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はい。今日のテーマは、本は知識を入れるためではなく、人柄を感じるために読んでいるのかも、ということについてお話ししていきます。
最近、AIっていうものがすごい発達というか、すごく身近になってきたなっていうのをすごく感じていて、
YouTubeの動画だったり、文献だったり、本だったり、いろいろな知識というものをまとめてもらうことができるようになったんですね。
数秒で。まとめて知ることができるようになったっていう反面、僕はAIにまとめてもらった知識を、どこか味のしないご飯を食べるような気をしたんですよ。
味のしないご飯を食べたことがあるのかという問いには僕は答えられないんですけど、
比喩的な表現としてどこか味がないご飯を食べているような感じがするなと思ったんですね。
っていうのも、紙の本とか、Kindleでもいいですけど、何か本を読んでいる時っていうのって、どこか知識を入れているだけではなく、
どこか書き手側というか、どこか文の文字の奥にいる人のことを感じながら、僕は文字を読んでいるなっていうのを感じたんですよね。
だからこそできるだけ本を読みたいと思うし、本もAIに投げないで、できるだけ自分で並んだ文字を読んでいるというか。
これって多分ですけど、本当にただ知識を入れるだけだったら、確かにAIに投げてまとめてもらった方が確かにコストというか時間はかかんないし、
大体の知識って入ると思うんですよ。でも多分僕たちはそれを良しとしてないというか、あまりそこに価値を感じていないような気がしていて、
なんかそういう、なんていうのかな、その本を通して過去の偉人だったり、その偉人の人を紹介している書き手側だったり、
例えば小説に出てくる登場人物だったり、その登場人物から滲み出てくる作者の考えていることだったり、作者から分離した人物像だったりっていうか。
例えばそれは集合的無意識的なというか、そういう作者側が意図していない部分というか、作者でもみんなが思っているようなことというか、
どこかその全体性を帯びたものを出しているような気もするし、またそれとは違って作者の人柄だったり、人間性っていったものを、
どこかその文字を一文字ずつなぞっていくことで、僕はその本から感じているというか、その本と接することによってその人と何か対話をしているかのような感じがする気がしたんですよね。
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これってAIがよしよしっていうわけではなく、AIがまとめた文章っていうのは本当にその味がしないご飯を出されているような感覚がするんですよね。
その、なんていうのかな。感じないんですよね。その体温とか温度感っていうのは、なんかその人らしさが出てこないというか、だからこそ僕はなんかその人と話すときとか、その本とか読んでいたりするときっていうのは、
知識を入れているように見えて、もしかしたらそういったその人の人柄だったり人間性とか、何か違う部分を受け取るために知識を入れたり交換、コミュニケーションというエネルギー交換をしたりするのかなっていうのを思ったんですよね。
だからってそのAIと話すことっていうのが、人柄を感じないか知識を得られないかっていうそういうわけではなく、何か自分との対話の延長線上に僕はあるような気がしたんですよね、AIとの対話っていうのは。
何か仮想の自分、仮想の自分というか、何ていうのかな、違う1個、外付けの自分と話すみたいな感覚がするというか、だから多分これって事故との対話っていうのはもちろん大切だけど、どこがちょっと違うなんていうのか、機械人みたいな自分と話しているような気がするんですよね。
だからこそ体温がないというか味気がないなっていう感じがしてしまって、何かそれだったら直接人と話したりとか、何か本から対話をするっていう方の方が、何か知識以上のものを僕たちは何か得ているんじゃないかなというか、その本から。
本を読むこととか動画を見ることとか、そういう何か他者が作ったものというか、他者のエネルギーが入ったものに触れることによって僕たちは知識とかそういう感覚以上のものを何か得ているんじゃないかなっていう気がしたんですよね。
だから本を読むことっていうのは、そういう、何というのかな、人間としての深さっていうのをより感じやすいものだと思うし、そのAIからは出てこない何か余分なものというか、何かその余分なものというのが人間らしさだったり、
その人間味というか、僕たちが知識以上に大切にしている何かを感じようとしているんじゃないかなっていうのを、僕はその本を読むことだったり、その何かAIがまとめたもの以外というか、まとめたものからじゃ得られない何かを僕たちはそこに見出しているんじゃないかなっていうのを感じたという。
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はい、今日この頃でした。今日はここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃ、またね。