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#64幸せは、幸せという言葉がなくなること?
2026-02-04 05:55

#64幸せは、幸せという言葉がなくなること?

この回では、

「幸せは、幸せという言葉がなくなることなのかもしれない」

そんな静かな問いを手がかりに、幸せとの距離感についてお話ししています。
私たちはつい、出来事や感情を「幸せ」「不幸せ」と言葉で区切り、比べてしまいます。でも、ある価値観では、人や牛が死ぬこと以外はすべて当たり前で、あえて「幸せ」という箱に入れない生き方が語られていました。それは、幸せに執着しない、やさしい在り方なのかもしれません。
また、「エモい」や「幸せ」といった言葉にうまく当てはまらない感覚についても触れています。言葉にできなくても、身体のどこかで確かに感じているもの。風の匂いや空気の温度のように、説明しなくても残る記憶。
言葉にすることで救われることもあれば、言葉にしないほうが守れる感覚もある。そんな両方を大切にしながら、「定義しない幸せ」「比べない幸せ」に、そっと目を向ける回です。

参考動画
https://youtu.be/ZP3uZsi6MMo?si=BOnfYX2FvmcJenFE

画像拝借元
https://pixabay.com/photos/travel-free-wallpaper-waterfall-9698815/
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00:05
はい、今日のテーマは、幸せは幸せという言葉がなくなること、幸せを探すほど遠ざかってしまうような感覚について、今日は少し立ち止まって考えてみたいと思います。
最近、ある動画を見て、とても印象に残った言葉がありました。 そこでは、幸せという言葉がわからないというふうに言われてたんですね。
それっていうのも、そこの文化圏では、人が死ぬことと牛が死ぬこと、それ以外は全て当たり前で、全てがある意味で全てが幸せなんですよね。
だから、感情や出来事をわざわざ幸せという言葉で区切らないで、その幸せという大事な箱に入れて、これは幸せだけどこれは幸せじゃないっていうふうに、物事を区別しないっていうことだったんですよね。
それってその幸せに執着しないっていうことでもあると思いますし、幸せっていう言葉がないからこそ一番幸せなのかなっていうふうに思ったんですよね。
でも、もしかしたら人間はもともとそういうふうに生きていたのかもしれないなって思ったんですよね。
本当に本当の本当に大切なものって、その一つか二つくらいで、本当はそれ以外は全部自分がただ思い込んでいるだけのまばるしのようなものなのかなって思ったんですよ。
で、これに僕近いなって思った体験をしたことがあって、今もそうなんですけど、一時期エモいっていう言葉がすごく流行ったと思うんですよね。
すごく前だと思うんですけど、でも僕これ正直に言うと、まだ僕そのエモいっていう感覚がよくわからないというか、そのエモいっていう言葉の意味がよくわからないんですよね。
だからその文化圏で聞かれたその幸せっていう言葉がわかんないのと一緒で、そのエモいって何ですかって言われてもピンとこないというか、その幸せってなんだろうっていう感覚と僕は似ているのかなと。
思ったんですよね。多分僕このエモいっていうのを一生わかんないかもなって思ってるんですよ。その言葉の意味がわかんないっていう感覚に多分僕慣れないっていうか、慣れないっていうか多分わかんないんですよね。
でもそのわかんないけど、頭ではわかんないけど、体のどこかではきっとわかってるんですよ。その言葉にできないだけで。
だからその幸せって言葉を知って生きる人生と幸せって言葉を知らずに生きる人生、これってどっちが幸せなんだろうって僕思ったんですけど、でももうこの多分問い自体が比較してしまってるので、
多分その比べることそのものがもう幸せをどこかに遠ざけてしまうというか、もう多分比べた瞬間に幸せが幸せじゃなくなってしまうような気がするんですよね。
03:05
その幸せは多分天秤には乗らないのかなっていうか、だから多分もう幸せってその置けないものなんだなっていう、そういうなんか比較できる対象じゃないというか次元にはいないのかなっていうのを思ったということでした。
はいじゃあ少し補足していければと思うんですけど、前回その言語化しない幸せ、言語化しないことがいいみたいなことを多分僕言ったと思うんですけど、そのでもそれ自体もその言葉にすること、その幸せってことを考えたり言葉にすること自体が悪いっていうことを僕が言いたいんじゃなくて、
もちろんその前回も言ったんですけど、その言葉にすることで自分の中を整理できたり循環できたりするっていうことって確かにあるんですよ。そのスッキリもしますし、言語化できることによってなんか腑に落ちる部分もあるんですよね。その腹に落ちる的な感じなんですけど、
でも、なんかそのあえて言葉にしないでやっぱ自分の中に残しておきたいものっていうのがどうしてもあると僕は思うんですよ。その脳では覚えてなくても体が覚えてるっていうか、その自転車の乗り方を言葉で説明しなくても体が覚えているみたいな感じで、
なんかそういう風の匂いとか、今日の匂いとか、朝の感覚とか、そういうなんか理由は分かんないけど、そういう頭では説明できない、言葉じゃ説明できない感じというか、なんかそういう記憶の仕方の方が僕全部で、自分全部でなんかそういうことを覚えているような気がしたんですよね。
その頭だけに刻むんじゃなくて全身に刻み込まれていくような感覚というか、だからそのこれは幸せだってあえて言わなくても、その僕自身もこれはエモいってあえて言えなくてもちゃんとその生きた感覚というか、
その自分の中で、あ、これがなんていうか幸せとかエモいっていう言葉じゃ表せない何かなんだなというか、そのわざわざ幸せを定義しなくても、わざわざその幸せを目指さなくても、そのただ生きて感じてその体に残っていくっていう、あ、そんな僕は生き方も悪くないなって思ったっていう、はい。
じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
名前をつけた瞬間に逃げてしまうこともあります。
今日は少しだけ言葉にしない感覚をそのまま大切にしてみてください。
それもちゃんとした生き方だと僕は思います。
はい、今日の放送はここまでにしたいと思います。
それじゃあ、またね。
05:55

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