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夏休みの体験格差について
2026-08-07 21:06

夏休みの体験格差について

#夏休み #体験格差 #となりのニューロダイバーシティ
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サマリー

このエピソードでは、「体験格差」というテーマについて、夏休みの過ごし方を中心に掘り下げています。裕福な家庭や都会の子どもとそうでない子どもとの格差が、家庭の教育資源や地域格差によってどのように生じるのかを考察。特に、図書館や博物館といった文化資本へのアクセス、家庭での読書環境、そして「聞く文化」の重要性について、自身の経験を交えながら語られています。また、自由研究や学校教育における子どもの主体性や学びのあり方についても議論されています。

体験格差の定義と背景
Reverse Diverse アタッチメントを探求する。
はい、こんにちは、平林です。 こんにちは、イイノです。
イエーイ。 夏休み特集。
そうです。夏休み特集ですね。
今回は、夏休みといえば、ニュースなどで最近話題になって、 最近じゃないかな、しばらく前からかと思いますが、体験格差っていうワードがあって、
比較的裕福なお家庭のお子さんと、そうでないこの格差とか、 都会にいる子と地方にいる子の格差とか、そういった意味なのかなと思うんですけど、
夏休みに学校っていう場がお休みになった時に、 家の教育資源の話でもありますね。
家に教育資源がある子供は、いろんな経験を積む時間があるんだけれども、 そうじゃない子供っていうのは、それが失われているから格差が広がるっていう。
だけど、これは家にどのぐらい本があるかとか、地域の図書館が充実してるかとか、 文化資本みたいなものがどのぐらいあるかみたいな話だといいなと思うんですけど、
どちらかというと、いろんなところに連れて行ったほうがいいよ、みたいな。
人多いしさ、暑いからさ、出かけないほうがいいと思うよ。
だけど、そういう話になっていて、資本主義だからね、そういう話にしたほうがさ、儲かる人たちがいるじゃん。
そうですね。
だからそうなってんじゃないの?とは思う。
だけど、体験格差で言うところの本当に大事なことっていうのは、さっき始めに言った図書館とか、博物館、美術館、いろんな文化資本の格差ですよね。
それは、やっぱりちゃんと把握しておくべきことではあるかもしれない。
地域における文化施設へのアクセス
生まれ育った地域に博物館、美術館ありました?アクセス可能な形。
えっとね、博物館はありました。
歩いて行ける距離?
歩いてはいけない、遠足で行くような距離かな。
そうだよね。
ちょっと山の上、え、何博物館?
山岳博物館とか、エネルギー博物館、水力発電だから。
水力発電所系のところにはあるじゃないですか。
だから遠足で行くようなところなんだよね。
山岳博物館も、登山のとか山の動物、しかも鹿の博生とかさ、
あとそのいろんな動物がそこに飼われていて、今は雷鳥とかいたんだと思いますけど、
アルプスマーモットみたいなのがいる公園とかさ、なんかそういうようなところはあったかな。
美術館も比較的あるんですけど、子供が行くような感じではなかったかな。
子供が一人で行けるのって、図書館ぐらいだったかなと思う。
家庭の教育環境と教材
私はね、松山市に住んでたでしょ。
大三寺団地っていうところで、団地のほんとに端っこの方に住んでたのね。
で、そこから先はもう山っていう感じ。
で、図書館、学校まで行けばあるんだけど、地域の図書館っていうのは当時なくて、
移動図書館っていうのが来てた、車で。
あれすごい楽しみだった。
移動図書館は、図書館があった。歩いて5分ぐらいのところに。
結構いい図書館で、今思ってもいい図書館なんですよね。
子供の本もいっぱいあるし、読むスペース子供用にできてて居心地が良かったし、
紙芝居とかいっぱいあって、紙芝居を勝手に持ってきて自分で見ていいし、
本もかなりあったと思います。
で、学習室みたいなのもあって、昔の学校なんですよね。
小学校の時は、あんまり本にもたくさんアクセスできるっていうような状況では必ずしもなかったのかなと思う。
小学校の図書館はね、あるけど。
開く日がありましたよね、夏休み何日か。
あんまりね、ちょっと覚えてないんだよね。結構ね、歩くの、小学校まで。
そういう意味では、移動図書館だったり、学校の図書館が開放されるとか、そもそも地域の図書館が充実しているとかは、すごく大事かなと。
大事だよね。
行く場所があるからね。
私、ラッキーだったのはやっぱり、父親が本好きで、別に学がある人とかじゃないんですけど、中卒なんですけど、本大事だっていう考え方は持ってて、
年に2回ぐらい本買ってくれるような感じですね。
クリスマスの時には必ず本を買ってくれるっていう感じで、だから積み上げで増えていくし、
もう一つすごく助かったのは、すごい小さい時は、チャイルドブックっていうレコード付きの、あるでしょ?
あります。
今もあるんだよね、あれね。
あれで、自宅でみんなでレコード流して学習するみたいな環境があって、
小中学校になると、アカデミア百貨自転っていうのかな、あれを買ってくれてて、それがもう自宅にあるから常に飲める。
そうですね。
だからあれはもうたぶん熟読したと思う。
で、その後、ブリタニカ百貨自転ってものすごい高い百貨自転だよね。
それを父親が衝動買いしたらしくって、出張先で送られてきて、
でもそれは中学生にはちょっと難しくて、高校生になった時に結構一生懸命読んだかな。
だからそういう意味で、読むものはたくさんあったし、整理された、ある程度いろんな研究者が蓄積した地を踏まえて整理された情報っていうのがまとまって載ってるのが百貨自転じゃないですか。
そうですね。
それが良いとか悪いとかいろんな偏りもあるから、後には百貨自転を批判的に見ることになっていくんだけど、
でも基礎知識としてそれがあったのはすごくラッキーだったな。
そうですね。うちにもね、黙々村のけんちゃんシリーズ。
それ知らない。
英語教材なんですけど、
だけどそれがね、お話みたいなものもすごいセットですよね。
なんか本みたいなのがあって、テープがたくさん。
テープなんだね。
テープがたくさんあって、それとあと木の、なんていうのかな、
スゴロクみたいな、お話に合わせてスゴロクできるみたいなやつとか、
手を動かしながらテープを再生させながらお話を聞きつつ、
その世界の中で一部ワークができるみたいな、そういうセット。
地域セットですよね。
それの結構いいやつ。
多分誰かいただいたんじゃないですかね。
「聞く文化」の重要性
それがあって、私は結構それを聞いてて、スゴイ印象に残ってる。
いろんなお話、昔話みたいなのもあるんだけど、
それ英語なの?
英語がちょい、英語教材も入ってて、
黙々村のけんちゃんは英語教材で、日本語と英語が交互に出てくる。
だからけんちゃんは、はじめ日本語しか喋れないんだけど、
魔王の国、魔王を倒さなきゃいけなくなるから、魔王の国に行かなきゃいけなくなる。
途中で英語が喋れるカラスが相棒になって、カラスが翻訳者なんですよ。
けんちゃんが何か言おうとする時にはけんちゃんに教えてくれる。
けんちゃん、みたいな、ハリアップだ、みたいな。
そういう、だからフレーズとして覚える感じの英語の教材あるじゃないですか。
あるあるある。
あれ系。
スゴイ恨ましかった。小さい時。
そうですよ。なんか、いとこんちにあってさ、ディズニーのやつかな。
いいなーと思ってたけど、うちは買えないよって言われて、
うちはチャイルドブックがあるでしょって言われて。
ああいうの普通図書館にあったらね、あるかもしれないけど、みんなでそれテープで聞いたりしたらね、スゴイいいと思いますけどね。
スゴイ好きでした。
一人でも聴いてた。
そういうの。結構ピアノ習ってたから、ピアノの教材っていうのも耳から言える教材なんですよ。
楽譜は私途中まで読めなくて、楽譜を読むんじゃなくて耳から。
方法論としてね。
そうそうそう。テープが付いてて、まずテープを聞いて、それから練習するっていう方法だから、
常にテープを再生させて、巻き戻して再生させて、っていうことをずっと子供の頃からやってて、
そこにその教材もあったから、教材も入れて聞くみたいなことはよくしてたかな、夏休みも。
そういうなんか環境っていうのはやっぱりあると。
確かにね。
それを世の中の中に組み込んであるといいよね、本当は。
そう、各自宅のね、金銭的な余裕に依存するんじゃなくてね、それはそう思う。
結構印象深い教材だよね、小さい時の教材。
本当に。
幼少期の印象的な体験
未だに覚えててさ、一つ面白いの、うち3人姉妹なんですよ。
姉が2つ上で、妹はちょっと離れて4つ下なんだけど、
姉と私は年齢近いから、結構そのチャイルドブックのレコードをさ、母親が流してくれるから、
それを聞きながら、歌とかも入ってる。歌好きだからさ、歌って。
で、その中で、うちのお母さんは忙しい。
えっと、なんだっけ、シチュー作るんだよね。
歌えないけど知ってるけど。
今夜のシチューを作ります。今夜のシチューを作ります。
私は黙って見ています。のところで、衝撃で。
うちはさ、手伝うのは当たり前だったから。
で、最後は手伝うんだろうと思ってるんだけど、4番ぐらいまであっても最後まで黙って見てて、
この子なんなのって、お姉ちゃんと話してた。覚えてる。
そんな感じだよね。
子供が作るぐらい、うちのお姉ちゃんはね、やっぱりそういう母親代わりみたいなところもあったから、
うちの母が働いてる間は、お姉ちゃんがご飯作ってくれてとか、
で、そこで洗い物もして、ちょっと怪我しちゃって、みたいなさ、そういうのを覚えてるから、
なんでずっと見てんだろう、こういう顔。
まあ、なんか親の背中を見てる的な、そういう表現なんだ。
うーん、わかんない。いまだに謎。あの、歌だけ。
ちょっと思い出しただけです。
でもそういうのもなんかこう、すごく印象に残るわけですよね。
学びにおける環境と主体性
そうそうそうそう。
アカデミア百科辞典も、24時間計画表みたいなのは、そっから得た発想だし、
結局、なんか学校の勉強よりも、そっちを使って勉強してたと思う。
そっちを読んで。
結構私、そのディスレクシアの子供さんのサポートなんかで、
家の環境っていうのは、どうしても影響はあるよなって。
まずディスレクシアだって、認識すること自体が、
かなり調べたりしないと情報が入ってこないし、
じゃあどうしていこうか、
じゃあ読み聞かせみたいな、時間が取れるような環境が必要になってしまう。
難しいよね。読み聞かせしてもらったことって、だからその、レコード鳴らすぐらい。
そうそう、だからレコードみたいなものはすごい重要だと思うんですよ。
だから私もずっと耳から結構情報を得てたから、
そこから目で読むのも移行してますけど、
だけど耳ってやっぱり、テープって聞いてるってすごい好きなんですよね。
だからその、耳から聞く読書って私にとってはすごい大事なコンテンツだなと思っていて、
だからオーディブルとかもいいなと思うし、
聞く文化っていうのはやっぱり大事だなって。
そうだよね。何度も聞くと定着するしね。
そうそう。よくわからなくても頭の中に残ってるってことありますよね。
歌だと一緒に歌ったりして、何度も歌うとそれが定着したり、
50歳になっても覚えてるみたいなね。
そうそう、すごいよね。
図書館のコンテンツと格差
そういう意味では図書館に置くコンテンツっていうものは紙が中心で、
もちろんCDの教材とかDVDとかもたくさんあると思うけど、
やっぱ充実した図書館ほどそういう面も充実するじゃないですか。
少ない図書館、本が少ない図書館っていうのはやっぱ本はあるけど、
そういうオーディオのものとかっていうのはちょっと少ないっていうか、
分厚くないっていう感じがするから、
結構両方分厚くしておく必要があるよねって思いますね。
自由研究と子どもの探求心
というわけで体験格差。
体験格差の話、そうだ、なんだったっけ?
こんな話しましょうって言ってたときに。
私が夏休み何に夢中になっていたかって話?
そうだそうだ。
これやったんだけどね、前に。
そうですね、前にやりましたね。
いろんな煙を、風の向きを調べるために煙でやってたとか。
だから自由研究っていうやつだよね。
私が熱意を持って取り組んでいた。
私ね、自由研究とか全然関心なくて、やっぱりちょっとやらされてるものだと思ってたんですよね。
私は自由研究をやりたいがために最初の1週間とかぐらいで全部宿題は終わらせて提出しなきゃいけないものは、
残りの時間は自由研究に全振りしてた。
誰にも求められていないことをするのが多分一番好きなんじゃないかな。
好奇心があるから、これはやってみたらどうなるんだろうかとかね。
一番初期にやった自由研究は、前も話したと思うけど、
公園に何時に人が何人いて、どの遊具で遊んでるかっていうのを足しげく公園に通ってやったっていうね。
どの遊具でした?
そういう結果覚えてないんだよね。
だから、やったというプロセスが結構自分の中では定着してる。
私は本当にダメでした。
やっぱ何をやっていいか分からないっていうか、言われたことをやってたんだと思います。
それで結構それがダメだっていうよりは、夏休みはそれを確認できるんじゃないか。
その子の学校のルーティーンみたいなものがすごく重要なのか、
もしくは主体性っていうんだったら、その時の様子を見た方が。
別にそこで強い介入をした方がいいとか、全く思いませんけど。
何してんのかな?どんなことに関心持っているのかな?とかね。
私は設定の中で学ぶっていう感じがあるので、
国語の時間に延々後ろまで読んでいく。教科書の。
勝手に?
勝手に後ろまで読んでみて、この先もずっとあったらものすごい読書量だろうなって。
そうなんだね。
結構そういうのが印象に残るっていうか、
学校教育と学びの自由度
やっぱりちょっと暇だなっていう時間は私は大事だと思っているんですよ。
それはそうでしょ。
その時間の中で自分は何をその中でするかっていう枠の中での。
私授業についての記憶一切ない。
多分自由に過ごしてたんだと思う。授業の中でさえ。
そうですよね。
それすごい大事で、だからよく特別な才能のプログラムの、最近文科賞やってるやつあるじゃないですか。
学年を飛び越したカリキュラムが受けられるようにすべきじゃないか、うんうんみたいな議論。
私それいらないと思うんだよねって思って。
飛び越したからってね、同じ枠組みの中で作られたカリキュラムでしかないからね。
少し自由度を与えて、それで本、デジタル教科書の話も私はデジタルか紙かっていうのは全く関心がなくて、
デジタルにしたら後ろにその大量の本を、全集みたいなの入れとけば読む子いるんじゃないのって、
暇な子読むんじゃないのって思いますけどね。そういう仕掛けにしたっていいんじゃないのって。
真面目ななんか、なんていうのかな。
45分のね、カリキュラムをいっぱい作って、プログラムをいっぱい作ってじゃなくてね。
じゃなくて、子供がどんどんやっていくような、別にそれを推奨するんじゃなくて、やれる余地を残して。
そうね。最近の学校のさ、読書の時間みたいなのちゃんと取ってる学校。
ありますね。
あって、ああいうのがちょっとそういう部分を側面を持ってたりするといいけどね。
でも結構やっぱりディスレクションの子にとっては拷問の時間だったりとか。
やっぱりやり方が固定化されてて、紙の本に限定されてて、自由度がないので、
それが苦手な子にとってはただ捲ってるだけっていう時間になってしまって、
本当はみんなでテープ聞いたりして、その後、引き続きはここで読めるよって置いといてくれたら読む人がいるかもしれないですよね。
何をみんなでやらなきゃいけないのかっていう、何は勝手にやらせたらいいのかっていうところの設計の話なのね。
そうね。
夏休み特集の継続
では夏休みの話をしてきましたが、また次回も。
今何回目なのかな?3回目ですかね。
もうちょっとやってみたいと思います。
本当ですか。
じゃあ保留にしておきましょうか。
ありがとうございました。
後をご期待。
21:06

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