タニエルさんはい。
タニエルさんでですね、ちょっとエピソードからお話しさせてもらいますと、
僕、なんかちょっと痛いやつっぽいんですけど、誕生日祝われるのが昔から苦手なんですよ。
タニエルさんあー、苦手なんだ。
タニエルさん苦手です、はい。で、その理由が自己肯定感に由来するんじゃね?ってことが最近、なんか思ったというかですね。
タニエルさん、結構最近小さな哲学者みたいな感じで生きてますね。
タニエルさん、小さな哲学者。
タニエルさん、それ仕事している中で企画とかに頭使ってると思うんですけど、ふとそれは思うんですか?
タニエルさん、ふと思いますね。息抜き的にこういう話をペラペラペラペラ喋ってるみたいな感じがしますね。
タニエルさん、喋ってる相手がいるからなのかな。
タニエルさん、なんかそういう発想になる人って基本本読んでる人のイメージがあって、
タニエルさん、あー、なるほどね。
タニエルさん、本読んでないのに、どこをきっかけにそういう気づきが与えられてるんだろうっていう。
タニエルさん、本読んでないから、本当に空虚なことをずっと喋ってるかもしれないですね。
タニエルさん、いやでも結構そのクリティカルなことばっかり言うから。
タニエルさん、やっぱ自分の頭なんかな、これは。
タニエルさん、それはちょっと嬉しい。ちょっと今自己肯定感上がりましたね。
タニエルさん、まあちょっとその自己肯定感の分類について思ったことが、
タニエルさん、ずばりこう分類できるのではないかっていうふうに思ったんですけど、
タニエルさん、それが自己である感と自己できる感の2つなんじゃないかなと。
タニエルさん、である感とできる感。
タニエルさん、であるとできるですね。
タニエルさん、英語に訳すとちょっとより別角度で分かりやすいかなと思ったんですけど、
タニエルさん、まあずばりBeingかAbleかっていうことというかですね。
タニエルさん、ある意味この存在することに価値があるという感覚と、
タニエルさん、行ったことが価値になるっていう感覚の2つがあるんじゃないかなというふうに思っておりまして、
タニエルさん、で、このバランスによって自己肯定感って成り立っているのではという持論を今持つに至ったということなんですね。
タニエルさん、で、僕は割と自己である感の感覚が著しく低いと自分で思っていて、
タニエルさん、つまり自分がこの世界に存在していることの肯定感みたいなものが全然ない。
タニエルさん、そうなんですね。
タニエルさん、なんだけど、ある意味自分がこの世の中で何か行うことに対する自分の行動とか成果みたいなものに対する肯定感みたいなものは高い。
タニエルさん、なんかあれですね、そのイメージがあるから、それの印象で最初に低いって言われたときに、
タニエルさん、そんなことないと思うけどなって僕が言ったのはそこに起因してて、
タニエルさん、それが自己肯定感という言葉の曖昧さをもう証明しちゃってんじゃないかってことですね。
タニエルさん、そうそう、まさにそれが言いたいというふうですね。
タニエルさん、そう、だから、自己肯定感という言葉って、今の自己である感と自己できる感に分類したときに、
タニエルさん、割と自己である感の方を強く言ってそうな言葉じゃないですか。
タニエルさん、なんだけど、それで言う通り自己肯定感低いになるんだけど、
タニエルさん、でも別に自己肯定感低くはないんだよなっていう違和感が昔からあって、
タニエルさん、なんだけど、でも自分の存在はめちゃくちゃちっぽけだなっていう感覚が昔からあったんですよ。
タニエルさん、っていうこの違和感を自己肯定感を分類することで解決できる気がするなというふうに思ったということなんですけど、
タニエルさん、ちなみにこのである感できる感みたいな分類についてタニエルさんどう思います?
タニエルさん、いや、結構あるなと思うし、そもそもよく言われるので言うと、
タニエルさん、自己肯定感と自己効力感に分けられるみたいな。
タニエルさん、話が結構主戦状な感じがするなと思ってて、この手のトピックって。
タニエルさん、自己肯定感が割とである系で、
タニエルさん、効力感ができる系な感じのイメージがあったんで、
タニエルさん、そこに近いマリアマさんの持論なのかなって思ってまず捉えてたんで、
タニエルさん、そこはそうなんじゃないかなと思いつつ、
タニエルさん、自己肯定感と効力感とであるとできるにも、
マリアマさんの中でちょっと違いがあるのか、そこ聞いてみたいなと思いながら聞いてましたね。
ありがとうございます。そうなんですよね。
この話すると、それって自己効力感の話?っていうふうに僕もよく言われることがあって。
タニエル 既にね、友人とかに話してるときに。
友人とかに話すと、それ自己効力感の話じゃね、ってよく言われるんだけど。
個人的にちょっと違う気がするというか。
タニエル ちょっとずれてそうっていう感じがある。
そうそうそう。なんだけど、これはもしかしたらあれかもしれないです。
タニエル 自己肯定感と自己効力感が横並びになっていることに対する違和感なのかもしれないなと思って。
タニエル 自己肯定感の中にあるものじゃないかっていう気がするというか、自己効力感。
タニエル あるいは、自己効力感って、対象物に対して自分が影響を与えているという確信に対する話になって。
タニエル それって自己肯定感とは全く切り離された概念なのでは?っていうふうに。
タニエル そのどっちかなんじゃないかなっていうふうに思ってるから。
タニエル だとした時にそれを別に自己肯定感を説明する要素にはならないよね。
それはそうかもですね。別物という認識では自分も捉えてはいるかもしれない。
タニエル そうですよね。自己肯定感と自己効力感って別物だと思うんですよ。
別物なんだけど、わかってきたぞ。
丸山さんは自己肯定感の別物との話がしたいわけじゃなくて、
自己肯定感の中に2種類あるんじゃないかっていう話がしたいから、
自己肯定感と自己効力感の話とはちょっと違うんだっていうのはそういうことか?
タニエル まさにおっしゃる通りです。
タニエル だからちょっと冒頭のエピソードに戻るんですけど、
タニエル 僕は自己である感が低い。
タニエル つまり自分という存在が世界に存在していることに対して、
タニエル 価値とか存在性を全然感じてないんで、
タニエル だからそのであるを祝われる場である誕生日というものが苦手なんですよ。
ああ、なるほどなるほど。
タニエル 生まれ落ちただけのことを、なんでこんなに祝うの?みたいなふうに思ってしまうというかですね。
まあいますよね、そういう人ね。
タニエル ああ、そうそうそう。っていうめんどくさい奴なんですけど。
いいから黙って喜んどけよって言われるタイプのね。
タニエル そうそう、めんどくせえからいいから黙って喜んでけよっていう、
タニエル そのですね、圧に晒されながら生きてきたんですけど、
タニエル だから確信としてそれはあるなあというふうに思って。
タニエル って思った時に、この自己である感が低いとこうなるんじゃないかっていうふうに思ってますね。
タニエル ただ別に、誕生日を祝われることがあんまり得意ではないのだが、
タニエル じゃあ例えば自分がリードしたプロジェクトで成功した、やった打ち上げしましょう、お祝いしましょう、
タニエル みたいな特急だったらめっちゃ気持ちよくできるなと。
タニエル なんかこれは意外とこう、にて非なるものに見えて、
タニエル 根本的な自己肯定感を上げる催しという意味では、実は同じレイヤーにいるんじゃないかと思って。
タニエル まあ確かにね、世の中が一般的に自己肯定と呼んでいるものには両方入ってる感じしますね。
タニエル ああそうですよね、そうですよね。
タニエル 逆にこの自己できる感が低い人みたいな人もいる気がしてて、
タニエル 自分が何かすごいことを成せるとしても、客観的に成せるとしても、
タニエル その自分が成したことに何か価値があるのかって感じてしまう人みたいな。
タニエル っていう人も人生の中で結構出会ってきている気がするなあと思って。
これって謙虚とはまた違います?
タニエル ああでも謙虚は、けっかる話なんじゃないですか。
謙虚とはちょっと違う意味合いっすよね。
タニエル そうですね、そうですね。
そう思ってるけど謙虚に言うとかじゃなくて、
本当にそこに何か価値を感じてないじゃないけど、
できる感みたいなことがちっぽけなものに思ってしまうみたいな感じで言うとちょっと違いますよね。
タニエル まさにそうだと思います。
タニエル 日本人なんで、言い方としてはみんな謙虚になると思うんですよ。
タニエル 僕もなんか、僕みたいなものがっていう存在を否定する言葉を言ったとき、僕は結構それ本心なんですけど、
タニエル 僕みたいなちっぽけなものがいてしまってみたいな、本心なんだけど、
タニエル そのプロジェクトのチームの成功を祝われたときに、いやいやもう僕の力じゃないですよって言ったとしても、
タニエル そのときには、でもめちゃくちゃコミットした、頑張った、これは価値のあることだって、
タニエル 心の中で確信してる気がする。
表装してる部分と本当のところがちょっと違うってことですね。
タニエル その状況状況に応じた、表出してるものというか、減少結果論みたいなものが謙遜、謙虚みたいなものなのかなというふうに思って、
タニエル それと内在化されている自己肯定感、自己である感、自己できる感っていう気持ちは、また別のものなんじゃないかなと思っています。
タニエル ちなみにタネ口さんは、どっちが高いどっちが低いみたいなのってありますか。
どうなんだろう、考えながら聞いてましたけど、
両方まあ低くはない気がする。
タニエル ああ、わかる。
高い感じはします。なんかそれ言うとキモい気がするんですけど、
基本自己肯定感も高い方だとは思っているので、
いろんな背景とか人生のそこに至ってる自分なりの振り返りもできてる自覚はあるんですけど、
でもちょっとまだ実行、である感の方がまだちょっと掴み切れてないかもしれないですね。
タニエル なるほど。
である感っていうのは、もう何もできなくてもそこに存在していること自体で、
人はそこにいていいのであるというか、なんか素晴らしいのであるみたいなことを受け入れられるかどうかっていう感じなのかなと。
タニエル めちゃくちゃその通りだと思う。言語家の人はかなり正確だなと思っていますですね。
タニエル だからそこは、僕もこういろいろ話してみて気づいたんですけど、
タニエル しっくりこない人とめっちゃしっくりくる人がいるんですよ、この話。
タニエル で、タニエルさんは割とそういう事象はあるんだなっていうふうに、割と外の話をして観測してる感じがあるなと思って。
タニエル そういうタイプの人って基本的にどっちも高いかどっちも低いタイプの人というか。
タニエル だからその自己肯定感という枠の中でである感とできる感がバランスよく連動してる人は、この分類にそもそも別に目が行かない。
タニエル なるほど。だから両方高いし、もしくは両方低いから、そこに分類があることに別に自覚的になる必要がないけど、
タニエル マレマさんの中ではそこにイエスともノーとも言えないモヤモヤがあったことで、
タニエル こっちも高いけどこっちが低いみたいなことがなんかある気がするぞって思ったっていうことか。
タニエル めっちゃその通り、めっちゃその通りです。それをですね、ちょっと自覚したきっかけは僕高校時代の仲良くしてた友人で、
タニエル 自分のことを神だと思ってる人間がいたんですよ。イカれたやつだったんですけど。
タニエル そいつは自分のことを神だと思ってるくせに俺は何もできないって言うんですよ。
タニエル つまりそいつは、そうなんです。そいつは自己である感がバカすぎに高くて、でも自己できる範囲はめちゃくちゃ低いやつだったんですよ。
タニエル だったから、訳わからないなと思ってたけど。
イカ 訳わからない存在ではありません。
タニエル こいつはなんで何もしないし何もできないというふうに嘘吹いているくせに、こんなに自分のであるを肯定しているんだろうっていうことがめちゃくちゃ不思議だったというか。
タニエル めっちゃ分かりやすく具体で話すると、テストの点数も良くないし、
タニエル 別にボランティア活動とかもやってないのに席に座ってるだけで、俺は生きてるぜみたいな感じに思ってるみたいなキャラクターっていう感じのイメージです。
イカ まさにそうです。でも本当に自分のことを神だと思ってて、自分に話しかけに来る人のことを全員迷える子羊だと思ってるやつ。
タニエル ちょっとヤバいなそれは。
タニエル イカれてて面白いやつだったんですけど。逆にでもその自己である感の高さからなのか、クラスでは面白がられてて、結構人気者ポジだったんですよ、そいつ自身は。
タニエル っていう全然自分の世界と真逆の感じがちょっと僕は面白くて、興味深くてそいつと色々対話をしてたんですけど。
イカ その対話から導き出されてきている現体験。
タニエル そうですね、現象は。
イカ 丸山さん逆っすもんね。
タニエル そうそうそう。僕はそのできる感を高めるというか、自分ができることみたいなものを尖らせていくことによって、やっとこの事故、ちっぽけな事故の存在が少しだけでも肯定されるっていう考え方なんで、全然訳分からなかったんですよね。
イカ なるほど。それって丸山さんは他人に対してもそういう感覚があるんですか。
イカ 例えば、人ってそういうもんじゃないかみたいな感じの大きな人間の存在論として、別に谷口さんも存在していることはちっぽけですよねみたいな感じで、でも何かを成せるっていうことに対して、すごい社会に対して意味があるよねみたいなことを自分以外の領域でも捉えているのか。
イカ それはそれ、人のことは知らないっていう感じなのか。そこってどういう感じなんですか。
タニエル そうですね。それは今で言うと、人は人、他人は他人、自分は自分っていう感じなんですね。やっぱり子供の頃は自分の感覚を他の人に当てはめちゃうじゃないですか。
イカ まあそうですね。それが世界だと思っては生きていますからね。
タニエル どうしてもそういうとこがあるから、ある意味その過渡期だから、高校の時にそのエラーが起きてわけわかんなくなったという感じかもしれないですね。
イカ 確かにね。思春期の自己を形成していくフェーズのタイミングですもんね。
タニエル そうですね。やっとその人間の在り方っていうのはこういうことなんだっていうのを理解し始めた矢先に、ハズレ値みたいなエラーのやつが目の前に現れて、
そいつと対話していくと、ここは人と人とで違うところなんだっていうことが分類できるようになってくるというか。
イカ うん。
タニエル はい。っていうような感じだったんですね。現体験としては。
タニエル 結構丸山さんに対して僕が抱いている危機感というか、心配していることみたいなことと、ちょっと今つながった感覚があるんで、ちょっと突っ込んでみるんですけど。
丸山さんそういう意味で言うと、今企画とか自分のなせることによって、そういう自己肯定感A、BのBが満たされている状態が作れていると思うんですけど。
タニエル 仮に。
イカ 今まだ話し途中ですけど、今から話すことをその通りですって言うと思います。
タニエル いや、そういう流れがあるんだったらあれなんですけど。
タニエル もし丸山さんが仮にちょっとした事故とかで脳に障害を負ってしまって、企画が思うようにできなくなってしまったけど、
タニエル 体には異常はないし、これからも生活していけるってなった時に、すごい丸山さんは自分を否定してしまうのではないかという、ある種能力主義的なところに行きそうゆえに、
タニエル 自分をそうなってしまった時とかに傷つけちゃいそうだなっていう危機感があります。
タニエル なるほど。タニエルさん、その通りでございます。まさにおっしゃるとおりです。
タニエル これ僕のMBTIで言うとINFJですけど、多分人のこういう観察力、僕多分かなり高いから。
イカ 確かにね。観察眼だね。
タニエル そういう傾向があるタイプかなと思って付き合ってきてるけど、それが今明らかになったっていう。
イカ 本当におっしゃるとおりです。僕はなんで、社会人1年目がマジで人生のどん底だったんですか。
タニエル 言ってましたもんね。だから何者でも、そこも繋がるってことか。
イカ そう。
タニエル 何もできないから、社会に俺は存在しているのだろうか時期が、そこが自己である感が低いから、より悩んじゃったってことなんですね。
イカ まさにそうですね。寄るべがなくなっちゃったというか、自分という存在が、存在していい理由がなくなったというか。
タニエル うんうんうん。
イカ っていうのはめちゃくちゃありますね。で、ちょっとこの話に関して僕のプラスあるほうの持論なんですけど、長男、自己である感低い説。
タニエル なるほど。
イカ っていうのもちょっと思っていて、僕は長男なんですよ。弟と妹がいる3人兄弟の長男なんですけど、ある意味長男って弟と妹をリードするという行動によって尊厳が保たれる家族かみたいな。
タニエル 確かにね。役割が与えられちゃってる感じしますもんね。
イカ そうそうそう。お兄ちゃんなんだからっていう。それは家族のあり方としてね、普通にあるじゃないですか。っていうのを自分でも意識して、お兄ちゃんらしく振る舞うということによって、
ある意味幼少期の喜びとか減体験が形成されていくと、そういう自分が何かを成すことによって自分の存在を確立するっていうこのできる感のほうがバーって高まっていくみたいな。
そうすると逆に、デアル感のほうは丸付き高い低いあるかもしれないけど、僕の場合は結構低いほうだったんで、デアル感のほうを上げていくっていうことはあんまなかったんですよね。
というようなことがあってですね、職場においても年次が若い頃って自己できる感が崩壊するじゃないですか、結構。この自己デアルをしばらく売りにしていくことになるというか、フレッシュな若手ですみたいな。
はいはいはいはい。でもそれ嫌いなんすもんね。
そうなんですよ。そこを売っていく人生は歩んでないんで、長男として。長男としてなのか自分の生まれもた資質としてなのかなんですけど、この自己デアルを売りにしていく期間っていうのがもう辛すぎて辛すぎて、もう本当に苦手なんですよ。なんで社会人1年目が地獄でしょうかなと。
だんだんわかってきたぞ。だからデアル感をやっぱビーングと捉えると、自分の状態として何かのそのよりどころにしていることにすごい違和感となんか嫌悪感があるんだろうな。
だから広告プランナーですみたいなのとか、この会社に所属していますとかもビーじゃないですか。それにはあんま興味ないというか、それの肩書きをもとにどういうことをやっぱりこうドゥーしているかっていう方で、まねわさんは結構仕事とかも見てる気がするし。
たしかに。それもあるかもしれない。ある意味この広告プランナーですとかこの会社に所属していますっていうのは、ある意味こうできるの結果っていうところも味方としてあるじゃないですか。
まあキャリアのね、ステップとかこういうことができるからここに入れるっていうのもあるはあるか。両方の側面があると。
両方の側面がある。 まあでも新入社員みたいなことは、社会のラベリングとして与えられているもの以外に価値がないから。
そうなんですね。人間として存在していて、年齢がこれで社会、会社というものに所属したてであるという属性の話だけじゃないですか。
で、その新入社員というものを武器にしていくっていうことが、もう嫌悪感わきわきだったというか。
これじゃああれっすね、やばい未来は丸山さん老人になって、老人という肩書きの名のラベリングのもとで老人ホームに入れられるみたいな。マジでやばいじゃないですか。
老人という意味であがめられるこの社会構造に合わなさすぎる説ありません?
確かにね。逆に言うと、あれかもしれないなと思って。フランクな老人になっているかもしれないなと思って。
それはそうなると思うんですけど、そうなると思うんだけど、体も老いて能力も下がってきて、最終的に施設に入れられたときに、もうここで過ごすぐらいなら私は死にたいみたいな感じになりそうっていう。
確かにね。なるかもな、なるかもなと思ったと同時に、世の中にいる、ある種老害とされている人々って自己デアル感高いんじゃね、施設に。
高すぎますね。だって俺は所長なんだぞみたいな。もはやそれって究極のそれですもんね。
俺は老人画像で言われる感覚全くわからないというか。
それはめっちゃそう。だから自己デアル感がいきすぎると基本的に人間関係においてちょっと鬱陶しい人間になるっていう言語化は世界で初なんじゃないですか。
確かに。もう一個深いんですよ。僕、自己できる感を高めることで自己デアル感を埋めているっていう感覚があるんですよ。
で、これ逆が老害っていうパターンなのかなと思って。自己できる感が低い。つまりこの社会の中で自分の影響力がないのに自己デアル感が高いっていう状況の時って、
自己デアル感の方を高めることによって自己できる感を充足させていってる感がするというか。
確かに。
そうするとやっぱこう、社会にある意味めちゃめちゃ棘のある言い方しますけど、居場所がない人ほど自己デアル感を高めやすいみたいな。
自己デアル感がもともと高い人ほど高めていっちゃいやすくて、それが老害化という現象なんじゃないかみたいな。
それはそうじゃないですか。
うんうんうん。
というかね、仕事しててもね、引退間近になっていてね、できるで言うと自分の仕事は若手に取られ、メインのところは取られ、
でも俺はここにいるんだっていうことを知らしめなければ、自分がここにいられなくなってしまうという恐怖感とかから来てるんでしょうけど、
みんなあれですね、人のこと気にして生きて、気にしすぎなんじゃないですか、人のことを。
なるほどね。
自分のデアルの肯定とかも、他人がいなくても成立することと、他人がいないと成立しないことみたいなのもある気もして、
できる感は結構社会における役割軸でもあるっていうか。
そうですね。できるはめっちゃ相対的な話ですよね。
そうですよね。だから自己肯定感のその、ビーングの方は最終一人で地球にいても、
なんか最高、俺は生きてていいんだみたいなことって別に他者に対しても感じないっていうか。
そうですね。どっちかというとそっちのビーングの方が絶対的な尺度。
なんかそんな気しますよね。
それめっちゃそうかな。僕が20代の時にコンペにお熱だったのって、相対的なフィールドだったからかもしれないですね。
確かにね。ライバルがいて勝ち残るっていうところで、結果として自己肯定のそのできる感の方を獲得していくことで、
しかもそこを植えてたわけですもんね。自己肯定感という大きな箱が2つの袋でできていることを知らずに、
こっちが空だって気づけてないから全体の容量が少ないぞってなってしまい、
こっちを集めることでなんか全体が増えているように感じているけど、実は入っている貯金の袋が違うみたいな。
まさしくその感覚ですね。
で、それに対して何なんだろうこの感覚はって。こっちの片方の貯金がばっかり増えていくから、
この違和感は何なんだろうみたいなことにより対面することになってきたみたいなことでもある気がします。
そうですね、確かに。めっちゃそうだな。それで今思い出したんですけど、これもすごく人間くさい話なんですけど、
自分の誕生日の日がちょうどコンペの受賞とかのタイミングと被ったタイミングなんですよ。
その時の誕生日めっちゃ気持ちよかったんですよ。
勝ったことに対して祝われてる感じというかね、世界からの祝福が。
そうそう、っていうふうに錯覚されたのかもしれないけど、初めてその人種の誕生日だけがであるの肯定じゃなくてできるの肯定として誕生日が位置づけられたというか、
っていうふうに思いましたですね。なんか世の中でどれぐらいの人がこのであるとできるのアンバランスを抱えているのかわかんないんですけど、
でも何か一定数いるんじゃないかなっていうのは、話してて思うことがあるんです。ということをちょっと思ったんですね。
だから逆に言うと、お兄ちゃんはある意味であるが育ちにくいというよりもできるが育ちやすいと思ってて、
逆に特に年の離れた末っ子みたいな立場だと、であるがめっちゃ育ちやすいんじゃないみたいなふうにも思ったりですね。
で、できるが高くてであるが低い人ほど、社会人始めたての時はめっちゃハードモードなんだけど、
自分が最良を持ててくるようになると一気に気が楽になってくるというか、スキルとか最良が持てるようになって、
自分のできるが発揮できるようになると急に花開くっていう社会人の遅咲きタイプが実はこっち側に多いんじゃないか、みたいなふうに思ったりですね。
僕は多分両方高いんだろうと思いつつ、どちらかというとそっちが高いのかな、社会人でいうと。
僕はその新入社員ですみたいなのなんかすごい、嫌だったまでいかないけど、あんまりしっくりもきてなかったし、
そういうラベリングで何か人を見るみたいなこと基本的にやらないし、
ただ、自己的な内省として能力主義に行かないようにしないといけないなってこともすごい意識してるんですよ。
丸山さんとこうやって一緒にいるのも、丸山さんがこうやってポッドキャストに一緒に話してくれる能力があるから一緒にやっているんだとか、
PRの能力が高いから一緒にやっていると面白いし、今後も役に立つんじゃないかみたいな、
なんか能力主義ってこう行き着くとそういう感じになっていく感じがあって、
いやそうじゃなくて、もともとは丸山さんと話してて楽しいみたいなところとかがあったはずだから、
そういうこう、だんだん人付き合いを選べるようになってくると、そういう自分と同じ能力みたいなところで人と付き合うようになりがち、
なので逆に気をつけないといけないなとは思ったりもしますね。
なるほど、ちょっとその話聞いて今ちょっと逆に取り払ってたんですけど、僕全てのことを役に立つか立たないかで見てる気がする。
それが僕の気にしている丸山さんの、多分その数値が相対的にできる感とである感の数値の多分距離感というか、
落差が大きいからっていうのが顕著だから、それが結構気になるっていうか、
能力主義になってくるとやっぱり能力がない人は劣っているみたいになってきちゃったりとか、
役に立たないからこいつと付き合っててもねみたいになっていくのって、
人間としてはそうやって幸福なんだっけというか豊かなのかみたいな問いはあると思っていて、
そのために結構哲学とか社会的な弱者の視点で、
ちゃんと世の中も見たときに今どういう状況なんだろうみたいなことも忘れないようにしなきゃいけないなっていうのは思ったりしているので、
気づいたらマリアさんのすごい悲しいエンドは気づいて仕事の達成感あって最後に引退して仕事終わったってなったときに、
周りに誰もいないみたいなことにはなってほしくないわけじゃないですか。
能力で付き合うってそういうことでもあるっていうか。
ちなみに念のために言っておくと、僕は他者に対して、他の人に対して能力があるから付き合う付き合わないみたいな尺度は全く持ってないんですが、
僕の在り方としてね、僕自身に対する在り方として、僕は役に立つからこそ他人から祝われるべきだっていう自己認識がある。
そうあるべきだという感覚というか、確信みたいなものがあって。
他者のために何か役に立てないのであれば、その他者に一緒にいてもらう価値がないと見なされても仕方がないという感覚。
自分視点でね。
そうそうそうそう。
ちょっとだからさっきの僕のやつは語弊があったと思うんですけど、そうっすよね。
いやでも、ちょっと長くなるんでもうあれですけど、確実に幼児教育というか家庭環境は人格形成にめちゃくちゃ影響してるって僕は思っているので、
そこが結構影響してるんじゃないかっていうのはそうだなっていうのはめっちゃ思う。
あとなんだろうな、でも自己である感みたいなことを認めていくみたいなことがある種、
愛とかそういう献身的な姿像というか、理屈はないんだけれどもあなたを信じているよとか愛しているよみたいな無償の愛じゃないけど、
見返りがないことって結構である感に紐づいてるから、
なんかそういうこう愛みたいなテーマにもなっていきそうだなっていうのは思って聞いてたんですけど、
確かにね。
だからなんかそういう経験がお兄ちゃん側は与えられにくいっていうのはあるのかな。
かもしれないですね。
である感は確かに絶対的な尺度なんで、生まれ持ったものの変数が大きいのかなっていうふうに改めて思いましたけど、
そこが低い状態でできる感を高めていっちゃうと、
割となんかこう理主義的な人間に育っていく気がするなというふうに思ったというか。
自分の価値観を他者に投影しがちな幼少期とか中高時代ぐらいまでは結構そういう考え方だったやつな気もする。
社会の中でね、いろいろ考え方がアップデートされてきてるけど、
ベースはというか、もともとはそういう感覚があるみたいなことですよね。
うん。