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#142生者への“レクイエム”
2026-05-09 06:54

#142生者への“レクイエム”

本内容では、「レクイエム」という言葉を通して、安らぎや休息について静かに考察しています。 レクイエムは本来、死者への安らぎや鎮魂を意味する言葉ですが、ここでは「生きている人へのレクイエム」があってもよいのではないかという視点が描かれます。 忙しさや不安の多い現代では、本当の意味で心が安らぐ時間を感じにくくなっているのかもしれません。 そのため、ただ眠ることではなく、精神的に深く休息できる瞬間の大切さに気づかされます。 また、レクイエムとは音楽や言葉だけではなく、自然の中にいるときの静けさや、神社で感じる澄んだ空気のような、「言葉になる前の感覚」にも宿っているのではないかと語られます。 誰にでも、自分だけの安らぎを感じる瞬間がある。 その小さな休息を大切にしてほしい――そんな優しい願いが込められた内容となっています。 画像拝借元 UnsplashMiguel Alcântaraが撮影した写真のMiguel Alcântaraが撮影したイラスト素材 BGM拝借元 ベルガマスク組曲 第3曲 「月の光」 BGM:Kamatamago (https://kamatamago.com) --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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00:05
はい、今日のテーマは、生者へのレクイエムということについてお話ししていきます。
普通、レクイエムというか、鎮魂歌と言われているものは、死者へのというか、何か個人をしのぶための曲だったりっていうことなんだと思うんですけど、
ラテン語での意味っていうのが、安らぎとか休息という意味になるんですね。
で、もちろん死者へというか、せめて亡くなった方に関しては、永遠の安らぎと休息を、
そういうふうに眠るようにというか、安らかにあの世に行っても欲しいというか、そしてせめてあの世だけでも安らかに暮らしてほしいなっていう、その生者からの死者への何かこう、
唐突ぶというか、何か祖霊というか、そういう思いや、慈しみというか、敬意だったりっていうものもあるのかなっていうのを、僕的には勝手に想像もしたりしたんですけど、
もちろんちゃんとしたそのカトリックの教会だったり、そういうもちろん意味というか、ちゃんとした意味っていうももちろんあるんですけど、
僕が今回このレクイエムっていうことを、もうちょっと深いというか、深いというか、もうちょっと広い見合いで使っていきたいなというか、
なんかもっと、なんか純粋に、純粋にじゃないけど、なんかもっと生者へも向けてもいいのかなっていうのを感じたんですよ。
だからなんか死者へだけではなく、生者へのレクイエムっていうものがあってもいいのかなっていうのを思ったんですよ。
なんか、僕の世界だけかもしれないですけど、その僕がこの世界を生きていると、その安らぎの時間だな、休息してるな、
安らいでるんだなっていうのを感じにくいというか、その改めて感じる、感じられるなっていうか、
あ、今安らいでるなって感じる時って皆さんありますか?どうですか?っていうのをちょっと感じたんですけど、なかなかその…
感じにくいよなっていうのをちょっと思ってて、そのなんていうか、やっぱ社会がそうさせてくれないっていうところもあると思うし、
なんていうか、その機械のように働いてくれっていうような社会からのメッセージかもしれないというか、
そうは許してくれないような空気感もあるのかなと思いつつ、僕が今回言いたいのは、
なんかそれだったら、なんか死者だけじゃなくて、その生者へのレクイエムっていうものもあってもいいのかなっていうか、
なんかむしろ生者へのレクイエムもすごい大切なんじゃないかなっていうのを感じたんですよ。
もちろんその死者に対するというか、亡くなった方に対するその思いっていうのもすごい大切だし、
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むしろその、いなくなったわけじゃないっていうのを感じるためっていうのももちろんあると思うし、
だったらなおさら僕たち生きている者…人たちというか、生者へのレクイエムというか、
何か生きている人たちでさえも安らいで生きてほしいというか、もっとこう、休息をして、
その、休むということっていうか、その休む曲、休んでいいんだっていうような言葉だったり、
そのなんかいろんな意味合いでの僕たち生者へのレクイエムが今必要なんじゃないかなというか、何かこう、
安らぎを提供するというか、まあ提供というとちょっとあれですけどなんか、
自然と安らいでしまうようなものっていうのももちろん今必要になってきてるのかなっていうのを思ったんですよね。
僕自身がそもそもレクイエムを感じながら生きたいのかもしれないなと思って、
その、もちろん休息をしながら生きたいなっていうのももちろんあるし、
なんかきっと多分安らぎっていうのが必要になってきているんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
ここで言う多分その、僕の中で言う休息とか安らぎっていうのは本当の意味でというか、
その死者へに対して贈るものではなくて、贈るというか渡すものというか、贈るものではないっていうか、
寝るとかではないんですよね。その肉体的な意味合いではなく、もっとこう精神的なというか、
もっとこう何か深い部分に対するレクイエムが必要なんじゃないかなっていうか。
ただここで言う僕が言う、なんかちょっと難しいというか、ちょっと定義も難しいんですけど、
定義しなくてもいいですけど、なんかその、僕が感じているその言ってるっていう意味合いでのレクイエムっていうのは、
その曲とか言葉っていうことだけじゃないんですよね。
その言葉になる前の言葉というか、もっとこう、ただ感じるだけの部分というか、
まあ音楽ってそうだと思うんですけど、その歌詞がない、あの例えばグラフィックとか、
その芸術とかって言われている部分っていうのはまさに安らぎを提供しているのかなというか。
っていうのは思うんですよ。だからこそなんか僕が感じるレクイエムっていうのは、
その自然の中にいる時のあの感じというか、何か多分一体となっている、自分が世界と分けられてないんだなっていうのは多分感じる時だと思うんですよね。
安らいでるなっていうのって、多分自分が自分がってなっている時って安らいでないような気もするんですよね。
だからこそなんか、自然の中にいる時のあの感じというか、神社に入った時のあの体が透き通る感じというか、
何かこう、なんていうのかな、体がすっと透き通るような感じがレクイエムにはあるのかなって思うんですよ。
その…何か、そのまとめてるというか、その何か自分についてしまった言葉だったり価値観だったりっていうのを一回、
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何もそんなのないよね。体が透き通って全て世界だよねっていうような、なんかその安らいでる状態っていうのがまさに今僕たちは必要なのかなというか、
何かこういうレクイエムっていうものが、やっぱ聖者へも向けられる今なのかなっていうようなのを感じたというか、
ぜひ安らいでほしい、休んでほしい、休息してほしいっていうような思いというか、
何かそういうのを感じたり、その聞いたりとか思ったりとか、そういった瞬間が少しでも何か多く今の世界はあるといいのかなっていうのを思ったという、はい。
今日この頃でした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあ、またね。
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