埼玉県しりたがりラジオ『サイタマニアクス』
#32「実は日本酒大国!埼玉の酒造の知られざる生存戦略」 パーソナリティ:こけ お相手:うおのめ さん 酒所のイメージが全くない埼玉ですが、実は日本酒づくりが盛んな地域なんです! そんな埼玉の酒蔵のこれまでと今を、日本酒ドランカーのうおのめさんに熱く語っていただきました! ▼埼玉の日本酒生産量は全国4位! ▼近江商人が埼玉の酒造りを変えた ▼地域密着型酒造が最近いい酒作ってるんです #さいたま市 #加須市 #秩父市
この番組は「埼玉県」というコンテンツを様々な角度からいじり倒して、おもちゃにして楽しんでみようというコンセプトでお届けするラジオです。
埼玉県に馴染みのある方もそうでない方も、この番組を通して埼玉県だけでなく、身近な場所について考えてもらうきっかけになればいいなと思っています。
■番組についてのご意見・ご感想・コメントなどは是非下記フォームからお寄せください。 https://forms.gle/a6oCJfuuFUQ8vCYy9
サマリー
埼玉県は日本酒の生産量で全国第4位を誇ります。このエピソードでは、埼玉の酒蔵の歴史や、日本酒文化の独自の進化について深い洞察が得られます。また、埼玉県の酒造が直面する存続の危機とその生存戦略についても掘り下げられます。江戸時代からの技術の改善と地元密着型の販売戦略がどのように展開されているのかも語られます。埼玉県の日本酒造りは近年注目を集めており、特に地元の小さな酒蔵が美味しい酒を生み出しています。さらに、埼玉でのクラフトビールの盛り上がりも話題に上がり、地域の酒造りの多様性が感じられます。
埼玉の日本酒の秘密
埼玉県しりたがりラジオ、サイタマニアクスパーソナリティのこけと申します。そして、本日のゲストはこの方です。
歴史大好き、上野芽です。よろしくお願いします。
上野芽さん、よろしくお願いいたします。
2回目の登場ということで、どうですか?前回やってみて。
3週間ぶり?
そうですね。はい。
オンエアされたものを聞くと、私がものすごく論議的に喋っているように聞こえて、
めちゃくちゃいいじゃないですか。
これが私の声?みたいな気分になりましたけれども。
そうですか。
本当は、もっと詩に別列にいろいろ喋りましたんで。
ちょっとね、いい感じにね、編集などを挟みます。
いろんなことをわーっと喋っていこうかなと思います。
ありがとうございます。
前回の最後に、得意分野ということで、お酒っていうワードが出てたかなというふうに思うんですけど。
ちなみに、上野芽さん、どんぐらい飲むんですか?普段。
普段はね、平日は飲まないようにしてます。
なるほど。
金曜、土曜、日曜。日曜もそんなに飲まないかな。金曜、土曜がメインで飲んでる感じですね。
飲むお酒はやっぱり日本酒って感じじゃないですか?
日本酒。夏だったらビールとか酒杯なんかも飲むかなって感じですね。
なるほど。でもやっぱり一番好きなのは日本酒って感じだったね。
日本酒ですね。
なんかそれ、日本酒好きな理由とかあったりするんですか?
大学が、私高校まで埼玉にいたんですけれども、大学でちょっと北陸に行ったんですね。
大学で北陸に行って20歳を迎えて飲んだお酒がもうとにかく美味しくって。
あーなるほど。
また向こうだから、こっちの水とは違う白山系統の水なんですね。
あーなるほど、はい。
白い山と書いて白山の水が流れてくる。
うん。
だからもう水からして全然違うから。
はいはい。
もう水の美味しさ、酒の美味しさというのは向こうでもう散々に覚えまして。
なるほど、はい。
それでやっぱり日本酒が好きになっちゃったと。
あー、それ以来酒びたしってことですね。
そうですね。
あら。
で、埼玉に帰ってからも美味しいお酒を求めてフラフラしていると。
はいはい。
こんな感じになります。
でも埼玉に美味しいお酒なんてあるんですかって聞いちゃうとちょっとあんまりよろしくないのかもしれないですけど。
実際あんま埼玉って日本酒とかのイメージないんですよね。
そうですよね。あんまり埼玉の日本酒って言って、
例えば日本酒名館みたいな有名どころのお酒が集まるようなカタログみたいなの見てみてもそんなに載ってなかったりするんですけれど。
どうしてどうして埼玉って実は結構な酒どころで。
へー。
今でも去年の統計だったかな。
それで埼玉県は日本全国で生産量第4位なんですよ。
日本酒の生産量第4位ってことですか。
そうそうそうそう。
えー。
1位が兵庫県で。
はいはいはい。奈良とかありますもんね。
そうそうそうそう。
で、次は京都はお手軽ですね。
あーなるほど。
それから新潟県。やっぱり米どころだから。
それはわかりますね。
その次が埼玉なんです。
いやーちょっと不思議ですね、なんか。
第4位が埼玉。
全然ピンとこない。
これはね、結構昔、江戸時代ぐらいから実はその傾向ってあって。
逆にその伝統を引き継ぐような形で埼玉県が全国4位のシェアを誇っていると。
江戸時代の酒造り
あーそうなんですか。
そんなようなことがあるんですね。
えー。
じゃあ実際その江戸時代ぐらいの埼玉県の日本酒事情というか酒造事情っていうのはどんな感じだったんでしょう?
っていったところからちょっと話を伺えればなと思うんですけど。
はいはいはい。
埼玉で一番古い酒蔵って、
すみません、どこだったかちょっと忘れちゃったんだけれども。
はいはい。
いくつかあって、1620年代ぐらいに創業っていうところがあるんですね。
江戸時代の頭ぐらいって感じですか。
そう。だからもう本当に家康が江戸に都市を築いて、
しばらくしたら埼玉でポンポコポンポコポコ酒造り始めるところが生まれ始めるんですね。
へー、なるほど。
これはどういうことかっていうと、江戸っていう街が作られる大都市なわけですよ。
でも大都市になるから、土地の値段が高くなるわけですね。
まあ都市均衡はそういうことですね。
そうそうそうそう。酒造りって、やっぱり米も必要だし、水も必要だし、飲む人も必要だから。
ちょっと条件として難しいところが出てくるんですよね。
酒造りをやる工場も作りたいけど、
人がいないところに工場を作ってもしょうがないし。
まあそれはそうですね。
というわけで、江戸の中に作っちゃうよりは、
江戸よりも江戸につながる川の上流のほうに作っちゃった工場を作っちゃったほうがいいんじゃねっていうことになるんですね。
あーなるほど、はい。
江戸っていう都市に向けて出荷するためには、ちょっと上流側のところに作ったほうがよろしかろうと。
まあ確かに水の質とかも良さそうですし。
そうそうそう。それで埼玉が選ばれるっていう流れがあるんですね。
あーなるほど。
まあその埼玉っていう土地は、江戸に近いからっていったところも一つの利点としてあった上でってことですよね。
そうそうそうそう。
うーん、なるほど。
でもそれだけだったら、千葉とか茨城とか、あるいは都市均衡とか、その辺でも良くねっていうふうに思うんだけど。
全然良さそうですね。
でもそれでも埼玉がやっぱり選ばれるっていうのはですね、ちょうどその頃の江戸時代に入って時代が安定し始めてから、川のそばの停止地の開発がものすごく進んでるんですよね。
あー、いわゆる水田開発ってことですか。
そうそうそうそう。神殿開発みたいなことがものすごく進んでる。
あーはいはいはい。
農地としてはとても新しい土地が生まれる。
うんうんうん。
そこにはやっぱりいっぱい、その農地を支える人口もいるわけだから、米も少し余り気味になってくるし。
あーなるほど、はい。
そのいった米を生産に回すようになって、日本酒が作られるようになるわけですね。
埼玉の酒蔵と商人
あーなるほど、そういうことか。もともと湿地帯だったところが開発されて、新しい神殿になって。
でもそんな米、山ほど作れるようになるんだけれども、その供給に対する人口がまだそこまで多くなってないからっていう。
あーなるほど。
米がちょっと余り始めちゃうから、酒でも作ろっかっていう流れがあるんですね。
あーそういうことなんですか。
そういうでもね、この緩い感じの、じゃあ米余ったから酒作ろっかーっていう緩い流れがあるのと同時に、
そういうゆるふわ生産体制をやるんだったら、
俺たち金持ってるからドカンと土地買って、がっちりと酒作り始めようぜっていうことを言い始める人たちがいるんですね。
なるほど。なんか当時からアメリカナイトされた考え方ですけど。
理にはかなってますよね。
それが公衆商人っていって、滋賀県の人たちなんです。
滋賀県によくいる商人の人たちが、結構資本を持って関東に進出しようとするんだけど、
そのときにある程度土地もあって、米もあってっていうところで埼玉が狙い目になるんですね。
だからね、今現在残ってる埼玉の酒蔵、調べてみると、
並列の滋賀県からやってきた人たちが祖先になってる企業と、
それから埼玉の土着の人たちが起こした企業と、
あともう一個、新潟県からやってきた人たちが起こす企業。
この3通りにほぼ分かれるんですね。
へー、そうだね。
これが面白いところですよ。
そういう公衆商人が埼玉に進出してきて、江戸時代を通じてどんどん公衆系企業っていうんですけれども、
そういう酒蔵会社をどんどん作っていくと。
やっぱりその公衆の人たちは、ちょっと商売っ家があるというか、
そういうところに広い土地が埼玉にあるよって言ったところに目をつけて、
ちょっとお金の匂いがしてって言ったところからスタートしてるんですかね。
ものすごく目端の効いているところで。
埼玉で酒蔵をやってる人たちが3つ集団があるっていうふうに言いましたけれども、
公衆商人たち、公務員商人たちが進出している場所をよく見てみると、
公務員商人たちは絶対に川のそばか、街道のそばに店を構えるんです。
なんか考えられてますね。
そう。だから大都市に向かって、はっきり言っちゃえば江戸だよね。
江戸に向かって酒を出荷するっていうことをものすごく考えて、店を構えるようにしてる。
ああ、なるほど。
一方埼玉にもとからいる人たちってのは、やっぱり自分の居所に縛られるから。
まあそうですよね。
全体的にわーって散らばってるし。
また、新潟から来る人たち。
これは前の2社に送れるんですよ。
埼玉でもとからやってる人たちがいる。
大見商人たちが構える店がある。
そういう2つのところで修行してきた人たちが、
お金を稼いで独立していって、店を構えるようになるっていう流れがあるんですね。
なので、新潟出身の人たちっていうのは、意外とそういう都市圏じゃないところに。
埼玉の街中でもない。川のそばでも、街道沿いってわけでもない。
けど農村が集まってて需要があるぐらいのところに、お店を構えるっていう傾向がありますね。
そうするとだいぶ規模が小さくなりそうな。
そうそうそうそう。
そんな感じで、意外といい場所っていうのを大見商人が抑えてる。
ちなみに大見商人が作った手像っていうと、代表的なところってどこってあるんですか?
えーとね、大見商人のところで言うと。
現存してないですか?
現存はしてるんだけども、随分マイナーなところになっちゃってるんだよね。
決まっては結構マイナーなところになっちゃったりしてて。
なるほどね。
ちなみにどことか。
富士崎総米商店。
おー知らねー。
だよねー。
知らねーな。
あとは秩父の八王。
八王分店?秩父日式ね。
そうそうそうそう。秩父日式。
あそこの秩父の八王日式なんかは、滋賀県からやってくる大見商人が一番祖先になってる。
なるほどなるほど。
お店になりますね。
あそこなんかは調べてみると、我々はあくまで滋賀県からやってきた人たちなんだから、
漢方よしの精神で地元の人たちにも還元しなくちゃいけないって言って始めたのが八王百貨店だとかそういう話が残ってる。
確かに八王っていう八王もなんかちょっと関西っぽいというか。
そうですね。
あとは地元系の人たちでいえば、小山本家とかかな。
小山本家。
差し扇にある始祖なんですけれども。
へー。
まあ確かに差し扇なんてちょっとなかなか狙わないと、そこで始祖をやろうって思わないようなところですね。
まあでもこの小山本家ってところが実はすごくて。
えっとね、現代で聖宗の出荷量を調べてみると、
1位はやっぱり招致配とかさ、たから始祖。
2位が兵庫の白鶴。
3位が月景館っていうのがあって、京都の。
なんとその4位に世界鷹っていう小山本家が来るんですね。
4位に入ってるの、埼玉の企業が。
全然イメージないんですけど。
あんまり知らないですよね。世界鷹っていう名柄もあんまり知らない。
聞いたことの多いですね。すいません。
うん。なんだけど、これは実は銀杖酒とか大銀杖とかってあんまり主力じゃなくて、
どっちかっていうとパック酒とか。
おー、はいはいはい。
あるいはお店に卸すような、
ほら、居酒屋行くとさ、結構日本酒とかしか買えてないような酒があったりするじゃないですか。
ああいうところに卸してたりするんですね。
埼玉の鮭と酒造の歴史
その手の分野で超強い。
へー。
いや、全然その上の上位さん、このネームバリューが強すぎて。
全然知らなかったですね。
なんなら菊正宗とか大関よりも売れてるっていう。
マジ?
知らねえって思うんだけど。
いや、ほんとそうですね。
江戸からそういう風に近いっていうことでものすごくこう、
生産業を伸ばしてきた場所ではあるんだけれども、
別に順調に伸ばしてきたっていうわけでは実は全然なくって、
江戸の後期ぐらいになってくると、
航路が開拓されてくるわけですよね。
西日本から東日本に物を運んでくるための防火線の航路が発達してくる。
なんちゃら鮭って言いますよね。
そうそうそうそう。
下り鮭なんていう。
菜田の木一本なんて聞いたことあると思うけど。
上等な鮭っていうのは西の方からくるもんだと。
そうですね。
そういうイメージが非常に強くなっていく。
そういうふうに航路も開拓もどんどん進んでいくと、
安全に船便で大量に西日本の鮭を江戸に持ってきて売ることができるようになっていくんですね。
そんなわけでだんだんだんだん埼玉の鮭っていうのが、
江戸市場でちょっと圧迫され始めちゃうんですよ。
まあ確かに。
埼玉の鮭なんか飲むぐらいだったら、下り鮭のいいやつを飲むわーっつって。
飲まれそういうふうに余ってきちゃったりするんですね。
そうですね。
これはいかんなーということで、
だいたい二通りぐらいに埼玉の酒造、北関東全体の酒造が動き始めるんだけれども、
一方は近隣の酒造とかを集めて、カルテルを作っちゃうんですよ。
あーなるほど、はい。
協定作っちゃって、なんとか組みたいな感じで。
その組の中で酒の価格とかも決めちゃったりして、
それで集団としての存続を図るわけですね。
まあ確かにちっちゃい会社とかだったら、
集まってやったほうがいいよねっていう考えにはなるかもしれないですね。
そうやって存続を図るのが一つ。
もう一個は、いや俺たちも下り酒に対抗できるぐらい品質を高めていったらいいんじゃないかっていうふうに考える人も出てくる。
なるほどなるほど。
でもこれって実は難しくって、
その下り酒が何が優れていたかっていうと、
西日本から大阪とか名田から作って、ずーっと運んでくるまで品質を保つことができる。
あー確かに。
その殺菌技術っていうのがものすごく優れたんですね。
へー、はいはいはい。
埼玉なんか作って、都根川の上流とかで作って、江戸に出荷する。
その江戸に出荷するまでの間に劣化しちゃってるって言うんですね。
あー、まあ確かに近い分あんまりその辺は気にしなくてもそれまで良かったってことね。
そうそうそうそう。
江戸に運んだはいいけど酒屋さんで持ってる間にどんどんどんどんお前んとこの酒腐ってっちゃうじゃないかよっていうふうに。
うん。それは困りますね。
だから長期保存技術みたいなものを、埼玉でもきちんと勉強しなくちゃって言って勉強し始めるんだけど、
その習得にも、なんなら50年とか100年とかかかってるんですよね。
えー、結構な。
結構かかるの。
一代じゃ終わんないぐらいな。
いつも全然終わんない。
えー、すごい。
一代もとっくに終わって、大正2年とかに国税庁の人とか呼んで、北関東の酒造を集めて勉強会みたいなことをやるんですよ。
へー、はいはい。
俺たちがんばって作ってるんだけど、西日本の酒に何が負けてるんですかねっていう。
おー、なるほど。
その時に国税庁の人が言うのが、職人の質が悪かったり、米がまずい、構図が良くない、時計が悪い。
さらに言うと、お前たちは火入れが下手。
技術的なところ。
そう、超ボロクソに言われてるんですね。
なるほど、はい。
機材もそうだし、技術もそうだし、とにかく西日本に一生懸命追いつこうとして頑張ってやってきたっていうのが、江戸時代後期から近代にかけての埼玉の酒造の歩みなわけですね。
あー、なるほど。そこでちゃんと頑張って技術とかを習得して。
やってきたから、なんとか西日本の酒に戦えるようになってる。
だんだんだんだん戦えるようになってったっていうのが戦前までの歩みみたいな感じですね。
あー、なるほど。
逆に言うと、埼玉で作ってる米とかはだんだん減ってっちゃったりとかして、地元の米を使うっていうのはなかなか難しくなってきたりとかしそうですけど。
だからその辺も、埼玉の米は酒造に向かないっていう判定になっちゃうんですね。
あー、でも実際そうなっちゃうね。
技術の向上と地元密着
でもこれ現代になると意外とそうでもなくて。
あーそうなんですね。
そうそう。さっき紹介した小山本家っていう酒造がありますけど、あそこが埼玉県産の米で作られてるんですよ。
あーすごいですね。
これがおいしい。
えー、そうなんだ。
埼玉の西の輝きっていう米があって。
これは普通に食べてもおいしいんだけれど、酒造にも結構向くっていう研究があってね。
それで作ったところなんかは結構おいしかったりするんですね。
あーそうなんだ。どうしても山田錦じゃないとダメとかそういうことではないんですね。
そういう流れはやっぱりこれまでの100年、150年の中でずっとあって。
やっぱり向こうの山田錦、まあでも兵庫県産山田錦錦って争奪戦だからさ。
あーなるほど。
うん。
まあ確かにね。どこもおかしくも使われますもんね。
そうそう。
うん。そっか。
だったらやっぱりちょっと地元で作ったものをどうにか酒造に使えないかっていう風に考えていいものを作ろうっていうのは、まあ確かに考え方してあるかなっていう。
そう。そういう試行錯誤はもうずーっと続けてられてきた。
うーん、なるほど。
それが最近とうとう身を結び始めたと。
あー、そうなんだ。
そんなような埼玉の酒造の発展があるわけだけれども、
ここでちょっと面白かったのが、さっき地元のカルテルを組んじゃった人たちって言ったじゃない?
あー、はい、言いましたね。
そういう人たちはそういう人たちで仲間うちを組んで、江戸に出荷するのをほぼやめちゃって、
本当に近所の隣町とか、近所の大結構町みたいな都市なんかを抱き込んじゃって、
そこには俺たちの酒しか下ろさないっていう。
あー、なるほど。
ことを理解するんですね。
うーん、本当に地元密着。
ちょっと前に、埼玉の県の組織が、久喜市の栗橋っていう町を発掘してるんだけれども、
その栗橋っていう町で出てきた酒好きおちょこですね。
おちょこに書いてある酒の銘柄。
これを調べたっていう人がいて、全部。
調べてみると、本当にもう地元、周囲10キロぐらいの町の銘柄しかないっていうことがあったんですね。
江戸時代なんかは本当にもう栗橋のお酒と、隣町の小川のお酒しかないとか。
あー、なるほど。
それが明治になってくるとちょっと範囲が広がって、京田のお酒とかもちょっと入ってくるみたいな。
そういうものすごい地域のつながりっていうのを大事にする流れがあるのね。
まあ確かに、日本酒ならなんでもいいっていう人たちもいるのかなと思って。
そういう人たちはあんまり気にせず、基本的には地元のもので。
結局お酒がダメになっちゃう期間が短いんだけど、地元に卸すんだったら別にそれは問題なく、あんまり問題なく売れちゃうんですよね。
確かに確かに。
そんなわけで、地元にものすごくがっつり固まった販路があるっていう流れもあるので。
実は埼玉、小山本家って大手だけじゃなくてちっちゃい酒蔵もいっぱいあるんだけれども、
そういう酒蔵をほとんど目にすることがないっていうのは。
調べてみると、うちが売ってるお酒っていうのは市内とか町内に売るのが7、8割ですよとか。
隣の隣町とかにいると、隣の隣町で売ってる酒のこと全然知らないとか、
そういうことが全然あり得る。
例えば河野市とかに住んでる人が地区の酒のこと全然知らないとか、見たこともない。
もう全然普通にあり得るわけですね。
それ今でもって感じですか?
今でもです。ずっと続けてます。
確かに逆に言うと外食文化とか、外で食事するとかいう機会が増えてくると、
他の都道府県とかの銘柄とかもよく知るようになって、
この銘柄がいわゆる有名銘柄なんだっていうのも、
なんとなくわかってきたりするとは思うんですけど、
そういう機会がないような時代だったり、そういう文化がないところっていうのは、
確かに地元で出回ってるものしか基本的には知らないっていう状態になると思うんで。
地元で売ってる酒屋さんのお酒がまずのお酒のすべてなわけですよね。
そういうことになりますよね。
確かにそうなんだよな。
でもそういうところのお酒って、やっぱり日本全体としての食文化の変化みたいなのがものすごく弱くなっちゃって。
あーそうですね。
ご飯じゃなくてパンを食べるようにだんだんなっていく。
日本酒じゃなくてビールとかワインを飲むようにだんだんなっていく。
っていうふうになったときに、もう全然立ち打ちできないわけですよ。
なので今、そういう小規模な日本酒を作る市内とかをメインに置いてきた、
地元っていうものを販路のメインに置いてきた酒屋さんっていうのが、
ものすごくどんどんどんどん潰れてってるっていうのが現状なんですよ。
まあそうですよね。
地元のお酒の魅力
まあそれは言いたい仕方ないというか。
でもこういう説明を聞くと何とかまあまあでもそういうふうになっちゃうなと思うんだけれども、
でも俺は言いたいんだけれども、
お酒美味しいよねっていう。
やっぱりね、あの埼玉に住んでると、
埼玉に住んでて埼玉の水を飲んで埼玉で作られて野菜食べて生きてると、
やっぱり不思議と埼玉のお酒が美味しくなってくるんですよ。
それはやっぱり北陸のお酒と飲み比べてもやっぱり違うもんですか?
北陸にいた時は、北陸のお酒めちゃめちゃ美味いなってすごく思ってた。
埼玉のお酒なんて飲めたもんじゃねえなぐらいに思ってたんだけれども、
これが不思議と埼玉に帰ってきて、埼玉の水を飲んでやってると、
だんだんこっちのお酒もいけるなっていうふうに思い始めるんですよ。
なるほど。
そういう状態で取り寄せて飲んでみる北陸のお酒が、
あれ?こんな味だったっけなって思ったりとかする。
その土地にあったお酒っていうのがやっぱりあるんだろうなって思ったりする。
まあ確かにそれはそうです。
そういうわけで、地元のお酒ってなくなってほしくないなーって。
いやーこれは難しいっすよね。
まあそうなんですよね。
埼玉県知りたがりラジオ埼玉ニュアンクス。
この番組はSpotify、Apple Podcast、Amazon MusicとYouTubeで配信されています。
番組宛にご意見ご感想などありましたら、番組説明欄にGoogleフォームのリンクがありますので、そちらから何でも寄せください。
Podcastでお聞きの方は番組をフォローしていただくと、お聞きに応しなくお聞きいただけます。
YouTubeでお聞きの方はチャンネル登録、高評価、コメントなど残していただけると嬉しいです。
ということで、本日は埼玉のお酒事情といったところについてお話をしてもらいましたが、
そうですね、初めて聞く話もいろいろあって、
特にそもそも埼玉で日本酒作りが未だに結構盛んに行われてるっていうのも意外だなというところが正直ありました。
埼玉の日本酒の魅力
最近だと埼玉の銘柄って、いろいろと気にしてお店とか酒屋さんでも見るようにしていたりとかするんですけれども、
例えば最近だと花火とか、花火はどこだったっけな。
鹿児島ですね。
鹿児島でしたっけ。南陽でしたっけ。南陽城堂さん。
あの辺は数年前ぐらいに結構ファッショナブル、若者向けの日本酒みたいなのを提供していたりとかして、結構有名になったりとかしていたりとかするので、
結構埼玉の酒造も頑張ってんだなとか思ってましたけど、
日本4番目の生産量のところが差し置きにあるとか、そういう辺は全然知らなかったので、かなり意外でした。
最近家族の酒造界隈って実は結構頑張ってて、
もちろん有名なのは、さっきも言ってた花火の南陽城堂さんなんかは有名なんだけれども、
それ以外にも日本酒だと、花火市っていう手柄があって、
水手造さんっていう本当に小さい蔵本なんだけれども、
ここが本当に美味しい。
これはね、自信持っておすすめします。
ただ扱ってるところが少ない。
玉敷神社っていう神社があって、
そこの神社の前にある酒屋さんなんかだと売ってる。
本当に蔵本の近所の酒屋さんでしか売ってないぐらいの感じです。
それはやっぱりもともとそういうところを販路にしてるような。
本当に市内だけを販路にしてるようなちっちゃな酒蔵なんだけど、
ここが最近もうメキメキ実力をつけてきて、
これは美味しいなっていう。
香り高いけれども、なんかスーって入ってっちゃうようなタイプじゃなくって、
米の香りみたいなものをしっかり味わえる。
フルーティーというか、ちょっと甘いようなフルーティーな感じではあるんだけれども、
しっかり米の味っていうものを味わえる。
ものすごくいいお酒です。
いいっすね。でもやっぱりなかなか買えないってことですよね。
そうなんですよね。
確かにそういうのありますよね。
移動に行かないと買えない、その近くじゃないと売ってないみたいなね。
私この前小川に行ったときに、松岡醤造の三角松とかで有名な松岡醤造。
あそこでワイン用の工房を使ったお酒みたいなやつをいただいて、
めちゃくちゃバナナとかマンゴーとかのフルーティーな感じがしつつ、
日本酒のガツンとした感じもあるっていうすごく変わり種のお酒ではあったんですけど、
やっぱりそういうちょっと一味違うようなお酒とかも提供していたりするとちょっと気になっちゃったりとか。
そういうのもありますよね。
そういうのはやっぱり、
くだり酒に対抗しようと思って半路をガチッと自分たちだけで固めたっていうのの名残が今まだあるんだよね。
なるほどね。
やっぱりなかなか東海オンエアのところに面白くなっちゃったっていう。
とはいえね、これからちょっと頑張っていくんだったら、
そこそこを意識した戦略をしていかないと、
なかなか生き残っていくのは大変なのかなっていう気は。
頑張ってほしいなって思うんですけどね。
クラフトビールの盛り上がり
あとね、
カゾはね、
最近ビール作り始めた人がいて、
なんか聞いたことあるかもしれないな。
知ってる?カゾビール、カゾ爆酒っていう。
知ってますよ。普通にクラフトビールって言うよね。
そうそう、クラフトビール、クラフトビール。
あれ美味しい。
クラフトビール、埼玉いっぱいあるんだけれども、
この話もいずれできればなって思いますけど。
いや、気になります。
あそこ一押しです。
カゾ爆酒。これも玉敷神社のところなの?
そうそうそうそう。
これも美味しいからね。これもおすすめです。
いいですね。
カゾがにわかに酒造りのが盛んになってきて、
今熱いなっていう。
うどんだけじゃないぞっていう。
ところでそんなちょっとしたトピックがあります。
確かにちょっと私も最近クラフトビールとかちょっと気になっていて。
結構やっぱりクラフトビールだとそんなにスタートにお金もかからないって言ったところもあって、
小規模でできるって言ったところも魅力だったりとかするので、
結構なんか時川とかでも新しいウルワリ出てたりとかしてちょっと気になってたりするんですけど。
あそこが強烈なんだよ。
ネットで買えないんですよね、大概。
そうなんですよね。
生のタップでしか提供してなかったりとか、あと本当にその場でしか買えないとか、
あと期間限定だったりとかするんで。
ちょっとね、ちゃんと足を運ばないといけないなと思いつつ。
それ気になってるところが結構多いですね。
次の回にでもレビューできればと思いますけれども。
そうですね。そういった話もさせていただければと思います。
ということで本日は日本一について熱く語っていただきました。
宇野さんありがとうございました。
どうもありがとうございました。
34:42
コメント
スクロール