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#133幸せは煙のようなもの?
2026-04-22 07:48

#133幸せは煙のようなもの?

本内容では、「幸せは二次的なもの」という言葉をきっかけに、その本質について静かに考察しています。 幸せを煙にたとえ、火を起こした結果として自然に立ちのぼるものではないかという視点が描かれます。 煙は美しくもつかの間で、掴もうとすると消えてしまう存在です。 それは幸せと似ており、直接求めるほど遠ざかってしまうものなのかもしれません。 だからこそ大切なのは、煙そのものではなく、その前にある「火」をどう起こし、どう保つかという行為です。 日々の選択や人との関わり方、どのような気持ちで時間を過ごすかが、その火を形づくっていると考えられます。 どんな火を灯しているのかによって、生まれる幸せのかたちも変わっていく――。 そんな視点の転換をやさしく促し、自分の生き方を見つめ直すきっかけを与えてくれる内容となっています。 画像拝借元 ⁠Unsplash⁠の⁠Colin + Meg⁠が撮影した写真の⁠Colin + Meg⁠が撮影したイラスト素材 BGM拝借元 【BGM】ノクターン第2番 変ホ長調 Op.9-2(ショパン) https://pocket-se.info/archives/1495/ ポケットサウンド/効果音素材 --- stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。 https://stand.fm/channels/67c149f59dcfb50335375e4a

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はい、今日のテーマは、「幸せは煙のようなもの」ということについてお話ししていきます。
先日僕、ある本を読んでいて、その中の本の中に、「幸せは二次的なもの」という言葉を目にしたんですね。
その二次的なものっていうのは、副産物的だったりっていう意味合いを持っていると思うんですけど、
僕、「幸せは二次的なもの」という言葉を目にした瞬間に少し止まったんですよね。
その本を読むのを考えたかったっていうのもあるんですけど、
何かその二次的なものって何だろうっていうふうにその時、連想したら、
僕の中ではすぐに煙っていうものが出てきたんですよね。
その、火を燃やした結果出てくる二次的なものとして、煙っていうものをちょっと僕は連想したんですよ。
で、例えばそのじゃあ煙っていうものが幸せという二次的なものなんだとしたら、
もしかすると、僕たちは幸せという煙を追い求めているけれど、
その煙が出る前に行うことっていうのがとても大切なことなんじゃないかなっていうのを僕は思ったんですよ。
幸せという煙を求めるというよりかは、その煙を起こす前ですね。
なので、どうやって煙を起こすかというよりかは、どうやって燃やすかだったり、
じゃあ燃やすためには何か紙だったり木だったり、そういった何かよく燃えるものっていうのを燃やす必要がある。
じゃあそれをどうやって集めてくるかっていうことだったり、
そもそもどうやって火を起こすのかっていうこともそうだと思うんですけど、
こういう煙っていうものを見る前にはいろいろなことが必要というか、
いろいろなことを考えたりいろいろなことが必要になってくると思うんですよね。
だからこそそっちの方が大切というよりかは、煙は本当に二次的なものでしかないような気がするというか、
だからこそさっき言った煙が起きる前にすることっていうのが大切なことなんじゃないのかなって思ったんですよ。
もちろん煙って結構僕の中では綺麗だなって思うんですよ。
掴めないというか、触れようとするとすぐに消えてしまうというか、
形もどんどん変わってってしまうっていう部分があると思ってて、
二度と同じものとしては起こらないっていうことこそが本当に幸せみたいだなって思ったんですよね。
だから今いいなってちょっと思った感覚とか感じとか感情とかっていうものも、
気づけばもう次の瞬間には変わっていってしまっているというか、
その煙をずっと持っていようとするとなぜかうまくいかないというか、
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むしろ掴むことなんかできないっていうことだと思ったんですよ。
だからこそ幸せって最初から掴もうとするものじゃないのかなっていうふうに思ったんですよ。
なんかその煙が火の結果として立ち上るように、
僕たちが幸せと呼んでいるものというのは、
何かの後に現れるものなのかもしれないなって思ったんですよ。
だからこそ、じゃあその煙という幸せの前に起きていることって何だろうっていうのを僕は考えたら、
例えばその木を集めて火をつける、
そういう火をつけたり火を保っていくような行為っていうのは人間でいうとどういうことなんだろうって思ったときに、
僕はやっぱりその日常生活というか、
僕たちが日々どういう気持ちで生きてどういうことをやっていって、
どんなふうに人間として生きていくかっていう部分になるのかなって思ったんですよね。
例えば日々の何を選んでいくのか、何を選択していくのかとか、
例えばどういうふうに人と関わっていくのか、
どういう気持ちで人と接したり、
どういう気持ちで言葉とか選んでいくのかというか、
じゃあ僕たちはその選んだりした中で何に時間を使っていくのかっていうか、
そういった僕たちは選択にあふれている世界を生きているかもしれないんですけど、
ただそう考えると、
僕たちが幸せと言っているものはそういった結果的に出てきたものでしかないというか、
より良い僕たちが幸せを求めるっていうのは多分そういうところに面白さとか、
何か自分が選んでいくことだったり、
その日常を生きていくって中にどれだけ僕たちが楽しいというか、
生きている感じがするというか、
何かそこに充実感というか、
そういう満たされてるなっていうのをいかに感じることができるかっていう、
火を起こすときに僕たちはどれだけ夢中になれるというか、
夢中にならなくてもいいんですけど、
バカバカしいなと思いつつどこか何か他者と共有したりというか、
そういう中にそういった中のものを含んだ結果として出てくる煙っていうのが、
僕たちは幸せだなっていうふうに呼んでいるだけなのかもしれないなというか、
っていうのを思ったんですよね。
だからその火の起こし方っていうのもすごく大事だなというか、
火の起こし方っていうのは多分ですけど、
日常的なことをどう生きていくかということにもつながっていくと思うんですけど、
どうやって荒く燃やすのかとか、優しく保つように燃やしていくのかというか、
その燃やし方っていうのは多分その人が持っている、その人のリズムとして燃やしていくと思うんですよね。
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忙しなく燃やしているのが好きな人もいるし、
何かその閃光花火のように優しく、どこか淡い、どこか儚げなように燃やしていくような火が、
またその人のリズムとしてはいいのかというか、
だからこそその火の燃やし方っていうのが、どう燃やしていくかっていうことに、
っていう方の方がその火をどう燃やしていくかっていう意識に、
その視点が変わるというか、煙ばっかり見るんじゃなくて、
まずそこを見た瞬間に、どういうふうに僕たちは生きていけばいいのかなというか、
幸せってこういうことなのかなっていう、ちょっとそういう自分たちの生き方というか、
幸せの見方っていうものがちょっと変わってくるような気がしたんですよね。
だからその煙っていうものを何とか掴もうとするんじゃなくて、
どういうふうに自分は火を起こしていくのかとか、
何を燃やして僕たちは生きていくのかっていう方の方が、
よっぽど大事なものだったり大切にしていかないと僕たちはいけないんじゃないかなっていうような、
だから幸せを追い求めるっていうよりかは、
幸せの一個前の段階として僕たちはそこにどう感じたりというか、
意識づけというか、
なんていうのかな、接していくのかどうかっていうことになってくるのかなっていうのを感じたという、
今日このフォルネでした。
ここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあ、またね。
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