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はい、今日のテーマは、ボールペンのインク替えに感じた、小さな死生観。
なくなることは本当に終わりなのでしょうか。 僕はいつも、サラサの1.0のボールペンを使っているんですけど、
その今日、インクがなくなったので、インクを替えようってふと思ったんですよ。 で、
何か変えている時に、ああ、これって人が死んでまた生きることに少し似てるなって思ったんですよね。
そのインクがなくなるとペンはもう書けなくなる。 それって、言ってしまえば死んでしまったっていうことなのかなと思って。
ただ、インクを替えるってなると、また書けるようになるんですよね。 ただ、この同じ外側は同じペンなんですよ。
だけど、中のインクが変わったことによって、別の人生が始まるみたいに感じたんですよね。 だから、これってすごい不思議だなぁと思って、
そのインクがなくなったペンの意思を、次のインクが受け継いでいるような感覚というか、 ただその外側のペンっていうのは、今まで書いてきたことって全部知ってるんですよね。
だから、書いていくことって全く新しい言葉を紡いでいくんですけど、それでもどこか続いている感じがするというか。
一般的にというか多分、多くの方がインクがなくなることを消費したって、もしかしたら言うのかもしれないんですけど、 ただ僕は、それは生きたということなのかなと思ったんですよ。
たくさんの言葉を紡いで、その瞬間の思いや記憶っていうのを一緒に紙に残して、そして役目を終える。
それに意味はあるのかと聞かれたら、ノートや紙に書いてたものっていうのが教えてくれたりするのかなと思ったんですよ。
そこに確かに足跡が残っているというか、価値があるとかどうとかじゃなくて、そういうのって本当は関係なくて、 その時一生懸命に生きた証というか、それだけで十分なんじゃないかなって思って。
だから僕はインクがなくなったペンにそっとありがとうと言ってお別れをしました。 そして新しいインクでまた言葉を紡いでいく。僕たちはまた生きていく。
はい、少し補足していければと思うんですけど、そのなくなるという言葉はどこか寂しい響きがどうしてもあるなと思うんですよ。
消費、終わりとか役目を終えるとか。
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でも今日感じたのは、使い切るっていうことの一種の美しさって言えばいいんですかね。美しさ、清々しさというか。
インクは減っていくけれど、その分だけ言葉は残るというか、時間が減っていくけれど、その分だけ思い出が増えていくような。
インクがもし同じ命なのだとしたら、ただそれって消費するんじゃなくて、書いたものとか、自分が書いてきた時間というのももちろんそうですけど、
それと同期というか、例えば僕たちが誰かと一緒に過ごした時間とか、何かと向き合った記憶って、それって全くインクと一緒なのかなと思ったんですよ。
それって無駄じゃないですよね。無駄じゃないし、無駄とか価値があるとかの場所にいないというか、
どうしてもやっぱり、今の社会というか、今の世界で生きているとどうしてもその意味とか価値とか、
何かを形にして、利益とかそういうプラスにしなきゃいけないというか、どうしても存続感情としての物差しとして見ないといけないというか、
そういう目線で見るっていうのを求められてしまうというか。
でも、ただ、人っていうだけの個人の観点で見たら、一生懸命に生きたっていうこと自体が僕は尊いというか、
それが人として生きる僕としては美しいってことなのかなと思ったんですよね。
だから今回インクのペンで思ったことっていうのも、なんかそういうノートに残った文字があるように、
世界のどこかでちゃんと自分が生きたというか、何か発した言葉とか何でも、ただ単に何でもいいんですけど、
そういったものが残っている。だから、終わるってことってなくなるんじゃなくて、多分手渡すことなのかなって思ったんですよ。
何に関してもそうですけど、明け渡すっていうか、
例えば卒業したら、3年生とか6年生とかの教室って開くじゃないですか。
そういう渡していくっていうか、そういう感じなのかなと思ったんですよね。
だからこそそのインクが空いて、次のインクの人に渡すっていうような、どんどん受け継がれていくような、
思いとかも全てそういうふうに集約していったりもするのかなっていうのを思った今日、この頃でした。
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じゃあ最後に一言言って終わろうと思います。
使い切ったインクにそっとありがとうと言えるように、今日という1日も優しく生きていきたいと思いました。
はい、じゃあ今日もここまで聞いてくださりありがとうございます。
それじゃあまたね。