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はい、今日のテーマは、なぜ、正しく、完璧で、良い人であろうとすると、心は死んでしまうのか、というお話をしていきたいと思います。
正しく、完璧で、良い人って、僕はその場その場で変わってしまうのかなっていうのを思ったんですよ。
ある状況下では正しいって言えるかもしれないし、違う状況だとこれは違う完璧だ、良い人っていうのもその場その場で変わってしまう。
もちろん、ちょっと哲学とか倫理とかそういう問題になってきてしまうんですけど、
そういったこと、場所場所とか、場面場面で変わってしまうんだとすると、
ただでさえ人っていうのは一定ではないはずなのに、その人が一定の決まりや考えっていうのを常に持っている。
こういう風にあるっていう風になってしまうと、自分で生きているっていうよりかは、自分の心で生きていないような気がするんですよね。
その場の空気感だったり、その場の正しさとかその場の完璧さっていうのに支配されてしまうような気がするんですよ。
その場で良い風に振る舞うっていうことにっていうか、だから自分で生きているっていうよりかは、その場所とかその空気その完璧さっていう、
言動っていうものに支配されてしまうような気がしたんですよね、僕は。
だからどうしても苦しくなってしまうというか、そうしたくない場合でも、例えば常に良い人とか完璧とか正しさっていうもので生きるっていうのは相当苦しいかなって思ってしまうんですよ。
だからそもそも人間ってそんな簡単というか単純にシンプルにできてないのかなって思うんですよ。
なんていうか、もっと複雑でシンプルで曖昧な、だけどめんどくさかったり、もっと多層的な面があると思うんですよ、僕は人間っていうのは。
それなのに、その一方向から見た正しさ、完璧さ、良い人っていう風に自分が勝手に決めたそういったものっていうのを、
その通して全てを見るっていう風にしてしまうと、必ず歪みができてしまうような気がしたんですよ、僕は。
なんかその歪みっていうのが、生きていく上での心の苦しさになってしまったり、その心が死んでしまうっていう理由になるのかなって思ったんですね。
で、じゃあその苦しみがどんどんどんどん増えていったらどうなっちゃうかっていうと、僕は世界への憎しみだったり、他者への攻撃とか、もっと私を認めてくれっていうような自己承認への強い欲求に僕はなってしまうのかなって思ったんですよ。
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やっぱり心って、世界を映し出す鏡だと僕は思うので、そういう鏡が曇ってしまうっていうことは、自分の心が見えなくなってしまって、そういったことによって心が死んでしまうっていうことなのかなっていうのを僕は思ったんですね。
だから、もちろん素敵なことだと思うんですよ。完璧さを求めるとか、いい人でいたいとか、正しくありたいっていうのは、例えば過去に何かあったとか、その人がその人をたらしめる何かがきっとそこにあるんだろうなと思うんですけど、
ただ、どんな状況でもどんな場面でも、そういう一方向からしか見ないっていう風になってしまうとどうしても苦しさが出てしまうというか、遊びがない部分が出てしまうので、やっぱり心がどんどんと死んでいってしまうっていうか、本当はそうじゃない場面でもそうせざるを得なくなってしまうような気がするっていうか、
本当はその志だったものが呪いになってしまうっていうようなことが起こり得るのかなーっていうのをちょっと思ったので、今日は少し言葉にしてみました。なのでちょっと最後に一言言っておろうと思います。
あなたのその正しさと完璧さといい人というものがあなたの呪いにならないように、でもきっとその裏にはあなたの優しさが詰まっているのかなと思ったりしました。はい、今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。