伊藤真と弁理者
あんだけ伊藤真とか言ってるのに、そこを弁理者使っちゃうの?みたいな。
そこを省略しちゃうよ、みたいな。
手触り味わなきゃいいの?みたいな。
のがあるのかもしれない。
販売とか。
どのくさくやりたいのか。
わかんないけど。
すごいな、りゅうちゃんさん。
伊藤真言ってるじゃないですか。
言っちゃってるから、弁理者に逃げれなくしてるところもあるんで。
今の話的にも、そこに行っちゃう?みたいな話も。
僕は結構、見ずに弁理者に行っちゃったりとか、楽しい方に飛んじゃったりするけど。
そこの、すごいですね。
そういう楽して生きてる人間だから、言ってることとやってること、思ってることを一致させたいのよ。
伊藤真で結構心救われた部分とか、それによって人生をより楽しくさせてくれてる実感はあるから。
そこに合わせていきたいのよ、俺は。
すごいな、そんなコミットできる?
コミットしてる感覚はないですよね。
それが楽しくさせてくれてるっていう、一種の和訳なのかわかんないけど。
そう思わせられてるっていう扇動なのかわかんないけど。
自分が伊藤真を動かしてるのか、伊藤真に動かされてるのかみたいな。
面白いね。
どっちなんだろうね。
すごいなと思って。
どっちもあるのかもしれないよね。だから本当につらいときは伊藤真でバランスを保たせてるし、調子いいときは自分が動かしてるし。
伊藤真で繋がった人たちの種の力以外の人たちとの繋がりとかも結構良かったりするというか。
面白いね。
そういうのも含めて、伊藤真に活かされてるのかもしれない。
そういう人って絶対伊藤真じゃないから、多分それだけじゃない気がするし。
すごいな、伊藤真。
なんなんだろうね。
結構大切にしてる。
すごいですね。
2、3個すごいなと思ってて。
ちゃんと概念じゃないですか。ちゃんと概念。
概念やし、ちゃんと因数分解もできるし、伊藤真って初めて聞いて説明聞いたとしても分かりやすいというか、分かれると書かれるみたいな、誰でもが。
やのに、ちゃんと概念として存在してるし、それをエンジンにして西谷さん動いてるし、西谷さん自身も西谷さんエンジンでいても動かしてるのがすごいなと思ってて。
西谷さん、金子さん、奥田さんがすごいんですよ。
すごいですね。でもそれに僕から見たらコミットしてるから。
感化されてるから、めっちゃ感化されてるから。
ちゃんとインストールされてるのがすげーて、面白いのがあって。
なんなんだろうね、この関係性はね。面白いよね。
初めてのそういう。
慣らされてる顔ないよね。伊藤を使ってとかも一切言われたことないし。
むしろ最近伊藤伊藤言いすぎて恥ずかしくなったりとか。本家よりお前言うんかみたいな。
そんなこと言わないけど、西谷くんはそのままでいいよって言われてる感じまた好きだし。
それもあるんですね。言いすぎてみたいな。
言われないけど、自分なりに最近伊藤ばっかり言ってるから逆に逃げないではあるんだよ。
伊藤って便利だから。伊藤って言えばそれこそちゃんとした概念だからみんなもうおーってなるから。
そこに逃げちゃう自分もいるし。学生の会話の中では抽象高い話を受けたりもするから。
使い勝ちだけどじゃあ何なんだろうっていうのを改めて考え直したりするから。
ぐるぐる回ってるの。
今のムーブはあんま使わないムーブで終わった。
もう一回伊藤の概念聞いていいですか?
伊藤というのは暇と書いて伊藤という概念ですね。聞いたことないよ金子さんとしては。
聞いたことあるけどいまいち落ちきってない感じがあって。
ただの良かとか暇っていう意味なんだけど。
そうじゃなくて自己の充実とか有意義な時間とか贅沢な時間とかそういったことに当てられる時間という定義があります。
この言葉ってそもそも日本語からできたわけじゃなくて
ギリシャ時代アリストテリスとかが学問とかマネした背景があると思うんですけど
あの時って奴隷とかを使ってわざわざ自分の自己の充実になっている時間をめちゃくちゃ作ったのね。
奴隷を使ってまでわざわざ。
自分のやりたいこととか有意義な時間とか贅沢なご飯を食べたりとかそういう時間を当ててたんで。
でもいまってそういう便利さとかサービスとかいろいろあるわけじゃん。
好きな時にいろんな場所に行けたりとか携帯一つで物が手に入ったりとかそういう時代だけど
奴隷を使わなくても手に入る物がたくさんある中で
僕たちはそういう有意義な時間とか贅沢な時間をどれくらい持っているか。
好きなことをどのくらいで生きているか。
その時に僕は全然持っていなかったの。
誰かに生かされてたとか、それこそ兄貴が野球やってたから俺もやっていたとか
それって自分の物心ではない部分もあると思ってて
衝動じゃない部分もあると思うから
そういう衝動とか物心とかを大切にしながら俺は生きていきたいなって思ってて
持っている人って多分そういう有意義な時間を持っている人だし
そういう時間、いとまという有意義な時間とかを作るためには何が必要かってなった時に
意識とか意味とか意思とか
時間とか空間とか仲間っていうものを捉えれる
捉えようとする姿勢自体がそういう有意義な時間を作る
自分の物心だったりとか
衝動みたいなところにつながるんじゃないかなみたいな
もっと難しくなったよね、なんか
便利さと有意義な時間
もっと難しくなったかもしれない
そういう話かな
便利さがどんどんどんどん向上していくのに
本来はその便利さのおかげで
あるべきいとまの時間が僕ら持ててないよねっていうところで
便利な時代になったんだからそういう充実
自己の充実の時間とか
贅沢な時間を持とうよみたいな
便利だけど便利なものはめっちゃ使っていいと思う
めっちゃ使うしいい
ちゃんとそれを認知した上で
便利さがあるから絶対幸せになるとか
便利さを使い続ければ楽なことができる
いい人生を歩めるってことではないと思うのね
それこそちょっとさっき話した
昔の時代っていうのはめちゃくちゃ不便だった
機械もなんもない中で田植えをしていたけど
みんなでご飯を食べてみんなでお酒を飲んで楽しかったっていう
楽しい人生を歩んでいたおじいちゃんたちがいる
一方今は便利ですごいトラクターがあって
一人で全部完結できるけど楽しくない農業とか楽しくない生き方がある
便利が楽しいに絶対紐づくとか
いい人生に紐づくってことではないってことは言い切れると思う
だからこそ今の時代便利さがいっぱいある中で
便利なものを使ってもいい
けどそれが全て自分の人生を楽しくさせるものではないよ
と認知した上で
じゃあその時間余った時間をどう使うかっていうのを
考えていこうっていうのが
僕なりの持っている問いである
今の問いだと思っている
なるほど
便利に時間をどう使うのっていう
確かに確かに
俺は思っている
理解
合ってる?
合ってるですよ
共通認識として
なるほど
僕結構そうなんですけど
インプットし続けたい人で
何しかしているときもずっとスポーティファイ
ポトリアス聞くとか
なんかこう
ボーッとできない人
だからこそ
いともの概念とか
がいいなと思うし
そういう人多いんちゃうかなと思って
ボーッとできない
忙しい
時間短縮時間短縮して
短縮したけどその時間も
もっと短縮できるようなやってみて
また違うこともやってみたいな
生産性生産性みたいな
をしないといけなくなっちゃってるからこそ
生産性高め
一旦高めだったらその間にできた
いともをこう
良化をちゃんと楽しむみたいな
今はすごくしづらいというかね
世間の目とかSNSとかがあって
すごくなんか
動かされてる自分を周りから
なんかそういう感覚があるから
なんか
もう一回うわーってなりました今
それこそ石橋くんのその釣りの時間とかは
いともの時間
まさに
なるほど
時代の的暮らしからこっちの暮らしに移行して
便利な暮らしをしながらも
その余った時間で今までできなかった釣りをやる
まさに
タイムラインを
まさにあれがいい
釣りの時間が増えてるな
僕があれ作ったやつとかも
別に初めてやることだけど
何かやりたいとか
今までやってなかったことに挑戦できる時間だったりとか
そういうのが俺の中のいともかな
昔だったら絶対パパパって作って
2、3時間とかでシロ作れるだろうし
あんなもんないね
結構考えて
ダメだって書き直して
ほんとにSDGsかって言われるぐらい
でもやっちゃうっていう
SDGsっていう人間的本位の中でも
SDGsちゃんと認識した目で
それをやっちゃうっていう
そういうものなんだろうなっていう
やりたいことをやっちゃう時間とか
無駄な時間と思われるものに
こそが大事な気がして
勿論便利なものも大事だけど
ティンガティンガ
ティンガティンガっていうアフリカの映画があるんだけど
その人が
不効率なことほど人生を幸せにするみたいな
そんなことを話した気がする
それをそれこそ無駄にしてたら
どんどん幸せが遠ざかるみたいな話
昔はタウェイをするだけでもすごい楽しかったのに
今はタウェイが楽しくないなんて
かわいそう
楽しくないって
まさにその通りというか
上手く伝えられない
効率性だけ求めてて
いい時代とかいい人生を求められるのかな
っていうことなんだろうなっていう
効率性を求めながらも
効率性で浮いた時間とかを
自己の充実とやりたいことへの挑戦
どう生きていくのかっていう
一人一人
確かに
不便気的なのはなんかすごい
すごいって
地域にいて感じする
東京で暮らしてるのが便利じゃん
快適じゃん
まさにあったかいし
すぐコンビニも近いし
風呂もあるだろうし
銭湯近くにあると
そんな関係ない
関係ないというか
それが自分の人生を豊かにしてるかといったら
そうとも限らない
病院ってそれだけじゃなくて
もっと大切なものがあるよなって
便利がいい
本気で多分思ってるんだろうね
まじで
いともはめっちゃ大事
本当に親族を
思えてるのがすごいな
そういう生き方をしてる人かっこいいんだよね
そういう人たちとの繋がりが楽しかったりもするし
新しい概念つくんだよね
そういうの得意っていうか
でもなんか
さっき言いかけたんですけど
勇敢の
結構僕は
僕が思っているほど
ちゃんと全部出せてるなっていう感覚があって
コンセプトだったりとか
中に書いてることが
自分の思い出すとか
表現するとか
書く思い出すとか
出したものを
みんなで楽しめたら
いい社会になるんじゃないかなと
本当に思ってるから
じゃあ違いって何なのとか
思い出すって何でもいいのとか
その辺のまだ
解像度は別に高くないし
深めれてないんですけど
今出してる言葉は
ちゃんと思ってる
今やっていく中で
具体的にイベントだったりとか
人が来た時にやっていく中で
ぶち当たっていく違いって
そもそも何やったっけとか
思い出せてない人を
どうやって思い出させるんやろうとか
そこはこれから
ぶつかっていくんやろうなと思うんですけど
3、4週くらいは
勇敢で言葉で
出してみてよかったなって
思ってて
それは結構思ってますね
自分で言葉を作るってすごいなって
作り出せないって
そういうロジック思考が
結構苦手なんだって
クリエイティブ生徒
すごいなって
西野さんでもクリエイティブですよ
いやいやいや俺はもうね
違いを楽しむコンセプトの誕生
見せかけのクリエイティブ
クリエイティブになりたいだけで
頑張った
思い出せない人を思い出せる
思い出す
トリガーじゃないけどね
俺の昔の人の話を
する気か
思い出させてよ
思い出させてっていう表現が違うな
西野さんは結構
高校の時とか
大学の話とか出てくるじゃないですか
話の中で
それすごいなっていうか
思い出せてるんですよ
そもそも
だから僕はもう
今のところ僕の引き出しから
西野さんが引き出せるものは
あんまりちょっとしたところない
ポッドキャストで結構
思い出させてくれてる
そういうのある
結構難しくて
思ってるのが
思い出せない話なんですけど
どこまで僕が深掘れるかは
ほんまに僕次第やから
先週も
大学生やのに
僕がめっちゃ落ち着いてるなって
言っちゃうくらい落ち着いてる女の子
二人行ってたんですよ
大学生やのに
めっちゃ落ち着いてるなって
言っちゃうくらい落ち着いてる女の子
二人行ってたんですよ
すごくて
たっかんしてるんですよ普通に
そうっすよねみたいな感じで
ゆうかの話とかも
すごいなと思って
この話を
大西さんとかを連れてくる
大学生と喋っても
一人二人には刺さるけど
ほんまにダイレクトに100%刺さるかって
言われたらそうではなくて
そうなんやぐらいやけど
その二人に話した時にはすごい
ちゃんと聞いてくれたし
その上でちゃんと意見してくれたし
みたいなのがあって
そういう子に対しては
僕から引き出せるものはあんまないな
と思っちゃう
そうなんやぐらいに
引き流してくれる人に対して
引き出しは持ててない
ところもあって
その人の僕らの面白みを
伝えたいけど
その面白みのトリガーを
どうやって渡せるのかなとか
もう沢山してる人に対しては
何を僕らに
面白がってもらえるのかなとか
何を僕らが面白がれるのかなみたいなのが
まだこれから
模索中やな
一気にその
2週続けてそんな感じだったんですよ
そうなんやって人と
沢山してるなと
しかも同世代で来たから
引き出しが極端に来たな
みたいな感覚があって
まだまだというか
俺もあれやな
って思います
人数とか
雰囲気とか
スタンスにもよる
ここに来た理由とかによります
結構あるんですけど
まあまあ
すごい
まあまあそんな感じ
なんか今俺だったり
友だったり
大切にしてる言葉とか
あったりするの
言葉でもなんだろうな
概念なんだろうな
なんて言うんだろうね
フィロソフィーの言葉でも
振り回されて気持ちいいなというか
そのおかげで
生きてるところもあるなとか
あともう一つ俺
思考合一って言葉めっちゃ好きで
言ってることとやってることが一致
したいようやく自分のものになるみたいな
多分それを結構言葉
生きる軸みたいな
吉田松陰の言葉
それを軸にしてるから
合わせようと頑張ってるんだと思う
どっちも入れようとしてる
僕諸行無常な
おもろ
いいじゃん
諸行無常と勇敢で結構動いてるな
あったらいいよね
いいよねっていうか
勝手になるというか
戻せるというかフラットにできる
俯瞰してくれる
今の自分の状態を俯瞰できる
感覚があるけど
何大切にしてるんだろう
わかんねえな
あるんだろうって自分の中で
言語ができてないけど
変なこだわり多分出てくるから
頑固なところがあるから
あるんだろうけど
それが言葉としてあるかと言われると
まだわかんない
何なんだろうそれは
逆に
俺が気になるな
俺はどっちも自分で生み出した言葉じゃなくて
頂いてる言葉でしかないから
俺の場合だと
大切にしたいなとか
決断してる時とか
辛い時に思い出せる言葉とか
そんなイメージ
僕いつもに移住した時
どんな言葉でビビッときたとか
わかんないけど
別になくてもいいんだけどね
ある前提の話だけど
無くていいと思うし
無理に決める問題でもないし
リュージュは
どのタイミングで
これ大切にしようじゃないけど
12月7日なんですよ
2021年の12月7日に
これやってなって
そっからはもう走り始めた
何なんだそれ
めっちゃくちゃ考えてね
めっちゃくちゃ考えて
考え続けて
12月7日やった
その日は
降ってきたんやと思うけど
考えた過程があったから
これやこれや
話したくて
次の日に
話したり
1週間かけてみんなに話したり
その時は
勇敢とか
今立ててるコンセプト
違いを楽しむとかは別に言葉にはなかったけど
そっから立てて
勇敢のホームページ作ったり
クラファーするってなった時に
もう一回僕らが
大切にしようとしてることを言語化した時に
再認識した
かなっていう感じで
12月7日は
その前の芸人体験も
もう一回やってみたいな感じで
12月7日は
次やけどそんな感じ
今まで大切に
してるものが
そこにこの言葉に集約された
っていう感覚
これを大切にしたいなっていう感覚
集約か
エッセンスとして
エッセンスとしてはある
要素として
いろんな関わりがあるやんか
違う楽しめなかった考え方もあるやんと思うし
思い出せてなかった
自分の思いを知らなかったり
自分の思いを上手く表現できなかった
だからこそ
そうした方がいいと思ってる
直々そういうのがあって
それをなんとか言語化
できちゃったのが
今の思ってるコンセプト
違いを楽しめなかったっていうのは
どういう経験なの?
違いを楽しめなかった
楽しい
その原体験原体験
その研修を受けさせてもらった時
自分が思いを出せた時
鶏殺したいですって言えた時が
すごいなんか
鳥肌もんやって
それをしかも
いいねというかさっき言ってた
肯定してくれたっていうのがすごく原体験であって
僕的には思いを出せた
自分の思いを言語化できたし
自分の思いをみんなに言えたし
それを楽しんでもらったのが
すごくゾワゾワした
それが
自分の人生を物心つく
大切にしている言葉と考え方
感覚問題いっぱいあったから
これすごいわ
それのおかげで
俯瞰するようになったし
しんどくなっても
立ち直れたり
できるようになったし
人生かけて
これが自分の人生の
柱の一つやなって思えるような
体験やったから
それを大事にしていこうと
その経験が
自立もんになって
自らの思いを言語化できた経験と人生への影響
ホームページとか法人化するってなった時に
言語化してみて
ようやく勝ちっていったんだった
1年
法人化してたけど
何週かしてて
大事やなとか
やっぱり最初に出たこと間違ってないな
ってなってるから
右がちょっと太くなってる感覚もある
みたいな感じ
種はどっかで巻かれてる
ちょっとずつ大きくなってるっていう
イメージがある
これ大切にしたいなっていうのが
違いを楽しむみたいなところ
で
楽しむってどんな状態なのかな
って思って
その辺の解像度の
深さとか高さはまだ
全然なのよ
引き出しを引き出せなかったりとか
人によって違いを楽しむって
多分
何が自分にとって
甲斐なのか
3人の中の甲斐なのか
それこそ楽しめたら
いいなと思うし
それを擬態に深めたりするのも
面白いなと思うし
いろいろ発生はできるんやと思うけど
それはまだ一旦置いてるって感じ
それこそいともみたいに
カチッとしちゃうと
そこにも持ってっちゃうから
楽しむってちゃう気もするし
そういう遊びも持たせてるっていう意味で
勇敢っていうのもあるんだけど
なるほどね
いろいろ
威迫というか
いともというかを持たせながら
それやなって
でもそれやなって