呂ないんですよ。
日本でいうとこの人工的な水風呂はなくて、もちろんサウナっていうのが海の前とか湖の前っていうロケーションだったらその湖や海に入るってことはするけど、
別にフィンランド人のサウナプログラムの中にそれマストとしては入ってないので、水浴びなきゃいけないとかないから、外気浴が大事なんです。
それは面白いですね。水風呂はなくても絶対に外気浴する。サウナ外気浴がセットっていうのは。
この外気浴も季節に関係なく、やっぱりただ室内の休憩所で休むではなくて、外に出て自然の風を浴びて自然の寒暖差の中で涼むと。
で、寒くなってきたらまた中入るっていうのがセットで。
これ意外と他では違うんですよ。ロシアとか行くと、ロシアの公衆サウナに行くと、ロシアの人たちはわざわざ外で涼むってこと絶対しなくて、室内で涼みたい人たちなんですよ。
だからロシアの公衆サウナは必ずもう公室の横に個室みたいなのを必ずお客さんごとにもらえて、そこであったかいお茶を飲むっていうのが絶対彼らの飲み方だったりとか。
それはそれで良さそうですね。
そう思いました。
民国でも全然違うんですけど。
でもフィンランドはやっぱりその外に出るっていうことを考えたときに、外記憶のスペースはなんだかんだ男女一緒っていうパターンが多くて。
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というのはもう、時々写真でも出てきてると思いますけど店頭で、お店の店頭で何なら通行人とかトラムとかが行き交っている通りの前で。
なかなか勇気いるよね。
勇気いりますね。
出てくるときはもちろん前裸ではなくてバスタオルを巻くわけですけれども、チームだけ隠した状態で外でそこは男女一緒に過ごす。
あるいは中庭みたいなスペース。
いずれにしても男女別だったとしても、そういうところでタオルを巻いて男女一緒に外記憶の場所では過ごす。
そしてまたそれぞれのところに戻っていくっていうのが、これが従来のだし、新しい公衆サウナでもそのスタイルを継承しているところっていうのはいくつかあると。
その一方で、やっぱり男女で一緒に入るっていうことへの欲求とか、むしろ今までそれがなかったから公衆サウナには人行かなかったんだっていう人たちもいるんです。
というのは、現代の若者っていうのは、もちろん男女のカップルで一緒に行きたいっていうのもそれはあるでしょうし。
それからセクシャルマイノリティの問題があって、どっちに行ったらいいかわからない問題が発生する人っているじゃないですか。
だけど男女一緒で水着着用なんであれば、公室はもちろん別れますけれども、その先はそういうことを一切気にせずにみんなで同じ方に入れるでしょっていうことなんですよね。
ところが、ロールっていうのは、さっきの施設のロールですね。
新しくできたところっていうのは、ある意味でこれを本当に先駆けて男女一緒に水着で入るっていうのをヘルシンギで作ったんですよ。
それまでは男女別で裸で入るのが普通だったし、それからこれができるときに実際かなり論争が起こったんです。
というのは、サウナの中では裸でしょっていう話です。
なんで水着着てサウナ入るの?
不自然だろう。
生理的に不自然だって。
それは日本人もそうじゃないですか。水着着て風呂入れって言われたら確かにちょっと別物ですよね。
それは嫌ですね。
でもそれと同じじゃないですか。
これは歴史的な考え方なんですけど、サウナとかプールの中で水着を着ると水着とかに腐食したバクテリアっていうのが、
昔は伝染病だったりとか不衛生な環境を作ってしまうというので、昔はむしろ禁止されてたから、
例えば市民プールとかでも今でも伝統的なところっていうのは、男女は必ず分けてあって、
男の日、女の日っていうのがある分、水の中では裸でもOK。
昔は裸じゃないとダメだったんです。
だけど今は着ても意識なくてもいいみたいな感じでやってるところもあるし、
できればサウナとかプールの中では何も衣類だったりタオルをまとわない方が衛生状態がいいっていう考え方が根強かったんです。
だけど、現代の衛生の観念をもってすれば、別に昔とはやっぱり違いますからそこは。
なので別にそこまでしなくても水着着てたから、なんか悪いバクテリアを媒介するなんて時代でもないですから。
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そうですね。シャワーもありますからね。シャワーとかが特に無かった時代の話のような気もするので。
でもね、このロールができたのは相当ご高齢者の皆さんから反対出ましたよ、最初。
だけどそこを私たちは崩していって、それでサウナ文化を一つ先に進めたいっていう意思をロールの開発者たちが明確に出したので、
でも結果これだけ流行ったじゃないですか。
そうですね。
やっぱり革新的だったんですけど。
感情で入れるっていうことのバリフリ感はめちゃめちゃ多くもあるような気がするんですね。
でも例えばドイツさんとかはとはいえ気になるよねっていうところですね。
気になります、めちゃめちゃ。
確か12月の回でもお話し出てたと思うんですけど、ドイツとかになると、これ婚約ででも裸なんですよね。
ドイツというかあの辺の中央ヨーロッパの国々、ドイツ周辺国だったりとか、チェコとかポーランドあなたりに行くと、男女一緒に使ってしかも裸で、
まあ移動の時ぐらいはちょっとシーツとかタオルを巻いて次のサウナに移動したりしますけど、やっぱりサウナの中とか水風呂ではもう男女パダカっていうのが、それが文化の国もあるんですけど。
すごい度肝を抜かれましたね。
フィンランドもね昔はそうだったんですけど、これ日本の戦闘もそうだったと思うんですけど、婚約禁止法的なの出たじゃないですか。
フィンランドも別に風紀がめだれたとかではないと思うんですけど、営業施設は少なくとも着用しましょうっていうのができたんですよね。
だから本に出てくるタンペレという街にあるフィンランド最古のライバルティサウナっていうサウナあるんですけど、あそこ今でこそ男女別の間のとこに漆喰で作られた壁あるんですけど、もともとなかったんですよ。
だから男女取っ払われてみんな婚約で入ってたのを後々あそこはシャッターを下したって感じなんですね。
だから今でもあそこのタンペレの最古のサウナっていうのはストーブ1個に対して空間2つあるんですよ。
ストーブのとこだけ間仕切りがなくて、男と女の座ってる椅子の部分の間にだけ仕切りがあるっていう状態ですね。
だからラカンの湯の巻きストーブサウナみたいなもんだな。
そうですそうです。
男性女性の入り口は別々。
入るとお風呂屋さんと一緒で別々の入り口がついていて1個の大きいサウナ。
真ん中にお風呂屋さんみたく壁があります。
だけど月あたりにサウナストーブ1個でかいのがどーんと置いてあるので、そこに関してはあれが仕切りがない。
だからお互いは見えなくなっているし声は聞こえるけど男の方は男の方でローリーできるし女の方は女の方でローリーできるっていう。
それはラカンの湯の巻きストーブのサウナっていうのがあるんですけど。
オーナーの小原さんと一緒に1回フィンランド視察をお付き合いしているんですけど、そこから着想を得たんじゃないかと思っております。
ちなみにストーブはどっちからかけてもどっち側にも蒸気が行くようになっているので、
フィンランドだとその辺はタンペレの公衆サウナにしてもやっぱり男がかけるものみたいなこれは暗黙の了解。
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だから基本は男がどんどんかけて、かけすぎてたら女湯の方からちょっとやりすぎみたいな感じで叫ぶおばちゃんが現れるみたいな。
その辺結構面白いなと思うが、そこら辺の伝統、それも割と今までの伝統が変わってきたりするんですかね。
別に女がかけてもいいでしょうみたいな風に。
でもそうですね、もちろんいるんですよ。だってかけれる装置はあるし水は用意されているので、かける人はかけるし、
私結構自分でかける派なので、かけたら向こうから来たわみたいな感じでなったり、
あと同時に向こうからたまたま両方から出て、めっちゃ暑いのが来てお互いから気性が上がるみたいな。
それ楽しいですね。
絶対楽しい。空間めっちゃいいじゃないですか、設計。
でも空間は仕切られているけどお互いの声が聞こえるっていうのは、
日本の銭湯もそうですよね、割と空いてる側の声がなかなか聞こえない。
あれって結構大事なサウンドスケープというか、見えないけれどもお互いの存在感が分かるっていうのはすごくこっちも大事にはしてある気がしますけどね。
それで言うと僕がよく行く東十条の柳というとこあるんですけど、そこめちゃめちゃサウナいいんですよ。
外気浴スペースが露天風呂の、ちっちゃな露天風呂の周りに椅子が置いてあるんですけど、露天がやっぱり女湯とつながってるというか、上だけ空いてて向こうの露天とこっちの露天がついたてで仕切られてるんですね。
女湯の人たちってずっと喋ってるから。
喋ってますね、確かに。
男言ってもずっと目つぶって静かなんですけど。
それはあるんです。こっちもあるし、これよく言う話なんですけど、サウナのあるところっていう男たちがサウナに入っているところをひたすら映像で撮ったドキュメントが日本の映画にありましたけど、本当にあの世界観通りで結局男たちはサウナの中でものすごいシメっぽい話をするっていうのがフィンランドあるあるなんですよ。
本当かなと。
女の人たちって結構フィンランド人はカカアテンカな国だしサバサバしてるので、話してることも割とサラッとしてるし、いわゆる日本の女性みたいにちょっと愚痴をね、ボンボンボン言ったりとか思ってることパンパン言うんですけど、男の子たちって、
なんか私これ大学でね、私イワスキラ大学というこちらの大学でオーケストラをやってたんで、オーケストラもそれこそコンサートが終わった後は大学のサウナで打ち上げなんですよ。みんなもう衣装脱いでメイク落としたらみんなでサウナ。
それ男女一緒ですか?ちなみに。
これが2つあって、大学には2つあるんですけど、1つはもう本当に1つしかサウナがなくて、そうなったらもう男女婚欲だし、あとですね、これがフィンランド人のちょっと私はゲセない部分なんですけど、知り合い同士だったらもう裸でもいいよねみたいな人が多いんですね。
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だからもう公衆サウナみたいにその一元さん同士のところはみんな水着着るけど、もう知ってる者同士だし気にしないでしょ。お互い信頼関係あるしっていうので、そっちでみんな素っ裸で男女一緒に入ったりするので。
それは女性も抵抗ないんですか?
抵抗がある人のために最初に女性だけで入れる時間っていうのもちょっと作っておいてくれて、そろそろ男行くよみたいな感じになって男たちわらわら入ってくるんですよ。
それは結構難易度高いですね。
これ私はこっちに来て最大のショックでしたね。
なんか私的には知らない人の前でまだ脱ぐドイツのサウナ式というかの方がまだもう吹っ切れるって。
いや、絶対そうっすよ。
一瞬でも隣で楽器弾いてる人の体見るとか見られる方が嫌だろうって思ってる。
確かに。
これは今でも思ってます。
いや、だってドイツのサウナに行った時にやっぱり本当に善良なわけですよ。
これ知らないからいいけど、僕会社の部下と行きましたけど、男なわけですよ。
これ女性の会社の部下だとかそれこそ大学の時の同級生とか知ってる相手と善良って流石にないわって。
流石にきついですね。
なるじゃないですか。
そうですよ。
私結構フィンランドのサウナの視察のお仕事を頼まれること多いんですよね。
こっちでコーディネーターをやってるので。
基本はフィンランドの中だけなんで、それだったら別に男女一緒だったら水着着りゃいいし、別だったら別で外国場所で合流したらいいんですけど、
今年ちょっとついでに、結構私他の国のにも成立はしてるので、チェコのサウナにも一緒に連れてってくださいっていう案件があった。
10人ぐらいいて、その中には男性も女性もいてみんな業界の会社の方々なんですけど、
本当にチェコのサウナで、スーパーの中でみんなで入るサウナっていうのに行くっていう、もうかなりチャレンジングな。
なかなか理解が落ちかないですね。
そうですね、これはもう文化の違いもあるんですけど、
ただ、こっちでオーケストラのメンバーの中で脱ぐとかいうのも、
慣れるといえば慣れるし、
その慣れの根底にあるのは、まあ言っても信頼できる人たちというか、
この人たちが本当に変なセクシャルな目で見たりとか、
ましてそれで問題を起こすことはないだろう、みたいな感覚がどこかで共有されてるからであって、
皆さんが一番心配するのって結局そういうところだと思うし、
これでも心配、こういうことが心配だっていうのは、すっごく日本的な考え方だって言われるんですね。
なんでかって言えば、
セクシャルハラスメントっていうのが本当に別次元でこっちでは避け詰まれる見方なんですよ。
あるいはもう一つはロッキズム的な話で、やっぱり体型を気にするとか、
女の人がすっぴんを人に見せられないとか、ボディーラインを人に見せるのが嫌っていうのも、
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もちろんそういうコンプレックスを持っている人だっていなくはないんですけれども、
でも外してそういうのもこっちでは考えられないって言うんですね。
例えばメイクに関しても、
普段の大学にメイクなんかしてったもんには、
あんた今日デートなのかってすごいびっくりされるくらい、
普段みんな最低限のメイクしかしなかったりノンメイクの人も多いですし、
サウナ入った時なんていうのは当然それを見せるのが当たり前だって思ってるから、
それを嫌がる人っていうのはまあいないですし、
ボディーラインにしても、
ぽよっとしてるから人前で水着の姿になるのが嫌だ、
まして裸になるのが嫌だみたいな感覚っていうのは、
あんまりやっぱりわかってもらえないんですよね。
なんかその今の話からつながるかどうかわからないんですけど、
それこそちょっとお聞きしたいと思ってた、
要はそのルール、フィンランドのサウナに対して外国人が来た時に、
それはその条例の人たちが教えてあげるということで、
何かそのルールを細かく決めると言ったり、
押し付けるというか、施設がこうしなさいみたいなことを、
ある意味言ってない、言わないで、
いい環境を作るみたいなことと、
もしかしたらつながるのかなというか、
そこから先、ソンパサウナの話とかにも、
ちょっとつなげていきたいなと思うんですけど、
何かその、やっぱり大人なのかなっていう意識が、
自立しているというか大人というか、
これはやったらまずいよね、これ言ったらまずいよねみたいなことを、
割と常に1回考えるっていうことがあるのかなって。
ルールがないとか、張り紙がないっていうのは、
何してもいいではないっていうのは、
それはやっぱりみんな頭の中では心得ているのであって、
もちろんやっぱりその場で絶対に犯しちゃいけないこと、
やっちゃいけないことっていうのは、
まずもう自分の頭で考えるというのが、
やっぱり自分のその、
もちろん自分の頭で考えたことの結果っていうのは、
人それぞれの部分は多いと思うんですよ。
みんながきっちり丸が重なるかって言ったら、
私はこう思う、ここではこうあるべきって思うものっていうのは、
多分みんなの中にははみ出した、
自分しかそう思わない部分とか、
絶対、でもやっぱりみんながみんな、
これは最低絶対こうだよねっていう共通の重なる部分っていうのが出てくると思うんですね。
まずそのやっぱり絶対重なる部分っていうのは、
このとりわけサウナとか入浴っていう場でいうと、
そのセクシュアルな考え方を絶対持ち込まないっていうことだと思います。
だからそのさっきソンパサウナっていうね、
こっちでみんなで作って入る、
要は関心のいないサウナの話が出ましたけど、
関心がいないっていうのは、
要はみんなが関心であるべきだっていうことですね。
いる人たち同士でおかしいと思ったことはその場で解決するし、
おかしいことが起こらないように最低限周りに気を配りつつ、
でもあとは楽しもうねっていうのが、
ソンパサウナのアイデアなわけですけど、
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でもあそこでもやっぱり歴代、
セクシャルハラスメント的なことっていうのは何度か起きてるんですけど、
もうその都度それはめちゃくちゃそれはニュースになってるし、
その人はもう名前も吊るし上げられて、
できんどころか社会的に本当に下げ詰まれて末路を迎えているので、
いかにそれがダメなことかっていうのは、
みんな多分体感的にはわかってるし、恐れてる部分だと思うんですよね。
あとはでもここまでだったらいいんじゃない?これはダメなんじゃない?
っていうのはやっぱり人それぞれでデコボコしてるので、
自分がいいと思ってやったことがその場では周りから避難を浴びたり、
白い目で見られたりっていうこともあるし、
自分がすごくストライクゾーンが狭すぎて、
周りのいろんなことが許容できないっていう人もその場には出てくると思うし、
そういう多様性が人間のコミュニティじゃないですか。
コミュニティって決していい面ばっかりではなくて、
みんな考えてること違うから故に、
必ずしも全員が全員心地よくそれぞれに良かったねっていう結末になることっていうのは、
むしろ奇跡なんですよ。
だけどそれを回避するためには逆に言えば、
多少自分の価値観に合ってないことを人がやってても、
それを寛容的にこういう人もいるよねって、
受け流せるかどうかが大事なんですよね。
そうでない限りは他者がいる空間で100%自分の満足を叶えるのは無理です。
これはサウナじゃないと思うんですけどね。
だから世の中こんな人もいるよねとか、
ここでこういうことで楽しいと思う人もいるよねとか、
ちょっとぐらい声のボリューム大きくても、
この人楽しそうだからいいかとか、
自分が若干ちょっとピクッと来たとしても、
まあまあいいかっていう風に受け流せる力が多分皆としては高いです。
それは2回ほど前の話にも出てきたように、
結局は人の私はあなたのここが嫌だとか、
こうされたら嫌だばっかりつついてたら、
回り回って自分にそれが刺さってくるっていう。
自分のダメなところもどんどんそれは刺されてしまって、
そうすると自分の結果的に快適さとか満足度って減るわけじゃないですか。
それも嫌だから、自分も多少我慢するから私が多少そうしても、
まあそれは見逃してねっていう、
その暗黙のお互い様文化っていうのは、
これが多分フィンランド人の中ではすごく根付いている。
だからもちろん自分の頭で考えるっていうことは大前提なんですけども、
まあ多少自分の価値観と違うことをやってる人がいても、
本当に許せないことはもうそこの場で非難をしなきゃいけないし、
正さなきゃいけないけど、これぐらい許容範囲かみたいなものは、
もう施設も他のお客さんも目くじら立てない。
このスタンスですね、コミュニティが機能するためには。
でもそれはすごい一番本質的なところなのではないかなっていうふうにちょっと思って。
どうしても今日本のサウナを見ていると、悪いということではなくですけど、
じゃあコロナになりました。
そのやっぱ目欲っていう、喋らないで入りましょう。
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それは大事です。いやそれはすごい大事なんだけど、
まあそれが目欲を、みんなマスクをね、取り始めて、
普通にこうやって喋れるようになっていても、
喋っている人、サウナで喋っている人がいると、
やっぱりどうかなって思ってしまうこともあるし、
一方でもう喋ってもいいんじゃない、ある程度常識の範囲であればっていうふうに思ったりするんですけど、
なんか割とこう、もう絶対目欲なんだって決めたらそっちを向く。
かき水してない人がいたら嫌だなと思うけど、
まあでもしょうがないし、教えてあげたりとか、
それでダメな人はもう諦めるしかないっていうふうなことはあるんだけど、
なんかあいつ本当最悪だよなみたいなふうに思うのも違うというか、
なんかその辺もうちょっと許容、
これはサウナだけじゃなくて社会全体に言えるんですけど、
寛容さみたいなものっていうのがどうしたらモテるかなっていうのはすごい常に思ってるんですよね。
本当にもう自分だけが満足して、自分だけの価値観で満足し続けたいんだったら、
もう一人で部屋にいてやりたいことをやってくださいってなるわけで、
やっぱりその外に出ていくとか、誰かと他の人の他者のいるコミュニティの中に突っ込んでいくっていうのは、
それも引き受けるということで、
でもそういうこともありながらそこでしか得られない楽しみっていうのがあるから、
人はそこに通うわけですよね。
誰かと喋りたいとか、広いサウナに入りたい、広いお風呂に入りたい、何でもそうだと思うんですけど、
でも世の中っていうのは、みんながみんな同じことを考えてるわけじゃないのは当然だし、
そこにはいろんな背景や事情もあると思うので、
外に出ていくってそういうことだよってもうちょっと思えたらいいんですけど、
もちろんだからもう本当にダメなことはちゃんとその場でみんなちゃんと注意をして、
でもその注意の仕方もね、
もうあたごもごなしに怖い主のおばちゃんみたいに、
これがこうだからこうなんだとかじゃなくて、
いい方じゃないですか。
それもやっぱりサウナとかお風呂って基本気持ちよくなるために来てるわけですから、
やっぱり人の気持ちをぶっ壊すような言い方はしなくても伝わるじゃないですか、そういうことは。
こうすんだよとかでいいわけですよね。
だから言われた方にとっても何か怒られたと取るのか、
まああの注意というのかね、
こうすればいいってアドバイスをもらったと取るのかっていうのは言い方一つで変わることだと思うので、
こういう考え方の人もいるんだなって思えば、
怒らなくて済むかもしれないっていう受け手側の意識のところもあるかもしれないですよね。
自分のこういうことってこう思う人もいるんだって言われて気づく人もいると思うし、
そりゃそうだよなで、そこで変わる人もいると思うんで、
こうあるべきだをきっちり作るというよりは、
ある程度ななで余白を作ることが、
コミュニティで一人一人の満足度の平均値が上がる一番の秘訣かなと私は思ってますね。
はい、早野さん、時間が来てしまったんですけど、ちょっと延長で最後もう一本、
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今まで話したことをベースに、
じゃあ、もし日本でね、今これらが思い描く講習サーナみたいなのがあるとしたら、
どういうやり方がいいのかなみたいなのを、
ちょっとそのディスカッションというか、何でしょうね、一瞬こう脱談をしていきたいというのを、
最後一本取らせていただきますか。
延長戦、やりましょう。
はい、ということで、もう本当に話が尽きないというか、
勉強になることが多すぎて、予定を変更して、
延長戦でさらにもう一本付けいただければというふうに思っておりますので、
すみません、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。