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はい、今日のテーマは、言葉のない愛。ある日、お姫様になってしまった件についてを、4話まで観て感じた、言葉にしなくても確かに伝わるものについて、お話ししていきます。
まだちょっと4話までしか観てないんですけど、どうしてもお話ししたくなったので、お話ししていきます。
あのね、アタナシアがね、かわいすぎるっす。
もうそれだけなんですけど、ちょっと真剣に話していこうと思います。
アタナシアの幸せってすごいシンプルだなって思ったんですよね。
もう本当に、ただお父様に見ていてほしいというか、そこで笑って自分を見ていてほしい。
本当にもうそれだけなんですよね。
なんていうかもう、それって多分ですけど、人が本当に求めてる幸せなのかなって思ったんですよね。
もうだって、植物とか動物とかとほぼほぼ僕一緒だなと思って、植物とか動物とかっていうのも、人間に対して何かをしてほしいわけじゃなくて、
もちろん水とか餌とかが欲しいっていうのもあるんですけど、でも、そういうのじゃなくて、ただそこにいるよっていうか、ちゃんと見てるよっていうのを感じられるというか、
もうそれだけで植物とか動物とかってもう嬉しいんですよね。
でも、やっぱ人も一緒で、もうそれだけで生きていられるって感じられるんですよね。
見てくれてるなって言葉がなくてもっていうか。
だから、人が求める幸せって案外それくらいなのかなっていうか、
なんか、それだけでいいのかなっていうのをちょっと思ったっていうか。
アタナシアを見ててそう思ったっていうのを感じましたね。
アタナシア側からの幸せというか。
次にクロードです。
もうね、最初から顔に書いてあるんですよ。
愛してるって。
もうね、顔に書いてあるんですよね。
でも彼はすごい不器用というか、
冷たい炎っていうか、
言葉ってすごい不器用なんですけど、
態度もどこか冷たく見えるけど、
失うのが怖かったり、自分が傷つくのもどうしても怖いっていうか、
どうしていいかわかんないっていう。
クロードも含めてまだ受け止めきれてないんですよね。
母親というか、奥さんの亡くなってしまったっていうことに対してというか。
だから、でもそれだとしてもどうしてもアタナシアのことを愛してしまうっていうか、
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どうしようもなく愛してしまうというか。
だから、多分クロードの愛し方も言葉じゃないんですよね。
行動にどうしてもなってしまうっていうか。
だからちょっと似てるんですよね、アタナシアとクロードの。
似てるっていうか、親子なんでそうなんですけど。
時間を一緒に過ごすことだったり、
同じ場所に一緒にいることとか、
ただ顔を合わせる、ただお茶をする、ただご飯を食べる、
ただ花をめでるというか、
本当にただそれだけっていうか、
なんていうか、ただ同じ時を生きる。
ただそれだけで、アタナシアもクロードも本当はいいのかなっていうか、
僕たちもそうなと思うんですけどね。
もうそれだけでいいっていうか、
本来もしかしたらそういうことなのかなっていうか、
ただそれだけでいいっていうのが人としての、
人が本当に求めているものの幸せと呼ばれる形なのかなっていうのを、
ちょっとこの2人を見て感じたということでした。
ちょっと補足していければと思うんですけど、
補足というか、ちょっと自分に照らし合わせながら見ていたので、
ちょっと自分の話になっちゃうんですけど、
自分も小さい頃、母親と一緒に過ごす時間っていうのが多分少なかったなっていうのを感じながら見てたので、
どうしてもアタナシアの気持ちに重なってしまう部分がすごく多かったというか、
家族に見捨てられてしまうかもしれない怖さっていうか、
本当は聞きたいことがあるけど、それを聞いてしまったら傷つけてしまうんじゃないかなっていう怖さというか、
だったら何も聞かずに一緒にいたほうがいいよねっていうか、
嫌われてそばにいたいなっていう感じだったと思うんですよね。
アタナシア側からしたらどうしてもやっぱり母親のことを知りたいですよね。
もちろんそれは知りたいですよね。
だからこそやっぱりクロードは言葉では語らないんですよね、あそこで。
自分が見た景色を見せるっていう、それだけなんですよね。
だからこそなんていうか、クロードの愛し方を僕は見ていたらね、
そうすると自分の2代目の父のことをどうしても思い出しちゃうんですよね。
僕もどうよく2代目の父と一緒にゲーム屋さんに行くっていうことが多々あって、今夜なんですけど、
ゲームとか漫画とか見終わった後の帰りに、自販機で好きな飲み物を一つ買ってもらえるっていう謎の時間があったんですよね。
でも、僕それすっごい嬉しかったんですよね。
バナナオーレとかデカビタシーとか飲んでたんですけど、
それだけで僕愛してもらってるんだなっていうのを多分感じてたんですよね。
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言葉じゃなかったけど、でもあの時間って愛されてたんだなっていうのを感じてたんだと思うんですよね。
なんでもないことの中にこそ、愛というか確かな温度がそこにあったっていうか、
言葉にしない愛っていうのがあそこまで深く滲むものなんだなっていうのを感じたっていうか。
だからこそこのある日お姫様になってしまった件についてを見て、
不思議なくらい自分のことのように感じたっていうのは、
多分僕自身が言葉のない愛っていうのを知っていたからなのかなっていうのは思ったというお話でした。
最後に一言言って終わろうと思います。
愛はいつも言葉になるとは限りません。
ただ同じ時間を過ごすこと、見ていること、そばにいること、それだけでちゃんと伝わっている愛も確かにあります。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。