プログラミングへの道
はい、こんにちは、りびぃです。今回も、もの技ラジオをやっていきたいと思います。
このラジオは、生産設備の現役設計者である私、りびぃが、
ものづくりや技術に関して日々感じていることや考えていること、
また、面白そうなトピックについて皆さんにお届けする番組となっております。
今回、私が取り上げたい内容は、
りびぃがプログラミングに触れたきっかけ、ですね。
プログラミングといえばね、今では小学生からおそらく必修科目になっているんじゃないかと思うんですけれども、
そういう若い世代には割と親しい内容であったりとか、
あとは最近DXとかって言われてますけど、
なんかこうデジタル化しましょうとか、
なんかこうデジタルの技術を使って効率化しましょうとかってなった時に、
なんかそのプログラミングについて知っといた方がいいみたいな、
なんかそういう雰囲気あるじゃないですか。
知っておいた方がいいのは間違いないんですけどね。
ただなんだかんだ時間がないし、
なんかちょっと参考書ペロッと見ても難しそうだしみたいな、
なんか参考書買ったはいいけど、
2、3日でもう本閉じて全然やってないんだよねみたいな、
そんな人多いと思うんですよ。
自分はプログラミングのコードある程度読み書きできます。
VBAから入ったんですけれども、
自分がやっているブログとかのちょっとメンテナンスしたいなとか、
そういう時とかに使うのがHTML、CSS、それからJavaScriptとかその辺ですかね。
あとは最近AIがどうのこうのとかってやってますけど、
なんかその触りとしてちょっとやっとこうかなと思ったのが、
Pythonとかっていうやつがあったりとか、
そういういろんな言語とかがあるんですけど、
ある程度ですね、パッてコードを見た時に何やってるかがわかるっていう感じですかね。
わかるって言っても本当に最前線最先端のコードをパッと見てわかるとか、
あとはITエンジニアとして最前線で仕事できますっていうレベルにはかなりほど遠いんですけれども、
それでもね製造業の中でってくくりで言えば、
プログラミングはできる方なんじゃないかなと自負はしてます。
自分はずっとメカ設計として仕事はしていたんですけれども、
そんな自分が何でプログラミングに触れたのかとか、
その辺の話について今回は取り上げていきたいと思います。
もしなんかちょっとプログラミング興味あるんだよなとか、
なんかどういうきっかけで始めたのかなとか、
なんかモチベわかんないんだよなみたいな、
そういう人がいたらですね、ぜひ参考にしてもらえたらいいかなと思います。
それでは本編へ参りましょう。
職場の現状
自分がねプログラミングについて本気で取り組もうと思ったのは、
確かね社会人3年目か4年目くらいだったんで、
年で言うと27、8歳とかそのくらいなんですよね。
何で自分がプログラミングについて本気で学ぼうって思ったかっていうと、
そのきっかけになったのがですね、
自分の部署の少子高齢化だったんですよ。
どういうことっていうと、自分当時大手企業にいたんですよ。
大手の生産設備のメーカーで、
正社員として設計の仕事をしてたんですけれども、
普通、自分が新入社員として入りましたってなったら、
一つ上、二つ上ぐらいの先輩がいて、
それから4年目、5年目ぐらいの先輩に教育担当としてついてもらって、
いろいろ教えてもらいながら仕事を覚えていくっていうスタイル多いと思うんですけど、
全然自分の部署だけ違ったんですよ。
どう違ったかっていうと、とにかく若い人がいないんですよ。
当時一番年が近かったのが、7、8歳年上の先輩だったんですけど、
その先輩は自分の教育担当では全然なくて、
たまに話すぐらいの普通の先輩だったんですけど、
その先輩も自分が2年目になる頃には移動でいなくなってしまったんですよね。
自分が2年目になる頃には、その部署どんな感じだったかっていうと、
まず一番年近いのが、二回り年上の課長っていう。
二回りですよ。二回りだから24個年上ですよ。
なので、自分1990年生まれなんですけど、
その課長は1990年入社なんですよ。
もう息子と親父ぐらいの年の差っていうね。
で、自分の教育担当になったのは、
当時59歳ぐらいの管理職だったんですよ。
すさまじいですよね。
で、こんな環境だとどういうことが起こるかっていうと、
例えば自分が若手、新人として入りました。
そうすると、大体雑務とか先輩のお手伝いとかをしながら仕事を覚えていきます。
そこで1、2年やったら次の若手に仕事を振るみたいな。
で、自分はまた新しい仕事をやるみたいな。
そういう循環があると思うんですけど、
自分の場合はもうそういうのがないっていう。
自分そこの会社に5年ぐらいいましたけど、
5年間1人も後輩ができなかったんですよね。
そんな感じで少子高齢化の部署にいると何がきついかっていうと、
自分は設計職として仕事をしているにもかかわらず、
雑務みたいなのがもう永遠に溜まり続けるわけなんですよね。
自分が入社2年目3年目とかってなっていくにしたがって、
こういう仕事もできないといけない、
ああいう仕事もできないといけない、
こういう経験もしないといけないっていうのがある一方で、
今までの自分の雑務から手離れができないので、
もう自分の仕事のどうだろう。
半分から半分以上ぐらいかな。
割と雑務に時間取られてたんですよ。
そこの部署はずっと仕事が取れなくて、
毎年赤字を垂れ流している部署で、
そういうのもあって順次の判断からして、
もう若い世代は入れないみたいな、
そういう感じだったんだと思うんですけど、
なのに何で自分そこに配属されたのかよくわかんないんですけど、
そんな感じだと思います。
自分がいた5年間のうちの何年目だったか忘れましたけど、
もうその部署なくなっちゃって、
どっかに吸収合併されちゃったりとか、
そういうのがあったりして、
そんな中でちょこちょこは新しいお客さんから引き合いが来てたんですよ。
引き合いがあって、
設備の提案と見積もりを作るみたいなのがちょこちょこはあったんですけど、
自分以外にも仕事がないみたいな管理職ってうじゃうじゃいたので、
自分やりたかったんですけど、
VBAの導入
そっちの管理職の人たちいるし、
お前普段雑務とかで忙しそうだからみたいな感じで、
本当はやりたかった設計の仕事のチャンスを逃してたっていう時期がちょこちょこあって、
それに対して周りの同期とか、
仕事がどんどん取れるような部署にいるもんで、
どんどんスキルアップしてきてるんですよね。
経験も積んでるし。
あとは自分が言った大手企業っていうのは、
3年間の教育プログラムがあって、
その3年間の締めくくりだったと思うんですけど、
そこで自分は何を経験してきたのか、
どういうプロジェクトに携わったのか、
そこで何を学んで今後どう活かそうと思うのかみたいな、
そういう報告書を役員に対して出さないといけないっていうのがあったんですよ。
自分の部署は全然仕事取れないんで、
隣の部署にお願いをして、
たまたまそこで現地工事あるから、
視察でお前もついてくかつって連れてってもらって、
そこで合計で2ヶ月ぐらい現地にいましたけれども、
そこでこういうことを学びました、
現地ではこんなことをやられてましたとかってやってたんですけど、
それを報告書にするじゃないですか、
そしたら役員の人から結構辛辣なコメントがありまして、
要約するとですね、
お前この3年間何してたのみたいな、
なんでお前そんなレベルしかできないのみたいな、
これはやばいよみたいな、
実際にはこんな言い回しじゃなかったですけれども、
コメントの内容を見るだけですね、
感情がむちゃくちゃ入ってるというか、
めっちゃガチギレしてるなっていうのが分かるレベルでですね、
結構辛辣なコメントをいただいたことがあって、
それがね、うわーっていうのがあったんですよ。
そういうのもあって結構当時落ち込んでて、
それで同期に飲み誘って相談とかもしてたんですけれども、
ぶっちゃけ参考にならなくてですね、
やっぱり仕事が取れてる取れてないっていう環境の差と、
あとは下の後輩がいるかいないかっていう環境の差ですね、
環境の差がやっぱりでかくてですね、
同期は仕事が取れてるし設計の仕事はやれてます、
ただもう自分はやらなくてもいいかなみたいなところは、
振る相手、後輩がいるんでそこにいますっていう状況ですよね。
それに対してリビーの板部署っていうのは、
そもそも設計の仕事取れてないですし、
毎年赤字垂れ流してますから、
だしそれによって若手も入ってこないし、
一応数ヶ月に1回引き合いは来るけれども、
自分の他にも手余らしてる管理職なんていっぱいいたんで、
そういう人が対応するわ、経験もあるんでね、なるし、
それによって自分の設計スキルって上がらないし、
自分はずっと雑務してるけれども、
その雑務も振る相手がいないしっていうね、
環境が違うんで、ここまで来るかっていうぐらいですね、
きついなっていう感じだったんですよね。
なんでその相談もですね、
話は聞いてもらえるみたいな、いい同期だったんですけど、
あんま突破口にはならないなっていう感じで結構悩んでましたね。
こんな感じで、なんで俺同期の中でこんな不遇なんだよって、
なんなら隣の部署の後輩の方が俺よりも設計できるんじゃねえかみたいな、
そんな感じだったんですけれども、
これはもう何とか突破しないとって思った時に至った考えっていうのが、
人がいないんだったらパソコンにやらせればいいじゃんってなったんですよ。
何がきっかけだったか忘れちゃいましたけど、
パソコンだったら文句言わずに自分がちゃんとこれやってねって言ったら、
その通りやるじゃんって思ったんですよね。
それがプログラミングをやり始めるきっかけだったんですよ。
プログラミングはどこから始めたかっていうとですね、
大手の設計の人なんてね、
基本エクセルで仕事をしてる人ばっかなんで、
エクセルのプログラミングといえばVBA、
Visual Basic Advanceって言って、
すべてのエクセルの中に入ってますけれども、
そのVBAから始めましたね。
自分が普段やってたほぼほぼルーティンみたいな業務のうちの、
大半を占めてた業務っていうのがあって、
これ何かっていうと、
自分が入社した遥か昔に収めた生産ラインのお客さんから、
消耗品のこれくださいっていうのが来るんですよね。
その依頼を受けて、
VBAによる業務効率化
何の部品を何個いるっていうのを確認して、
それって過去どこの加工業者さんで作ってたかっていうのを確認して、
見積もりをお願いして、見積もりが上がってきたのを集計して、
お客さんに投げて、
そしたらまた注文が入るので、
その注文を受けて、
その業者さんに発注しますみたいなそういう業務ですね。
これが自分の仕事の本当に大半でしたね。
見積もり取るって言っても、
もう何年も何年も消耗品のやつをやってる加工業者さんなんで、
値段も全く一緒なんですよ。
ずっと何年も一緒の価格なんで、
別に交渉してどうのこうのとか、
納期調整どうのこうのとか、
もうほぼないんですよね。
これを何とかVBAでやれないかっていうことでやり始めましたね。
最初はちょっとした見える化とか、
メッセージボックスでちょっと文字列を表示させるみたいな、
そういうところから始めましたけど、
最終的にどこまでやったかっていうと、
エクセルでいろいろ管理してたんですけど、
まずお客さんからこの部品を何個くださいみたいな、
そういうエクセルファイルが来るんですよ。
そのエクセルファイルと部署内で管理する用のエクセルファイルがあって、
そこには何が何個発注されたかとか、
それは何月にお客さんから連絡があって、
いつ納品したかとかそういう管理のやつがあって、
あとは会社全体で使うような購買システムっていうのがあったりとか、
いろいろシステムがあったりエクセルファイルがあったりしたんですけど、
それをボタン一発で全部できるようにしたんですよ。
だからボタンポチって押したら、
お客さんのエクセルファイル、ファイル名を拾ってきて、
そこからここからここまでが部品に関する情報だから、
それを管理用のエクセルの何番から何番セルに移動して、
移動すると部署内で管理している番号みたいなのを生成できるので、
その管理番号とか部品の情報を購買システムに登録するっていうところもやりましたね。
その購買システムに登録するところっていうのは、
エクセルじゃなくてインターネットエクスプローダーで動いている購買システムだったんですけど、
そこもスクレーピングっていう技術を使ってVBAからできるんですよね。
VBAで購買システムに自動でアクセスして、そこに情報を書き込んで登録しますと。
それと同時に業者さんごとに何の部品はどこの業者さんに頼むっていうのがあったんで、
その業者別に部品の振り分けをして、
その振り分けをした後で業者さんに対してメールで連絡しないといけないので、
この部品の何個を見積もりくださいみたいな感じですよね。
そこに添付する部品リストっていうのは、
お客さんから来た注文の中でA部品はA業者さん、B部品はB業者さんって振り分けないといけないんですけど、
その振り分けも自動化して、メールに添付するエクセル、この部品頂戴みたいなやつ、
それもエクセルで自動で生成できるようにして、
メールの本文もテンプレートがあるんで、それでやるっていうね。
そこまでやりましたね。
これで自分の業務が8割ぐらい削減されましたね。
当時VBAの勉強っていうのは確か本でやってて、
基本的には家でいろいろ読んでて、これちょっと試してみようっていうので、
本語と職場に持ち込んでコード書いてみるかみたいなのやってたりしてましたね。
ただね、自分コード書いてる時って周りからすごい異様な目で見られてたらしくて、
あいつは一体何の仕事をしてるんだみたいな言われてたらしいですね。
それはそうで、自分がいた部署って機械設定の部署で、
一応みんなノートパソコンは支給されてますけど、
基本的には紙図面でみんな仕事をしてたんで、
そんな業務中にキーボードをガチャガチャずっと触ってますみたいなんないんですよ、あんま。
それに対して自分はもう業務の大半をひたすらパソコンの画面に向かってキーボードを打っていて、
後ろから何人もの人がチラチラチラチラ定期的に覗きに来てたんですけれども、
覗きに来ても、わけのわからない暗号なんか書いてるなみたいな、
そんな感じみたいなので、あいつは何をしてるんだって言われてたらしいです。
それでも周りの管理職の皆さんが自分にコーディングやらしておきゃいいんじゃないみたいな感じで、
ほっといてくれてたのは、まず若手が少ないので、
そんな若手にあんまいじめちゃあかんっていうのが多分一つあったと思うんですけど、
もう一つは、じゃああいつにわけのわからないプログラミングやってるらしいけど、
それをやるなって言ったところで何か仕事があるのかっていうと仕事ないんで、
それやったら何やってても同じじゃないみたいな、そんな感じなんだったと思います。
だって自分の部署の部長だってあんま日々仕事がないわけなんで、
一日の大半新聞読んでるみたいなそんな感じでしたし、
隣のおっちゃんもずっとヤフーニュースを見て帰るっていう日々を送ってましたし、
そんな感じだったんで、ほっとけばみたいなそんな感じだったんだと思います。
そういうたまたまの機会みたいな、そういうのもあって、
いろいろ自分なりにプログラミングについて本気で取り組む時間が取れて、
いろいろ試行錯誤ができるようになったわけですよね。
ただVBAで仕事を効率しても結局はあんまり仕事を取れないことには変わりがなかったので、
それで結局は自分が隣の部署にちょっとしばらく席を置かせてくれっていうので、
そっちに移動になって設計の仕事をしつつ、そのプロジェクトが終わったタイミングで、
どうせ自分戻ってきても何も仕事ないでしょっていうので転職しましたけれども。
プログラミングへの取り組み
っていう感じで、何が言いたいかっていうと、
本気でやらなきゃってなった時って、
なんかケツに火ついた時なんだなっていうのは思いましたね。
なんとなく世の中の風潮的にやったほうがいいんだろうなみたいなので、
本気で取り組めるってことはあんまなくてですね。
そんな感じよりも、これを何とかしないと俺はキャリア的に死ぬっていうぐらいまで思い込んで、
それで何とかしなければってなったらやっぱりやりますね。
っていう感じですね。
もしプログラミングについて興味のある方がいれば、
自分の話を参考にしてもらえたらと思います。
ということで今回の話は以上にしたいと思います。
私は普段技術ブログものづくりのすすめを運営しています。
YouTubeでも発信をしていますので、よろしければチェックをしてみてください。
それから11月の末ぐらいに私の本が出版されます。
これで差がつくソリッドワークスモデリング実践テクニックという書籍になりまして、
ソリッドワークスユーザーの方に脱初心者を目指していただくために、
いろんなテクニックをご紹介している本になりますので、
ぜひAmazon等でチェックいただければと思います。
それではまた次回お会いいたしましょう。
リビンでした。バイバイ。