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はい。今日のテーマは、「待つ勇気」ということについてお話ししていきます。
僕たちは生きている中で何かを決めないといけない時っていうのが必ずしもあると思うんですけど、
その時にだいたい僕たちがやることって、頭の中でずっと考え続けるっていうことがあると思うんですね。
例えばあれがいいのかなとか、これがいいのかなとか、ああじゃないな、こうじゃないなとか、
こっちを選んだらどうなるかなとか、あっちを選んだらどうなるかなとか、
そういう考えれば考えるほどだんだんわからなくなってきてしまうというか、
ちゃんと答えを出そうとしているのにどこかしっくりこない、これじゃないなというか、これが答えなのかっていうような、
どんどんどんどん疑心暗鬼になっていくというか、答えを出そうとしているはずなのに自己不信に至ってしまうような感覚があるっていうか、
僕ちょっとそんな時思ったんですけど、
その頭でああじゃない、こうじゃないっていうふうに答えを見つけるのって、
その結局のところ、自分が一番欲しい答えから遠のいてしまうような気がするんですよね。
だからそのじゃあ例えば5分悩んで答えが出ない時ってどうすればいいのかなっていうことなんですけど、
もうそれはそれで、
もうおそらく宇宙にぶん投げて、投げちゃうっていうのがいいのかなと思ったんですよね。
何が言いたいかというと、答えが降ってくるまで待とうねっていうことなんですよね。
その待つって言ってもずっとその問いは続けたままというか、ずっとアンテナは立てたままっていうような感じというか、
例えばじゃあ人生で何をしたいかっていうのをずっと考えてたとして、
それは答えを出すまで考えるんじゃなくて、答えが出なかったんだったらアンテナをその問いとして立てたまま待つということなんですよね。
そのうち答えってわかるんですよね。答えというかこうなんじゃないかなって自分の中で降ってくるというか、
これでいいのかなっていうのがたぶんしっくり降りてくるような気がするんですよね。
何言ってんだって思えるかもしれないですけど、もちろん頭で考えることっていうのもすごく大切だし、
自分がどうしたいのかなっていうのを頭の中で整理することってとっても大切なことだとは思うんです。
ただ、その頭だけで出した答えじゃなくて、体全部で考えて出した答えっていうのが、
僕はたぶんですけど、あなたが求めている、僕が求めている一番欲しい答えなんじゃないかなっていうふうに思うんですよ。
例えば一番わかりやすい例で言うと、欲しい服とか欲しいものって自分から何か欲しい服ないかなとか、
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欲しいものないかなって探しに行かないんですよね。
例えば、なんか急にこの服欲しいなとか、このもの欲しいってなると思うんですよ。
それって頭で考えてるんじゃなくて体に降ってくるというか、体全身で感じてる部分だと僕は思うんですよ。
だけどじゃあ、例えばですけど仕事とか学校で使う服を探さないといけないってなった時って、
多分なかなか見つかんないんですよね。というか多分ですけど、妥協でこれでいいかみたいな感じなんだと思うんですよ。
それって本当に本当の意味であなたが着たかった服なのかっていうことなんですよ。
でも結局時間がないから、これでいいかっていうふうになっちゃうのもわかるし、
頭で考えて出す答えっていうのも、もちろんそれはそれで、その服を選ぶっていうことのようにも大切だとは思うんですけど、
ただ、その答えは待った時に僕は出てくるものだと思うんですよ。
その自分で出すっていうよりかは、その無理やり頭で出すっていう答えではなく、
その脳で答えただけじゃなくて、その脳で答えただけだとあなたの全部の答えじゃないんですよね。
その脳の頭だけの考えになっちゃうというか。
だからこそ、頭で考えて答えが出ない時っていうのは、やっぱ待つ勇気を持って、
その答えが体に落ちてくるのを僕は待ってほしいなというか、
待ってほしいというか、待った方が多分ですけど、私もそうだしあなたも一番欲しい答えっていうのがそこにあると思うし、
一番欲しいものを見つける時の一番の近道なんじゃないかなっていうふうに僕は思ったりもするんですけど、
ただ、やっぱどうしてもその頭で考えて答えを出そうねっていうのを、
僕たちは小学生の頃からさせられてしまっているというか、
やっぱその頭で考えて出したことに関して丸打抜打とか正解不正解っていうふうに、
どうしても外部の評価にされてしまうというか、
それがあたかもそうやって生きていくんだよと教えられているかのように、
もちろんそういう生き方も大切なんですけど、
その…なんていうか、ただそれだとどうしてもやっぱ切り取った答えでしかない、
即席な答えでしかないと僕は思うんですね。
だからこそ本当に欲しい答えっていうのは本当に直感とか、
落ちてくることが僕は多いんじゃないかなという気がしていて、
恋に落ちるっていうか、恋のように恋は頭でするものじゃないと思うんですね。
体全部で、脳もそうだし、心臓もそうだし、全部でするものなんですよね。
それって落ちるものなんですよね。落ちてくるというか、
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体全身で感じるものっていうか。
だから本当に欲しいものっていうのは答えが落ちてくるまで待った方が、
僕はいいんじゃないかなというか、もちろんそれが見つかんない場合は
じゃあどうすればいいんですかってなると思うんですけど、
でもそれはキャッチできるかどうかにもかかってきていると思うんですね。
見つけなきゃ見つけなきゃ不安だ不安だっていうので、
頭とか体をいっぱいにするとその答えが落ちてくる場所がないっていうか、
落ちてくる場所があるからこそ答えが降ってくるっていうのは僕はあると思うので、
だからもう答えが出ないんだったら散歩に行くなり走りに行くなり、
もう体を動かした方がいいのかなというか、
まあそういった何かを動かすというか体を動かすことによって何かを
自分のスペースに空けるっていうのもすごい大切だと思うんで、
だから何でもいいんですけど、もし答えが出ないんだったら違うことをしちゃうっていうのが、
やっぱ答えが降ってくる間を空けるっていうことにもなるのかなっていうのは感じるんですよね。
ただそのこの待つってすごい勇気がいるというか、
ずっと問いを持ち続けることっていうのは頭だけで考えているとやっぱ苦しいって僕は思うんですよね。
だからこそその何ていうのかな、その答えを待てる人っていうのが本当に自分の行為を聞けるというか、
こういうことがしたかったんだなというか、こういうことを僕は答えとして欲しいなっていうふうに分かるような気がしたんですよね。
だからこそその勇気、待つ勇気があなたはある人なのかというか、
それともその社会のようにすぐに答えを出したがる人の方がいいですかっていうことを僕は問いたくて、
これのどちらが良い悪いというわけではなく、
どういうふうに生きていたいですかっていうことを僕は聞いてみたいし、問うてみたいなっていうふうに思ったという、はい。
今日この頃でした。
じゃあ今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。