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はい、今日のテーマは、「休息イコール自分抜き」ということについてお話ししていきます。
休息は自分を話すことなんじゃないかなっていうのを感じたということをお話ししていきます。
その今日ツイッターの記事を見ていて、ある精神科医の方が、世界に、世界にじゃなくて、外に出ることっていうのがもうリハビリになるし、
ずっと家にいないで、外に出るだけでもいいんだっていうことを、ツイッターで発信されていたのを見て、ちょっと感じたことがあるんですけど、
このなんで外に出たらリハビリになるかというか、世界…世界じゃなくて外に出ることっていうのがいいことなのかっていうことを、
僕なりに解釈したんですけど、これってその、私っていう個人として生きてると思ってる僕たちが、その世界と同期できるというか、
あ、世界と一緒に生きてるんだっていうのを感じやすくなるからなのかなっていうのを思ったんですよ。
で、これって、その家の中だけにいると、どうしてもその世界との間に僕たちはいるというか、その世界と一緒に生きてるんだっていうことを認識しにくくなってしまうような気がしたんですよ。
で、その家の中っていうその鳥かごの中に閉じ込められるというか、ずっといると、自分自分っていう脳だけでどうしても生きようとしてしまうような気がしたんですよね。
そのなかなか体をこう、いっぱいいっぱいに使って生きる、家の中で活動するっていうことってなかなかないと思うので、それって難しいなっていうのを感じたんですね、ずっと家の中にいると。
だからこそ、そのそうならないように、外に出て少しでも自分を話す、世界と一緒なんだっていう、自分だけの世界にずっといないっていうか、
その私を手放せる、自分というのを話すっていうことが休息ができるっていうことなのかなというか、その休まるってそういうことなんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
でその、やっぱ今の世界というか僕が見てる世界というか現代社会で生きていくことっていうのはどうしても自分がこうするというか、自分で立てた計画通りに生きていくっていうのがどうしても強いなというか、
そういう色が濃いなっていうのを感じたんですよね。そういう中でどうしても生きていると、なかなか自分を手放すっていうか自分を話す、世界と一緒になるというか世界と一緒に生きてるんだっていう感覚がなかなか詰めなんていうか、その掴みにくいのかなっていうのを感じたんですよね。
そうなるとどうなるかってやっぱり休めなくなるんですよね。その休息ができなくなるっていうか、本当の意味で休んでない、寝るだけが休みじゃないっていうことってこういうことなのかなっていうのを感じたんですよね。
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だからこそその精神疾患というかどうしても体だけの病気じゃなくて、どうしてもそのメンタル面に来てしまうっていうか、自分をなかなか話せないっていうのはそういう休めなくなってしまうことになるのかなっていうのを思ったんですよ。
だからこそ、じゃあ休むことってどういうことなんだろうっていうのは、そのやっぱ自分を話してあげる。私が私がっていうのじゃなくて、その自分がこうする自分がああするっていうのじゃなくて、一回その力を抜くことだったり、何かこう自分っていうのを話すことなんじゃないかなっていうのを思ったんですよね。
だからその、なんていうのかな、その少しでも体の力を抜くこと?そのギューって手のひら今握っていただくと多分苦しいと思うんですね。それが握っているのが例えば自分っていうのをずっと握っていると、いやつまんないと思うんですよね。
なんかあの、手をずっとギューっとしたまま寝てくださいってなかなか寝られないと思うんですけど、その自分っていうものを一回手のひらからこうファッと手を開いて自分を話してあげるっていうことって、なんかこう、あ、そっか、もうこんなに自分自分でいけなくてもいいんだっていうか、なんかこう自分っていうのを話してあげるだけでちょっと力が抜けるっていうような感じがすると僕は思うんですよね。
じゃあ実際にっていうか、じゃあどうしたら休まるんですかって、まあそんな自分を話すことってじゃあどうやんねんっていう話になると思うんですけど、それでさっきのそのTwitterで見た記事とかにも戻ってくるは戻ってくるんですけど、なんかその、自分を話すためにはもうなんでもいいんですよね。
その散歩するとかでもいいし、映画見るとかなんでもいいんですけど、なんかその熱中するとかでもいいし、そういう時ってその自分っていうのが薄まる気がするんですよね。その一般的な用語で言うと多分我を忘れることっていうのが休まることに関して一番手取ればいいのかなっていうのを思ったんですよね。
だから皆さんが各々でその自分を忘れる、我を忘れる時間っていうのを持つっていうこと、例えば映画とか漫画とかアニメとか、まあ例えば推しがいる人だったら推しっていう部分でもいいと思うし、何かその料理したい、料理することによって何か我を忘れることができるんだったら、
料理だったりお掃除だったりっていう何かこう、身体を使ってみるっていうのもそうですけど、何かその自分を話してあげるっていうのってすごい大切だなっていうことを思ったんですよ。だからなんか映画とかアニメとかその何か映像作品とかを見てる時って常に自分が見てるって感じがしないじゃないですか。自分は今アニメを見てるんだ、アニメを見てるぞっていう感じで見ないと思うんですよ。
料理とかなんかしてる時も自分が料理してる、料理してるんだっていう風に料理しないと思うんですよね、掃除とかも。だからこそ何かこう熱中してる時っていうのは自分っていう感覚が薄まると思うんですよね。ただ料理してる、ただ見てる、ただ何かをしているっていう状態が自分を話すっていうことに繋がっていくのかなっていうのを思ったので、本当にただ外に出るだけでぼーっとするだけでもいいし、
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何か本当に自分を話してあげる時間っていうのがそのやっぱり休息っていうのに一番近道なのかもしれないなというか、その一番休まるっていうことなのかもしれないなっていうのを感じたんですよね。だからその何か行き詰まったり何かうまく進んでないなっていう時はその息抜きっていうのを昔からその皆さん
進められると思うんですけど、このやっぱり息抜きっていうのは自分を抜くっていうことなのかなって思ったんですよ。自分抜きをするっていうのは休まるというか何かいいアイディアを浮かんだりとか何か自分の人生だったり何か考え事とか体っていうのを何かいい方向に進めたいっていう時にはこの自分抜きっていうのが大切な時間になってくるんじゃないかなっていうのを感じたという。はい、今日この頃でした。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。