寂しさから生まれる宇宙と人間の根源
今日のテーマは、人は寂しさをもって生まれるということについてお話ししていきます。
宇宙だったり、神様と呼ばれている方々というか、存在っていうのは、一説によると寂しかったから宇宙だったり、世界を作ったっていう説があるらしいんですけど、
これって、宇宙とか神様ですら寂しいと思うんだったら、人の原点っていうのも、もしかしたらこの寂しいっていうことになるのかなっていうのをちょっと思ったんですよね。
生まれてきた人は、そもそも本来寂しさをもって生まれてきているんじゃないかというか、そういう寂しいっていうのを感じるために生まれたというか、寂しいを感じるために生きているというか、
寂しさを感じる、寂しさがもともと持っている、その存在として生まれてくる、生きてくるからこそ、僕たちは最終的に繋がりを求めるというか、
その全ての行為、全ての行動とか、生きるっていうそのものの中には、最後にはその繋がるために生きている。
繋がるっていうことのために僕たちは生きているし、死んでいくっていうことなのかなっていうのを思ったんですよね。
前回、結構前に人を繋がるために生まれるし生きてるんだみたいな話をしたと思うんですけど、
なんかその目線を変えるというか、視点を変えたら言っちゃうと、言い方を変えると寂しいからっていうことだと思うんですよね。
寂しいから繋がるために生きるし、繋がるために生まれるっていうような。
寂しさの多義性とつながりの重要性
ただ僕が言ってるここで言うその寂しいっていうのは、何か欠けてるとか、
マイナスな面での寂しさっていうだけではないんですよね。
日本で言う浴びさびっていうのがあるように、空白がある、余白がある、無情というか、
時間を経ていく度に何か変わっていくような流れっていうのの中に、どこか寂しさを感じるというか、
そういう大きな意味合いでの寂しさっていうのが、この人間が本来求めるものの中にはあるんじゃないかなっていうのを感じたんですよね。
だからこそ寂しさがあるからこそ繋がりを求めるというか、その繋がるっていうことの嬉しさもあるし、
むしろ離れていくことっていうのの寂しさを感じられるっていうのもあるのかなっていうのを思ったんですよね。
だから、なんか生まれながらにして僕たちは罪を抱えているっていうのがあると思うんですけど、
僕それ罪がどうかわからないけど、もしその罪っていうものがあるんだとしたら、
もしかしたらこの寂しさっていうのがもしかしたら罪と呼ばれてしまっているのかなっていうのを感じたんですよね。
生きるとは「つながり」と「寂しさ」の二面性
なんかみんなこう寂しいなっていうのは絶対どこかしらあると思うし、
だからこそその寂しさを繋がったんだ、繋がってるんだ僕たちはっていうのを感じるためというか、
感じたいっていうか、その繋がりたいって思う、思いたいっていうのがあるからこそ生きてる部分もあるし、
僕たちはなんていうか、死にながら生きてるんじゃないかなっていうの。
だからこの死にながら生きるっていうのも、寂しいな繋がってるな寂しいな繋がってるなっていうこの二面性を共に生きているがゆえに感じる部分なのかなっていうか、
僕たちは多分生きるっていうのを繋がるっていう意味でも捉えていると思うし、
死ぬっていうのは寂しさっていうことの言い換えでもあるのかなっていうのを感じたんですよね。
だからなんか、その生まれてくる時っていうのは自分が泣いて繋がりたい寂しいって生まれてくると思うんですよ。
だけど死ぬ時っていうのは、ありがとうってこっちが思って、もう繋がってありがとう寂しくないよっていう思いで、
死んでいくからこそ周りが泣くのかなっていうのを感じたんですよね。
つながりと寂しさの中に存在する生きる意味
だからこそその人が生きる、人が死んでいくっていうことの意味とか、
生きるってどういうことなんだろうっていうことの原点っていうものの中には、
その繋がりでもあるし寂しさっていうものがあるのかなっていうのを思ったんですよね。
だからこそ僕たちは繋がりの中でしか生きられないし、どうしても繋がりを求めてしまう。
その原点にはやっぱ繋がりたいって思いの言い換えとしてやっぱり寂しさがあるような気がしたんですよね。
だからこそ僕たちの原点はもしかしたら寂しさっていうものの中にもあるし、
繋がりっていうものの中にももしかしたらあるのかもしれないなっていうのを感じたという。
今日この頃でした。
エンディング
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。