今日はスペシャルゲスト、産経メディアス代表の 三木健さんにお越しいただいています。
はい、三木健です。よろしくお願いいたします。
お願いします。
どう紹介すればいいのかな? ちょっと自己紹介からお願いしちゃってもいいですか?
今年で創業100周年、ちょうど100年なんですけども、 100年の縫製工場、工場としてやっている町工場です。
場所は梅田から徒歩10分ぐらいのところに、 梅田ってJR大阪とほとんど同じ場所なんですけど、
ほんとど真ん中にある町工場で、 未だに日本の職人さんだけでTシャツとスウェットを作り続けている工場になります。
すごい、ど真ん中にあるんだよねっていう話をさっき聞いたんですが、ありがとうございます。
ちょっと三木さんのキャリアみたいなところからお伺いしてもいいですか?
はい、どうぞどうぞ。何でも質問してください。隠さず。はい。お願いします。
学生時代のお話とかから聞けたら嬉しいなと思ってました。
小中高まではずっと大阪にいまして、本当に普通に過ごしてて、
大学から東京に行かせてもらえて、ちょうど東京行った時が、
もう本当にベンチャーブームど真ん中で、ITバブルど真ん中というか、
モンザエッジさんがライブドアになって、
アメーバーが、アメーバーというかサイバーエージェントが最年少上場してみたいな時代に、
ちょうど大学生になって、なので、もう大学入ってアルバイトとかがものすごいバリが良かった。
iモードのページでは本当に昔のチカチカ横に動くだけの、
懐かしい。
作って2万円もらえるみたいな、学生を束ねる学生の上みたいなのがいて、
その人たちからお仕事もらって、やってたのが本当にベンチャーに触れるきっかけ、一番最初で、
さっき言ったように、うち家業で町工場やってたので、
父親とかは継がないという話はしなかったですけども、
おばあちゃんがね、やっぱり、お前が継がなきゃうちの工場はなくなるよと、
子供の頃からずっと言い続けてくれてまして、
一体も、長男だったので、目もかけてくれて、
自分なりにビジネスうまくなりたいなという気持ちはずっとあったんですよね。
たとえね、自分が継がなかったとしても、
そういう気持ちはずっとあって、やっぱりそういう商売系であったりとか、
大学部も小学部で商業に関わるところで、
本質的にそっちが好きっていうのもあるけど、
好きなおばあちゃんとかに喜んでもらいたいみたいなのも、やっぱり半々であったみたいな。
そういう感じで東京に住んできました。
新卒は就職はされたんですか?
一番最初、一瞬だけしたんです。
それ実は、大学の時に起業しまして、
起業した会社があったんです。
それで、みんなで下請けやってたんで、
よくある話で、下請け、自分らでもできんじゃねえ問題あるじゃないですか。
独立できんじゃねえって。
独立して、当時流行ってたポータルサイトを作ろうとしたんですけど、
もちろんそんなうまくいかず、
その時に、当時3人の中の1人が留学行ったことがあって、
すごいお金かかったと。
だけど、なんかやっぱり良かったっていう話があって、
じゃあちょっとそれやろうよっていう話で、
仮留学で僕らも1週間ぐらい留学行ってみて、
すげえ良かったんですよね、留学が。
楽しかったし、ものすごい偏見ですけど、
日本の中だとやっぱり美人と言えばこれとか、かっこいいと言えばこれって、
共通である程度修練していってるじゃないですか。
みんな同じ文化と一族と同じ年代で会ってるだけだと。
もう全然違うみたいな。
あんまり社会にもしかしたら合ってないかもとか、
そんなことを悩む自分が全然すげえちっちゃかったみたいなことが、
バチンって留学で来て、うわこれはすごいと思って、
これみんなで仕事にしようっていうので、
留学のエージェントを要するにポータルデジタルじゃなくて、
本当にフィジカルの留学のエージェント始まったんですよね。
最初は本当に旅行代理店みたいな感じで、
お客さんと学校をおつなぎする、
旅行代理店の代理店で舌受けみたいな感じでやってたんです。
でもだんだん僕らの世代はインターネット強かったんで、
当時SEOとかに力誰も入れてなかった時代に例出して、
他のところは大手とか雑誌とかで集客してたんですけど、
僕らはインターネットで集客し始めて、
しかも学生ベンチャーあるあるですけど、
大手は手数料、都道さんと一緒です。
お客さんからも取って、学校からももらってたのを、
学校からもらえないんだったら、
日本のお客さんから取らないでいこうみたいな青い気持ちで、
薄利多倍の方に進むという青い気持ちでいきまして、
始めてたんですよね。
その理学の時に始まって、
正直学生が学校も半分さぼりながらやってたもんなんで、
実は家賃払えてちょっとだけ過ごせるぐらいしか儲かなかった。
ずっとやってて。
大学最後になった時に、
うちの内輪にも戻りましょうかみたいな気持ちをね、
ちょっと打ち上げたところ、
いらんと。
いらん?
いらんって言われた。
心よく言っていただきまして。
完全に次の流れかと思いました。
ここでもう入ったかなぐらいの流れでしょ。
いらんって言われた。
どうしたんですか?
これは払うしかないなと思って、
一旦どっかに就職しようかなって、
一瞬就職させてもらったんですけど、
それもすぐ辞め、
みんなにまた集合して、
あれを本気でもう一回やっていくという中で、
今まで僕らは日本から学生だったのもあって、
押し出してたんですよね。
留学行ってください、留学行ってくださいっていう形で、
日本から押し出して、
で、みんなそういう形だったんですよ。
だから競合も多いし、
インターネットが流行ってきて、
僕らと同じ無料モデルも増えてきたんで、
正直全然儲からなかったんですよね。
その時に海外でやってる同年代の社会の皆さんが、
LAでやってて、
LAに先にお金振り込んでくださいみたいな。
全然知らない人に振り込んで、
そこから助けますみたいなんて、
なんか怖いじゃないですか、普通に。
そんなに上手くいくの?みたいな話を聞いて、
でもその人は同年代で仲良くさせてもらってたんで、
話も聞いたら、
いやもう全然ライバルだっていないんだもん、
みたいなことを言ってたんですよ。
本当ですか?って言って、
身に貸してくださいって言ったら、
もうなんかみんな客さんバンバン来るわ。
そこ来たら現地でサポートするっていうシステムをやってたんですよね。
今まで押し出して僕らはサポートできなかったんですよ、
言っても。
学校にお任せしますみたいな。
だけど来たら自分たちが車で迎えに行って、
自分たちを押し出して連れて行って、
困ったことありますか?とかやりながら、
助けてっていうのをやってて、
しかも結構少人数で回せてたんですよね。
要するに効率が良かった。
僕らは競合が多いから、
お客さんリーチして何回か話しても、
結局どっか行きますとかってなることあったら、
効率良くないじゃないですか。
だけど現地に事務所があるのはそこしかないっていうと、
圧倒的に強みで、
しかもそんなところにお金振り込む人って、
すごい絞られてるんで、
非常にすごかったのを感じて、
その後アメリカをぐるっと回って、
最後LA初で日本に帰ってくる時に、
さすがにちょっと人気切らないと。
これやっぱり僕らもいいと思うんで、
同じことを僕らニューヨークでやりたいと思ってます、
っていう話をしたら、
うまくいくと思うよっていう話もありながら、
でも絶対LAに出てこないでねと。
それが約束できるんだったらいいよって言われて、
分かりましたっていうことで、
ニューヨークから始めたのが、
ニューヨーク留学センターっていうのなんですよ。
それがもう当たりまして、しっかり。
現地にしかないし、
ニューヨークに来て助けるっていう形なんで、
やっぱりニューヨークって不安多いじゃないですか、
LAもそうですけど、
整ってないし、
意外とLAより遠いんで、
人口少なかったんですよね、LAよりお客さんが。
だけどニューヨークって知名度は高いから、
非常に空白スポットとして、
ニューヨーク留学センターを渡りしたっていうのが、
そっから海外にニューヨーク法人登記して、
ロンドン法人登記してみたいな感じで、
視点を増やしていったって感じですよね。
結構大成功ですね。
いやいやいやいや、もう大変でしたよ。
でも楽しかったです。楽しかったです、普通に。
そっからマツコーバーへの転身の話を聞きながらいるんですけど。
そうですね、断られてからのココナーがあったんですよね。
それでもうモデルは決まったんで、
同じモデルを各国に作っていったんですよね。
ニューヨーク作って、トロント作って、
バンクーバー作って、
ロンドン作って、
シドニー、オークランド作っていったっていう。
最後、もう一回回ってロンドンに戻ってきて、
ロンドンに住んでた時に、
父親から、うちの会社こういう状況だみたいな、
すごい鋭いジャブが来るんですね。
スポーンと。
やってる、そういう感じで。
なんで父親がそう思ったのか、
諸説いろいろあるんですけど、
僕の認識は、体調を崩した、
若き頃から痛風になってたりするぐらい、
暴飲暴食してましたんで、
体調を崩して、ちょっと糖尿近くなって、
入院した時に、会社のお金全部止まっちゃったと。
じゃあちょっとバックアップ必要だね、
みたいなことを誰かに言われたのか、
感じたのか。
で、長男がおると、
うちの会社ここだよっていうのを、
いろいろ見せてくれたりとかしながら、
えーっつって、
そうは言ってもね、
っていう話で、
2年か3年ぐらい、
のらりくらいしてたんですけど、
どっちか決めてくれっていう話を、
そりゃそうですよね。
無限にのらりくらいできないわけで、
決めてくれっていう話をした時に、
どっちかしか選べないってなるんだったら、
まあ一生かけてやるんだったら、
下業の方に戻ろうかなというのが、
一つの理由なんですよ。
もう1個会社はもう1人じゃなかったんで、
最初始めた3人うちに2人は残ってて、
しかも業績ずっと上がってたんで、
まあ良かったかなというのが言い訳、
自分の中の最後の落とし所としては。
上がり続けてるんで、
こう下がってる時に抜けると、
むっちゃ嫌なやつじゃないですか。
だけど、
まあむちゃくちゃ成績いいから、
いい時に飲んで抜けるのぐらいの時の方が、
いいし、
で、さっき言ったように、
英語圏のところはほぼ取り切ったんですよね。
次行くのでフランスとか、
もうちょっとブラジル行くかみたいな、
また違う感じで、
まあそれはそれですげー楽しくワクワクしてたんですけど、
英語圏で一通りちゃんと足腰も揃えて、
強くなって、
取り切ったところのタイミングだったんで、
まあこのタイミングが一番、
抜けるにもいいかなと。
抜けるなら来やすいかなと思ったのが、
自分の中の言い訳ですけどね、
これはどの方面から聞いてもね、
それは残った人からしたら、
お前、自分採用しといていなくなるのかよ、
みたいな話あるし。
従業員さんも結構いらっしゃったんじゃない?
いやいや、それともね、
当時で40ぐらいかな。
結構大きいですね、それは。
まあまあエージェント運用なんで、
やっぱり一対一なんで、
どうしても人手がかかっちゃうっていうか、
逆に言うと、
でも設備投資とかはないので、
ウェブサイトと、
療法業とか代理店業なんで、
学生としては始めやすくて、
そこまで賢くなかったら、
当時その代理店業、
学生でもできるとか思わなかった。
結局当時ベンチャーやってた仲間は、
ちりりりになったけど、
やっぱ残ってた人たちって代理店業。
インフラ行って上手く最後まで行った人って、
僕らの時代はやっぱりあんまりいなかったなあ。
ちなみにサービスはまだ残ってますか?
うん、会社は残ってますよ。
そうですよね、今お伺いして検索してみたら、
残ってますよね。
はい、ありますよ。
ニューヨーク留学で1番でしょ、
まだ多分SEO。
えー、すごい。
ロンドン留学とかでも1位だと思う。
頑張ったもんね。
学生企業からのっていうところが、
辺口さんと通じる部分あるなと思って聞いてたんですが、
現職の話に行きたいなと思ってるんですけど、
全然また違う環境で、
めちゃくちゃ老舗の工場に、
家業の工場に入社するという形になって、
そこから代表を引き継がれる感じだと思うんですけど、
すごいピボットですよね。
まず在庫あるってことにビビりました。
やっぱヨーロッパとか、
物理的に多いのはインド、トルコ、中国なんかは、
やっぱりそこでオーガニック製品作って、
ヨーロッパに出していく。
ヨーロッパっていう履き口が分かってるからみんな取って、
ヨーロッパの人が必要としてるからっていうので、
流行ったんですけど、
日本って別にオーガニックが多いんじゃないかって、
そんなに洋服だとまだ敏感じゃない。
もちろんベビーとかでオーガニックの方がいいよねっていう、
そういう空気感は出てますけど、
でもまだ大人でそれよりはかっこよさだったりとか、
ファッション性だったりとか、
その時の美しさを優先する流れがあったと思うんですよ。
これ実は僕ら結果的に国際認証取ったから、
輸出増えたみたいな、見えますけど、
その前から輸出むっちゃ伸びてまして。
そうなんだ。
さっき言ったアリババとかを地道にやってたことで、
じわじわ伸びてたんですよ。
伸びてた段階で、
だんだん輸出の割合が最初少なかったのに、
5パー10パー20パーぐらいになってきたのみたいな、
海外すげえ売れんじゃないっていう空気出てたんですよね。
特徴は大量生産で作るっていうよりは、
日本にしかないもの、
やっぱオーダー作るのもそういうものだし、
日本でしか作れないとか、
日本にしか残ってないとか、
わざわざこんなこと、
さっき言ったこの縫い目、
縫い目ないってことはこのサイズを作んなきゃいけない。
SMLあるとこの筒を、
手の服はSML全部作んなきゃいけないし、
お腹の周りもSML作んなきゃいけない。
それって自動裁断機っていうオートメーションのやつ使えないんで、
そんな非効率なこと、
そんなことわざわざやってる奴らいるぜっていうのが売りになって、
そのクラフトマンシップが世界に響いて輸出どんどん増えてたんですよね。
へー。
で、その流れで若い子の縫製職人を僕入れたいと思ったんですよ。
職人さんってもう、
僕らの近所だとはっきり言って工場ほとんどなくなっちゃったので、
中途採用みたいな人が出てこないんですよね。
中途がいないみたいな。
それ以外、若い子たちはもう遠くとか地方に工場があるので、
こっちにいないんですよね。
年配のところの人なんかいればいいんですけど、
もう工場もないので出てこなくて、
その時にやっぱりもう未経験でも若い子を正社員に入れて、
ちゃんとお給料払って技術を継承していくってことをやっていきたいって思ったんですよ。
その時にやっぱ工場をいい工場にしないと、
若い子たちが入ってきても買いがないじゃないですか。
だからそう、若い子が入ってきたいなと思う工場で、
いい工場にしたいと思って、
もちろんそれで整理整頓とかしてきれいにすればいいですけど、
合わせてゴツっていう世界の我が国でしょ。
で、世界に輸出が増えてるから世界に使えるっていう革残余はありながら、
なおかつ工場として世界基準の人権だったりとか、
環境を整えるっていうのを合わせてやるっていうところで、
まずここに投資しようと思ってゴツ取ったんですよね。
へー、そっか。
採用マーケティングみたいなところで働きやすい会社みたいなのを
打ち出したりとかするのと同じような採用マーケティングのところもあるんだ。
そうです。だから僕らの戦略で言うと、
工場ってやっぱり使命がないと仕事ないんですよね。
商品で戦ってるわけじゃないので、
例えば僕らが物を作ってても、僕らの先の作ってるブランドさんが
突然破産しましたと。
もう要するに誰が作ってるか誰もわかんない。
その人たちは僕らのこと知ってるけど、
他のブランドから見たら、要するに背景を隠すんで、
ここで作ってるって言われたら同じことできんじゃんみたいになっちゃう。
みんな隠し合ってるんで、後ろ隠し合ってたんですよね。
だから知ってる人しかあの工場が作ってるってわかんない。
だから工場としての知名度がないとやっぱり仕事が
使命でもらえないし増えていかない。
だからどうやって工場としての知名度を上げるんだっていうことを真剣に考えた。
やっぱりお客さんの作りたいものを作るっていうのがあるんですよ。
それだとやっぱり値段の上限とか、お客さんのコンセプトの上限とかがあって。
だけど僕らがマチ工場としていろんな素材とか見た中で、
最高のTシャツとスウェットだって、僕らからの目で見たもの。
これだっていうものを出したいって思ったんでJIAブランドも始めたし、
そのことがつながって工場の知名度を上げることにも
つながってくれるって信じてたし。
やっぱり最高のものを見せないとどこまでできるか誰もわかんない。
安くして押さえてっていうことに
知名もらえるほどのインパクトってないじゃないですか。
どこまでできるんだっていうのを全力で見せるっていうことを主力した。
それプラス発信を一生懸命やるっていう。
JIAブランド始められる苦労とかってあったりされました?やっぱり。
いやこれ全然やろうやろう問題ありますよ。
マチ工場あるあるね。
いいねって。みんな会った方がいいよねって。
もちろん言うんすけど。
動かないっていう。
それはやっぱり日々の業務に乗られてやろうやろう問題がありましたね。
だけど僕ら一人だけで最後まで作れるわけじゃなくて、
僕らで糸防石とかもちろんできない。
僕らがこの糸作ってくださいって言って作ってくれますけど、
やっぱり他の工場さんも今できるMAXとかやりやすいMAXを見せるだけなんですよね。
要するに切ってくれないと切ったものできないじゃないですか。
だから今作りやすい最高のものを作っちゃう。
これってでも世にあるものの高級ライン作ってるだけじゃないですか。
それをちゃんと回りながら、いやいやそうじゃなくて、
日本で最高のものを作ってお客さんが来た瞬間に違うって分かるもんじゃないと、
お客さんが分かるもんじゃないと全く意味がないから、
それをやってちょっとゴワつくからもっとスルスル柔らかくしたいとか、
もっと土が詰まったようなスケスケじゃなくて軽さを出してほしいとかっていうのを
相談してたら実はこういうことあるよ、こういう装置あるよとか、
今動いてないけどこういうのあるよって実はみんな持ってんすよ。
とんでもない最高の技術。
でもそれはお金にならないからみんな出してないんですよね。
めんどくさいし、今回ってないしとか。
だけどそれはちゃんと説得して手伝ってもらってるんですけど、
何かお願いしますってことをやることによって作っていく。
これは時間がかかりましたけど、でも逆に僕らお礼っていうと語弊がありますけど、
ブランドが残ると思ってなかったっていう部分も実はあって、
ブランドって言えばできたら潰れできたら潰れするんで、
だからその作った工場の名前を首の後ろに置いてあるんですよね。
書いてあって、そしたら見る人が見たら、あ、宝石ここがやってんだとか、
このアンデのここがやってんだってわかれば、
あんなすごいの作れるんだったらって仕事になる可能性あるじゃないですか。
さっき言ったように工場の知名度が上がることで指名がもらえるんで、
その一助にもなればと思って最高のものをやったんですね。
それが時代とすごいマッチしたわけで、おかげさまで未だに続いてますし、
続けられてるのは本当に偶然の予測かなとは思ってますけど。
Tシャツとかアウトプットした製品が広告になってるみたいな感じですもんね。
そうです。名刺代わりみたいな。
こんなすごいことができるとかだったらこんなこともできるんじゃないとかになる。
工場としての能力のマックスを見せるってことが大切かなと思ってますね。
これなんかグラウンド観点の話になっちゃうんですけど、
1枚、多分1万円以上のTシャツとかっていうふうにお見受けしてるんですけど、
あんまり安いものではないと思うんですけど、
これ自体のリピートとかっていうのはあるんですか?
ありますあります。やっぱり1個買ってくれたら、最初1枚買うの怖いじゃないですか。
まだ今だともう円安でぶっかかっちゃったんで、1万円以上とか結構あるんですけど、
10年弱ぐらい前だとあんまなかったんですよ、1万円以上のTシャツって。
だからみんなおっかのびっくり1枚買ってくれて、
だけど1回買ったら3枚ぐらいは買ってくれる。
えー。
回し用に。やっぱりそれだけ着た瞬間に違うってわかるってことにこだわったし、
それだけの違いを出せないと作る意味ないって思ったんで。
それはいいように働きましたね、そこが。
ありがとうございます。
今日は産経メディア株式会社の代表取締役社長、
三木健さんにお越しいただきましてありがとうございます。
ありがとうございます。
ディテールトーク、ここまでお聞きいただきありがとうございます。
番組の詳細欄にGoogleフォームのURLがあるので、
質問やメッセージはそちらからお送りいただけると嬉しいです。
番組内でご紹介させていただくかもしれません。
次回もぜひよろしくお願いします。
あっという間ですよ。
もう2、3時間枠もらわないと。
まだ全然終わってないですよ、語りは。
ちょっと一着買わせてもらいます。
本当ですか、ぜひ。
2パターン、2種類、極致に振り切ってます。
むちゃくちゃ軽くて気持ちいい方が、
もう最高級の、最大に使ってむちゃくちゃ厚いTシャツか。
だけど今、厚い方がメンザー、ビジネスでも使いやすいんで、
そっちの方が。
だけど本当にリラックスになった軽い方の方が、
分かるって思ってくれますし、
ずっと家でも着れるし、気楽に着てくれるっていうか。
お直しもするんで、無料で。
そうなんだ。
つけ直して、元の大きさにして、
それは無料で、ソールだけもらえれば。
すごい。
ずっと直すんで、ずっと使ってください。
捨てるにはもったいない。
本当にいい素材です。
そしたらフォローシャツを買わせてもらいます。
今買おうとしてそう。
Tシャツ、Tシャツいってほしいな。
Tシャツの方がいいか。
なるほど。
フォローよりはTシャツの方がいいような気がするけどな。
やっぱりプレーン味を食べてほしい。
チョコとかに行かずに。
ヘビー派の後で、クルーネックTシャツ。
そうですね、ヘビーが普通のベーシックかどっちかがいいと思います。
分かりました。
じゃあちょっと入れておきます。
商品交換サイズ交換は全然普通にするんで。
みなさんにもやってますんで、
着た時に違ったら交換しますんで。
大丈夫です。
ありがとうございます。
すごい。
すごい。