内省の難しさとツールの必要性
Ruby 会議フォローアップというイベントを運営してまして、先日それが完了し、打ち上げをやって参加してきました。
今、集まった皆さま、本当にありがとうございました。
私もその一員として楽しくおしゃべりしたり、お話を聞くことができて、よかったなと本当に思ってます。
また次のRuby会議、そしてその先またフォローアップなどできるようにと思ってますので、ぜひよろしくお願いします。
そういう中でお帰り歩きながらいろいろ考えてたんですが、自分自身の内省するってめちゃくちゃ難しいんだよな、みたいなことを最近思ってます。
私は自分に向き合ってディープダイして、ああでもない、こうでもないと考えを取り出してはしまってというのを延々やるんですけども、
本当はこれは考える道具が必要だと思っています。
自分の頭の中の世界では、自分の中でずっとエコーチェンバーが起きてしまうので、やはり思考を外部化する、客観的に外部に書き出してそれを見てみて考えるということが必要になってきます。
こういうあたりのツールの使い方って意外と教わる機会とかなかったなと思うんですね。
私の場合ですと、たまたま本で読んだとか、たまたま行った勉強会で聞いたとか、もしくはファシリテーションのやり方をグループワークに参加してみることによって応用として取り入れることができたとか、そういう偶然に支えられてきたんですね。
これを今後、個人にペイフォワードしていくにはどうしたらいいんだろうなどということを考えております。
一つは、自分の本棚から思い当たったものをピックアップして、そっとご紹介するとか、その人が受け入れるようなレディネスができたときにそれを渡すみたいなことをしようかなって考えています。
いきなり正論を渡しても本当にキャッチしてもらえるか正直わかんないところがあります。難しいんですよね。
これは対話の中でも難しいし、今日のテキストチャットとか、ひどきコミュニケーションの上だとさらに難しくなる。
とにかく、極力無理のないと思うタイミングで渡して、それをじっくりと咀嚼いただくというところを信じるほかないと思いますし、
仮にその時は受け入れられなかったとしても、対話、ダイアログの姿勢を崩さず、
どれだけ今はすれ違ったとしても、わかりやれなかったとしても、きちんと対話が考えを知り合うことができると信じています。
そういうことまで、自分自身をたっかんできるようになったのは、年の高みたいなのもあるかもしれませんが、
経験で覚えるというのは時間がかかるので、より圧縮して体験できるようにしてもらいたいなというのも思っていますが、
これも受ける側の形一つなので、私がどういうかとか、それだけではないところがあるので、じっくり取り組む必要があるなと思います。
結論を焦らない、結果を焦らない、そんなに人はパッと変わったりはできない。
できるのは繰り返しの対話だけなんだと思っています。
内省の1日を振り返る
そういう次回、点検内製の1日でした。