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今日のテーマは、真善美、愛。すべて繋がる、というテーマについて話していきます。
昨日、人間は善を積むこと、積むということというか、結局善を積むことに集約されるよねっていうことをお話ししたと思うんですけど、
これって言い方を変えているだけの言葉で、多分ですけど、真善美、愛っていうもの。
昨日は善だけが言ったと思うんですけど、これ善だけじゃなくて、真理の真と美しいの美、
あとこれ愛っていうものも結局、善と一緒なのかなっていうことを思ったんですよ。
昨日はその善だけに集約されるみたいな言い方をしたと思うんですけど、多分ですけどこれ善だけじゃなくて、
人によって見え方が違うというか、ただそれだけというか、
善に見える人もいれば、その真理に見える人、善に見える人、愛に見える人っていうふうに違うだけで、
なんかその言葉も違うだけなんですよね、多分これって。
なんですけど、この真善美愛っていうのは、すべて同じものを僕は指しているのかなっていうのを思ったんですよね。
例えばこれって真理だなって思うことっていうのが、例えば愛のように見える人もいるし、
例えばそれが美しいなっていうふうに見える人もいるんですよ。
それが善行のように見える人もいるというか、結局、例えば人が求めているものというか、
人が何かを追求していった先に見えてくるものというか、
僕たちはこのために生きてるんだなっていうことになるのって、
多分ですけどこの真善美愛っていうものに集約されるのかなっていうのを思ったんですよ。
だからこそ、一つのものの角度、見えているものの角度が違うだけで、
多分これってすべて同じものを言っているような気がしたんですよね。
だから昨日の言い方に直すとですけど、この真善美愛を積むということっていうのが、
そのために生きてるじゃないですけど、結局そこに集約されるような気がするというか。
でもこれって最初は多分一人称だけで求めていくんだと思うんですよ。
私はこれが欲しいとか、私はこういうことがしていきたいっていうことをやっていくと思うんですけど、
多分ですけどその一人称でどんどんどんどんやっていくにあたって、
多分見えてくるものって一人称じゃないんだなっていうことなんだと思うんですよね。
結局なんかもっと主語が大きいもの、僕だけじゃない、じゃあ次は僕たちだ、じゃあ僕たちだけじゃない、
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例えば世界だとか、もっと自然だとか宇宙だとかっていう風になっていくと思うんですよね。
なんかこの例えば真善美愛をどんどんどんどん積んでいくというか、どんどんどんどん自分の中で分かっていくというか、
別に区別とかないんだなとか、こういうところに全部つながっていくんだっていうのが分かったときに、
そのなんていうか、
もっとその個人のレベルではなくなってしまうような気がするんですよね。だからこそなんかその次元まで、
その違うところに行くというか、
なんか結局そこが最終的にはみんなが求めてしまうというか、
その人が一人ずつ一人なんかどんどんどんどん成長していってとか色々なものが見えてきて、
色々なことが分かってきたって中で、多分求めるものっていうのはそこに集約するというか、
多分そのために生きているような気がするんですよね。そのためというか、なんか結局そこに結びついてしまうというか、
なんか全部がそこにつながっているような気がしたんですよね。その言い方が本当に違うだけで、
なんかその行き着く先はみんな同じというか、そこを求めるためというよりかはなんかみんなでそれを、
分かり合うというかそのなんだろうな、
一種の体感として感じるかどうかっていうことなのかなというか、感じる、個人感だけじゃないですけどもっとなんか、
大きな枠組みとしてそれをなんか感じることができるかどうかっていう部分なのかなっていうのを感じたという、はい。
今日この頃でした。ここまで聞いてください。ありがとうございます。それじゃあまたね。