00:05
今日のテーマは、苦しさや憎悪の中にも、温かさがあるのかもしれない、という話をしていきます。
アニメのプルートを見て、ちょっと印象に残ったことがあるので、ここでお話ししていければと思います。
ネタバレにもなる可能性があるので、もし見ていない方は、見てから聞くことをお勧めいたします。
それでは、いきます。
まず出てくるロボットがいるんですけど、ロボットのブラウ1589っていうロボットがいるんですね。
このロボットは、過去に人を殺してしまったロボットとして捕まっているんですけど、このロボットがアトムにこういう場面があります。
触れさせてくれないかっていう風にお願いをするんですね。
で、このブラウ1589っていうロボットがアトムに触れた時に、暖かいっていう風に言うんですよ。
で、僕このシーン見た時に、アトムの中にゾウが生まれてしまった後にこのシーンがあるんですけど、
アトムがそのゾウを乗り越えたっていうよりかは、そのゾウも含めて抱きしめた心があったから、
そのアトムに触れた時に暖かいって言ったのかなと僕思ったんですよ。
その憎しみとか悲しみとか苦しみって、どうしてもマイナスな面というか、
どうしても嫌だなとか、ネガティブな面っていうのがあると思うんですけど、できれば持ちたくないとか、
できればそんな思いしたくないっていう風に感じてしまうと思うんですけど、
ただそういった感情も僕たち人っていうものを作っている体温の一部なのかなっていうのを僕は思ったんですよね。
その憎しみがあるから愛がわかる。悲しみがあるから優しさが生まれる。
そう考えると、そういうちょっと僕たちが連想する暗くてドロドロした、そういった感情も、
その心の中で何かを支えてくれているのかもしれないなって思ったんですよ。
そういった僕たちが黒いもの嫌だなって思ってるものが混ざり合って、
僕たちのこういう人としての優しさだったり、人としてのぬくもりっていうのはできているのかなと思ったっていうことでした。
じゃあ少し補足していきます。
この話を僕書きながらというか言いながらというか、まとめながらちょっと考えてたんですけど、
心理学者の河合駿先生の言葉を僕はちょっと思い出していて、
その言葉っていうのが、幸福は悲しみによって支えられているっていう言葉があったんですよ。
03:05
で、これってさっきの部分とちょっと似てるなって思ったんですよ。
その憎しみの、憎しみが支えているのが例えば愛だったりっていう部分もあるかなっていうのを思ったんですね。
だからこそその幸せってただ明るい面だけじゃないっていうか、
僕たちは幸せっていうものを一方向からしか見てないっていうのがあると思ったんですね。
だから僕たちは悲しみを知っているからこそ感じられるものだと思ったんですよ、その幸せっていうのが。
だから憎悪も同じかもしれないなって思ったんですよ。
このプルートのアニメの中で、憎しみだけでは何も生まれないっていう風に何度も言うシーンがあるので、
どうしてもキーワードだと思うんですよね。
憎悪とか、その人が苦しいとか憎むとか、そういう他者に向ける黒い部分っていうのだけでは何も生まれないっていう。
でも僕これ、憎悪だけでは確かに何も生まれないなって思ったんですよ。
憎悪だけになってしまったら、でも人ってそれはないと思っていて、
その憎悪の裏側には誰かを大切に思ったりとか、誰かを守りたいっていう気持ちも隠れていると思うんですよね。
もちろん失ってしまったっていう部分もあると思うんですけど、
そのやるせなさっていうか虚無感っていうのももちろんそこに入っていると思うんですけど、
憎悪にはそういう部分が含まれているんですよね。
もう一面だけじゃないんですよね。
だから本当は愛と憎しみって遠く離れたものじゃないんですよね。
もちろんナルトの部分とか色々な作品でも愛が憎しみに変わってしまう部分ってあるんですよね。
愛した分だけ憎まずにはいられないっていうか。
でもそれってやっぱり繋がってるっていうか表裏一体なんですよね。
愛と憎しみってどうしても。
だから憎しみの裏にはどうしても愛があるし、愛の裏にはどうしても憎しみがあるんですよね。
あるわけないじゃんって思うかもしれないけど、でもやっぱあったりするんですよ。
その一方向からしか見れないかもしれないだけで。
だから人の心が綺麗なものだけでできているわけじゃないんですよね。
僕たちが綺麗って言ってるものっていうか、もちろん区別してしまっている部分もあるんですけど、
だから別に綺麗とか綺麗じゃないっていうのは置いといて、
悲しみとか怒りとか迷いとか憎悪とか憎しみとか、そういった部分っていうのも全部少しずつ溶け合ってるんですよね、心って。
06:03
だからその混ざり合ってる、その愛とか優しさとか温もりとか、
そういう温かい部分もそういう狂い部分も混ざり合って人としての温かさというか、人ができてるっていう部分だと思うんですよ。
だから別に狂いしたとか悲しさっていうのを感じる自分を責めるとかっていうのじゃなくて、
優しく見られたりもするのかなって思ったんですね、こういう部分があると。
だから一方向から見たら確かにそう見えてしまうかもしれないけど、
なんていうか、紙を裏返したら、こっちにはこんな世界があったんだっていうか、
そういうふうに裏も表もあるんだなっていうのが人なのかなっていうのか、
僕はちょっと思ったっていう今日この頃でした。
はい、じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
悲しみも怒りも心の体温の一部です。
そのぬくもりの中で私たちは生きているのかもしれません。
はい、今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。