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#67透明な壁の生きづらさ
2026-02-07 07:00

#67透明な壁の生きづらさ

この回では、「透明な壁の生きづらさ」をテーマに、

生きているはずなのに、どこか世界とつながれていないように感じる感覚について、やさしく言葉を重ねています。

食べ物や住む場所といった物理的な大変さだけでなく、心が元気でいられない“精神的な生きにくさ”。

人や社会、世界とのあいだに、見えない壁があるように感じるときの孤独や違和感を、静かに見つめていきます。

その壁は、冷たいものではなく、傷つかないために自分を守ってきたものかもしれない、という視点も大切にしています。

無理に壊さなくていい、答えを急がなくていい。

ただ「そう感じている自分」を置き去りにしないこと。

世界が変わるのではなく、世界との距離が少し縮まるだけで、生きている実感は戻ってくるかもしれない。

そんなあたたかな余白を残す回です。


画像拝借元
https://pixabay.com/photos/women-one-wall-minimalism-bank-3118387/
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00:05
はい、今日のテーマは、透明な壁の生きづらさ、生きているはずなのに、どこか繋がっていない感じについての少しだけお話しします。
最近でもないんですけど、「生きづらい・生きにくい」という言葉をよく耳にする気がします。
たぶんそれって、物理的な生きにくさももちろんあると思うんですけど、
食べ物のことだったり、住む場所のことだったり、生きていくための現実的な大変さっていうのももちろんあると思うんですけど、
ただ最近よく聞くのはどちらかというと、精神的な生きにくさなのかなって思っていて、
体はちゃんと動いているし、息もちゃんとできている。体のどこかが悪いわけじゃないけど、心がどこか元気じゃないような気がするというか、
もちろん苦しい理由がはっきり言葉にできないままってすごいしんどいと思うんですよね。
それって、生きてきた環境だったり、経験っていうのももちろん関係していることももちろんあると思うんですけど、
ただそれとは別に、人にも社会にも世界にもというか、どこか透明な壁みたいなのが僕はあるのかなっていうのを感じたんですよね。
つながっているはずなのに触れてない感じというか、触れているはずなのにどこか透明な壁で遮られてしまっているというか。
以前お話しした、生きていてもしょうがないっていう言葉があったと思うんですけど、
あれって生きていないっていうより、生きている実感がないっていうような感覚なのかなって思ったんですよね。
その生きてるけど生きてない感覚があるっていうか。
なんかその、この世界に生きてるのにこの世界で生きてない感じっていうか、なんかこの世界に参加してないような感覚があるのかなって思ったんですよね。
なんかそれがもちろんその画面の中なのか、そのネットの中なのかとか、それともまた別の違う場所なのかっていうことももちろんあると思うんですけど、
なんかその、この体を使ってうわ、生きてるって感じる瞬間が少ない分、その性の実感っていうのがもしかしたら薄くなっている部分もあるのかなって思ったんですよ。
なんかこんなに人がいっぱいいるのに、本当なんかどこか一人な気がして、
そのなんか一人一人が透明な壁を隔ててしまっているがゆえに、その話してるのに、接しているのにどこかよそよそしいというか、
なんか人間と人間のはずなのに、体温が伝わってこない世界だなっていうか、なんかそんな風に僕は感じるなって思ったんですよね。
03:01
じゃあどうすればいいの?って聞かれると、正直そのはっきり、いやこうしたことがいいよねとか、
そのこうした方がその透明な壁がなくなるよねっていうことを僕は提示できないというか、
ちょっとここではあんまりはっきりした答えを出したくないなっていうのはあるんですけど、
なんかでもこの透明な壁っていうのが、なんか実際にあるなっていうのを感じるのと感じないので、
その分かってるのか分かってないのかっていうか、体感覚として分かってその生きているのか生きてないのかっていうのはもちろんそのなんか大きく分かれてくるのかなって思ったんですよ。
なんかその人と話してる時に遠い感じがするとか、その自然の中にいてもなんか心がざわつくなっていうか、
なんかその違和感を今無理に消さなくてもいいなっていうか、それもしそうなった時にじゃあなんてなんだろうっていう、
その時でさえ僕は答えを急がなくてもいいのかなって思うんですね。
言語化しすぎない幸せなとこでも言ったんですけど、なんかその無理に言語化するっていうのが僕たちをなんていうか、
疲弊してしまったりとか、そのあえてその言葉の壁で隔ててしまっているような気もするんですよね。
だからこそそのなんていうか、今僕はそう感じてるんだなっていうのを味わうというか、なんかそう感じてるんだなだけで僕はいいような気がするんですよね。
なんか透明な壁って僕的には触れられないけど触れられるみたいな、冷たいものにもちろん見えるんですけど、
なんか自分を守るためとか相手を守るために境界を作ってるっていう面ももちろんあると思うんですよね。
今、匿名で攻撃ができてしまうというか、顔が見えないところで何かを言えたり、他者を攻撃できてしまうっていうのがもちろんあるので、
なんかそういう不審感もあると思うんですよね。裏では何を思ってるかわかんないな、この人たちみたいな。
だからこそ腹を割って話せないというか、いつもその透明な壁で自分を守らないと自分が壊れてしまうようなというか、
そういう、もうこれ以上自分を壊させない、疲れさせないために透明な壁っていうのはもちろんある部分はあると思うんですよね。
だからこそ何か時折その壁が冷たく感じてしまったりとか、何か生きている感じがしないっていう風になった時は、
何かその壁を少し薄くするというか、チューするっていうか、何か誰かの声の温度とか、自然の優しさとか、
その自分の心臓の鼓動とかっていうのが、そのほんの少しだけ感じられる瞬間っていうのが僕は増えるかなって思うんですよ。
その、透明だけどその壁の薄さを薄くするっていうか、自分がどう溶け込むかっていうのは、その自分で決めていいっていうか。
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だからこそその世界が変わるっていうよりかは、その自分と世界との距離感をその壁でどう調節していくかっていうことでも僕はあるのかなって思ったんですよね。
何かその境界というか、その透明な壁の使い分けっていうか、自分を守る時に使うのもそうですし、何かもっと自分は世界と溶け合っていきたいなっていう感覚があるんだったら、
こう自分からこう何て言うんですかね、近づいてみるじゃないですけど、壁を薄くするっていうのもまた手なのかなって思ったっていう今日この頃でした。
はい、じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
もし今、世界との間に透明な壁を感じていたら、それはあなたがちゃんと感じている証拠です。
今日もここまで聞いてくれてありがとうございました。
それじゃあ、またね。
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