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はい、今日のテーマは、境界に立つ、わたしたち、心や感情はどこから生まれてくるのか、その間について少し考えてみたいと思います。
最近、境界とか異界とか、民族学とか、そんな言葉というか、そういった部類にちょっと今、心を惹かれてるんですけど、
よく考えてみると、こういう全部の関係とか、感情とか、心とか、喜怒哀楽とか、すべてのもの、肉体とすべてのものに対して、宇宙とか地球とか、すべての関係性に対してなんですけど、
こういうものって、人間の内側からポコッと湧いてくるものだってずっと思ってたんですけど、
僕の中にあるみたいな、人間の中にあるよねみたいな感覚だったんですけど、なんかそれってもしかしたら人間の中だけじゃなくて、
なんかその人間という器と、世界の間というか、その境界で生まれているものなのかなって思ったんですよね。
だから、私たちが思っているその感情を生み出しているというよりは、その境界で起きていることを感じているだけなのかもしれないなって思ったんですよね。
その、感じているっていうのはちょっと変で、むしろ、その感じているっていうよりも、その境界で起きていることをただ見ているに過ぎないのかなって思ったんですよね。
その、舞台を少し離れた客席から眺めているみたいな感じで、っていうのかなと思ったんですよね。
その舞台が境界としてただ現れて起こっているみたいな。
だから、その心の動きとか出来事っていうのが全てその境界、舞台で起きていることなんだとしたら、
なんか、すごく負に落ちたというか、その人が境界でやり取りをしている存在というか、
だから、人間っていうのかなって思ったんですよ。
その人は間でやり取りしているからっていうか、その境界で生きているっていう意味合いも込めて、
だからこそその間で自分というものを生み出しているのかなと思ったんですよ。
その境界でね。
それとも、その境界に映し出される自分をただ見ているだけなのかなっていうか、
これもちょっと鏡的な話になっちゃうんですけど、
なんかそれこそ境界になるのかなっていうのをちょっと思ったっていうことでした。
はい、じゃあちょっと補足していくんですけど。
なんか、民族学ってちょっと難しいなって感じだとは思ったんですけど、
でもなんかそんなことなくて、
民族学ってその境界っていうのをすごく大事にされてるんだなっていうのを感じたんですよ。
そのなんていうか、山とか、生と死の間とか、悲願と志願とか、
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そのなんかはっきり分けられない場所にこそ、
なんかそういう、なんていうんですかね、
力みたいなのが宿る的な感じですかね。
だからこそその、僕が感じたその人間としての間というか人の間、
境界になんかそういうすごいパワーがあるのかなって思ったんですよ。
だからこそその感情がすごい大切だというか、
大切っていうかその、境界で起きてることだからこそすごいエネルギーを持ってるじゃないですけど、
なんかその、うちと外とか、自分と他人とか、過去と未来っていうそういう境界というか、
なんかそういうはっきりしない境目で、
その境界が揺れるっていうか、感情が揺れたり関係が変わったりするっていう、
だからこそなんかそれこそそこから生まれてるその感情の苦しさとか喜びとかも、
なんか全部僕だけの問題じゃないっていうか、
なんかその境界にあるものってすごいいろいろなものだと思うんですよね。
その、その環境とかもそうだし、他の人たちの思いとか、
本当にいろんなものがその境界に集まってただそれを見てるっていうか、
だからその、なんか全部自分のせいじゃなくて、
なんか自分がそこをただ通ってるだけみたいな感じなのかなとも思って、
だからそう考えると、なんかその心に少し余白というか、
あのまあもちろんその自分の責任の場合もあるんですけど、
なんかそういったものに対して無理にその答えを出さなくてもいいのかなとか、
その、なんかこう変えなきゃいけないとかこうしなきゃいけないっていうのじゃなくて、
その今境界でどういうことが起きてるんだろうっていうか、
そういうのをちょっと静かに見るというか、
自分だけのそのなんか空間でいるというか、
あえてその境界に近づかないっていうのも、
また何かあの大切なことなのかなっていうのを思ったという、はい。
今日この頃でした。はい。
じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
あなたは何かを抱えすぎているわけじゃない。
ただ境界に立って感じているだけなのかもしれません。
はい、今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。