1. サカナカイギ
  2. リョウシ 🍣 不動産テック企業..
2025-07-02 26:11

リョウシ 🍣 不動産テック企業から女川町の漁師へ。新米漁師リュウタの軌跡

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠#11 「人が漁師になる。そのいきさつ」

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- ⁠⁠⁠⁠⁠サカナカイギ⁠⁠⁠⁠⁠ -

アングラー・漁師・ポッドキャスターなどが織りなす「サカナ的クロストーク」番組。宮城県女川町から、水曜よるリリース。感想は ⁠⁠⁠⁠⁠#サカナカイギ⁠⁠⁠⁠⁠ と共にどうぞ🐟🐟🐟

 

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00:05
今回は番外編ということで、僕とリュウタさん、お酒をね。 リュウタ 🍣 すみません、いただきました。
先にいただかせてもらってます、ユウスケくん。ごめんなさい。 ユウスケ 🍣 はい、後ほど合流します、お酒としては。
ということで、ゆるく番外編ということでね、しゃべろうかなと思うんですけれども、
いやリュウタさん、めっちゃおしゃべりしてて楽しいし、このエピソードが出る頃にはもう10話ぐらいの
ポッドキャストエピソードが出てることに、多分なると思うんですけど、今日僕ら会うの3回目なんですよ。
そんなことある? いや、こっちのセリフですよ。ぎゅうちょんすぎる。適用が早すぎる。
いやいやいや、その、アンディさんが上手。 いやいやいや。だからね、まずデモ版の収録で、いい感じかなってなったんですが、それはオンライン。
しかも初対面ね。 しかもそれ、いや初対面はね、そう、初対面は女川の漁師カレッジなんですよ。
そうなの。 でもその時は一瞬挨拶しただけで。
9月ぐらいですか、9月とか10月ぐらいですよね。 そうですそうです。で、オンラインで1回打ち合わせして、オンライン2回目はデモ版を撮ってみて、で、前回、僕が女川にやってきて収録させてもらったのが、あれ対面するの2回目か、で、今日3回目です。
あまりにね、上手く行き過ぎてるところがありまして。 いやいやいや、そんなことないです。いい距離感でね。
ね、本当にありがたいです。楽しくやらせて。 距離感じゃないか。上手く合ってるのね。
本当に。で、めちゃめちゃありがたいんですけど、改めて、僕、劉太さんのことそんなに知らないんですよ。
ここまで来て。俺ら知らないで付き合ってたんですよ。 第10話目を越えようかっていうところになって初めて。
確かに。 僕、あんまりこの人のこと知らないなって。
番外編はゆるくお酒を飲みながら、鈴木劉太さんどういった方なのか、自己紹介の方をお願いしたいというところです。
ありがとうございます。本当に。 僕が知ってるのは、有名な会社の名前出してもいいんですかね。
大丈夫ですよ。いいですよ。 有名な不動産サイトというか、不動産仲介の会社のライフルホームズ。僕も東京住んだ時とか特にお世話になったことがあるんですけど。
そこにお勤めだったところを退職されて女川に移住して、今漁師やってるということなんですけど、そこまでしか知らなくて。
はいはいはい。そうっすよね。元々、渓流とライフルっていう会社に新卒で入って、一回辞めて、語り場っていう教育のNPOの会社に行って、そこで島根県の雲南市っていうところで7年授業をやって、
03:01
そこをまた退職して、ライフルに戻って出戻りをして、2年間働いて、また辞めたと。お腹にきて両親になったっていうのが、僕の社会人のキャリアでいうとそういうキャリアなんですけど、
そんなところで、大体30歳ぐらいのときに語り場にいたときなんですけど、今後どんな人生を歩むべきかなーみたいなのを考えてて、それの人生っていうのは結局仕事と何を軸に何をしていくのかっていうのを、すごいあんまり決めきれなくて、決めきれないっていうのはあんまり想像もできてなくて、
サラリーマン突っ走ってやってきたけど、このままでいいんだっけみたいなのを一回ちょっと考えようっていうので、考え始めたのが30歳ぐらいのときなんですけど
そもそもちょっと遡っちゃいますけど、大学は何勉強してたんですか?
大学は法学部っていうところに、実は東京の私立大の法学部にいたんですけど、法学部に行ったのも別に特に意味はなく
なんか政治経済法学部系にとりあえず行こうみたいな
いや僕も文系だったんでめっちゃ気持ちわかります、なんか就職的にもつぶしは効くっていうか、大学の中でも文系学部で比較的有力な学部っていう感覚ありますよね
まさに、あとなんか名前がかっこいいみたいな、法律勉強しますって言いたい
でも普通に民法とか落としてるんですけどね
民法って結構必修に近いんですか?
僕の大学は必修ではなかったんですけど、一応ちゃんと落として
サークルとか頑張ってた感じですか?
サークル、でもむしろ大学ほぼ行ってなくて、2年間ぐらい行ってなかったんですよ
本当に行ってなくて、僕は某焼肉店でバイトしたんですけど、そこに毎日通って、大学行かず、そこでバイトして、家帰ってバイトしてみたいな
最後店長代理までなって
むしろキャリアできてる
いやもう就職できるんじゃないかみたいな
いや行けますよね、そこまでやったら
だって辞めたんですけど、そんな感じで、全然大学に、大学というものにはこだわりももちろんなくて、友達もあんまりなくて
大学時代にできた友達はいっぱいいて、そのバイトを通じてとか、それこそ語り場は僕大学時代はインターンしたりとかしたんだろうな
そこで出会った友達たちは今でも仲良かったりとか、なんかそんな感じで
だからそれを母親に言ったら、2年間の学費返せみたいな感じで
06:00
私率高いですね
いやすいませんみたいな、ごめんなさいみたいな
それで就活のタイミングで先に入ったのがホームズ
そうですね、僕が就職活動したのがちょうど2011年
震災の年だ
震災の年で、3月11日っていうのはもう3月1日に大手のエントリーが解禁になってすぐぐらいの時に地震があって
1ヶ月ぐらい就活史上が止まるみたいな
ちなみにその頃僕は中3でした、中3の卒業式が2011年の3月でした
これが中学1年生、年生に上がる年、次が2年生だったかな
それこそその時ってゆうすき君は仙台に
そう、まさに震災の地震は体感してたんだよね
山の方だったからね
めっちゃ揺れた
地震を初めて目で見たんだけど、奥からまずカラスが飛び始めて
手前にどんどんカラスが飛び始めてって
森の近くに自家があったから帰り道でちょうど下降途中だったんだけど
ほぼもう家に着くみたいなところで近くの森がね、奥からカラスが飛び始めて
カラスが飛んだところから順番に奥の方の木が先っぽだけ見えるんだけど
それが手前にかけて、少しずつ手前にかけて木が揺れていくんだよね
それで自分の足元ぐらいに来た時にガンってなって
そっから2分、3分ぐらいだったかな、揺れてた
時的にそれでね、S波見えたんだね
目で初めて地震を見る経験をしましたね
僕らはそういうぐらいの時期でした
ちょうど就活してて、で、その時に
被災地というか、その時のまず尾長和と出会うんですけど
語り場のインターンした時に、その語り場の拠点というか
語り場がこの尾長和で新しい事業を立ち上げると
行った時に人がいなさすぎて、僕インターンしたんですけど
インターンして一番動けそうだから
被災地に行っても元気にやれそうだからという理由で
とりあえずお前行ってこいみたいな感じで
で、尾長和に半年住んでたんですよ
その時点でも半年住んでたんですか
そう、2011年の10月から2012年の3月まで
尾長和に半年住んでて、そこで今の漁師の師匠と実は出会っていて
その時点でもうすでに会っていて
そう、清水義さんと出会ってて
もちろんその時は漁師になりたいと思ってないし
地域でサッカーのずっとフットサルを開いてやってた人なんで
フットサルの人っていうふうに認識して会ってたんですけど
09:04
その2011年の時に就活でたまたま受かったのがライフルで
そこに新卒として入るんですけど
IT大企業ですよね
当時まだ500人ぐらいの会社で
どっちかというと社会の中で自分が通用するかどうかっていうのと
一回民間企業で自分としてはキャリアを積んで
どれだけ勉強できるかというか成果を出せるかっていうのに
コミットしようと思って民間企業に行ったんですけど
そこで3年働いて
やっぱり語り場でやってきた教育の仕事をどこかでやりたいなって
2015年の1月にライフル辞めて島根県に移住をして
そこで7年間キャリア教育の事業を自分たち仲間3人で立ち上げて
それはじゃあもう言ったら企業っていうか
企業ほど全然リスク取ってなくて
語り場として新規事業としてやるっていうところの
新規事業推進のメンバーとして行かせてもらって
7年やって一応今も現地の法人が回せる状態にして
軌道に乗ったんですね
軌道というか事業を
そのタイミングで僕は辞めてまたライフルに戻ってくるんですけど
その時はどんな気持ちで
その時は語り場にいた時に
このいわゆる民間企業でずっと働くっていうことを
一生かけてやりたいかどうかっていうのはちょっと悩んでいて
もっと自分のやりたいことを仕事にした方が長く情熱を持って
働けるんじゃないかと思っていたんですけど
自分のやりたいことって何だろうっていうのをあんまりわからなくて
でまず自分のやりたいことは何だろうっていうのを
考え始めるのが30歳ぐらいだった
1年間ぐらい右往左往しながらいろいろ考えてて
僕海すごい好きで
元々マリンスポーツもダイビングとかサーフィンとか
結構好きでやってて
夏になると必ず沖縄に行ってマリンスポーツをするみたいな
いいですね
そういう生活をしてたんですけど
それを思い出したというか
それを考えた時にやっぱ海に携わる仕事って何人があるんだろうみたいなのが次に
なんかいろいろ調べていくと漁師とか加工屋とか
そういうのを支えるマーケッターとか
いろいろ職業が出てきて
一個その海で自分として何ができるかなっていうのを考えてみようっていうのが
12:00
31歳ぐらいの時から考えてて
その時には尾長に対する考えとかもあった?
いやなくて全然なくて
でたまたまその31ぐらいとか32ぐらいの時に
じゃあその漁師っていうのはどんなことやってんだろうっていうので
ちょっと聞きに行こうと思って
その2011年の時に出会ってた君吉さんの元に10年ぶりぐらいに
女川の漁師さんのところに
そうそう会いに来て
でちょっといろいろ教えてくださいっていうので
一緒に船乗らせてもらったのが
時にうわなんて面白い仕事なんだっていうのを
その時にちょっとビビビっときて
結構衝撃的でその漁師が漁をしてる姿があって
でそこに結構感動したのと
なんかこれ仕事にしたら
俺幸せかもしれないっていうのをちょっと思えたのがその時で
それを思った半分ぐらい思ったんだけど
半分はいやでもこれ本当にできるのかなみたいな
いやそこですよね
漁師って続けられるのかっていうか
そうそうそうだし結構覚悟いるなみたいな
俺やったことないしみたいな
動くお金とかも大きいし
そうそうだし漁師やるってなったら
じゃあ女川に住まなきゃいけないなとか
別に家計が漁師の家計でもないし
なんだかんだ30代っていうのも考えますよね
そうそう本当にだからそういう自分のキャリア的にも
ある意味気づいてきたキャリアを捨てることにもなるから
確かに確かに
サラリーマンとして気づいてきたキャリアを
スーツ着る仕事とは全然違いますね
だしエクセルとかパワポとか使って
使うんだけど
結果使うとか最近分かってきたんだけど
けどそれがシューではない
間違いない
ってなった時にそこをまたゼロリセットして
やるだけの核はあるんでしたっけみたいなので
そこはすごい悩んで
結論が出なくて
32ぐらいから35歳ぐらいまで
3ヶ月に1回ぐらいずっと尾長に通って
そういう使われ方
だから勝手にインターンみたいな位置付けで
長期で当時まだコロナ禍だったりもして
リモートワークがオッケーな会社だったから
ライフルリモートワークオッケーだった
そこで朝4時から9時ぐらいまで業をして
その後10時から自分の会社の仕事をして
みたいなことを続けて
でももちろん5日間とか6日間とか
こっちに滞在してっていうのを続けていく中で
改めてこれを職業にしたら
自分は幸せなんじゃないかっていうのを
2年半ぐらいずっと通いながら煮詰めてって
15:01
2023年ぐらいの時に
さんに本当にやりたいと思ってるんで
ちょっとサラリーマンの肩をつけてくるんで
っていう話をしたら分かったと
本当にやりたいならぜひ一緒にやろうみたいなこと
感じで言ってもらってその1年後ぐらいに会社を辞めて
いやーそういう
いきなり辞めた時的な感じだと勝手に思ってたんですけど
結構いろんな人に言われるんですけど
いきなり感はその事実だけ聞くとやっぱりいきなり感があるんで
いきなり老舗なんでみたいな
僕の中では5年ぐらいの
移行プロセスがあったのと
新米じゃない
新米ですよ
そこの35の年2024年に
4月に尾長に来て
ロープワークもわからない
魚の捌き方もわからない
だからゼロからやるって決めて
今1年が経とうとしてるんですけど
なるほどそういうキャリアだった
考え方フェーズ的に言ったらもう全然新米じゃない本当に
いやいやでも本当に
成熟していく
だから年下のそれこそ高校生で
漁師の家計の子とかの方が
やっぱ仕事は全然できるから
見てきてるものがやっぱり
やっぱそこに教えてくださいとか
言えるかどうかとか
確かにそうですよね
僕そこら辺は結構全くプライドないんで
わかんないもん
いいことないから
だからそこら辺はなんか自分としても
本当新卒もしくはインターンぐらいの気持ちで
何でもがむしゃらに吸収するみたいな
去年1年間の自分で
ちなみにライフル時代は何の仕事をしてたんですか
出戻り後とかでちょっと変わるかもしれない
出戻り前は新卒から3年間は営業
既存のお客さんに対して広告の提案をする
いわゆる営業の仕事をやっていて
出戻った後は新規事業の事業推進とか
事業開発の仕事をやっていて
それこそなんだっけ
リビングウェニーウェアコモンズとかで
ライフルフォーガスでしたよね
それの僕担当だったんです
マジで?
僕大学社会学部で町づくり勉強してたんで
めっちゃ知ってるんですよ
僕LACの事業推進の担当
なんてこった
サブスクで定額で
全国泊まり放題ってサービスが本当に
サービスとしてなり得るのかっていうのを
新規事業としてライフルの中で推進する
仕事を
実はやっていて
いや、意外な出会いすぎる
だから
ゆうすけ君とも
北海道の
18:00
話最初
会っていると
薬物
にあるゲストハウスも
LACの一個だった
そっかそっか
うちの加盟店の一個だったから
それで
最初そう
そこで最初
話しつながって
LACだったんですね
ってなったのが一番最初の
飲み会の時に
それこそ
あの時期ってアドレスとかハーフとか
なんかそういう
名前なんていうんだっけ
サブスクリプション制の
住めるよっていうサービスが
アドレス品系のサービスが
わって増えてた時期とかあったな
って思うんですけど
まさか
それにチャレンジしてた2年間だったんですか
びっくりです
だから結構そこで
いわゆる事業開発というか
何でもやっとして
立ち上げたら
とんでもないキャリア
そうだよね
一応そのLiving in your Commonsの
事業の方向性も
少しずつ
見えてきた中で
改めてやっぱ自分として
行きたい方向に
舵切ってチャレンジしようっていうので
去年
お互いに来たと
いう経緯なので
なので結構
サラリーマン生活は
13年ぐらい
やって
漁師を
始めたというか
ちなみにその
言ったら不動産にとどまらず
街づくりまで入ってるところは
あったと思うんですけどLiving in your Commonsとか
そういうところへの
興味とかはまだあったりするんですか
もちろん
街づくりって結局
街の
中の人が
何をするかだと
言っていて
僕はそういう点でも
尾長町ってとこに来て
漁師っていうのを
なりわえにしながら
それこそ尾長の街づくりの
一個であるお祭りとか
そういうところも今携わらせてもらってるんで
そうやって
一尾長町民として
できる自分なりの
街づくりのやり方っていうのを
実践してると思っていて
いいですね、めっちゃいいな
それを結構全国的に広めていくのは
大きいライフルーティア会社の
使命であると思うんですけど
僕はどちらかというとローカルにどんどん入っていって
ローカルなりの
受け入れる側で接続する側
ですよね、他所からやってきて
地域と
自分なりの街づくりの
あり方っていうのを尾長町をフィールドに
今体現させてもらってる
っていうような
位置づけと自分としては捉えてます
ある意味これもね
それに近しい活動
僕も
街づくり勉強して
それこそローカルとか
特に草の根で民間の
21:00
個人でどんな街づくりできるのかな
ってかそもそも街づくりって
平賀の5文字の定義って何?
ってところが勉強しながらNPO
昔やってたんですけど大学時代
なんかその上で
言ったら地域にある
観点って資源だよなって
思うところがあって
その地域でしか生まれない
観点ってものが確実にあって
それは白尾町に行った時だったら
森に対する眼差しだったなと思っているし
尾長町に来てみたら
魚とか海に対する眼差しだなって
思うところがあるんですけど
一方そういった自然と
直に触れ合っていないと
集めることができない情報
ってものに植えてるのが
また都会だなって思うところがあって
二次流通
加工された情報が出回ることこそ
多いものの
なんか海と直接触れながら
得られた情報が
直接そのまんまやってくることが
なくって一方ででも
都会では都会でSDGsの
名のもとに特に自然に対する
眼差しを求められる
状況には置かれ続けてるなと思っていて
なんかものすごい
情報とか眼差しが必要なのに
それを自らは収集することが
できないが二次流通的な情報が
出回っててみたいな歪みを
めっちゃ感じることが
田舎に移住してからあったんですよね
かなりたくさん
なんかその上で尾長は来て
魚とか海とかそういうものに
直に触れてる人の話を
聞いていてそれを
インターネット回してポッドキャストの形で
上手い具合に
じわじわと別の場所に届けて
いくことができるそれで認識の
ギャップを埋めたり
今はいるのか分かんないですけど
僕らが子供の頃に言われてた都会の
小学生はキリミの形でしか魚
知らない的な話とか昔あったと思うんですけど
ああいうところに対する
目株がさあみたいな
生の情報で
きどこみたいな形で可愛いよみたいな
組み合わせていくっていうこれが
超楽しくてやってるっていうのが
僕もこれ町づくりのノリなんです
僕が言いたかったこと全部
言ってくれた
超楽しいな
いやーそうだったとは
思ってなかったな 思わぬ共通点がね
いやいやゆうすけくん教えてくださいよ
あれ言ってなかったっけ
初めて聞いたよ
いやでも直接りゅうたさんの口から聞くのがね
まあそうだよね 一番間違いない
でも僕としての
その
もうちょい源流で言うと
僕が東京生まれ
東京育ちである
とみんなから
言われるっていうことに
結構ずっとコンプレックスがあって
でも誇るところも
なければ
特徴のある喋り方もしないし
方言があるわけでもなく
っていうことに
すごくずっと
なんか自分の
故郷がないなみたいな
コンプレックスがずっとあって
大学時代にやっぱいろんな友達が
大学になって増えて
全国から集まって
24:00
関西の友達もいれば
九州の友達もいれば
そこはその土地で育った
その人たちが見てきた風景と
なんか独特の言葉と
っていうのに
強い憧れがあって
いつかそういうものを
自分としても持ちたいなっていうので
っていう
思いはずっとあって
でもやっぱそれが
どこでどういうドメインで
自分はやるのかっていうので
今尾長町で
海で漁師で
っていうのを
やっていくっていうのを
決意して過ごしてきた
1年でやってきた道は
とても良かったなっていうのを
思ってるしこれからもちょっともっと深めていきたいな
っていうのが今の現在地かな
と思って
ある意味でですけど
故郷を作るようなものだなっていうか
増やすようなものだなって思いましたね
地域の文脈と自分を
繋げていくっていうか
まさにまさに本当故郷づくり
を今尾長町で
やらせてもらってるなっていう
感覚が
確かに好きができるのが結構故郷づくりだな
って印象があって
元々確かに生まれ育ったのは
一つ目の故郷があるけど
自分の好きが集中してる
場所っていうかここだったら
来ていきたいなって思える場所は
本当に故郷になり得るなと思ってて
北海道もまさに
自分自身はそれを感じたし
今住んでる尾長町もやっぱ
そこにすごい
同じ感覚を得られるし
っていうので
故郷を増やしていくのってめちゃくちゃ良いな
って感覚がすごいある
いや本当にわかるわ
ある
いやーいい話すぎて
オチを見失ってます
お酒のせいもあるかもしれない
それはあるね確かに
そんな感じのキャリアで
やってきまして
これ知らないまま
僕この人とここまで仕事
よかったです
おっさりできてよかったです
ありがとうございました
インスタグラムは魚会議で検索してください
26:11

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