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みなさん、こんにちは。ということで、やっていきましょう。
昨日に続いて、今日も発信について話をしていきたいと思います。
発信について取り扱うことが本当にこのラジオでは多いんですけど、それぐらい伝えたいことがたくさんあるんですね。
僕ももう発信4年やってきているので、その分経験、引き出しっていうところも年々増えてきているなっていう、そういう感覚ももちろんあるので。
連日ですけれども、今日も最後までお付き合いいただけたらなと思っています。
テーマとしては、昨日とは少し違った切り口でお話をするんですけど、自分なりの定義づけをして伝えていく。
こういうことは僕、過去にも言ってきているんですね。
今日もう一度その辺も話しますけど、自分なりの定義をつけて伝えていきましょう。
ただ、その定義を他人に押し付けちゃいけないよっていうリスナーさんだったり、読み手の人だったり、受け取り手にこの自分なりの定義を押し付けるのはちょっと違うんじゃないかなっていうことを今日はお伝えしていきたいと思います。
めちゃくちゃわかりやすい例えが、幸せっていう言葉。これが一番僕はわかりやすいと思うんですけど。
幸せになろうねって発信の中で、ブログでもいいし、ラジオでもいいですよ。
幸せになろうよみたいなことを言ったとしても、もう言葉がデカすぎるんですよね。
ビッグワードすぎてすごい抽象的。もちろん当たり障りはいいし、耳障りはいいし、意味もみんなわかるし、間違いなくポジティブなワードだし。
幸せになろうよ、幸せをつかもうよみたいな言葉は、よくも悪くも使われやすいと思ってます。
だからこそ自分以外にも言ってる人がたくさんいると。
そういうビッグワードを使うときこそ、自分なりの定義をつけて伝えてあげる。
そうすると自分が言う意味がそこに吹き込まれると思うんですよね。
幸せになろうよって、僕が言っても違う人が言っても一緒なんですよ。
ぶっちゃけ。ただそこに僕なりの幸せっていうのはこういう状態です。
僕はこういう、その僕なりの幸せ、この状態を目指したい人がもしいるんだったら、それ一緒につかんでいこうよ。
だって僕はもうそれを今、僕なりの幸せっていうものは僕はつかんで、今こういう状態です。
ここにもし共感できる、こうなりたいなって思う人がいるんだったら、もう一緒にやろうよっていうことが言えると思うんですよね。
だからそういう大きなワードを使うときほど自分なりの定義、自分にとって幸せとはこうです、成功とはこうですみたいな定義をつけて、それを自分の経験をもとに伝えていきましょうっていうことは過去にも話してきました。
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そうした方がより伝わるし、より具体的に伝わるし、さっきも言いましたけど、自分が、あなたが、僕が言う意味っていうのがそこでやっと吹き込まれると思うので、そこは共通の部分、今まで僕が話してきたことと、今日もここまでは同じ話をしてきました。
で、その上で、でもその自分なりの定義、あくまでそれは僕の定義であり、あなたの定義であるので、誰かにそれを押し付けるのは僕は違うと思ってるんですよ。これはちょっと気をつけた方がいいかなって思ってます。
じゃあ例えばね、僕にとっての幸せは、お金がたくさんあるとか、年収が1000万、2000万とか、そうじゃなくて、家に帰って家族みんなで毎日ご飯を食べながら、今日あったことを話している状態、これが毎日続くことが僕にとっての幸せですっていうのが仮にじゃああったとしましょうと。
で、僕はそういう定義で幸せっていうワードを発信の中に使って、僕にとってはこうですと。僕はこうなりたかった。で、そうじゃない状態からここまで来ましたみたいな話をしたときに、みんなもこうなろうみたいな。これこそが幸せだっていう。幸せイコールこうなんだと。みんなが言ってる幸せは違うと。
僕が今言ったこれがもう幸せの最高到達点、みんな共通の一番ここがいい状態ですみたいな。わかりますかね。それをそうやって自分の定義、これこそが正義です、正解ですっていうのを押し付けるのは、僕は違うんじゃないかなっていうふうに思うんですよね。
別に誰かが僕の発信を見ている範囲の人が誰かがそういうことをやっているとか、僕がそういう失敗をしたとかそういうわけではないんですけど、自分なりの定義をつけるまではできたときにそれを誰かに押し付けるのは違うんじゃないかなっていうお話ですね。
もちろんその僕があなたが定義付けたこれAっていうものに対してそのAに共感してくれる人はもちろんこの世の中どこかにいますよ。その人たちと出会えたときに自分の商品サービスがやっぱりこう価値を感じてもらいやすくなるっていうのはイメージつくと思うんですね。
Aっていうもの自分が幸せとはこうです。そのこうっていうものAがね。いやいやでも私にとってはそうじゃないんだよね。私にとっての幸せはこっちなんだよねっていう人がまあ当たり前だけどいるんですよ。
そこは別に対立するものでもなければどっちが正解かっていう何か戦うものでもない、ぶつかるものでもなくて、それはやっぱりそれぞれの形として僕はこう、あなたはこう、あの人はそう、みたいな。
あ、こうそう言ってますけど。そんな感じでそれぞれが尊重し合える状況が僕は適切、適切、いい状態なんじゃないかなって思ってます。
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で、ちょっと例えが適切かどうかはわかんないんですけど、なんかこう僕なりには近いなって思ってる出来事があって。
これはなんか最近あったっていうよりはなんかもうずーっとあるんですけど、あの僕は音楽が好きでめちゃくちゃこうライブハウスとかライブにね年間20,30遊びに行ってるって話をねラジオでも何度も過去してきました。
で、みんなもよく知ってる日本のロックフェスといえば、例えばね、まあフジロックとかみんなが知ってそうなフジロック、サマソニとか、あとはロックインジャパン、夏やってるロックインジャパンとか年末だったらカウントダウンジャパンとかね、まあ大きいフェスがみんな知ってるようなのありますと。
で、最近そのなんかロックフェスっていう建前名目なのに呼ばれてるアーティストがアイドルじゃんとか全然ロックじゃないじゃんみたいなそういうなんか論争がSNS上でめちゃくちゃ起こってるんですね。
僕はそういうなんか音楽楽しむ用のアカウントを持ってて、やっぱそうなるんですよ。毎回特にでかいね国内フェスほどロックインジャパンじゃないのみたいなロックどこ行ったのみたいなね、アイドルじゃんっていうのがよくあるんですよとか仮にロック系バンドが多かったとしてもこんなのロックじゃねえよみたいなことを言う人は中にはいるんですね。
でもなんだろうな、じゃあロックっていうね、なじみのない人もいると思いますけどロックとかクラシックとかって音楽のジャンルがありますよね。
で、そのじゃあロックって何なんですかってなった時にみんなそれぞれ多分共通の部分もあるけど自分の中にしかないやっぱロックといえばこうでしょみたいなものがあるわけですよ。
こういうバンドかロックバンドでしょみたいな。ロックフェスに出るのはこういうバンドでしょ。こういう人たちは違うでしょみたいなものがある。
それは1ファン僕たちみんなファンの中にもそれぞれ微妙に違うこのグラデーションがあると思うし当たり前ですけど主催者側にもあるんですよね。
主催者にもイベントの名前にロックが入ってるけどまあじゃあ全部ロックじゃなきゃいけないのかって言われたら多分そうじゃないじゃないですか。
で、主催者なりの意図とか出来ももちろんあるし、ビジネス的なねお金の面の問題とかもあると思うし、だからそういう時にロックじゃないじゃんって否定する。
ロックってこうなんじゃないの。ロックフェスってこうでしょみたいな。
っていうのはさっき言った自分の中にある定義っていうものとちょっと近しいと思うんですよね。
みんなが共通して持っているロックってこうじゃん。音楽ロックフェスってこうじゃんっていうものはあるにせよその中に少なからず自分なりのロックといえばこれでしょみたいなものからちょっと微妙に違うものがあるんですよね。
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でもそれを主催者とかイベントに対してねそれをぶつけるのは僕は違うと思ってるんですよね。
それをそのさっき言った自分の定義を自分なりに自分が思うロックはこうですと自分の理想のロックフェスはこういうフェスですっていうのは自由ですよ。
ただ実際にあるイベントに対していやそれは違うだってロックってこうじゃんみたいな。
で押し付けは押し付けみたいなね。ニアリーイコール押し付けですよ。それは違うよねって僕はいつも思いながら見てるんですね。
ってなった時にそういうことを見ているとまあこの僕たちの発信においても同じことが言えると思うんですね。
僕は自分なりの定義をつけて言葉にね大きな言葉いろんな言葉があるけど言葉に自分の定義を持って伝えていきましょう。
そうした方が伝わるよねって響くよねって話をしてきました。
今日もしました。ただそれを押し付けるのは違う。それこそが正義正しいっていうのは違うと。
他の解釈他の定義もみんなそれぞれ持っているからそこはどっちが正しいかっていう論争をするんじゃなくて
自分はこうあの人は違う違う形自分はAあの人はBだったら僕たちはこのAに共感する人同じくAだと思ってる人を見つけていく。
そういう人に出会うために発信をしているんですよね。
なのであの何回も言いますよ本当繰り返しますけど
発信をしていく上で一つのコツとしてやっぱり伝えたいじゃないですか言いたいことメッセージこういうことを伝えたい
そういう時にやっぱり自分で自分にとって幸せはこう成功はこうロックってこうロックとか言わないかなでもロックってこうみたいなそういうのを
定義つける自分でね自分にとってはこうだなってこういう状態だなってそれを伝えていった方が多分発信としては効果的だと思います。
でも押し付けは違うとしっかりと違った定義があった時に尊重する。
尊重するっていうか別にこういちいち噛みつかない。
あの人はああいうふうに思うんだなでいいと思うんですよね。
っていうのを発信でも少しだけ意識してみてほしいなって思います。
定義をつけるところまではそんなに別に何の問題もないと思うんですけどそれをなんか自分のこれこそが自分で信じるのはいいんですよ。
でも誰かにいやそうじゃないよこうだよっていうのは僕は違うと思ってますのでそこだけはちょっとね
あの実際にそういうことを誰かに言わなかったとしても心の中の気持ちの状態としてそういう気持ちができるだけない方が僕はいいと思ってますので
ちょっとした気づきというか考えの幅がちょっと広がってもらえると今日の話をしてよかったなって僕も思えると思ってます。
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はいというわけであと概要欄に今日も1本持ってきてるんですけどちょっと古めのラージ語ですねこれは。
言葉にするまでのプロセスって結構ね結構っていうかもかなり試行錯誤だらけなんですよね。
ずっとああでもないこうでもないそれこそ今日言った定義づけもそうですけどこういうことかな違うなこっちかなっていうのを自分の中でこう何度もこう書いて分けして書いて分けしてをやりながら
こういうことだなってこの言葉で伝えるのが一番いい一番伝わるし自分的にもしっくりくるっていうものを見つけていく中ですごい試行錯誤があるんですよね。
そういう話を過去にしてます結構古いんですけどまあよかったら聞いてみてもらえたらなと思います。
はいそんな感じでねあのちょっと連日発信のテーマで話をしてきましたけどなんかこう不毛なんですよ。
いやいやそうじゃないよこうだよみたいな特にネット上でのそういうなんかああじゃないこうじゃないっていう論争は本当に不毛で自分の人生何のプラスも働かないと思うのでそれを実際にあの言葉にして誰かとバチバチやり合わなかったとしても心の中でそうじゃないでしょうこうでしょうみたいな気持ちが雑念みたいなそういうのがあるよりはない方が僕は精神的にも健康なんじゃないかなっていうふうに思うので
発信する上でのこうなんかメンタルというか心の気の持ち方みたいなところの今日はお話だったかなと思います。
まあでも最初前半に言ったやっぱり自分の定義を持って伝えていくっていうことはすごく重要だと僕は僕も思ってるし僕もそこはあの都度都度ね毎回気をつけているつもりなのでそこはこう重要なこととして持って帰ってもらえると嬉しいなと思います。
はいそんな感じででは今日もありがとうございましたまた次回お会いしましょうバイバイ