2025-05-04 02:14

250501-03

日誌

サマリー

意識と身体の関係についての気づきを描き、体験や感覚を受け入れることの重要性を探ります。

意識と身体の関係
250501、思考に入る感覚があった。入るという主体の意識と、思考という対象の感覚があって。
意識が私で、思考は私ではない、ということにまた気づく。何度でも少しずつ気づく。
身体が勝手に動く。ベッドの上で開脚してうつぶせ。手を後ろに組んで伸ばし、そのまま状態を起こそうとする。意識ではできず。
できないと思ったのがきっかけか、かしが半ば勝手に力を込めて起き上がることができた。
意識では腹筋や背筋で起きようとしたけど、そこに力を込めようとしてもなかなかできず。
ふっと意識を、考えを抜いたところで、足が勝手に動いたという感じ。私にはわからない、体にはできる。
その後くしゃみをして、これも勝手に起きていることだと気づく。 250502、スーパー銭湯でお風呂とサウナ。
体が慣れてきたのか、神経が育ってきたのか、水風呂からの外気浴を気持ちいいと感じる。 感じやすくなってきた。
250503、ただ体験することを許していないと気づいた。 いつもどこか取材のような監視体制だった。
把握したい、に類する感覚。 そして記録して伝えねば意味が、価値がない、みたいな。
ただ経験することを許す。 把握して自分のものにしようとしていた。
ただ経験する赤ちゃんでいいのに、赤ちゃんでしかないのに。 乗るアトラクションを選べる。
遊園地、乗るアクション、トラクションは選べる。 そして経験は今この瞬間にしかなくて、私には覚えていられない。
でも本体さんは覚えている、蓄積している。 任せていい、手を離す。
今日はここまで。
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