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はい、今日のテーマは、人は善を積むことに集約する?結局最後は善を積む、ということについてお話ししていきます。
昨日、夢を見たんですけど、その夢を見終わった後にちょっと寝ぼけてるみたいな時ってあると思うんですけど、
その時に言葉がというか、声が自分の声なんですけど、それが聞こえて結局人は善を積むことに集約するということを言ってたんですよ。
それってどういう意味かなって考えたんですけど、それっていうのも人ってあれこれ考えて、例えば愛とか幸せとかって色々求めると思うんですけど、
そういう最終的に求めるものというか、そういったものが行き着く先っていうのはどうしても、徳とか善っていったものを積むことに集約するのかなっていう風に思ったんですよ。
っていうのも、例えば趣味とか仕事とか恋愛だったり勉強とか、ぼーっとすることでもいいんですけど、
そういう色々なこの世界を生きているとやることってたくさんあると思うんですよね。人それぞれでやることがあるというか、
そういった色々多分個人個人で抱えてる問題だったり色々やってることっていうのが最終的には一つになるというか、
全てその行き着く先っていうのが善を積むことっていうのに僕は集約するのかなっていうのを思ったんですよね。
っていうよりかはもう人間っていうものというか、もしかしたら全てのものにいるかもしれないですけど、全てのものに対して善を積むようにプログラミングされているというような感じがしたんですよ。
なんかじゃないとそうならないというか、なんかそういう風になっていかないんじゃないかなっていうのを僕は感じたんですよね。
だからこそ自然な流れになるようにというか、僕で生きるんじゃなくて僕たちで生きるっていうような感じなのかなっていうのを思ったというか、
なんかもう全てがそういった善を積むことに集約されるような気がしたんですよね。
ただここで言ってる善っていうのはそのみんなが言っている善っていうものとはちょっと違うというか、そういうものではないような気がするんですよね。
なんというか、もっと善だけじゃないっていうか、もっと深くにある何か、僕たちは善って言ってるけど最終的にはなんかみんなだよねみたいな、
僕だけじゃないっていうか、なんか自然な僕たちになるようにというかプログラミングされている、プログラミングというかもう備え付けであるというか、
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なんか全てがそこに集約されるようになっているんじゃないかなとも思うんですよ。
ただなんかその善っていうのがみんながみんな同じことをやってみんながみんな同じようになるっていうわけではなく、
みんながみんな違うことをやってみんながみんな違うゴールにはいくけど、結局それっていうのは善を積むようなことになっているんじゃないかなというか、
だからその仏教とかで修行で善を積むとかっていうわけじゃなく、もっとなんか一人一人がそこにつながっていくような感覚というか、
気づくっていう、気づいてなんかそうなっていくんだみたいな成長というか、ゆくゆくはそこになるんじゃないかっていうようなことなのかなというのを思った。
今日このゴールでした。ここまで聞いてくださりありがとうございます。それじゃあまたね。