2025-04-19 04:23

250415-17

日誌

サマリー

エピソード250415-17では、呼吸や体の感覚を観察し、思考の自動化や気づきに焦点を当てて、自身の内面を探求するプロセスが描かれています。

呼吸と身体の感覚
250415 置き抜けにエレコ
呼吸が浅かったり不規則だったりするのを変だと思って、乱れてると考えて、整えよう、コントロールしようとしてた。
呼吸しよう、感じようとしなくていい。心に任せる。観察する、感じる。
海の波が均一でないように、揺らぎがあるのが自然。
ポリベーガル理論でも、緑は揺らぎだった。 任せてたら全身のボワーを少し感じた。
弱いけど簡単に入れた感じ。 寝落ちしかけくらいのタイミング、感覚が、思考はなくて意識はあってで、任せやすい、入りやすい。
250416 置き抜け体を感じる。ずっと自動思考がある。
止めるなくすでなく、気づき体に戻る。 戦うのでなく手放す。
海辺で呼吸。気づくって、体に気づくだ、と気づく。 風が吹れてるとか、波の音が聞こえるとかもだけど、手に力が入ってたとか、
眉間にシワが寄ってたとか、そういう風に体に気づく。 250417 置き抜けにエレコ。思考に気づく、思考に気づく。
お布団の触り心地が良くて撫でている間に、楽しくなってきてクスクス笑う。 それをきっかけに少し長めに体の感覚にいられた。
何でも話せる友達が欲しいと感じる。 右脳回帰とかについて話せる友達。
本当に友達が欲しいというより、言いたい出したいってなってるんだと思う。 過剰に秘密主義なところの開放の兆し。
少し経ってから、書けばってなった。 世のコラムニストとかエッセイストはそれを知ってるのか。
それから遠くの友達のことを思った。 会えば何でも話せるけど、なかなか会えない。
でも毎日一緒にいたい間柄でもない。 たまに会うからいいじゃないけど、そういう。
で、この友達云々の感じの中で、その彼女に対するありがとうって気持ちが湧いた。
今ここにいない相手に対して、だけど今ここで感じたことだった。 有意識の言うところの、全部自分の心の中ってこういうことかもって感じた。
スマホを嫌ってた。 電磁波がーとか依存性が高くて悪いものだーって考え、知識から。
実際はこんなに使ってるのに、こんなに使ってるものを嫌っているっていうことにびっくりした。
静かに無意識に、気づかないうちに嫌っているもの。 それも自分の感覚というよりは知識、頭で嫌っているものがあるなーって気づいた。
花粉症の症状もそうだった。 そして気づくと解消される。
気づきと自動思考
スマホをただありのまま見てみる。 便利だしすごい。ありがとうとかワクワクする。
ありのままではないかもしれないけど、他者の知識、前提みたいなところよりはいい感じがしたから、まあいっか。
エレコライブ後追いで昨日と今日の2日分。 目を閉じてすぐ体の感覚に寄れた。
神経の仮想性、本当に少しずつ慣れてきてるんだなと認識できて嬉しい。 体の中と背中の後ろ側、空間も感じながら床を上下させる。
背中の後ろ側は空間をふんわり撫でるように。 体という物体がない空間を意識するのが無能的で、無能に寄りやすくなる気がする。
自動思考については、思考という行為をしていると思ってたけど、それをしているというより、今ここにいないというだけだと感じた。
意識が、気がそれてるだけ。 だから気づいて戻る。
海辺で岩を渡って歩く。 その間自動思考は出なかった。それどころじゃないという感覚。
空っぽが感じられてよかった。今日はここまで。
04:23

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