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はい、今日のテーマは、社会が休むことを前提に作られてなくない? 春夏秋冬ウグイスは鳴かない? ということについてお話ししていきます。
えー、まあちょっと思ったんですけど、なんかその社会って何をベースにできてるんだろうっていうのを考えた時に、
多分、資本主義っていう、今は資本主義だよねっていう考え方が社会の考え方の基礎になってると思うんですけど、
その資本主義ってどういうことかっていうのをちょっと考えた時に、
効率とか生産性とかスピードとか、もっと多くのものをより多くの人に届けて、
より早く当たり前に並べていくっていう風に設計されてるのかなっていう風に思ったんですよ。
じゃあ社会と比べて人間ってどういう風に設計されているのかなっていうのを考えた時に、
人間は波があるんですよね。体調が良い時もあるし、良くない時もあるし。
例えば感情が高ぶってしまう時もあれば、薙のように住んでいる時もあるっていう風に。
その社会が求めているものというか、人間のリズムというか、
人間のベースと社会のベースっていうのが、そもそも違う土台でできてるよねっていう風になってしまっていて、
そこのズレっていうのが、そもそも人間が社会に適応できなくなってしまった理由でもあると思うし、
今の社会って生きづらくねっていうのって、本来の人間のリズムとして生きられていないからっていうのが僕は大きいなっていうのを思ったんですよね。
もちろん人間の方がより複雑だとは思うんですけど、でもだからこそシンプルな部分もあると思うし、
これっていうのも人それぞれ大切なものが違うし、じゃあこれがいいよねっていうのも人によってはバラバラだし、
もちろん社会が求めてる生産性とかより早くっていう風な社会でも生きやすい人はもちろんいると思うんですけど、
僕が思ったのは大多数の人って多分今の社会、この人間ベースに作られていない社会っていうのでは、
生きづらさというか生きていく不安だったり、生きていく希望が見つからないっていうことがむしろ当たり前なんじゃないかっていうのを僕は思ったんですよね。
なんかその、人間はもっと自然な流れの中で生きている存在だと僕は思うんですよ。
そのなんていうか、季節とかその木々とか花とかっていうのはゆっくりしたリズムの中で変化していくと思うんですよ。
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例えば、一年中ウグイスは鳴かないというか、一年中春じゃないし、一年中桜は咲かないしっていうか、
なんかそういう自然っていうのは効率だったり生産性っていうのを最優先にはしないんですよね。
だからこそ自然っていうのは急いだりもしないし、意味を求めたりもしないっていうか、
人間って本来そういう自然の中、リズムというか、巡り巡っていくもののはずなんですよね。
今の社会が前提としているものっていうのは、もういかに当たり前のようにより多く生産性を高めて、より早くいろんなものを並べていくかっていう、
ただそれだけなんですよね。だからそれは自然じゃないし不自然なんですよね。
だからこそ人が生きていく上ではそれだけでは生きられない。もちろん一部として生きていくことはできるんですけど、
ただそれを一生というか人がずっと生きていく中でそういった生き方をできるかといったら僕はそうじゃない気がするんですよね。
それが小学校とかから求められすぎてしまっているというか、お前らはもう人間をやめるんだよと言われているような気がするというか。
だからこそ、もう学校不登校の数も増えているっていうのはもちろんあると思うし、
社会で仕事をしていくっていうのもそれが本来の人間としての生き方とか、人としてのリズムじゃないっていうのがあるからこそ何か生きづらいなというか、
生きる意味がわからないなというか、何をしてるんだろうっていう風になってしまうような気もするんですよね。
だから何というか、そういうただ流れの中で順番が来たら動いてまた静かに戻っていくってこのリズム、
まあというか本来人間ってそういう生き方に近いはずなんですけど、今の社会はやっぱりそれを前提に作られていないというか、
まあ利益が上がればいいよねっていうようなもちろん大前提で社会は動いているので、
それだとやっぱり人間のリズムでは生きられなくなってしまうなっていうのはあるんですよね。
なんかそのやっぱずっと動き続けること、週5、8時間でずっと動き続ける、ずっと同じペースでいられることっていうのが今の社会では求められている。
まあ正社員で働かなければそうというわけではないんですけど、
そのやっぱこれってやっぱ春夏秋冬動いすぎずっと泣き続けろって言ってるようなもんだと僕は思うんですよ。
人間ってそんなことできないし、動いせたって泣くときもあれば春になれば泣くし、それ以外は泣かなくなってしまう、静かにしている時期もあるはずなのに、
どうしてもやっぱりこの社会っていうのが人間本来のリズムで生きさせないようにできてしまっているというか、
だからこそなんか社会のリズムに合わせて生きなければいけないっていう風になってしまうとやっぱり生きづらくなってしまうというか、
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なんで生きてるんだろうっていう風にならざるを得ないんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
だからこそなんか自分のリズムってどんなリズムなんだろうっていうのをやっぱり自分の体というか自分自身にやっぱ、聞くというか確かめる行為っていうのも必要だと思うし、
その中で、そのじゃあ自分がどういうリズムで生きていきたいんだろうかっていう、
社会に全部委ねる必要もない、まあいい距離を保っていこうねっていうことだと思うんですけど、
その中で自分がどう、どのリズムで生きていきたいかっていうのをやっぱり問われているような気もするというか、
もう今の社会に音符で抱っこでは生きていけないような段階に入っているんじゃないかなっていうか、
だからこそ自分で自分を休ませるっていうか、休む時も自分で決められる。
その波の中で生きる、リズムの中で生きるっていうのはどういうことなんだろうっていうのをやっぱり、
改めて問うというか、自分で確かめていくっていうことになっているのかなっていうのを感じたという、はい。
今日この頃でした。
今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。