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2025-06-28 1:23:36

ケージくんと超ロング収録~202506シュウ旅19日目

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6月28日の昼は、善やから宿泊させてもらってるケージくん宅で

何に使うか未定のまま話し始めて、ガッツリ深い話をさせて頂きました!


収録日:6月28日


#シュウ放

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サマリー

このエピソードでは、シュウさんとケイジさんが戦争と競争の起源について議論し、人間が進化するべき方向性を探ります。また、感情の表現やD&Dの設定についても言及し、創造力と自己理解の重要性を考察します。ケイジさんの長時間の収録では、人間の直感と判断に関する考察が展開されます。歴史を振り返りながら、人権意識の重要性や国家の概念にも触れ、未来の社会の変化についての展望が示されます。 ポッドキャストでは、国家やテクノロジーの進化、そして人間の意識に関する深い考察が展開されます。優しさや協力の重要性、日本における寄附文化の欠如についても論じられ、社会全体の幸福を目指す意義が強調されます。 このエピソードでは、ポッドキャストの中でのコミュニティの価値観や人々の交流について語られています。「ギチの完全人間ランド」というファンコミュニティにおけるお金や物の交換の変化、AIの発展による新たな価値測定の可能性についても考察されています。 優越感や満足感、人間関係に関する深い洞察がこのエピソードで語られており、特に自己肯定感や他者との違いを感じることの意味、コミュニティと国籍の関係について考察されます。 ケイジさんとの収録では、小学生時代のエピソードや人間関係についての議論が展開され、地域の応援やスポーツ観戦を通じた帰属意識についても考察され、さまざまな感情が共有されます。

戦争と競争の議論
みんなの声を届けよう。樋口塾。音声コンテンツをもっと身近な存在に、ポッドキャストラボ福岡。
シュウの放すラジオは、誰でもポッドキャストを始められたらいいという思いのもとに集まった樋口塾。
そして、RKB毎日放送と日本一のポッドキャスター樋口清則によるプロジェクト、ポッドキャストラボ福岡の一員として配信しています。
シュウの放すラジオ特別編
両方で聞こえるようにしてますね。
じゃあ、録音開始します。
始まってますね。
何に使うか分からない感じですね。
そうですね。
ちょっとじゃあ、これは本当にどうしましょうか。
どうしましょうね。
シュウさんと僕のケイジが、とっておりまでギターポップ育ちのケイジ君と、
なんでしたっけ、宮崎生まれ。
ギターちょっとばかしのシュウが。
嬉しいですね。
嬉しいですね。ありがとうございます。
僕はシュウさんと昔のやつまで遡ったのも聞いてないんですけど、
知り合ってから2年間ぐらいはずっと聴かせてもらってて、
あとシュウショウもやってるじゃないですか。
いろいろね。
大輝さんがメインのシュウさんが相方さんで、
最近はキギさんと南横子さんが来て、
4人でよくお話しされてる。
シュウショウも聞いてて、
ありがとうございます。
シュウショウも楽しいなと思って。
僕もいつかシュウさんといろんなお話ししたいなと思ってて。
今日は大阪の内まで来てもらったんで、
せっかくなんでシュウさんと話したいことをいくつかリストアップしたんですけど、
ありがとうございます。
何について。
何にしましょうね。
僕があげたのは、独占欲について。
戦争がなくなるには人間がどのように進化すべきか。
なぜ競争が起こるのか。
人間のどんな特性、性質が競争につながるのか。
というのがシュウショウとか、議題にありそうなやつ。
あとは一個が、
トーラさんの設定構築っていう。
これ全然関係ないですよね。
D&D部っていう。
ダンジョンズ&ドラゴンズの2人。
月に2回ぐらいみんなでオンラインで集まって遊んでる中で、
シュウさんが演じてるトーラっていうキャラクターがいるんですけどね。
それの細かい設定について考えていこうかなっていう。
こっちは完全にお遊びの。
あとは僕のポッドキャストの方で、
シーズン2が始まったらやろうと思ってる企画の年表インタビューっていうのがあって、
その人の生まれた年から今までの人生を年表を作りながら聞いていくっていう企画をやりたくて、
それをするのもありかなと思って。
今挙げたやつをちょっと考えてたんですけど、
お題として。
全然ここに書いてあることじゃなくてもいいんですけど、
シュウさんお話ししたいこととか、トークテーマにしたいことあります?
やっぱりさっきもちょっとお伝えしましたが、2番目3番目がどうしても気になりすぎますね。
戦争がなくなるには人間がどのように進化すべきか。
はい。
いきます?
3番目が競争が起こる。なぜ起こるのか。
僕これ両方とも最近いくつか考えていることのうちの一つで、
結局今人間の性質特性上を戦争とか競争とかが起こっているんだろうなぁとか思ってるんですよね。
人間が今の人間である以上しょうがないだろうなって。
だからもしなくなるとなれば、人間が今の人間じゃなくなる必要がある。
それが進化か退化かわからないですけど。
それでこれ進化が必要なんだ。
戦争がなくなるには人間がどのように今と変わって、
それを進化とすれば人間というか人類がどのように進化すれば戦争がなくなるのかっていうことを
トークテーマにしたら面白いかなっていう。
他に今の人間のままだと、戦争は有史以来多分5000年とか見てもずっと戦争してますよ。
地球上のどこかで。
多分これはずっとなくならないというか、何人も人間であるからこそ戦争が起こっているんだろうなって思ってるんで。
なくならないだろうなと思ってて。
どういうふうに進化すれば戦争がなくなるのか。
それは人類にとって幸せなのか。
実は幸せじゃないかもしれない。
面白い。
あるんじゃないかなって思ってるんですけど。
続きというかこのまま僕の思っていることをそのまま伝えてもらうと、
僕はわりと小さい時から理屈をこねるのが好きな小学生だったんですよ。
いまだにそういう発想あると思うんですけど、
感情をあまり表に出さない。
なぜなら理屈でわりと結構自分の感情を自分の中で言語化してそのまま納得できるから、
表に出すまでに自分の中で自己完結してるっていうことが多かった。
怒りも悲しみとかそういうのとか。
わりと自分の中でこうこうこうだからこう自分は思ってるんだろうなと思って、
そのまま表に出す必要はないかみたいな感じだったんですけど、
そうするとロボットみたいとか人間らしさがないみたいな。
感情をあらわにしてる人の方が人間っぽいみたいな。
見てて小学生の時からなんか違うなーって思ったんですよ。
人間らしいってそういうことかって。
自分が抑制できてない人が人間らしいと言って褒めたたえられて、
自分を抑制できてる人が人間らしくないっていうかロボットみたいとか言って、
なんか言われるってなんか違うよなーって損してるよなーみたいなのもちょっとあったんですよね。
で、バンド始めてそのバンドメンバーにも人間らしくない。
ロボットだから。僕リーダーって言われてるんですけど、
バンドの中でリーダーはロボットだからなーとかリーダーはAIだからなーとか言われてたんです。
小学生の時もすごく覚えてるのが、母親によく言われてたんです。
ケイジ君は感性がない。感性がないから感性を磨かないと。
と言われて、鳥取の県立博物館っていうのは家の近くというかあったんですけど、
県立博物館に年に1回ニカ展とか展覧会みたいなやつが来ると美術品が展覧される。
必ず活かされてたんですよ。ケイジ君は感性を磨かないと。
僕はそう言われるけど、小さい時から本とか好きだったし、
テレビとかドラマとか映画とか見たりするのが好きだったから、
自分に感性がないとは思わないけど、母親はそう言ってるし、磨かないといけないんだろうなって思って。
子供だしそう思っちゃいますよね。
中学生くらいから自分で音楽やりだして、
感性爆発させたとは思ってないんですけど、
クリエイティブなところは他の人に合ってるよなっていう自信みたいなのもあって、
感性がないこともないと思って。
思いつつでも大人になっても人間っぽくないとか、感情がないとかずっと言われてたんですよ。
結局人間らしさっていうのって、
見にくいところも含めて感情を出すのが人間らしさって言われた時に、
戦争に繋がっている何かみたいなものも、
人間らしさって言われているものから始まっているものが増幅していって、
戦争に繋がっている面があるんじゃないかなと思ったら、
そういうのがなくなれば、みんながロボットみたいって言われてるような感じになったら、
じゃあ戦争なくなるんじゃないかなっていう極端な話ですよね。
そうなって戦争が人類からなくなれば、
みんなが思い描く戦争のない世界になるかもしれない。
でもそしたら、
人間っぽさみたいなのは、
みんながこれって人間っぽいよね。
人間ってこうだよねって思っている感情とか、
そういうものが消え失せた世の中になってしまうのかなとか。
戦争がなくなれば、みんなが感情を失う世界になったりするのかなみたいな。
そういうふうに妄想すると楽しいなって。
っていうのが最近の僕の、
最近っていうかずいぶん前からかもしれないですけど。
何か届いたかな?
何が届いた?
ペリエか。
僕が箱買いしている炭酸飲料です。
まあそんな感じで。
このお題はね。
戦争がなくなるには、
人間がどんなふうに変わったら戦争がなくなるのかな?
ずっと一人で妄想してたことを、
しゅうさんと話してみたら面白いかな?
感情の表現
面白い。すでにめっちゃ面白いですね。
すげえざっくりしてますけど。
僕もざっくりしたことしか基本言えない前提なんですけど。
何でしょうね。
しゅうさんは人間らしさとかについてどう思うとかあります?
例えば自分は人間ロボットみたいとかって言われたことあります?
ないですね。僕はないですね。
何でしょう。
僕もそんなに怒りとかをバーって前に出すタイプじゃないはずだけど、
何かが漏れ出まくってるからなんでしょうね。
怒り以外の何かが嬉しい、悲しい、怖いとかはめちゃくちゃ出してるんでしょうね。
顔に出てるというか声にも出てるかもしれないけど。
そうですよね。だからそれは制御できた方が
戦争とかが起こらなくなりそうっていうのはめちゃめちゃそう思いますよね。
でもそれが人間らしくないってなっちゃうと難しい。難しいですね。いきなり難しい。
そうですね。戦争って言っちゃうとまたちょっと難しいというか。
戦争ってそもそも国と国がいることじゃないですか。
そうですね。
仕組みとして政治がすごく絡んでくるところもあるし、
細かい話をしていくと難しくなりすぎるところもあると思うので、
簡単に争いとか、もう少し対個人、個人と個人の争いみたいなやつが何か起こるかみたいな話を考えた方が簡単かもしれないですけど。
欲を満たしたいっていうところで、
例えばすごくわかりやすい例で言うと、
例えば食べ物を限られた量しか食べ物がない。
例えば3人分の食料しかないときに10人いて、
10人だと2家族、2つの集団でも2家族でもいいですけど、
5人5人の家族がいて、3人分しか食べ物がないときに、やっぱり食べ物の奪い合いになりますよね。
もしその食べ物を3人分しかなくて10人いて、
じゃあその3人分を1人分はすごく少なくなるけど、
10人で食べましょうねっていうのが理想的な形かもしれないですけど、
おそらく人類の歴史上そうはならなく、
5人対5人が何かしらの争いをして勝った方が食料を食べれる。
負けた方は食べれない。そのまま飢え死にする。
みたいなのはシンプルな争いになるのかなっていう気がするんですけど、
それがやっぱり食欲なのか、独占欲なのかわからないですけど、
私は生き延びたい欲っていうか、
それはもちろんだって3人分を10人で分ける、5人で分けた方が生き残れる確率が上がりそうな気がします。
その辺で、それは何欲っていうかわからないですけど、
そこで争いになるっていうのが一番シンプルな、分かりやすい争いな気がするんですよ。
それってしょうがないかなって感じします。
僕、今ケイジ君が表現の中に、
5人分を3人で分けた方が、
3人分を10人で分けたらみんなで食べれる。
生きる確率を上げるためには、
1人が食べる量が多い方がいいから、
合々で全然違う2つの集団だった場合、
自分たちだけがとにかく、
10人で生き残ることが最優先ではなくて、
やっぱり5人が生き残ることが最優先になると思うんですよ。
なぜなら10人で生き残るより5人で生き残ろうとする方が、
生き残れる確率が高くなる。
無意識に判断できるからだと思うんですけど、
もしかしたらそれだけじゃなくて、
独占欲というか、
それは何欲というかわからないんですけど、
とにかくたくさん食べたいという欲がかかってしまって、
相手チームの5人を滅ぼしてしまえば、
自分たちの方がたくさん食べれる。
みんなで10人で分けられる5人、
もちろん自分たちだけで食べた方がいい。
相手のことなんてどうでもいい。
みたいな判断で争いすることで勝てば、
それを食べれるみたいな。
判断なのかなという気がするんですけど。
そうですね。
D&Dのクリエイティブな側面
さっきそれを表現されてた時に、
5人で負けた方が生き残れそうな気がするじゃないですか、
刑事君がおっしゃったのが、
結構僕の中でポイントで、
気のせいかもしれないと思ってるんですよ。
これもふわっとしたざっくりした話になっちゃいますけど、
表現として、
奪い合えば足りないけど分かち合えば足りる。
っていう表現があるんですよね。
仏教の中でだと思うんですけど、
どっかの番組でリュウゲンさんがおっしゃってたと思うんですけど、
これがないと絶対ダメだ、足りないって思ったら、
そう思い込んでしまったら絶対足りないってなっちゃうんですよね。
でも最初からこれだけしかないから、
人間の直感と判断
分け与える前提で発想しようとしたら、
そうできてしまうのが人間っていう側面があると思ってて、
そこに僕は希望を見出している。
それが僕の言っている手放すにつながるんですよね。
手放さずに、
自分はこれだけないと絶対足りませんって言い続けたら、
争いとか競争がなくならないから、
でもそれって生き残ったところで幸せなのか?みたいな感覚があるので、
どのぐらいが最低このぐらいないといけないっていうところの限界に挑戦するみたいなのを、
僕は自分の人生で実験的にやっているので、
ざっくり言っちゃうと、そこがまさにキーポイントって思っているところがありますね。
何かを判断するときの判断材料というか、
どのフレームで見るかというか、
長期的展望短期的展望みたいな言い方もあるかもしれないですけど、
りゅうげんさんの言葉が、もう一回お願いしてもいいですか。
奪い合えば足りないけど、分かち合えば足りる。
分かち合えば足りるっていうのは、
そこの言葉に含んでいる意味が分かち合えば足りるっていう、
その部分だけ、理論的に見ればちょっと矛盾してますよね。
分かち合えば足りる。分かち合えば足りるけど、奪い合えば足りない。
でもさっきの話だと、3人分しか食料がなくて、奪い合った方が1人分の持ち分は増えるじゃないですか。
分かち合えば1人分が減る。
でもその言葉だと分かち合えば足りるって言ってるんですよね。
おそらく僕がその言葉を聞いた時に思うのは、
分かち合うっていう発想の先に将来的に豊かになっていく未来があるようなイメージがあるんですよね。
奪い合うっていうことをすれば、短期的にはその瞬間は持ち分が増えるかもしれないけど、
長期的に見ると転んでいく未来がある。
分かち合うことができれば、短期的にはその瞬間に1人1人が得られるものの量は少ないかもしれないけど、
長期的に見ると全員が生き延びることができる未来につながっていく可能性としてです。
そういう長期的に見ると得ができるかもしれない。
でも短期的に見ると一部損する人がいるかもしれない。
判断するときに長期的に捉えて判断するのか、短期的に見て判断するのかっていう違いを感じたんです。
さっきこの録音する前に言った直感と、直感で判断してでも理屈でその判断の理由を理屈付けしていくみたいな
発想というか脳の作りに人間がなっているんじゃないかみたいな話があったと思うんですけど、
やっぱり直感で判断しちゃう気がするんですよね。
長期的な未来のことも含めて判断するって、やっぱり理屈がないとできないというか、
もちろん直感で未来のことも含めて直感的判断できるのかもしれないんですけど、
そこの未来を含めて長期的な展望を見て何かの判断をするって簡単にはできないような気がします。
人間がどのように進化すればっていうところからいくと、直感で判断するときに判断の材料というかスコープというかフレームというかはわからないんですけど、
長期的にいろんなことを踏まえた上で判断できる直感力みたいなのが、もしかしたら人間に必要なんだけど、
それは今の人間は持ち得ていないんじゃないかという直感の中にはという気がしましたという話です。
人権意識の進化
いやいやいや、わかりやすいです。まさにそう思いますね。
だから自分は今までの歴史をどれだけ、それこそコテンがデータベース作ってくれてますけど、
踏まえられるかによって直感自体が結構変化していくと思っていて、それは個人単位じゃなくて人類単位での直感が進化、ある意味していくことが、
希望というかその戦争が起こりづらい世の中になっていくんじゃないかって思ってるんですよね。
本当に痛い目に遭ってきてる。散々痛い目に遭っているのに、まだ止まらないというか亡くならないから今後も亡くならないという話もよく聞くけど、
人類の全体の今までの流れを一人の人生みたいに例えると、ある時期から小さい頃はいっぱい喧嘩してたけど、
喧嘩しなくなる、大人になって喧嘩したくなるという人もいるじゃないですか。最後まで死ぬまで喧嘩してる人もいるけど、
ある意味、逆感して喧嘩しなくなるみたいな現象が起こるから、人類全体の単位でもありえないことではないのかなって思うと、
過去の歴史を踏まえることで直感自体が変わっていく、進化していくみたいなのは起こり得るのかなとか思ったりしてますね。
そうですね。僕は人類の歴史の中で、ある意味進化なのか分からない。価値観のアップデート的なものは徐々に少しずつできている気がして、
1000年くらい前だったら、奴隷制度は普通に世界中にあったと思うんですよ。日本も含めて。奴隷制度という名前がついてたわけではないと思うし、奴隷という言葉があったわけでもないと思うんですけど、
大きく見ると、同じ人間なのに階級があって、いわゆる奴隷的なことを社会的な立場としてそういう立場にいる人が世界中にいたと思うんですけど、今は基本的にそういうのないじゃないですか。もしかしたらもちろんあるところもあるだろうし、
名前を変えてというか、見た目的にはそうじゃないけど、そういう扱いを受けている人はもしかしたらいるかもしれないんですけど、やっぱり人権という発明というか考え方が生まれて以降は、そこは人権というものを大切にしないと。世の中に徐々になってきている。それは人類全体のアップデートな気がしてるんですよね。
本当に最近、人権ってすごい大切な概念だなって思う。古典ラジオの影響かもしれないですけど、言葉はずっと知っていたし、人権の意味も分かっていたつもりでいたんですけど、逆にもしかしたら今の日本が人権を軽く扱うような風潮になっているからそう思っているのかもしれないですけど、人権ってめっちゃ大切だなってすごい思うんですよ。
でも今一部の政治家が、国民に主権を与えてはならないみたいなことを言うような政治家がいたりとか、マジかって思うんですけど、本当に逆行してるなって思うことを言っているような人たちがいっぱいいてびっくりするし、世の中の人があまりそれについて嫌悪感を示している人があまりに少なすぎるなって思うんですよね。ニュースのメディアとかも含めて。
一昔前だったらそんなことを言ったら政治家としてもやっていけないような世の中だった気がするんですけど。僕たちが子供の頃は。そんなことを言ったら叱られる世の中だったと思うんですよ。たぶん戦争を経験した人が生きていた時代、昭和。そういうことを言ったら袋叩きにあうような世の中だったはずなのに、今は平気でそんなことを言っても音が目なしというか、普通にそんなことを言っても政治家をやってられる人がいっぱいいるから。
すごいやばいなと思うんですけど。そういう意味でやっぱり人権意識って非常に大切だなと今更思うんですけど。そういう意味で全ての人がしょうがないにしても人権という概念が生まれて、それがすごく大切なことなんだって世界的に人類としての価値観を持っているっていうのは、人類は成長というか発展というかアップデートができているなぁと思うんですけど、でも戦争はまだなくならないしなぁみたいな。
もっと言うと死刑制度っていうのもまだあるしな。この前、昨日か一昨日ぐらいに死刑が執行されてました。知らなすぎる。知らなさすぎる。そうなんですね。いまだにやってるんだって思ったんですけど。
国家の新たな概念
っていう感じで、進歩しているところもあるし、進化している部分もあるし、まだまだなところもあるし、感じはしてますね。
いくつかワードだけ出しておこうかなって。本当は文明に沿って喋らなきゃって思うタイプなんですけど、あえてワードだけ出しておこうかなっていうのが、戦争の定義が国同士の争いっていう話があったじゃないですか。
例えば国っていう単位じゃなくなっていくとしたら、じゃあ戦争なくなるって言えるのかっていうのがさっきふわっと浮かんでたっていうのが一つと、って言いながらもう一つを今忘れてるんですけど。
そうですね。国に関してもちょっと考えているところはあって、ただあんまりその話は大っぴらにしない方がいい。危険。
なんていうか、そうですね。叩かれる的な意味で。僕もちゃんと調べてないからあれなんですけど。
法律に触れる可能性がある。
やべえ。これ出せないかな。
ちょっと僕考えすぎなせいもあるかもしれないし、この発言だけ聞くとすごい僕のこと危険しそうな人だと思われる可能性があるかもしれない。
例えばですよ。今から革命を起こそうって思って、こういうことをして日本に革命を起こそうと思うんですよね。
という話をしたとするじゃないですか。
多分それって法律に触れるんですよ。
おそらく。
なるほど。
国家反逆罪みたいな。
国について、新しい国づくりとか、こういう国家を作らないといけないんじゃないかみたいなことを真剣に議論すると、そういうのに触れるんじゃないかなみたいな気が僕はしてて。
なるほど。
だからあんまり大っぴらに。全然気にしすぎというか、アホなこと言ってることを重々承知してるんですけど。
いやいやいや全然。
あんまり具体的にそういう話をこういう公の場で、公の場というかポッドキャストかもしれないですけど。
あんまりそういうのを発信するのは良くないのかなって何とか思ってるっていうだけなんですよね。
なるほど。
僕がちょっとだけ話の続きをすると、国の概念というのは、よく言われるじゃないですか。
地球上には国境なんて線は実際はないのに、勝手に人間が並ばりとして国境を引いて国みたいなものを作ってるっていう話は昔からあって。
だから本当はそんなものないんだよ。地球は一つの。宇宙船地球号の乗り組み、地球じゃないみたいな話あるじゃないですか。
僕もどっちかというとそっちの思想で、国とか別になくてもいいんじゃないかなっていうふうに思うんですけど。
やっぱり国家というものが存在して治安をしっかり守って外交みたいなのがあったりとか、そういうのも大切だと思っているので。
国の最低限必要な機能っていうのは残さないといけないんじゃないかなと思うんですけど。
今の国家の形みたいな、住んでいる場所、民族みたいなのにくくられている形みたいなのは、今のこの調子で人類のテクノロジーが進化していく中でだんだん折り合いがつかなくなってくるのは間違いないなと思っています。
樋口さんもどこかでチラッとそんな話をされていたんですけど、僕もそれに近いものがあって。
例えばGoogleのアカウントを持っていたら、最初はGmailだったと思うんですけど、Gmailのアカウントみたいなのがあって、いつの間にかそのGmailのアカウントがそのままGoogleのアカウントになっている感じがあって。
ちょうどそのメールアドレスを作るっていうのは、例えばGoogleなりマイクロソフトなりそういう巨大なIT企業が運営する一つのシステムの一員となるためにアカウントを作る。
だからマイクロソフトのアカウントを作ればマイクロソフトのいろんなサービスがそのアカウントで使うことができる。Googleのアカウントを作ったらGoogleのいろんなサービスをそのアカウントで受けることができるみたいなノリで、Googleとかマイクロソフトとかみたいな感じのものが国家として捉えるんだったら、例えば自分はGoogle国の国民になりたいんだったらGoogleのアカウントを作ります。
そうすればGoogleのサービスを受けることができる。マイクロソフトがいいと思ったらマイクロソフトのアカウントを作ればマイクロソフト国家とそれをすればそういう仕組みの中で自分の受けたいサービスを受けることができるみたいな感じで、国も何か巨大なサービスみたいな感じになってそこにアカウントを作ればその国の国民としてその国のサービスを受けることができるみたいな、今の国とはちょっと違う国みたいな概念ができて
自分で受けたいサービスの国のアカウントを作ってイコールその国の国民になってその国に住むみたいな感じに今後なっていくような気が勝手にしている。だから今は生まれたらもう生まれた国の国民になるんですけど
ある一定の期間経ていろいろ教育とかはどういう仕組みで受けるかわからないですけどある時からじゃあ自分がどの国の国民になりたいかみたいなのをアカウントを作ることによってその国の国民になれるし、なろうと思えばグーグル国の国民になりつつマイクロソフト国の国民にもなれる。でも両方の国に税金を収めないといけないですよ。両方の国に所属するための義務を果たさないといけないですよみたいな感じになるような
そういう世界観を僕は無双しています。だからちょっと話がすごいずれてしまいました。そういうふうに国というものが今の国と違う概念になれば確かに国同士の争い戦争は意味がなくなるし、だって一つの人間がいろんな国のアカウントを持っていろんな国に住んでたらそもそも国同士の争いって
ちょっと今の戦争とは全然ニュアンスが違う。もしかしたら国民をいかに集めるかっていう競争にただなるだけ。それはいかにいいサービスを提供してたくさんの人に満足してもらえるサービスを作り出すことができるかみたいな
国家と意識の変化
というのに国というものがなっていってその土地との結びつきが薄くなっていくような。それは本当の物理空間だけで生活する世の中じゃなくなっていくんじゃないかなっていうのも含めてなんです
そういうものにテクノロジーの進化とともになっていく気がする。もしかしたら人類の進化とか、人間というハードウェアの進化じゃなくてテクノロジーの進化で戦争がなくなる未来ももしかしたらあるのかもしれないなとちらっと思ったりします。
話がめちゃくちゃ脱線してる。 僕が言いたかったことはそういうことです。イメージとしてはそうで、そういうことを言いたかったっていうところがあって
国家の逆罪ってなっちゃうとちょっと怖いんですけど、坂口強平さんが独立国家の作り方っていう本を読まれました?
読んではないんですけど、一時期坂口さんの発信がすごく追っている時期があって、なんとなくわかります。
図書館で借りて1回だけ読んだんですけど、だから今から僕が喋るその本の内容はあってないかもしれない。僕が感じたことをただ言うんですけど
今の国に所属したまんまで、今の状態と何一つ物理的には変わらないけど、発想自体は違うレイヤーで違う意識で生きていくことができる
っていうような意味で、その独立国家を自分の頭の中に勝手にレイヤーとして持つことができるみたいなことを確かにおっしゃってたんですよ
僕もそういう意味でただイメージを広げるとか、自分の中の意識であんまり縛られすぎないというか、今の国家にもちろん守られてはいるけど
それの中で自分がどんだけ自由な意識でいられるかっていうところはさすがに法律でも縛れないんじゃないかな
少なくとも言葉に出すことが罪になったとしても考えているだけで罪になったりはしないって思っているので
みんなの意識が自由になることによってその国家同士の争いみたいなのに
むしろ振り回されなくなる未来みたいなのをざっくりふわっとイメージしてるんですよね
家庭での優しさの教訓
そういうことがなんとなく、なんか言ってることよくわかんないけど
ポッドキャストを通してある程度の人数の人にじんわりそれが僕から漏れ出ていて、なんか人に伝わっているような体感があるんですよ
それが僕の考える戦争が起こりづらい人の進化みたいな
さっきもおっしゃったみたいなハードウェア的に人は別に遺伝子が変わるわけでもない
世代を経ないと突然変異とかで人類の種族自体が変わっていくってことはないんでしょうけど
意識だけはいくらでも進化、結構スピーディーにしていけるんじゃないかなーみたいな気はしてますかね
このシロク始める前のケイジ君の例え話が何回も浮かんでて
弟さんとケイジ君との違いのどっちが優しいみたいな話
もう一回話しましょうか
これは僕の奥さんのちゃんまなちゃんがすごい好きな僕の小さい頃の一緒
小学校2年生で弟が幼稚園の年長さんぐらいの時の
だから僕が8歳弟が6歳もしかしたらもっと小さい時の話かもしれないですけど
家族でプリンを食べるっていうことになったんですね
家族で食卓を囲んでプリンを食べようってなった時にスプーンがなかったんですよね
プリンはあったけど全員分のプリンはあったけど全員のスプーンがなかったから
スプーンがないって気づいた僕が台所にスプーンを取りに行ったんですけど
僕は自分の分のスプーンしか取って帰ったと思った
ニコニコしながら自分一人プリンを食べてた
でも弟はスプーンを取りに行った時に自分の分だけじゃなくて家族全員の分をちゃんと取ってきてた
そういうエピソードを踏まえて母親がケイジ君は全然優しくない
弟のユウジ君はめちゃくちゃ優しい
なぜならプリンの時にこんなことがあったよねっていうのを何度も言われて
僕はショックを受けてスプーンを取りに行く時は家族全員の分を取りに行かないといけないんだっていうのを学んで
そこからちゃんとできるようになった
それは僕は自分の中から出てくる優しさでやったんじゃなくて
知識としてそれをスプーンを取りに行く時は全員分を取ってこないといけない
知識でやってる
弟はそういう知識とかじゃなくて本当に優しさ
本質的に優しい人がちゃんと自分の分だけじゃなくて家族の分まで取ってこれる
そういう話ですよね
僕は未だにみんなとファミリースイッターのみんなの分の水汲んで持ってきますけどね
母親に小さい時にケイジ君は優しくないって
なぜならって理由付きで説教というかね
悟されたんでそこから僕はちゃんとみんなの分を取ってこれるようになったんです
それは知識ベースでやってるんで
でもねその話をしない限り区別つかないんですよね
確かにそうなんですよ
思ったんですさっきの国家反逆材のやつのも口に出さなければ一緒っていうのと一緒で
厳密に言うとというかその弟もじゃあどういう発想でそうやってるかって本当の本当はわかんない
あとはでもそれをじゃあどうなんでしょうね
ケイジ君が実際小さいじゃないですか
小さいからそのみんなが食べれない方がいいって思ってそうしたわけじゃないじゃないですか
ただただ自分が食べたいっていうそこにしかスポットが当たらなかったっていう
小さい頃って実際物理的に視野が狭いらしいしっていうだけに見える
さっきの話で僕はそう感じるんですよね
だからその意味でその人類が長い歴史の中で視野がどんどん広がっていって
だったらその計算かもしれないけど表面上は分け合うような行動が取れるようになるわけじゃないですか
ケイジ君がそうなったようにそれでいいんじゃないか
全然それでいいと思います
だってその実際結果だけで判断されるというか結果が全て
結果が全てってまたあれかもしれない
人間らしくないみたいな
結果的にそれでみんなが幸せになれば別に本人が何を考えてるとかどうでもいいっていうか
その話でも僕思い出されるのが
あれは東日本震災の時か
震災みたいな災害があったときに
芸能人の人がすごいボランティア活動したりとか
すごい多額の寄付をしたりとか
したときにそんなの偽善だみたいな批判があったときに
杉陵太郎さんだったか名前はちょっと分からないですけど
偽善だけど別に偽善で何が悪いんだよみたいなことを言ったか言ってないか分からないですけど
偽善と言われようがそれが実際偽善というか
それが自分がお金持ちだからこんなことできるんだぜっていうアピールだとしても
結果として困ってる人を助ける結果だったら
なんでそれをやったかのその個人の理由なんてどうでもいい
一緒かなみたいな結果みんなが幸せになれたら
寄附文化の重要性
そこに優しさなのか
計算的な何かがあったのか別にどうでもいい
そうですね
確かに人類の視野が広がるっていうのは広がるといいなと思いますし
だからこういう行動を取ったら
世の中に称賛されるからこういう行動を取ります
だとしても理由が
だからそれでいいんじゃないかな
そう思いますね
誰かも言ってたんですよ
世の中の雰囲気が
日本ってあまり寄附の文化がないみたいなことを嘆いてる
海外の人って
例えばすごいお金持ちの人が
いろんな団体に多額の寄附をするみたいな
普通にあるけど
日本でそれをやる習慣っていうのはあまりないんじゃないかみたいな
偽善みたいなこと言われてしまったりとかするから
寄附文化っていうのはあまり日本はないよね
そういうことを言っている人がいて
寄附をする人をもっと称賛すべきだみたいな
誰かが言ってたんですよね
聞いた気がする
お金持ちは困っている団体とか
お金を必要としているところにどんどん寄附をしていく
それがお金持ちのステータスなんだみたいな
世の中になったらいいのにみたいなことを言ってて
まさにその通りだなって
僕は全然ビジネスマンとかじゃないから実感がないんですけど
最近古典ラジオの深井さんが
お金持ちはお金がたくさんあって
それをどう使っていいかわからないから困ってるみたいなことを
言ってませんでしたっけ
ちょっと記憶ないですね
僕はそういうお金持ちの知れ合いがいっぱいいるとかは全然ないからわからないんですけど
もしそれが事実だとしたら
お金持ちの人がお金がたくさんあって困っていて
どう使っていいかわからないから
無駄に合流していたりとか
そのお金を使ってさらにお金を増やすだけになっているとかだったら
すごいもったいないなと思って
困っているところにどんどんお金を回す世の中になったら
もっと世界全体が幸せになるのに
なんでやらないんだろうなと思うんですよね
なんでやらないんですかねお金持っている人
やらないかどうか把握していないけど
雑に最初に僕が言ったというか
りゅうげんさんが最初に言ったんですけど
奪い合えば足りないけど分かち合えば足りる
戻ってきちゃう
分かち合ってほしいですね
夢があるとしたらあれですね
お金持ちになって分かち合いたいですね
すごいお金持ちになって分かち合いたいですね
お金の仕組みがそもそも借金ということを知る前だったら
僕そう思っていたんですけど
そもそもお金が借金だみたいなちょっと雑すぎるんですけど
それがあるから
お金が借金だってどういう意味ですか
お金ってそもそも借金としてできているみたいな
お金の歴史古典ラジオでも言っていたので
そういう話にも一瞬及んだ気がするんですけど
そもそも日本銀行がお金を発行するときに
日本銀行以外の何銀行っていうんでしょう
地方銀行ですか
日本銀行は銀行の銀行っていうことですね
普通の人とやり取りするじゃないですかね
必ずそれを利子を付けて貸し出す形で
常に発行されていっていると
だから100万円発行されたら
105万円にして地方銀行は日本銀行に返さないといけないっていう
そもそも借金の形でしかお金って生まれていかないみたいな
話があるから
それによって拡大再生しないと
拡大し続けないといけないみたいな
思い込みが生まれてしまっているみたいなのが
僕の根っこにあるんで
お金持ちになって分け与えるぐらいだったら
最初から稼がないほうが健全って思っちゃってる
なるほど
っていうのが混ざってきちゃうから一概に言えないけど
計らずも稼いでしまったら分け与えたりとか
そうですよね
自分がやりたいことを何も考えずに
才能を発揮しまくった結果
結果的に稼げてしまうっていうのは
いっぱいありえるじゃないですか
そうなってしまったらもう
分け与えてほしいなっていう感覚になりますけどね
どんどん話が膨らんでいってね
お金の話になった感じなんですけど
お金の話はどうですか?
お金ね要素がいっぱいありすぎて
なかなかあれなんですよね
お金の話をいくつか忘れたんですけど
お金の話を一番最初に考えた
高校生ぐらいの時かなと思ったんですけどね
全然学問的なためになる話とかじゃないんですけど
昔はブツブツ交換だったと
それがお金ができたことによって
すごく便利に何とでも交換できる
お金っていうものがあるから
便利な世の中になったんだっていうような
授業か何かで習ったのかな
そういう発想で
お金について最初に勉強した時に
すごい面白いなと思ったんですけど
人間それぞれみんな価値観が違うじゃないですか
当たり前だけど
誰かにとって
例えばここにアルフォートがあるんですけど
誰かにとってアルフォートはめちゃくちゃ価値のあるお菓子
もうこれ1000円出してアルフォートが食べたいっていう人もいれば
全然アルフォートに価値を感じない人は
こんなの10円で買っても別に買わないみたいな
それは価値観が違うから
人それぞれ価値観が違うから
だからブツブツ交換が難しいんですよね
でもお金というものがあれば
そのお金自体に価値があるというかあるから
値段さえ決めとけばそれで
お金を使えばいろんなものと交換できる
何とでも交換できるスーパーアイテムがお金
ということだと思うんですよ
だから人間の価値観が違うということが
お金を生んでるんだなっていう
お金という仕組みを生んでるんだなっていうのは
めちゃくちゃ面白いなと思った記憶がある
だからその時も勝手に妄想を働いたんですけど
もし全ての人間が同じ価値観を持ってたら
コミュニティの価値観
お金なくていい
全部ブツブツ交換で済むと思った
それがずっと自分の根っこにあって
今感じてるのが
お金は言葉と一緒で
人間が必ず必要とするツールだと思ってるんですよ
人間って一人じゃ絶対生きられないから
社会活動をしないと
人間同士の社会というものを形成して生きていくのが人間だから
絶対社会活動
自分以外の人間との交流が絶対に必要
それがあるから言葉が生まれたし
お金も言葉と同じで
コミュニケーションツールとしての発明だと思うんですね
言葉を切り離すのは
人間と言葉を切り離すのは難しいぐらい
お金と人間を切り離すのはすごい難しいことだと思ってるんですけど
価値観がもし一緒だったら
お金を必要としないんじゃないか
お金が必要なくなるんです
アルフォートに対する価値が一緒だったら
アルフォートあげるわって
めちゃくちゃ感謝の気持ちをアルフォートで示すことができるんですよ
アルフォート渡せばその人の感謝がすごい伝わるから
お金とかを使わなくても
物の交換がとにかくできる
アルフォートの価値がみんなの中で一緒だから
クーラーを修理してもらったらアルフォートで
アルフォート大立役だな
価値観が一緒だったらそういうような感じがするんです
なので何の話をしたいかというと
これからが本題なんですけど
例えば僕たち今ポッドキャスト
ギチの完全人間ランドっていうポッドキャストを知り合って
そこってすごくファンコミュニティが
いわゆるカタカナの人間と書く人たちが
集まってそこでの共有されている価値観
すべてが同じだとは思わないんですけど
ある種の何かしら共通の価値観を持っている人たちが
すごい集まってるから
その絆が深い気がするし
すぐ仲良くなれる
それはうまく言語化できないんですけど
何かしらの共通の価値観
それが何かはうまく言葉で説明できないんですが
ある気がしてるんです
そういう中では
割とお金を使わなくても
いろんなものの交換ができるような気がしてて
例えばシュウさんの言ってる
アウトプットが先っていう考え方とか生き方みたいなのも
実社会の中よりも
人間のコミュニティの中の方が
話が通じやすいとか
成立してるというか
そんな気がするんですよね
もしこの人間のコミュニティが今もしかしたら
100人200人ぐらいしかいないかもしれないけど
お金と交換の関係
それが1万人とか2万人とか5万人クラスで
日本中に広がったら
シュウさんはもっと生きやすくなる気がする
うん
バカにイメージしてます
日本中を旅して
シュウさんが来たみたいな
シュウさんうちに泊まってくださいよって
シュウさんの取り合いみたいな
みんなのうちに順番に泊まっていくだけで
1年のスケジュールが埋まっていくみたいな
それでいろんな人のうちを旅しながら
ポッドキャスト撮ったりとか
そんな感じでその人たちと喋ったのを記録して
発信したりとかだけで
シュウさんが暮らしていけるという
まあ分かんないですけど
シュウさんはそれやりたいかとか別にして
そんな世の中になっていく可能性があって
それは今
ギチの完全人間なのかコミュニティですけど
別にそれと似たようなものが
他にもいっぱいあって
それぞれの中で自分が一番こう
過ごしやすいコミュニティ
心地よいコミュニティの中で
楽しいこといっぱいしていけたら
それはそれでなかなか理想的な
世の中だなと思うし
その中ではいわゆる一般的な
経済的なそのお金を使った
何でしょう
経済活動みたいなこと
は行われないから
お金で換算したら全然価値は
生んでない集団なんですけど
でもその中のみんなの幸せ度みたいなのは
すごく幸福度が高いみたいな
お金では測れないけど
めちゃくちゃ価値のある世界ができる
それがいいか悪いか分かんないし
そうじゃなくてやっぱり
実社会の経済活動と
上手く連携しないと
コミュニティの価値はない
っていう考え方ももしかしたらあるかもしれない
お金以外の
価値を測る
ものが
AIの発達によって
僕は生まれるような気もしてて
お金がめちゃくちゃ分かりやすいから
お金で全ての価値が
世の中で測れるし
さっきも言ったけどお金ってそもそも
そういうためのツールだから
AIの価値測定の可能性
それは別に悪いことじゃないと思うんですよね
価値をお金で判断する
それはそのために生まれたツールなので
当たり前のものだと思うんですけど
でもなんかそろそろ
それ以外の価値基準でいろんな判断ができる
人間だけの知能
だったら限界があったんですけど
今もしかしたらAIを使えば
そういう測定も
何かしらのコミュニティの幸福度を
測る測定ツールが
もしかしたらできるかもしれない
だからその中でこれはめちゃくちゃ価値のある
取り組みですコミュニティです
こっちの方が絶対幸せになります
皆さんもこういうのを探していきましょうみたいな
世の中になっていったら少しは平和になるんじゃないか
気はしてるんですよね
なんか話が膨らみすぎて
何言ってるか分からなくなって
僕の中では分かりやすいな
と思ってはいるんですけど
僕のイメージでは
ステップとしてそういう時期も
経由した上で
測る必要がなくなる社会というのは
その先にイメージ勝手にしていて
何で測る必要があるかというと
やっぱり
好感
ブツブツ好感の頃からある好感
っていう発想がどうしても
拭えないからだと思っていて
僕が言ってるアウトプットが先っていうのは
そもそも好感じゃないんですよ
自分がやりたいことを
僕を旅の間受け入れてくれる人って
心から
喜んで受け入れてくれるんですよね
僕もそうだと僕は信じてるんですけど
交換する
何かを僕が要求されないんですよ
旅先で
だからその測る必要があるのは
必ず好感の必要がある時って思っていて
それが意識の中から
ちょっとずつ
今拭い去られて
いっているみたいなイメージが
あって
それが100になるかどうかは分からないですけど
さっきケイジ君言ってくれたみたいに
もっとそのコミュニティの規模が
拡大していった時に
今僕は一応
インプット窓口っていうのを設けて
お金をサブスクで
得てるんですけど
それは固定費が取られ続けるから
なんですよね
交換の世界の
まだ僕が生存するっていうだけで
固定費がかかってしまう
そういう交換の仕組みが
まだまだゴリゴリに動いてるんですけど
仮に
コミュニティが拡大して
100万になったとしましょう
例えば
そしたらそもそも
僕が払っている固定費を
多分誰も取らない
ですよね極端な話
貸してくれたい人が僕を住まわしてくれていて
これ僕だけが
守護になっちゃうからあれなんですけど
さっきの話も
僕だけがそこで旅してるわけじゃなくて
他にもいろんな人が旅してて
みんながそれぞれ受け入れ
ある時は
受け入れる側
ある時は受け入れられる側
それぞれが自由に動いてるみたいなのを
イメージしていて
その手前には分かりやすい基準として
お金だけじゃない
計測する
AIの進化か分からないけど
そういうのも経由していきそうだなみたいなのを
イメージはよくしてます
面白いですね
確かに僕も無意識に
交換ありきで
話をしてたし考えてたんですけど
交換が必要なくなる世界
その先に
確かにあるのはいいですね
それがアウトプットが先なんですよ
僕の中では
アウトプットが先って
交換をする必要がないんですか
必要ないですよ
なるほど
それはめちゃくちゃ面白い
ケイジ君に
前に秀さん入門というのを
撮ってくれたじゃないですか
あの時に僕アウトプットが先って何ですかって聞かれた時に
緊張しすぎて今の話を全然
出せなかったんですよ
だから今日話せて
嬉しい
交換を必要としない世界
っていうのは
それだけ聞いたらよく分からないですけど
今の話の流れで
交換を必要としない世界
それは僕がお金っていうのは
交換をするためのツールっていう
お金のことを
社会の自分に習った時に
そうなんだなるほどって思って
お金は交換するためのツールだと
ずっと思ってたんですけど
お金がなくなることはないだろう
ってずっと思ってたんですね
言葉と一緒だから
交換というコミュニケーションをするためのツールだから
でも交換というものを
必要としなくなったらお金は本当に
必要なくなります
なるほど
交換とはまた別に
価値を測るっていうことで
見ると
人間って
相手と自分を比べて
優位に立ちたいみたいな
欲というか何かあるような気がしてて
そうですね
例えばお金をたくさん持ってるイコール偉いみたいな
単純なヒエラルキー
的なのってたぶん
すごい昔から
縄文時代やゆい時代くらいから
お米を
作って稲作が始まって
それを蓄えるようなことができるようになった
時代からも
どれだけ蓄えを持ってるかが
社会構造のヒエラルキーというか
富というものが
生まれた瞬間
ものを蓄えれる
その時代からずっと続いている
社会的
強者弱者みたいな
順番をつけたがる
誰かと自分を比べたがる
人間の習性みたいな
のを比べる
価値観としてのお金みたいなのがあるので
交換がなくなった時に
その欲も
なくなるのかな
人と比べて
自分が優れてると思いたい欲
みたいなのがあるんじゃないかな
本当はそれいらない
気もしてて
本当もいらないってよくわからないけど
人類が
人間が社会性を
持って生きる生き物として
上下関係が必要なんですかね構造的に
わかんないですけどね
僕が浮かんじゃったのが
またこれも収録前に
ケイジ君が話してた
遠足エピソードが浮かんじゃって
遠足エピソードも
収録のためにお話ししていいですか
お願いします
全然お願いします
小学生の時の遠足のルールが
おやつは200円までって言ってました
修算は500円までだったんですね
これはどこ
大分と鳥取の
宮崎と鳥取の
経済拡散のルール
500円だった気がするけど
おやつは200円までっていうルールの中で
必ず
じゃあ先生バナナはおやつに含みますか
含みませんみたいなやり取りも込みで
毎回遠足のために
200円で
みんな駄菓子屋さんに行って駄菓子を
10円とか20円の駄菓子を
買って200円ちょうど200円になるように
駄菓子を買って
遠足に行ってみんな
駄菓子を見せ合って
こんなにおやつあるんだぜ
自慢し合うみたいな
小学生の男子の
遠足の風景だったんですけど
僕も1年生2年生くらいまでは
それを競争に参加して
いかにたくさんおいしいおやつを
遠足に持って行けるか競争
参加してたんですけどある時
急にそれがバカバカしくなって
150円くらいの
ちょっとリッチな駄菓子に比べる
10円20円の駄菓子に比べると
割かしリッチな150円くらいの
おしゃれな
お茶菓子
紅茶と一緒に食べるような
ちょっとおしゃれなブルボンの
おやつを買って
優越感と満足感の探求
それでお父さんに
今度の遠足
スイート紅茶入れておいて
紅茶じゃなくて紅茶
紅茶とお茶菓子
お茶菓子を
遠足でご飯だと
たしなみながら
僕はこのおしゃれな
おいしいおやつと紅茶で
すごく貴族な気分で
周りの小学生を
バカにしてたっていう
僕が
それを聞いた時にさっき
それって別に口に
出さないんですよねって聞いたんですよね
要は
それを口に出さずとも
自分の心の中で優越感に浸れる
っていう
なんでそれを口に出さなかったかっていうと
理由は簡単で
言っても理解してもらえないんですよ
でも僕は理解してもらえないけど
自分の中ではすごく
優越感というか満足感というか
なんでしょうね
僕はお前らとは違うんだぜみたいな
自分に酔ってたというか
特別感みたいなのを
優越感に浸ってたと思うんですけど
本当に言っても
分かってない
大人には言ってると思います
話をしてたと思うんですけど
大人も別に
分からない
でも
言って分かってもらえれば
それに越したことはないかもしれないけど
要はなんでこの話が思い浮かんだかというと
お金みたいな
可視化されて
人と明確な差がつくみたいな
誰が見ても分かるような基準がなくても
自分の中で優越感に浸れれば
意外と十分だったりするのかな
って思った
っていうのが
僕の中での答えなんですよね
自分の中で
お金は
分かりやすく
今まではアルフォートじゃなくて
みんなの価値観を一律にしてくれる
ツールだったけど
価値観すら多様化している中で
お金の価値すら
人の中でも
アルフォートぐらいまではいかないけど
差がついてきていて
僕なんかも本当
固定費以外は全く意識してないんですよ
この旅の間でかかるの
ほぼガソリン代だけみたいな状況になってて
それって
僕に対して
僕が生存するために
泊まらせてもらってたり
お風呂入らせてくれたり
ご飯食べれるっていうのは
その人にとって多分
僕を止めて優越感に浸るとか
そういう世界じゃないかもしれない
あっても全然いいんですけど
可視化されなくても
全然その世界の中で成り立ってるから
ある瞬間は
優越感に浸りたいかもしれないけど
そうじゃない瞬間だけでも
十分幸せ
だし
全然なくなる必要はないけど
なきゃないで
意外と平気なのかな
みたいなのが
僕の今の感覚ですかね
人間関係の多様性
答えになってますかね
わかりますわかります
満足感をどう得るかみたいなところが
結構重要なんですかね
ああそうだと思います
まさに
最初の
奪い合えば足りないけど
分かち合えば足りるっていうのが
そもそもある分のものをみんなで分かち合えて
少ないかもしれないけど
みんなで分かち合えて
それぞれが笑い合ってるよねっていうのだけで
満足感を得られると思っている
っていうのが大きいんですよね
奪い合って
戦争みたいなことやって
目を見た後は
人類全体がなんとなくそのことを踏まえて
学んで
そこまでやらなくていいかって思える
フェーズに
突入していくような気は勝手にしてるんですけどね
でもなかなかそうならないですね
まあまあまあ
僕が生きてる間にはならないと思いつつ
後世の人のために
音声残してるみたいな気分なんですけど
でも別に
その価値観が
ほとんどの人が分かってもらえない
ってわけではなくて
でも全人類の半分ぐらいは
分かってもらえてるような気がするんですけど
そこまでは全然思ってない
半分ぐらいは
そういう穏やかな
分かち合えば足りるの
分かち合って幸せだよね
っていうのを実感できる人
半分ぐらいいると思うんですけど
なんとなく希望的な
希望的なことを言ってるだけ
かもしれないですけど
でも半分以上そうじゃない
そうじゃない人たちが権力者
になってたり
するのかな
権力者とか政治家になる人は
そうじゃない側の人が結構
なりやすいんじゃないかな
気がしてて
分かんないんですけど
なんでそういう人たちが支持されてしまうのか
っていうところがあったりして
また別の全然話になっちゃうんですけど
うんうんうん
半分は言い過ぎなんですかね
3分の1ぐらい
でもすごく多くの人に共感してもらえる
分かち合えば足りるっていうのは
そんなことないんかな
1割ぐらいだったりするんですかね
自分の周りがたまたまそういう人が多いっていうだけなんですかね
僕はまだそんな気がしてて
まだまだ少数派っていう気分だったもんで
分かんないですけどね
ちゃんとそれこそ測れないんで
どうなんでしょうね
まあでもあんまり
そうですね
いずれそういう社会になるかどうかっていうのすら
あんまり意識していなくて
今自分が
どう感じてるかが
全てみたいに
思っているから
それが自分の周りでだけ成り立ってれば
自分の中ではもう十分なんですよね
どうなんでしょう
全体みたいなものを
把握できる
未来が来るのかもしれないけど
分かんないですね
そこさっぱり分かんないですね
話飛んじゃうんですけど
樋口さんが
言ってたような気がするんですけど
どこまでを
自分の仲間と思うか
意識の話あるじゃないですか
人間の集団
の一番最小単位は
家族だとしたら
例えば家族
親戚
親類みたいなところに
広がって
村とか
町内に住む人たち
同じ市
同じ県
同じ国
どこまでを自分の仲間と思うか
いろんな判断が変わってくる
あったりした時に
国籍と人間の理解
最近
SNSとかでよく見る
外国人と日本人
分けて考える
外国人排斥する
みたいな
外国人差別とか
色々あるような気がするんですけど
どこまでを仲間と思うか
いろんな判断が変わってくる
例えば日本人ファースト
みたいな
それを
その考え方に賛同する人もいれば
その考え方はどうなの
みたいな考え方もある
そのあたりで
考えたりしますか
しゅうさんは
自分の
所属するコミュニティの中だけで
分かってもらえればいいかな
みたいなところ
さっき話あったような気もするんですけど
それは
めちゃくちゃ思っていて
僕って
話せば分かるという言葉が嫌いなんですよ
僕は話しても
分からないと思っている
話せば分かるって
気弁というか
自分を納得させるために
言う場合もあるかもしれないし
話せば分かる
理由にして分かり合おうとしている
無理やり
みんなの集団が分かり合っている
ということにしているのか
使い方は分からないですけど
僕は話せば分かるという言葉が嫌いなのは
小さい時から
話しても分からないじゃんってずっと思っている
だから
僕は
話せば分かるという言葉は嘘だと思っていて
人間は絶対に分かり合えない
から
言葉を尽くして
コミュニケーションしないといけない
という気持ちがあるんですけど
どこまでを仲間と見るかで
話せば分かる
みたいなことも
どこまでは分かり合えるけど
ここから先は分かり合えない人たちみたいに
分けている気がしていて
僕の中では
絶対に分かり合えないということになっている
逆に
どこまでを自分の仲間とするか
という考え方は
自分と自分以外しか僕の中にはないので
だから自分以外は
全部仲間
全人類一つの仲間でいいじゃん
僕は思っている
だから僕は日本人ファースト
みたいな考え方は
そもそも嫌いで
国とかは別に関係なく
そばにいる人たち何人だって
仲良くすればいいじゃんと思っている
外国人が悪いことをするって
当たり前だけど日本人は悪いことをするので
悪いことをする人はダメなだけで
その人は何人だろうと何語を喋ろうと
どんな宗教を信じていようと
別にそれは関係ないじゃんって思うんですけど
でも日本人ファーストというか
外国人がした犯罪に関してのニュース
にすごく敏感な人が
いるじゃないですか
それが辛いなっていう話なんですけど
でもそう思っちゃうんですよね
多分その
縄張り意識みたいなところで
敵と味方を区別しないといけないっていう
その人としての
本能みたいなところがきっとあるんだろうな
と思っていて
それもさっきの直感の話に
つながるかもしれないんですけど
自分は自己防衛として
敵と味方を分けないと
生存していけない
っていう本能のところで
やってるのかなって気がするんですけど
僕もそれはちょっと悲しいなって
なんとみんな
自分以外の他人とは分かり合えないから
みんな一緒っていうことで
思ったらいいのになって
思ってます
そういう
分かんないですけど
辛い目にあっている人に関しては
理想論とか
気上の空論みたいに言われるかもしれないですけど
はいはいはい
いやーでも
僕も似たような感覚
分かり合えるっていうわけじゃないけど
分かり合えるっていうと
何でしょうね
完全一致みたいなニュアンスを
ちょっと含んでる気がして
それはないと思っている
それぞれがもう完全に
唯一無二のその瞬間
二度とないのが連続していってるって思ってるから
そういう意味では分かり合えるっていうのは
ほぼありえないぐらいに思ってるんですけど
笑い合える瞬間がある
っていうので僕十分だと思っていて
それっていつ来るか
分かんないじゃないですか
本当に波長があったタイミングで
同じ人とでも笑い合う確率が高い
親和性の高いというか
気の合う人
とかいうのはいるけど
いつ誰がどういう風に変わるか分かんないじゃないですか
昨日までめっちゃ仲が悪くて
最初は喧嘩してたからこそ
それを乗り越えた時にめっちゃ親友になったみたいな
あり得るから
それは誰とでもあり得る可能性
っていうのは僕も全人類に
感じていて
その意味で何一つ
あんまり諦めるつもりがないっていうか
全体で
見ちゃうっていうのはありますね
でも僕も
分かり合えないと思ってるんですけど
何か諦めてるわけではなくて
さっきも言ったんですが価値観が合うっていう
現象はすごくあると思ってるんですよね
同じものが好きっていう
ただその好きの
理由とか理屈とか感じ方は
人それぞれ違うだろうけど
でも同じものが好きっていう
価値観で人が集まって
さっきチュウさん言ってたみたいに
笑い合えるっていうのは理想だなって思いますよね
分かり合えるって思うこと自体が
傲慢だとすると思ってて
僕が
小学生の思い出と人間関係
自分の小学生の時に話ばかりしますけど
小学校3年生の時に
めっちゃ覚えてる記憶があるんですよ
自分の
他人の先生じゃなかったんですけど
他のクラスの先生にめっちゃ怒られたことがあって
お前は
人の気持ちが全然分からない
人の気持ちを考えろ
全然人の気持ちを考えなくてめって
分かってないのかと
怒られたんですけど
怒られながら
別の先生に対して
お前も俺の気持ちを分かってないけどなって
先生は僕のことがめっちゃ怒ってるけど
僕の気持ちを全然
人の気持ちを分かれって言っている knock
背に
よなでたらめだこんな大人に言ってることをめっちゃ思ってたのを覚えてて その時からずっと人の気持ちは絶対わからないからわかったようなこと
言っちゃダメだなって思ってたなって思ってた
だからまあそれが当たり前として人とコミュニケーション取ったら いいのになぁって思ってるのかもしれないですね
地域の応援の意義
そう思いますね 日本人だとみんな別れ合えるとか
思ってるのかなぁ 日本人だからなんかあれですね日本人だから
なんかこう日本人としての価値観みたいなのを みんながこれを守れるのが日本人みたいな感じに思ってるんですかね
いやいやファーっとあると思いますよね 見た目も近いし
文化も共有してるし一定それはあるとは思いますけど
だから日本人だから日本人すごいと思ってるだけで アメリカ人はアメリカ人すごいと思ってるしイギリス人はイギリス人すごいと思ってるし
それぞれの国の人が自分たちのことすごいと思ってるのは別にいいと思うんですけど 日本人
だからだよねそれは日本人だから日本人すごいと思ってる 日本すごいと思ってるだけだよねってみんな
思ってるんですかねどうなんですかね なんかあまり人だけがすごいんじゃないと思うけどなんて僕は常に思っています
それぞれの国の人たちがすごいんじゃないかな
なんか 好きに理由がないぐらいな勢いで偶然日本に生まれたから日本人がすごいと思ってるみたいな
程度のもんだと思ってますけどねあんまり深く考えてすらいないというか
高校野球でなんか近い地域ほど応援しててその近い地域が負けたらよりなんか 全国規模で見たら近い地域の応援するみたいなのをうちの親父ずっとやってたんですけどそれ
見ながらなんか僕面白がってたんですけど それがあれですよねどこまでは自分の仲間と
その話ですよねうん それが自然に広がっていくんですよね
だから僕もあれなんですね高校野球とか見てても全然そのなんて言うんですかね その自分の地元だから応援するっていう鳥取県の大鳥取県って人口がすごい
日本で一番少ないから a そうなんですねそうです高校も
少ないんですよだから甲子園もえっとね4回買ったら甲子園行けるんですよ 大原ほどでた分日本で一番甲子園に行きやすいですはい
県なんですけどが弱いんですよ当たり前ですけど だから弱いから応援しがいがないから応援しないのか
わかんないですけどその甲子園みたいなのでその自分の地元を応援するという気持ちが 全然わからない
うんですよねうん だからもともとそういうなんか
帰属意識みたいなでも鳥取生まれギターポップ育てるって言ってますよ めちゃめちゃ言ってた鳥取に挑戦はい何なんですかね
ねえ鳥取出身だから鳥取のチームを応援するっていうそういうのはあんまり そもそもスポーツにあまり興味がないのかな
なんかありますねそういうのね 確かに地元を応援するあれ面白いですよね
確かに面白いなぁ
何なんだろう
そのモチベーションというかその
例えば阪神ファンの人が阪神が負けて悔しいのはなんとかわかるんですけど 例えば自分が鳥取県生まれだから鳥取県代表チームが負けてすげー悔しいっていう
そういう気持ちなんのかな 普段から応援してないからかな
でもなんかそういうところ面白いんですねだって実際全然自分と関係ないじゃないですか そうですね自分の人生と全然関係ないのに生まれたところのチームが勝ったら嬉しい負けたら悔しい
収録の裏話と編集
っていうのは面白いですね 人間の特性なんですかそれもな気がしますけどね
うーん 僕の中では突き詰めていけばそれも自分の生存を
なんだろう 自分の集団を自分の所属する集団を応援したいというかそれの味方として行動するっていうのは
人間のその本質的な特性の一つかもしれないですね
確かに なんとなくですけどねそんな感覚も
行き着きがちですけど
ちょっとなかなかまとめづらい感じになってきたけど 話がどんどん発散していった感じ
どのくらい経ちました? 1時間15分 あーでも意外ともっとめちゃめちゃ喋った気がした
そうですね外のポーズの音も結構入ってる感じありますよね これね
あ、してました? でもカンカン音なんだよ
そっかこっちから聞く? こっちから?
まあまあまあ個人の音くらいじゃ全然 大丈夫ですか?
僕は気にあんまりしてないですけど
でも確かにいっぱい話した気はしますよね
意外と喋れて僕の中では結構満足度高いですけど いやいや僕もめちゃくちゃ満足度高いです
これがポッドキャストで配信されるかどうかがちょっと不安ですけど
いや配信は絶対されるんでしょ? 僕の中では何で配信するかは相談ですけど
そのまんまもう明日に終報を出してもいいぐらいな気分ではいますけど
僕は全然どう使っていただいても全く問題はないですけど
面白いのかどうかがよくわかんないですけど
まあまあそうですね でも僕の中では途中でケイジ君が前にやってくれた週3入門の時に言えなかった
アウトプットが素敵な感覚がちょっとだけでも表現できたのが嬉しかったですね
そこがメインですね
僕の中ではそうですね
僕は余計な話をいっぱいしてしまった
それがあってこそなんで
僕が収録始める前の話をついつい思い浮かべちゃうからそれをいちいち説明してくれてありがとうございます
一応ねちゃんと配信されるんだったらその辺も説明しておいたほうがいいかな
ついつい説明せずに進めちゃいがちなんですよね
他の番組で僕以外の方も割とそうなりがちって思ってて
そこをきっちり説明してくれるから嬉しいって思いながら聞いてました
週3の今言ったやつは週3関連の番組を大体聞いてたらわかるんですよ
でも収録外のところの話は絶対にしないと
僕と週3違うって思って話をしました
助かりました
本当に週4の話を聞いてて本当に楽しいなって聞いてるんですよ
みんなでワイワイと話をしてるじゃないですか
いつか参加したいなと思う
ぜひぜひ週の話すラジオのdiscordに入ってもらえればいつでも参加できるんで
あれってどういうスケジュール決まってるんですか?
そうですね大輝くんがレギュラーって決めてるんで
大輝くんと僕で日程決めてこの日にやるんでよかったら入ってきてください
あれ何時ぐらいから何時ぐらいまでやってるんですか?
夜9時半から始まって最低10時半でも遅くなるときには日付またぐときもあるので
その時のみんなの勢い次第みたいな感じですね
だから途中で参加してる人が時々いたりしますもんね
そうそうそう
予想外の人が現れてる
クローザーズの面々
ヤマムスはあんまり来ないけど
ジョージ・クルニーヤンとかタカシさんとかジョンさんとかが
ひょいひょい現れてくれて助かってますね
そういうことなんですね
僕確かに招待もらえれば入れるんですかね?
週報の概要欄にdiscordの入り口があるんで
そこから勝手に入れます
それは気づいてなかった?
参加したい人にはお笑いロールっていうのを付与してるんで
そういう参加の意思を僕が確認できればお笑いロールをいつでも付与します
週報discordに入ってきてくれれば
お笑いロールがあればみんなが収録してるチャンネルに入れるってことですか?
というかメンションするだけです
この日にボイスチャンネルで収録やってるんで
そのロールに割り振られた人にメンションする?
そうそうお笑いロールの人に通知がいくメンションをするっていうだけの話で
誰でも入れるんですけど
その通知が届くか届かないか?
そういうだけです
一回参加してみたいな
ぜひぜひ
参加してみたいんですけど
そのスケジュールが分からないっていうのは
申し訳ないなって
いえいえ全然
いつでも偶然タイミングがあって入ってっていう人もいっぱいいるんで
あれ月1くらいでやってるんですか収録日?
基本そうしてるっていう感じかな
その時に何回分収録できるかもさっき言ったみたいにランダムなんで
このトレ高だとこのぐらいまで配信できそうだから
じゃあ次はこの日の収録日に設定しようか
ぐらいざっくりした決め方しかしてないんで
あれは参加者分のトラックが録音されてるわけですよね
それをしゅうさんは手元で編集して
あれ一番組編集するのどれくらいかかります?
一番組?
一回の配信分
そんなに編集しないんですよね
音量調整ぐらいですね
音量調整とノイズ除去ぐらいですね
かぶりをずらしたりとかそういうことはあんまりやってない?
よっぽどだったらやるけどあんまりやんないですね
あとはピー入れてくださいっていうのがたまにあるんで
それはいれますけど
毎回まえりょうさんという方が入ってきてくださって
真面目な話しちゃったのが嫌だから
下ネタっぽくしたいから
憲法といった法を全部ピー入れてくれって言われて大変だったんですよ
ありましたね
あれはそういうことなんだ
真面目になったのは嫌だから
おたらけるのであれをやったんですね
そうなんですよ
めんどくさかったですね
めちゃくちゃめんどくさかったですね
僕だったらそれは音源預かって全部挿入してお返し
そうしてくれれば嬉しいんですけど
要望だけ出してって感じだったんで
僕は青春バンチャー初恋バーンっていう
カーミ君とやってるやつは
月一ディスコードで収録してやってるんですけど
結構かぶりとかが多いから
結構編集してる
毎回一本
40分くらいのやつで2時間くらいかけて編集してます
それがかけすぎなのかかかってないのか分からないです
僕も意外と何だかんだで倍くらいの時間はかかるかも
かかりますね
かかる気がしますね
あの辺もAIが上手い感じでやってくれるようになってきそうですよね
やってくれたらいいですけどね
フィラーの部分とかカットするとか
重なってる部分をずらしてくれたら最高ですね
いずれはそうなるでしょうね
なりそうですけどね
一旦
あんまりローカル的な話になってるから
01:23:36

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