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#141わたしたちがこの世界で失ったもの
2026-05-08 07:29

#141わたしたちがこの世界で失ったもの

本内容では、「敬意」という言葉の本当の意味について、静かに考察しています。 一般的には、敬意とは礼儀や尊重の態度を指しますが、ここでは「相手に自分を委ねられること」という、より深い感覚として捉えられています。 現代社会では、人も物のように消費されてしまう不安があり、その怖さから他者や世界に心を開きにくくなっているのではないかと語られます。 傷つくことや失うことへの恐れが、誰かを信じて委ねる感覚を少しずつ遠ざけているのかもしれません。 その結果、自然や人、世界そのものに対する敬意も薄れてしまっているのではないか――そんな問いが浮かび上がります。 だからこそ、自分は世界や他者に対して、もう一度やわらかな敬意を持って接したい。 「委ねることはできるだろうか」という静かな問いを抱きながら生きていきたいと思わせてくれる内容となっています。 BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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サマリー

本放送では、「敬意」を「相手に自分を委ねられること」と定義し、現代社会においてその感覚が失われつつある現状を考察します。消費社会の中で他者や世界を「消費」してしまうことへの恐れから、人々が心を閉ざし、委ねることが難しくなっているのではないかと問いかけます。そして、失われた敬意を取り戻し、他者や世界に再び心を開いて生きていくことの重要性を静かに語りかけます。

「敬意」の再定義と現代社会への疑問
はい、今日のテーマは、私たちがこの世界で失ったもの、ということについてお話ししていきます。 最近僕は、これは僕の世界で起きていることなのかなって思うんですけど、
その敬意が足りないなぁと思っていて、 そのこれは僕がその他者に対して敬意を向けることができているかどうかというか、
なんかそういうのを少し疑問に思ったというか、なんか僕は全然その人に対して、世界に対して、この敬意というものをもって接することができていないんじゃないかなっていうのを少し考えてたんですけど、
ここでその辞書的な敬意ってどういう意味かっていうと、 他人に対して尊重や尊敬の気持ちを示す行為や態度を示す言葉だったり、
敬意は人間関係を円滑に進めるための基本的なマナーとして認識されているっていうことなんですけど、
例えば日本だったらお辞儀をすることが一般的に敬意の表現とされているっていうことなんですけど、 ここで言ったのは辞書的な意味での敬意という意味なんですけど、
僕がここで言いたい敬意ってどういうことかっていうと、 他者でも世界でも自然でも何でもいいんですけど、
僕がここで言いたい敬意っていうのは、 全てを委ねられるかというか、相手に全てを任せられるかどうかっていうことが敬意っていう僕なりの意味なのかなと思っていて、
あそこに敬意はあるのかっていうか、 僕がこの生きている世界というか感じている世界だとこの敬意っていうのがなくなってきているなというか、
この敬意っていうものがあれば、
戦争だったり、今SNSで起きているような上げ足取りだったり、いろいろな何か他者を落とすようなことだったりっていうか、
ということっていうのは起きないんじゃないかなっていうふうに思ってるんですね。
僕が感じている世界ではこの敬意がだんだんなくなってきている、 だんだん失っているような感じがしたんですよ。
僕は過去、敬意があった時代を生きてきたかっていうとちょっとわからないんですけど、
僕の中で、僕自身も敬意が足りてないのかなというか、足りてないというか、
何か敬意を持って生きていられない、いられていないんじゃないかなっていうのをちょっと考えてたんです。
消費社会における「消費される恐怖」と敬意の喪失
で、これなんでかなって考えてたら、
多分僕たちって消費社会と言われている資本主義の中で生きているわけなんですけど、
何かいっぱい売って物をいっぱい作っていっぱい物を売った人が勝ちですみたいな世界で生きていると思うんですけど、
じゃあその消費社会を生きている中で多分、物だけじゃなくて、僕たち人っていうものも消費されてしまうんじゃないかっていう怖さっていうものがあって、
なんかその消費されてしまうんじゃないかっていう怖さっていうのはもう死んでしまうかもしれない。
命の危険性があるのかもしれないっていう死にも近いものが多分あるからこそ、
何か他者に敬意を向けられなくなってしまったというか、
もう世界とか自然とか全てのものに対してもう敬意を示すことだったり、
何か敬意を持って生きることができなくなってしまったというか、できにくくなってしまっているんじゃないかなっていうのを感じたんですよ。
なんかその僕が言ってる敬意っていうのは、自分を委ねることができなくなってしまった。
そのさらけ出すのが、死にくくなってしまったというか、
なんていうか消費されてしまうんじゃないか、もう自分を全て委ねたら自分自身もなくなってしまう怖さっていうのがあって、
何かその結果も敬意を示すなんて怖くてできないよっていうか、
自分がなくなりそうで怖くてできないよっていう風になってしまっているんじゃないかなというか、
だからこそ、何か全てを委ねた結果、消費されてしまったらもう自分が自分でいられなくなってしまうような怖さっていうのがあって、
他者に敬意を向けることができなくなってしまってる。
失われた敬意を取り戻すための問い
僕自身、やっぱその敬意を持って生きていきたいなというか、何かこうお辞儀をするっていうのが当たり前なというか、
なんかそういう他者に対しても世界に対しても自然に対しても、敬意を持って生きていきたいなっていうのが僕の中ではあるんですよね。
だからこそ、みんなにこれは強要したいとかじゃなくて、
何かそういうちょっとした自分を委ねることだったり、何か全て相手に任せて自分を任せてみようっていうような、
何かそういうものというか敬意っていうものが何かなくなってしまっているんじゃないかな、
むしろ持つことが難しくなってしまっているような世界になっているのかなっていうのをちょっと感じたんですよね。
だからこそ何かこの敬意を持つことというか、何か敬意を持って接することに関して僕自身もこの問いっていうのをちょっと持ち続けたいというか、
何かその委ねることが難しくなってしまっている世の中で、じゃあ僕たちはどうやって生きていけばいいのかなというか、
何かその敬意の中に、敬意の中にというよりかは何かその敬意を向けることに関しての、
何ていうか自分を大切にできる部分もあると思うんですよね。
その他者に向けることができるってことは自分にも多分向けることができるっていうことだと思うので、
何かその自分に対しても何か委ねることができなくなってしまっているような世界になってしまっている気がしていて、
何か、だからこそ何かその生きにくいなとか生きづらいなっていう部分も出てきてしまうような気がしていて、
何か自分だけで生きている感じがしてしまうような気がするんですよね。
何か敬意を持てないとというか、敬意を相手にすべて委ねることができないとというか、
何かそこの中でじゃあ委ねるためにはどうしたらいいんだろうかというか、
その自分一人で生きていないんだ、だから委ねても大丈夫なんだっていうことになっているのかな、
安心感っていうのがやっぱり今の世の中はないのかなっていう感じがして、
何か安心して自分を手放すというか、何か相手にすべてを自分を何ていうのかな、
委ねることができる、できないような何かそんな世界じゃポイズンみたいな感じに僕は思ったんですよ。
だからこの何かもうちょっと自分的には敬意を持って生きていきたいなっていうふうに思ったという、
今日この頃でした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。
07:29

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