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2021-09-09 19:10

「相対的な幸せ感」と「聞きたい様にしか聞かない」話

更新の間が空いてしまって、3日前(9/6)に2つのポッドキャストから感じて、ホントはその日に収録したかった話。

今日は車で片道1時間半かけて、足踏み脱穀機をもらいに友人宅を訪れ、その車中での録音

内容は、いつも話している相対的な幸せ感を、ポッドキャストの #ハルサーのつぶやき#ロッキンチェアー から感じたって話がメイン。

帰り道には、だいぶ前に知った、「人は自分の聞きたい様にしか話を聞かない」って話…


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00:01
今、宮崎市佐渡原町の自宅から、都の上司の友人の家に車を走らせているところです。
日口さんっぽく始めようと思って、そんな雰囲気は出なかったかなーっていう感じなんですけど、
僕の車は軽でうるさいんでね。
そしてさらに、僕はエアコンを使わない派なので、風の音がすごくうるさいかもしれないですね。
使えるかどうかは、今日は自宅に帰って、これは思いっきり編集にかけて出すかどうか決めようかなーというところですね。
時刻はお昼の2時21分というところです。
何のために、都の上司の友人の家に向かっているかというと、足踏み脱穀機をもらいに行くために、都の上司に今向かっています。
足踏み脱穀機は、皆さんご存知ですかね。
お米を脱穀するために足で踏んでドラムを回して、それが脱穀になるという昔の機械ですね。
機械といってももう足が動力なので、機械と呼べるかどうかよくわからないですけど、
それを去年も使って僕は脱穀をしていたんですけども、
今年はですね、去年は人から借りていたんですね。
それはもう去年お返ししまして、しかも脱穀がほぼほぼ1人、子供たちも手伝ってはくれたんですけど、
僕が8割ぐらい脱穀したような、1人で脱穀したようなところだったので、長い期間借りてしまって、すごいご迷惑をおかけしたということもあって、
今年は自分で何らかの形で入手しなければいけないということで、
Facebookで呼びかけて、で、友人が、友人といっても実は一回しか会ったことないんですけど、
僕の中では友人というふうに呼ばせていただいてますけど、その方が反応してくれて、
ちょっとドラムの部分は生きているけども、もしかしたら台座というか、そういう部分が何かしら壊れてるような感じで書かれてましたけども、
まあ何とかして自分で直して使えないものかなっていうところにチャレンジしようかなと思ってます。
長旅というか、1時間半ぐらい、1時間半以上片道かかるので、今録音しながら向かっているところですけども、
03:01
話したい内容はですね、足踏み脱穀機のことではなくて、
っていう本題に入るってなると、一応タイトルコールですね。
ということでいきましょう!
シューの話すラジオ!
話すは手放すの話す!
何をどう手放すか、何のために手放すか、見方を変えれば真逆になるけれども、
自分が一番心地いいところを探し続けていきましょう!
毎回何言ってるかわかんない手放すですけどね。
何を喋りたかったかと言いますと、本当はパソコンの画面を見ながら喋ろうかと思っていた内容なので、
また僕の貧弱な記憶をほじくりながらうまく喋れるかわかりませんけども、
ちょっとこのシューの話すラジオの収録がおろそかになっていて、
約1週間間が空いていたんですけども、6日間かな?
3日くらい前だと思うんですけど、確か9月6日に、
ハルサーのつぶやきでラッキーさんが話されていた、
何か映画を見たということで、映画を2本見たっていうような内容の、ちょっとタイトル忘れましたけど、
ラッキーさんのハルサーのつぶやきで、僕の耳がピクピクと反応したのはですね、
2本目の映画で、映画のタイトルが何だったかな?タイトル忘れました。
南スーダンの人がアメリカに渡ってマラソンだったと思うんですけど、
オリンピックに出るという内容の映画だったらしいですね。
戦火のランナーっていう、戦火は戦いの火と書いて戦火のランナーっていうタイトルの映画だったと思います。
今思い出したと思います。
で、その話を、その映画を見てラッキーさんは、何が幸せなんだろうなっていうようなことを感じたっていうふうにおっしゃってましたね。
その戦火のランナーの主人公の出身国である南スーダン、まだ国の中にオリンピック協会もないような状況の国で、
そんな国がオリンピックに出るっていうようなことは大変なことなんだなっていうようなことをおっしゃってて、
そういう国で自分の国の人がオリンピックに出るっていうようなことは、その国の国民にとってはそれだけでもすごく嬉しいことなんだと。
06:00
そういったこともすごく幸せなんだろうし、
一方ですごく豊かな国で穏やかな日々を過ごすっていうようなことも、これはこれで幸せで、
どっちが幸せなんだろうなっていうふうなことを感じられたと。
ただラッキーさんは、とはいえ全体が豊かになっていくのがいいんでしょうけどっていうふうにも挟まれてましたけど、
僕はこのラッキーさんの言われていた意味と、僕が普段言っている意味が完全一致するかどうかはわからないですけども、
そこに耳がピクピクっとなったんですね。
僕が相対的な幸せの感覚っていう意味では、原始人であっても、超貧困国の人であっても、
その相対的な幸せ感は変わらないんじゃないかなっていう感覚のもとに、今僕はなるべくお金を使わない生活をしてますと。
そういう感覚に過ぎないんですけども、僕の中ではもうある意味、確信のような形で持っているものなんですね。
どの位置からであっても、必ず幸せっていうのは相対的なものなんじゃないかなというのが僕の感覚なんですね。
何にもなくても幸せっていうふうに感じるっていうこともあるかもしれないんですけど、
それは何にもないことっていうのが、
例えば、ものすごく生きていくだけで大変な戦時中であったりとか、
戦争に限らずですけど、ものすごく貧困で生きていくのが大変な状況から比べたら、
何もないことっていうのは相対的に見て、ものすごく幸せに感じるっていうのはやっぱり相対的なことだと思うんですよね。
だからそういう意味で、僕の感覚の裏付けになるようなことをラッキーさんがおっしゃられてたんじゃないかなというふうに感じました。
同じ日にですね、これは僕ツイートもしたんですけども、
ロッキンチェアーっていうポッドキャストがありまして、
これは新型オトナウイルスのディスコードサーバー上で、
そのロッキンチェアーで喋っている若者2人のお父さんが書き込みをされてたんですね。
Z世代の息子とその友達がやっているポッドキャストですっていうふうに紹介されていて、
そこを経由で僕はそのポッドキャストを知って聞くようになったんですけども、
19歳のジン君と22歳のケイチ君の2人が喋っているポッドキャストなんですけど、
09:00
毎回そうなんですけど、すごく若い2人なのに考え方がものすごく共感できる部分があって、
すごく心地いいポッドキャストなんですよね。
ケイチ君が突然、何か日常の法常さみたいなところに話として切り込んでいくような流れになるんですよ。
そこに最初ジン君はおおっとしたとしたっていうような感じで最初驚くんですけど、
聞いているうちにああ俺にも同じような経験があるっていうふうに、
ジン君も共感していくっていうようなところがすごく良くて、
メモをしていたんですけどね、それを今見れないので記憶に頼ってという形で今表現しますけど、
ケイチ君が言われたのは何が幸せかなっていうふうに感じるのはっていうような話の流れで、
日々の淡々とした幸せっていうようなことを普段から言ってるみたいなんですね。
それを説明するのにケイチ君は死ぬ時にはさあみたいに急に言って、
それがジン君がちょっとびっくりしたみたいな、
おおっとしたとした落ち着けみたいになってたんですけど、
言いたいことっていうのは死ぬ前にどんなことを感じるか、
人生をもし振り返ったとしたらどういう時が自分の人生で幸せだったかなっていうふうに考えていくと、
淡々と過ごす日々の日常っていうふうに思うんじゃないかなと。
文化祭とかで平柔道とかを大きい場所を借りてやったりもしたこともあるらしいんですけど、ケイチ君は。
でも放課後になんとか君となんとか君と一緒に、
ああでもないこうでもないたわいもないおしゃべりをしたと。
それが3時間くらい暗くなるまでそういうのがめちゃくちゃ楽しかったっていうような話をするんですよね。
そういうのも僕の中では相対的な幸せ、
そういうところに幸せってあるものだから、
何もそんなにガツガツがむしゃらにお金を稼いだりとか、
そういうふうに考えなくていいんじゃないかなっていうのが、
僕のなるべくお金を使わない生活っていうのの原点になってるんですね。
だから僕としてはそういった感覚をもとに、
今後もずっとただ生きていればいいというふうに思ってるところなんですね。
ただ生きていくっていうのが難しいことではあるんですけど、
ただ生きていくっていうことをただ続けていくっていうことがいかに難しいと同時に、
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それこそがどんなに大切なことであるかなっていうふうに感じた日だったんですね、その3日前は。
その時に収録もしたかったんですけど、なんだかんだでその時間が取れなくて、
今ちょうど運転をして時間が空いていたので録音してみたっていうのが今日の録音でした。
これはしかし音がひどいだろうな。
使えるかどうかわからないですけど、一応使えるかもしれないっていうところで締めておきますね。
はい、そんなわけですね。
そんなわけでというのはですね、今もう実は帰り道に入ってまして、
午後5時35分といった時間に今、続きを録音し始めてます。
無事足踏み脱穀機、まあだいぶ木が腐ってたりはするんですけれども、
なんとか直して使えないかなっていうようなところですね。
僕の相対的な幸せに向かって、
ああだこうだまた修理に時間を費やそうかなというところなんですけども、
そういう相対的な幸せの話なんですけど、
これ僕結構何回もこのポッドキャストでも言ったりはしてるんですけど、
なんて言うんでしょうね、この話に限らずですけど、
話って基本的に人にポンと伝わるもんではないなというふうにつくづく思うんですね。
まあこれは僕がなるべくお金の少ない生活に入るときのきっかけになった、
自分の父親との大喧嘩の時にも感じたんですけども、
文章が正しいかどうか、そういったことは基本的には人とのコミュニケーションにおいて二の次になってるんだと思うんですよね。
それは特に喧嘩なんかしてたり、そういう感情が触れていたらよりそうなんですけど、
人は基本的に自分の聞きたいようにしか人の話を聞いていないっていうのをですね、
もうだいぶ前から僕これ聞いたことのある話だったんですね。
まあ具体的に言うと、前に1回この一周の話すラジオで話したこともあるんですけども、
1回かな2回かな、僕が21歳ぐらいの頃、27年ぐらい前に自己啓発セミナーを受けたときに、
そこで初めて僕は聞いて、いまだにそれはその通りだなというふうに思っている話ではあるんですけど、
人は基本的に相手の話を自分が聞きたいようにしか聞いていないということは本当にあるなというふうに思います。
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その話わかるっていうようなリアクションを返されて相手と通じ合ったような気になりますけども、
実際に通じている部分がゼロとは言わないんですけど、
その経験を似たような経験をした相手はその相手にとっての経験として通じる。
そういった時にはその文章が初めて伝わりやすくなって伝わるっていうようなものだと思うんですよね。
ちょっと前にイタミンさんの世界をちょっとカラフルにするラジオで植水由紀さんと室さんがゲストに呼ばれてお話をしていて、
すごく面白い回だったんですけど、こんなに話が通じないんだっていうような内容の話を室さんがされていて、
あの話自体はものすごく僕も面白おかしく、そうだよねありそうだよねと思って聞いたんですけど、
基本的に僕はどっちかというと、人が相手の話を自分の聞きたいようにしてしか聞いていないから起こることの一例というか、
そういう要素がやっぱり含まれてるんじゃないかなと思いながら聞いていました。
ちょっと僕の相対的な幸せ感の話からこの話につなげるのは無理やりな感じがしないでもなかったんですけども、
その人その人が自分の人生を生きるそれだけが全てであって、
なんか有意識みたいなことを言い出し始めちゃってますけど、
その中でコミュニケーション可能な他者っていうところを諦めないっていうところが間っていうところは僕もその通りだと感じて、
それにはそのわずかな可能性、相手に理解されないことを繰り返して、
そんな中でもほんの少しだけでも理解してもらえる可能性みたいなところを諦めない。
自分が理解されるされないっていうのもそうだし、相手の話を理解する。
理解というか共感というかどっちかちょっと分からない話をしてますけど、
そういう意味ではあの回上水さんと室さんのお話はやっぱり素敵な回だったなというふうには思うんですけれども、
本当にそうだなというふうにつくづく何かことが起こるたんびにやっぱりそうだなというふうに思いますね。
だから僕の相対的な幸せ、その差分で感じる幸せはどの位置にいても変わらないんじゃなかろうか。
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微対地も変わらないというわけではないですけど、そんなに変わらないんじゃなかろうかということを多分これからも僕は言い続けるだろうし、
これからもそのことを意識して確認するような形で生き続けていくんじゃないかなと自分で思っているところです。
はい、といったようなところで自宅に帰って音がちゃんと録音されて聞くに耐えるようなものになるようであれば配信しようかなというふうに思っています。
いつも聞いてくださっている方、今日初めて来てくださった方、本当にありがとうございます。感謝してます。
というようなところで今回は以上です。ではまた。
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